あしたのたね育てていますか、ブログ「アシタネ」

未来への不安もあるけれど、夢や希望のタネを見つけ育てていきたい・・・。
日常の出来事や感じたことなどを発信しています。

地村 保さん 絆なお強く―別離の苦難を乗り越えて

2019年04月08日 05時59分57秒 | 感動した出来事など

知人の共著の岩切裕さんと同級生とのことで、「絆なお強く」を貸していただいた。早速、手にとった。内容は口語調で読みやすく4時間足らずで読み終わった。

息子保志の失踪後間もなく、母親は心痛のあまり倒れてしまう。父親の地村保は、妻の介護に明け暮れながらも仕事を続け、同時に息子の消息と救出を求めて、思いつく限りの行動をとってきた。一徹な父親のあくなき執念、それは24年間にも及ぶ壮絶な闘いの日々でもあった。「やっちゃんは必ず帰ってくる」と息子の生存を信じて、24年間待ち続けた父親の執念と行動力。(本の紹介文より)

本を読んで感じたのは、地村さんの愛の深さだった。息子さんは苦難の末、帰ってくるものの、奥さんは息子を顔を見ることも叶わず帰国の半年前に他界。そんな地村さんを綴ったページがあったので紹介したい。

(掲載ページ53~54ページより転載)
夕方6時半くらいになると、家内の顔と体をぬるま湯でふいてやるんや。一日じゅう寝たきりでいると、これが気持ちええんかほんまにうれしそうな顔をするんや。
 退院する前に介護の仕方もいろいろ説明を受けとったもんやから、わしはそのことを毎日忠実に実行した。

 いまでは常識になっとる、寝たきりの人向けの介護方法、たとえば血行を促したり、運動不足を補うために筋肉をもんでほぐしたり、膝の曲げ伸ばしなどの基本的なものに、わし白身で工夫したマッサージも加えた。もちろん、床ずれなぞせんように、まめに体の向きを変えたり着がえをさせたりと、介護に専念したもんやから、いつやったか家内の体を見た看護師にわしはほめられた。「介護が行き届いていますね」言うて。
 夕食の支度も慣れるにつけ、うまくできるようになった。仕事の現場をのぞいた帰りなんかにスーパーに立ち寄って、惣菜やそのほか必要なものを買い込むのが日課になり、味噌汁を作ったり、季節の食材を工夫して家内が喜ぶように精いっぱいの食事をこしらえた。

 家内の介護をしながら、わしにも自然にわかってきたことがある。それは、できうる限り相手の立場になりきらねばならんいうことや。けっして先を急いではいかん。介護される身になってみれば、自分の思いどおりにならんことが多いと、イライラや不満が重なり、かわいそうやし、精神的にもおかしくなると思う。家内と気持ちを一つにすることで、わしはその手足として役に立っている自分に満足した。

 世の中を忙しく突っ走っている人にはむずかしいかもしれんが、弱者へのいたわりがわしの心に芽生えていった。そやから家内のプライドを大切にし、雑な扱いをすることがないよう心がけたんや。
 二人で湯ぶねにつかっとると、ほんの一瞬なんやがなんか心地いい、平和な気分にもなった。ほんまに皮肉なもんや。やっちゃんらが失踪せなんだったら、こうして二人だけで向き合う時間もなく、相変わらず仕事に追われる生活が続いとったやろう。一緒になって、こんなにゆっくり家内の顔を見たことはなかった。
わしは家内の介護で、本当に充実した夫婦の時間を授かったように思う。

 世の中には、夫婦が生活のために一生懸命働いたにもかかわらず、いつの間にか心が通わなくなり、崩壊してしまう家庭もある。
 そやから、わしは家内の介護がつらいと思うたことは、ただの一度もなかったんよ。そら男やから、こった料理とかでけへんし、限界もあったけど、とにかくこれ以上でけんほど精いっぱいのことをやった。わしは食わんでも、家内には三食きちんと食わせとった。

 家内が昼寝をしとる時間を見はからって、わしは洗濯機を回した。そのころは大人用の紙おむつなんかあらへんし、ボロ布や浴衣をほどいておむつにしとったもんやから、日に三回くらいは洗濯せんならんかった。もちろんかぶれを防ぐために体は必ずぬるま湯できれいにしてやって、清潔第一を心がけとったわな。天気のいい日には車いすで何度も散歩するんやが、楽しそうにしておった。
 わしには家内のしぐさで何をしてもらいたいのかがすぐわかるようになった。やが、一応それを言葉にして確認するようにした。のどか渇いたようなそぶりをすれば「何か飲むか?」と聞く。すると、うなずくんや。

 家内は、テレビの上にある保志の写真立てを取ってくれと、しょっちゅうねだった。胸元に持っていってやると、不自由な手でそれをふところにしまうしぐさをしよるんや。そうして写真を抱きながら、いつも涙流しとったわ。倒れてからも保志のことしか思わなんだろう。不自由な言葉で、保志の名前ばっかり呼んどったわな。
 「こんなにお前のこと、めんどうみとんのやで。たまにはわしのことも好きや言うてみたらどうや」冗談でそう言うたこともあったけど、力なく笑うだけやった。

 

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映画『ボヘミアン・ラプソディ』に関するビデオ、NHK単独インタビュー他。

2018年12月28日 06時32分46秒 | 感動した出来事など

感動をありがとう!「ボヘミアン・ラプソディ」YouTubeと記事を紹介したい。

映画『ボヘミアン・ラプソディ』特報

5月15日に公開された「ボヘミアン・ラプソディ」の予告動画

映画『ボヘミアン・ラプソディ』最新予告編が世界同時解禁!

7月17日に解禁された「ボヘミアン・ラプソディ」の予告動画


NHKで紹介された単独インタビュー記事
■クイーン単独インタビュー【前編】Click→ ロジャー・テイラーさん
■クイーン単独インタビュー【後編】Click→ ブライアン・メイさん


■Queen - Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version]

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紙芝居上演研修会へ参加。表現技術に感銘。

2018年12月27日 05時12分22秒 | 感動した出来事など

12月15日(土)都城市の紙芝居まねきねこの研修会に、所属する宮崎「橋の日」実行委員会1名とふたりで参加した。講師は、童心社会長で、紙芝居文化の会統括委員 
酒井 京子さん
。東京から来県された。紙芝居上演を続けて、7年目。学び直してみようと参加した。

紙芝居の内容は物語完結型と観客参加型の2種類がある。物語完結型は読んで字の如く、紙芝居でストーリーが進んでいくもの、一方観客参加型は、紙芝居の読み手と視聴者が、物語の中で対話しながら進められていくもので、たとえば演者が「このくだものを受け取ってくださいと、絵を見せてお客様に向け、投げるポーズをとり、受け取った観客はそれを受取、食べる」という動作をとりながら、共感の場をつくるというものだ。

また、紙芝居は日本独特の文化で、現在51ヶ国に広がっているとのこと。その魅力についてこう記載されている。
・画面が現実の空間に「出ていき」
・作家の世界となって「ひろがる」中で
・「作品への強い集中」と
・臨場感の中でむかいあうことによっておきる「コミュニケーション」が
・演じ手と観客・観客相互の作家の世界への「共感」をつくりだす。
・観客はこの「共感」によって作家の世界を自分自身のもとのとし、
・その喜びが「共感の感性」を育んでいく:紙芝居共感のよろこび(まついのりこ著より)

午前中は、講義。午後からは6人の紙芝居を上演しながら、アドバイスをおこなうという形式でおこなわれた。
初めて経験した顧客参加型の紙芝居。やってみると不思議な一体感が感じられ、その魅力を感じることができた。日本語の響き、紙芝居を抜き差しするときの微妙な間の取り方など、臨場感あふれる演技なのだと感じた。

それは、漫才などと同じような世界であり、現在活動している紙芝居だけでなく、講演活動やライブ活動に活かせるものだと思った。これらは、ともに何かを伝えるコミニュケーションであるが、伝えることよりどう伝わったかが大切であることから。発信者側の力量やエネルギー量が問われる。

最後に酒井さんから「今の時代、先進国のこどもはコミュニケーション力が弱くなっている。よって子どもにとって生き抜くことは大変な時代である。だからこそ、紙芝居を通して、コミュニケーションの体験をして欲しい」と結ばれた。

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湘南ベルマーレ優勝の影で

2018年10月28日 04時48分15秒 | 感動した出来事など

10月26日、朝のテレビで、ルヴァン杯の解説をおこなっていた。その中で、湘南ベルマーレのメンバーひとりひとりの食事を含めた健康管理やトレーニングなどが紹介され、調子のあがらなかった選手も、復帰が早く対応できた例などが挙げられていた

そんなこともあり、その試合結果が気になっていたところ、なんと初めて進んだ決勝で横浜F・マリノスを10で破った。

資料を読むと、1968年に藤和不動産サッカー部として誕生し、今年は50年目だという。この間、スポンサーである藤和不動産が撤退。若手を育て、その伸びしろにかける方針へと転換したが、ようやく育った若手の逸材は、他クラブの目に留まり選手が引き抜かれていくなど、さまざまな苦労を重ねた。

その後も、「走る湘南サッカースタイル」、サブと主力の区別なく、プロ1年目でも活躍する舞台が与えられるクラブづくりを堅持し続けた湘南ベルマーレ。

湘南の真壁潔会長(58)は「目標を決めて、しっかり宣言すると、うちみたいにコツコツやっている選手がいるところに、神様はその目標に近づくようにしてくれているんじゃないかな」としみじみ話したという。

その背景に、人づくり組織づくりの考え方を垣間見ることができる。公式ホームページには私たちの使命として、こう記されている。(以下ホームページより転載)

夢づくり 人づくり」
世代と地域をつなぐ総合型地域スポーツクラブとして、チャレンジする人の成長を支え、夢と感動を提供する。

また、クラブスローガンには、
「楽しめてるか」
私たち湘南ベルマーレの使命。それは、世代と地域をつなぐクラブとして、チャレンジする人の成長を支え、夢と感動を提供すること。年齢や立場の垣根を越えた、純粋なキモチを応援するために。誰かに話したくなるような感動空間を生み出すために。私たちは、どんな時でもスポーツを「たのしめてるか。」を大切にします。

詳細は、「ミッションステートメント」。

一方、組織として強靱な裾野を持っていることも大きな理由だと感じる。公式ホームページの紹介文を転載したい。

ベルマーレの概要
2002年4月、湘南ベルマーレの活動の更なる充実を図るため、株式会社湘南ベルマーレに加え特定非営利活動(NPO)法人湘南ベルマーレスポーツクラブが新たに誕生し、サッカーだけに留まらない様々な活動をスタートさせました。

発足から15年以上が経過した現在、株式会社湘南ベルマーレはサッカーのトップチーム、U-18、U-15の活動を管轄し、NPO法人湘南ベルマーレスポーツクラブではビーチバレーチーム、トライアスロンチーム、フットサルチーム、サイクルロードチーム、そしてラグビーセブンズチームの活動をサポートしています。またNPOではサッカースクールの他、各種競技の普及活動を幅広く展開しています。
湘南ベルマーレスポーツクラブはヨーロッパの総合型地域スポーツクラブのように、多種多様なスポーツをホームタウンの人々が気軽に楽しめるスポーツクラブづくりを目指し、また各競技チームに所属する選手たちは世界の舞台を見据えて日々励んでいます。

このスポーツクラブから育った選手が、世界の舞台で活躍することが、私達湘南ベルマーレの大きな願いです。

以上、たゆまぬ努力を続けた湘南ベルマーレに感動。少子高齢化や国の借金、さまざま事件事故など、暗いニュースが多いなか、少しオーバーかもしれないが、日本もまだ頑張れると夢と希望をもらった出来事だった。高校時代3年間だけだがサッカーに熱中した私
。ひさしぶりに熱い血が騒いだ。

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邦画「母と暮らせば」で監督の言いたかったこと

2016年01月22日 05時37分18秒 | 感動した出来事など


先日、邦画「母と暮らせば」を観に行った。この映画は、終戦から70年。山田洋次監督が、作家・井上ひさしさんの遺志を継いでつくる「どうしても遺したい」物語とのこと。松竹120周年記念映画である。

この物語は、母信子(吉永小百合)と原爆で死んだ息子:浩二(二宮和也)とのやりとりを通して、家族や戦争、愛情などを描いた作品。1948年8月9日、長崎で助産婦をして暮らす伸子の前に、3年前に原爆で死んだはずの息子・浩二が現れる。2人は浩二の恋人・町子の幸せを気にかけながら、たくさんの話をする。

映画を見終えて、戦争の悲惨さ、死んで行った人の気持ち、残された人の気持ち、人間の業の深さを自身の身に置き換えた。映画を観ながら、愛する家族を別れるというのは、本当につらいものだと、言葉のやりとりから痛感した。また、浩二と町子の切なく、悲しく、微笑ましい恋物語も。一方、戦後の暮らしぶりが丁寧につくられた映画セットや方言などから感じ取れた。

途中、母信子が浩二に、町子がこのままひとりでいることは、本当に良いことだろうか?と話すが、浩二は認めない。しかし、最終的に浩二が出した答えは、「原爆で亡くなった何万人の人々に代わって、町子は、幸福になってほしい」と、いうものだった。

この映画では、戦争でなくなっていった人達の願い、戦争を経験した人の願いを現代の私達に伝えたかったのではと私は思った。
苦しいことがあっても、「生きて生きて、幸せになって欲しい」と。

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3回、恐竜の食べられそうになった。

2015年08月20日 18時14分03秒 | 感動した出来事など



8月19日(水)ジュラシック・パーク(3D字幕版)を観に行った。座席は前列から3列目の中央。
大きなスクリーン。迫力ある音響で、恐竜同士の格闘シーンでは、身体が揺れる程の音圧で、臨場感がビンビン伝わってくる。
3回程、恐竜に襲われ、冷や汗をかいた。まるでジェットコースターに乗って遊んでいるようだった。

恐竜も恐いけれど、人間の業の深さを改めて感じた。利益のためなら、人間なんでもするんだなと改めて思わせる場面もあり、LOVE、企業倫理や生き物への愛情、エゴなど、いろんなエッセンスが散りばめられた最高の娯楽作品だと思った。

エンドロールで、数人の日本人の名前がでており、なんだかとてもうれしい気持ちになった。映画が終わって自宅に帰りついたのが、12時過ぎ。こんな日を時々経験するのもいいことだと思った。

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「サワコの朝」に板東玉三郎さんがゲスト出演。国宝です。

2015年03月15日 16時02分32秒 | 感動した出来事など

 3月7日放送の「サワコの朝」に、板東玉三郎さんが出演されていた。64歳には見えない若さ、考え方、美貌。考えられないような努力をしているのだと感じた。

番組の中で、「専門家とは、技術の積み上げと組合わせ」と話していたが、芸歴50年以上であっても、磨いていかないと食べていけない」と話していた。放送中に柔軟な体やよく通る声、驚くべき発声などを見聞きする度、人間国宝の意味が理解できた。

師弟関係においても、「忠告は風のようにささやく。それに気付かないと二度と言わない」という。それ程緊張関係をもって学べということなのか。それにしても厳しい。続けて玉三郎は言う。「その言葉の重み、理解力がないとダメだ」と。

また、その人をダメにしようと思えば、3回褒めれば充分だという。褒めるのは社交辞令。褒められたら疑えという。褒められたら慢心してしまうということなのか。
本人のことを本当に思うなら、厳しいことを言うのが当然だという玉三郎。芸の道の深さを垣間見たように思う瞬間だった。

現代の社会の中で、そんなことを言ってついてくるような若者は少ないように思う。しかし、人のことは別にして、自分はどうなのだろうか。芸にしても仕事にしても、学ぶための力。学ぶ姿勢が大切なのではないか。人はどうであれ、自分のゴールは何か。どんなゴールを持つのか、そしてどうしたいのか。答えはすべて自分の中にある。

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Cool&Beauty_堀北真希

2015年03月01日 06時02分28秒 | 感動した出来事など



2月21日(土)毎日放送「サワコの朝」に女優堀北真希さんが出演。街角でスカウトされたこと、デビューまでの様子などを聞いた。特に役者として演じることについては、自分が感じて演技するのではなく、人が見てどう感じる演技を目指している。自分のボルテージで演技するのではなく、これ位怒ったら、これ位に見えるということを意識して演技しているという。

その言葉を裏付けるように、日常では「人間観察」をしていると話していた。そんな積み重ねで、豊かな演技ができるのだと思った。その他にも役者として背負う「責任」という言葉や、自分の幸せのために動く、自分のために決断するという言葉、「こころを修める」という言葉の中に、彼女の強さを垣間見る思いがした。

そして冷静さ。こころの中の悩みを顔に出すことはしないという。顔に出しても相手に不快な想いをさせるだけと、さらりと言ってのけるところが凄いところだと思う。
最後に体調管理について聞かれると、「ここまでやってきたら風邪はひかない」と言い聞かせていることから、かなり努力をされていることを感じた。プロとしては当たり前のことなのだけれど、言葉で表現できる位に徹底していることだと理解した。

これからも活躍してほしい女優である。

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企画展「成田亨 美術/特撮/怪獣- ウルトラマン創造の原点」

2015年02月15日 06時25分35秒 | 感動した出来事など



「ウルトラマン」シリーズなどで個性的なヒーローや怪獣、メカなどをデザインした成田亨(なりたとおる) の初期から晩年までの創作を網羅した企画展「成田亨 美術/特撮/怪獣- ウルトラマン創造の原点」を先月、観に行った。成田亨はウルトラマンのデザイナー。本業は彫刻家。

ちらしの紹介文を転載し概要の説明としたい。
「成田亨(なりたとおる 1929~2002 青森県出身)という芸術家をご存じですか。ウルトラ怪獣のデザイン画を描いた人、といった方が分かりやすいかもしれません。彼は武蔵野美術大学で絵画、彫刻を学んだ気鋭の彫刻家でした。同校在学中にアルバイトで映画「ゴジラ」(1954年)の制作現場を手伝ったことをきっかけに、彫刻制作の傍ら特撮映画の世界にも身を置くようになり、1966 年から68年にかけて制作・放映された特撮テレビ番組「ウルトラQ」「ウルトラマン」「ウルトラセブン」では、主人公の超人、宇宙人、怪獣、そしてメカニックやセット等のデザインを一手に引き受けます。「ガラモン」、「ウルトラマン」、「バルタン星人」などのキャラクターが誕生して半世紀が経過しようとしていますが、それらは世代を超えて今も親しまれています。それは、彼が芸術家として吸収した同時代美術や西洋モダンアートにより培った造形センスを惜しみなく怪獣デザインにつぎ込んだからに他なりません。

しかし、そうした特撮関連の仕事に注力する一方で、成田の絵画や彫刻への情熱はむしろ高まります。多数の油彩画、水彩画を描きながら、彼は古今東西のモンスターへの関心を深め、モンスター関係の作品も数多く制作しました。それは1990年制作の巨大彫刻「鬼モニュメント」(京都府福知山市)に成就しました。
成田亨と言えば、これまで「ウルトラ」の仕事ばかりに注目が行きがちでしたが、本展では、成田亨という1人の芸術家が歩んだ軌跡を多彩な内容でお届けします。青森県立美術館所蔵のウルトラ関係デザイン原画187点をはじめ、「ヒューマン」、「バンキッド」など特撮関連のデザイン原画や未公開の怪獣デザイン原画、手元に遺した絵画、彫刻、そして本展のために再現された特撮セットも加えた総点数700点により、非凡なる才能を秘めていた奇跡の芸術家の知られざる全貌に迫ります。

展示作品数が多いのでどうか時間に余裕を持ってお越しください!」



回顧展で紹介されていた本や紹介文の一部を3テーマ掲載します。

デザイナーについて
デザイナーというのは忙しくなれば、モノを考える事もモノを探すヒマもありません。ただ目先の処理で一杯になってしまうのです。だからヒマな時に自分の引き出しを一杯にしておくのです。ヒマな時というのは必ずお金がありません。無くても無い中で何とか苦面(ママ)して引き出しをふくらませるのです。ヒマな時に引き出しに何をしまったかが、それ以後のデザイナーの価値を決定します。(続く)



(続き)
私は群れを作っての飲み歩きとか、麻雀とか、殆どしません。ヒマなときは引き出しを開けて、何時役に立つか判らないこういう資料を開けて、一人でニタニタしているのです。暗いのです。(以上)

これはデザイナーというより、仕事師として大切なことだと思う。アイデアの引き出しは多い方がよい。その引き出しをつくるのは普段の努力しかない。
芸術家であり、そして哲学の人でもある成田了氏。学ぶべき点が多い。



成田亨の人間観
私は、人類は進歩しないものだと思っています。進歩しないで変化してゆくものだと思っています。職を求める為に働き、恋に喜び、失恋に泣き、友と語り、嫌な奴と働き乍ら、一人一人は成長してゆきますが、人間そのものはメソポタミアの文明開化以来同じことをくり返しています。(続く)



(続き)
 しかし科学は進歩します。日進月歩、昨日のものは無価値です。科学技術の進歩は生活を変えます。革新的な技術の発達の中で、人間は人間全体の発展進歩だと錯覚して、ボケてゆくのです。営々として生きる本来の人間の姿を忘れてゆくのです。



(会場入り口付近の様子。受付隣のモニュメントが印象的)

怪獣のデザインについて)私は人間は進歩するものだと思っていません。人間は進歩はしないで、変容してゆくのだと思っています。
変容してゆく人間の本質って何だろうか? 私には判りませんが、人間の本質とか人間と自然が滅ぼした動物のことなどを考えながら、私は怪獣デザインをします。

ウルトラ怪獣のデザインをするに当たって、3つの規範を定めました。

1 怪獣は怪獣であって妖怪(お化け)ではない。だから首が2つとか、手足が何本にもなるお化けは作らない。
2 地球上のある動物が、ただ巨大化したという発想はやめる。
3 身体がこわれたようなデザインをしない。脳がはみ出たり、内臓むき出しだったり、ダラダラ血を流すことをしない。

「どんな困難に遭っても健全な子供番組を作るためには、この3原則だけは守ろうと思いました」と記載されている。

ウルトラマンの看板に見せられて入った美術館。得るものが多かった回顧展である。次回は今秋、青森県立美術館で公開予定とのこと。

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気持ち良い接遇マナーに感動!

2015年02月02日 22時16分25秒 | 感動した出来事など



2月2日、週末に福岡へ行くため、JRのキップを購入に宮崎駅へと向かった。お昼時間が終わりに近づいた頃、窓口に着くとふたりの女性が笑顔で迎えてくれた。

「宮崎空港までの時刻を知りたい」と告げると、小走りで時刻表をロッカーから時刻表を取り出してくれた。そして、予約したいとお願いすると飛行機へのアクセス時刻について、いくつかの案を出してもらい乗車時刻を決めた。

その後、乗車チケットを発行していただく際、太いサインペンでチケット袋に時刻を記載し、指先でチケットの時刻を示して説明してくれた。その後、領収書についても記載内容を指で示して、チケットホルダーに封入してくれた。

とても親切で、良い気持ちになった。相手の立場に接客する。言葉では簡単だけれど、実際には形式的だったりする。今回は、不安な気持ちを理解した応対だったと思う。

私も窓口対応の仕事をしており、改めて窓口業務の大切さを実感した。自分を客観的に眺め、気持ちよいサービスができるよう頑張りたいと再認識した。
どんなサービスの評価はお客が決める。そのことを意識してGOOD、JOB!を目指したいものです。

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理解しやすい説明に感動。谷口尚子准教授。

2014年11月29日 05時49分13秒 | 感動した出来事など



(中央が谷口氏)

11月23日に放送されたサンデーモーニングで、東京工業大学谷口尚子准教授が、選挙と経済(景気変動)について説明された。アメリカと日本の選挙を比較しながら、現在日本がどこに位置するのかというもの。

これまで説明されてきた中で、一番わかりやすい説明だったと思う。
司会の関口宏氏が「わかりやすい」と付け加えられていた。

どのような説明が的を得ているかというと、みんなが知っている事と比較し、現象を論理化されたキーワードで説明した。確かに、自分がすでに知っている知識に連動させれば、理解も早い。そしてキーワードを使って展開することで少ない情報量で脳の演算も速くなると思った。つまりたとえ話をつかって、説明するようなものだ。
人にいろんな説明をするとき、上記のようにスマートに展開したいものだ。

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「インド国際子ども村 ハッピーバリー」井戸掘りのためのコンサート

2014年11月01日 06時53分00秒 | 感動した出来事など

インド国際子ども村代表の大神のりえさんは、設立の理由をこう語ります。UNESCO憲章前文に「戦争は人の心の中に生まれるものだから、人の心の中に平和の砦を作らなければならない」という言葉がありますが、インド国際子ども村「ハッピーバリー」はこの言葉の実現のため、インド南部カルナータカ州に国際子ども村を設立しました。

のりえさんとの出会いは、以前ブログで紹介通り。今回のコンサートは、子ども村に新しく井戸を掘るために計画されたものです。※井戸掘り見学ツアーも企画されていますので、ご興味のある方は、ハッピーバリー事務局:戸高さんまで(0982-21-7494)



(のりえさん。別の会場で撮影した写真です)

のりえさん自身が歌うコンサート。

コンサート会場は、現代ビル1階。16畳程度の場所。午後2時と午後7時にステージ。1回目のステージも会場は満席だった様子。私にとっては、広すぎず狭すぎない、声とピアノの音が響く会場でした。

パワフルで繊細なのりえさんのソプラノ。そして笑いあり涙ありのトークも大盛り上がり。会場をのりえさんのこころ配りが会場内を優しく包む。そんなひとときでした。

終演後、場所を変えてのりえさん他出演者とスタッフの方数人と食事会に参加しました。そして演奏会の感想やインドでの様子を交えて話しました。

特に印象的だった話のは、美智子妃殿下との話。30年程前、のりえさんが総務庁「青年の船」に参加した際、美智子妃殿下とお話する機会があり、美智子妃殿下からメッセージをいただき、約束を果たしたとの話を母校の講演で話したそうです。その講演では、ぜひもう一度お会いしたいと話していたところ、10日後、インドへ帰ったのりえさんに、インドにいらしていた天皇皇后両陛下にインド在住日本人代表のひとりとして、美智子妃殿下との夢への招待状が届き、お話する機会を得たそうです。夢が叶ったようですね。私も以前青年の船乗船前に、皇居で天皇皇后両陛下の謁見しましたが、両陛下にすごいオーラがあったのを覚えています。

のりえさんからは、いつも元気をいただきます。これからも自分と人に尽くしなさいと聞こえるべきないメッセージをもらったような気がします。

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地下駐車場で女神と出合う!?・・

2013年01月13日 11時56分26秒 | 感動した出来事など

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宮崎市民活動センターの地下駐車場で「女神」を見つけた・・。
数年来、駐車場も使っているけれど、初めて・・。

いろんなシミはあるけれど、よくできたシミなので、写真を一枚・・・。
今年はいいことあるかも
どうぞ女神が微笑んでくれますように・・・

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デフ・パペットシアター・ひとみ30周年記念作品「森と夜と世界の果てへの旅」

2012年11月02日 06時55分02秒 | 感動した出来事など

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ろう者と聴者が共につくるデフ・パペットシアター・ひとみ30周年記念作品「森と夜と世界の果てへの旅」~それは、遠くて、近い、誰かの、私の物語~を10月23日(火)を宮崎市民プラザオルブライトホールへ観に行った。


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原作は、エイモス。チュツオーラ(ナイジェリア出身)の「やし酒飲み」
ストーリーは、主人公ジュジュマンは、やし酒が大好き。やし酒名人のヤシオーが死んだのち、ヤシオーに会うために、世界の果てまでの旅に出る。途中、いろんな苦難に不思議な出来事に遭遇しながら、生きるという物語。途中、家族ができたり、恐ろしい赤ん坊が生まれたり・・アフリカの民話や民間伝承を基にした独特の世界観・・が表現されている。日本の古事記にも、黄泉の国へいくという話があり、民間伝承とはいえ、相通じるものを感じた。


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人間の持つ深いこころの闇や愛情、善と悪など、目に見えない存在が人形たちによって舞台で表現される。主人公ジュジュマンは、ピンチも何度も訪れるが、乗り切って生きていく。


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「・・・そもそも人間をやっていること自体、なにかなんやら。妙ちくりんな連中が飛び跳ねて悪さをする世界で、そんな世界の住人がたまたまいろんな仮面を被っているだけ、と思えば、ふうむ!と納得できなくもない」とパンフレットに書かれたあったが、奇妙な物語も人間世界の縮図なのかもしれない。


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また、人形の動きも人のぬくもりを感じる箇所が随所にあった。印象的な場面は、奥さんの両親と死者のまちで出合った時、一緒についていこうとする妻、ひきとめる主人公。顔がライトのあたる角度でいろんな表情を見せたり、手の動きだけで想いが伝わってきたりと、人形劇の面白さを改めて感じた。
舞台は白に貴重にしたもので、深い闇や印象を表現していたし、ジャンベの音(木をくりぬいたものにヤギの皮をはられたもの)や鐘のような音も心地よく響いた。

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青年の船に乗船した24歳。思い出の写真集。

2011年01月08日 07時06分10秒 | 感動した出来事など


「世界青年の船」は、内閣府の行っている事業の一つで、18歳から30歳の日本国籍を持った人が参加でき、世界12カ国の青年が集まり43日間船で共同生活する事業。毎年、東回りと西回りと交互に回っている。これまで1万人を越える日本人と海外招聘青年が参加している。

私が参加した今年の青年の船は、307名の団員を乗せ 昭和59年1月26日に東京港を出航し50日間にわたり、オーストラリア・ニュージーランド・トンガ王国・西サモアを訪問し、3月15日の帰国まで、多くの研修を行った。

私が乗船した第17回青年の船が掲げた統一テーマは、「南太平洋に拡げよう青年の輪」であり、このテーマのもと団員ひとりひとりが自ら各種の研究テーマを設定し、船内における研修や寄港地での視察、交歓会などを通じグループごとにそのテーマを追求した。

船内で生活を共にした訪問国青年達と、言語・宗教・民族を越えた人間的共感によって結ばれたことも、この船ならではの成果でした。
この船を通じて次の3点を学んだように思います。

ひとつは、文化・言語・習慣・考え方の違いを体験することによって理解し、自分が日本人であり、日本の青年であるという事を再認識したこと。2つめに、多くの人達との出会いにより、情熱とそれを実行する手段をみつければ、何でも出来るんだという確信、人間の無限の可能性を信じられる様になりました。そして最後は、国際理解、人間理解はまず身近なところが出発点だという事です。

乗船前から帰国するまでの写真を掲載し、記憶に留めたい。



高校卒業後、さまざまな地域活動をしていた私に、先輩が青年の船への参加を進めてくれた。1月から3月中旬までの50日間、会社を休むこととなったが、社長が有給での参加を許可してくださった。その後、試験をパス、先輩達に壮行会を開催していただいた。



知事への表敬訪問。宮崎県からは4名が参加しました。



出発を前日に、総理府、および皇居への表敬訪問をおこなった。




宮崎県からも見送りに来ていただいた。



船の中では、午前と午後、政治や経済、福祉、国際関係などの授業がおこなわれました。上記の写真は、外国人招聘青年を交えたフリーディスカッション風景。




豊富なレクリエーションプログラムも準備されていました。

寄港地では、文化行事のほか、親善サッカーもおこなわれました。上記写真はニュージーランドで試合後の記念写真(ゴールキーパーで参加)

お昼の時間を利用して、メンバーとたのしいひとときを過ごしました。




初めてのホームスティ。2日間でしたがホームスティファミリからは、あたたかく接していただきました。

この写真は船の中でお茶室の様子。所属したローターアクトクラブの仲間であるオーストラリア、ブリスベーンのメンバーに手紙を書いたところ、同地区の代表他が船に遊びに来てくれました。一枚の手紙が世界を越え、友情の架け橋をつくったことに感動を覚えました。

乗船者でバンドをつくり、ライブ活動もおこないました。宮崎から30キロもあるキーバードケースを担いでいきました。

フィージー出身のマイク君とのツーショット。初めてできた外国人の友人でした。


帰国する船の中、硫黄島の沖で洋上戦没者慰霊祭を執り行いました。グァム島での戦争体験を話された島民の方との交流があったからか、戦争ということに向き合うことができました。


自分の可能性を信じて、いろんなことに挑戦しようと、船で知人に書いていただいた「挑戦」の文字。

数多くの出会いや出来事がありました。それらは次の二つの手段によって得られたように思います。
ひとつは、何をどれだけ多く学ぶかという事に関しては、経験の多い少ないではなく、「ひとつのことからどれだけ多くの事を吸収できるか」であり、もうひとつは、物事を大切にするかしないかは心がけであり、「大切にする気持ちが尊い」ということです。

この二つの事を頭に置いて、取り組んでいけばきっと多くの事を学べると確信しています。その意味で、私は私なりにこの「青年の船」について、その意義を大切に育んでいきたいと思っています。

最後に、この旅を通してあなたは何に一番感動しましたかと尋ねられたら、私は躊躇いなくこう答えます。「どんな美しい景色より、人の心は美しく、どんな広大な土地より、人の心は大きい。そして人の心は大自然を、人を包み込むことができることを知ったことです」



 

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