あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

地域のお宝再発見ツアーin福岡、1日目

2019年11月29日 06時10分41秒 | 旅、風景写真
地域の歴史遺産(主に土木遺産)などを見学し、また地元の方と交流するツアーを私の所属する宮崎「橋の日」実行委員会にて企画、実施しました。宮崎県内を訪ねるツアーからスタートしたこの行事も、九州7県と台湾、そして2回目の福岡、合計9回目となります。

今回の目玉は、門司港駅周辺の近代建築物の見学、2018年に国登録有形文化財に登録された「名島橋」の見学、および「春吉眼鏡橋」です。それでは、11月23日~24日に旅したツアーの様子を写真で紹介します。

23日朝6:00。宮崎県庁を出発した私たちは、大分県の宇佐市院内町へ。院内町には75基もの石橋が残されており、うち、アーチ橋(めがね橋)は64基と日本一の数を誇っています。
まずは、別名:石橋の貴婦人と呼ばれる鳥居橋に立ち寄りました。橋脚がが細く、優美な感じがその名前の由来かも知れませんね。



院内町に石橋が多い理由はいくつかあります。一つは院内町の地形は深い渓谷を形成しており、その流れも急であるため、住民は頑丈で流されない石橋を必要としたことです。二つ目は石橋作りに必要な材質となる石が豊富に採石できたこと。そしてもう一つは、生活に必要不可欠な棚田や石垣等を組む技術を持った優れた石工が多かったことが挙げられます。(院内ホームページより参照)



院内町では、荒瀬橋、御沓橋、富士見橋などを見学しました。その後、北九州へ。
北九州に着いた私たちは、春吉眼鏡橋の案内ボランティアをされている川上さんに、橋ができたエピソードをまとめた紙芝居を上演していただきました。


この橋のできるまでは岩の上に板切れを渡しただけの簡単な橋が架けられていましたが、大正6年に3人のこどものうち、子守りの女の子が川に転落して亡くなりました。このことをきっかけに恒久的な安全な橋を建設しようと、春吉地区の人々が寄付金を出し合い建設されたそうです。ちなみに川上さんは、生き残った子どもの子孫です。 橋のたもとの石碑には、地区58人の寄付者や寄付金額、石工の名前などが刻まれています。



その後、若戸大橋へと向かいました。



戸畑区と若松区を結ぶ、長さ627mの吊り橋。1962年の開通当時、東洋一の長さを誇りました。この橋は日本独自の技術で完成し、日本の吊橋の先駆的な役割を果した橋であり、その技術は関門橋、本州四国連絡橋と大規模な吊橋へと繋がったと言われています。

そして、小倉の宿へ。夜は、楽しい宴会を催しました。



くじけないで(柴田トヨさんの世界)再掲

2019年11月27日 19時34分42秒 | ノンカテゴリー

先日、柴田トヨさんのDVDを借りた。名前は聞いていたけれど、ビデオで見ると素晴らしい方だなと感じ入ってしまった。90歳から始めたという詩は、シンプルな言葉の中にキラリと光る感性を感じた。

母にプレゼントするために2冊を購入し、送ったところ、「今、二回目の読み直し」とのこと、とても喜んでもらえた。読みやすさも魅力になる。それも大切なことだと気づいた。詩を一部を紹介したい。




目を閉じて
 

目を閉じると

お下げ髪の私が

元気に

かけまわっている

 

私を呼ぶ 母の声

空を流れる 白い雲

どこまでも広い

菜の花畑

 

九十二歳の今

目を閉じて見る

ひと時の世界が

とても 楽しい


母親の存在は、年齢に関係なく大きいと改めて感じる。転じて、ひとりの人間として、こどもたちの父親として、家族へ何を残そうか。詩を見ながら、ふと思う。

ブログを読み返しながら、追記をして再掲いたしました。


待つことは愛である。しかし、待てない○○○。

2019年11月18日 04時22分05秒 | 気になる○○
「考える力を育てる」
3回目となりますが「人間として一流を目指す」(上甲 晃著 モラロジー研究所発行)より、一部を転載させていただきます。私はセミナー講師をしておりますが、いつも葛藤しています。それはどうしたら、受講されている方が自ら具体的に「動く」お手伝いができたかということです。それは、いい話だったな・・では、意味がないと思うからです。
そんな私がこころ惹かれた一文を紹介させていただきます。


あけみんさんによる写真ACからの写真

 松下幸之助らしい人の育て方のエピソードのひとつをご紹介します。

 以前、松下幸之助がPHP研究所の社長だったころ、社長秘書をしていたという人から聞いた話です。

 ある朝、出勤してきた松下幸之助が秘書に向かって聞きました。
 「今度、ハーマン・カーンという人が松下電器へ来るんや。君、ハーマン・カーンという人は、どんな人か知ってるか?」
 一応のことを知っていた秘書は、次のように答えたのでしょう。

 「ハーマン・カーンというのは、確か、ハドソン研究所というアメリカでも有数のシンクタンクを創設した人で、21世紀の世界をリードするのは日本だと予測した著名な未来学者です」
 松下幸之助は、「そうか、分かった」と言いました。秘書はそれで、この件は終わったと思っていました。

 ところがあくる日、出勤してきた松下幸之助は、また聞いたのです。
 「おはよう。君、今度ハーマン・カーンという人が松下電器に来るけれども、どんな人か知ってるか?」
 秘書は、一瞬、”社長、ボケはじめたかな? 年をとると、こういうことが増えてくるな”とでも思ったのではないでしょうか。そこで、最初と同じ答えをしたのです。松下幸之助は、
 「そうか、分かった」
とだけ言いました。

 3日目です。また、社長からハーマン・カーンについて聞かれたのです。さすがに秘書も答えながら、”おかしいなと思いました。3日も続けて同じことを聞くというのは、ボケているからではなく、”僕は君の答えに満足していないんやで”という意味ではないかと感じてハッとしたというのです。

 そこで彼は、その日の午後、自分で図書館に行って、ハーマン・カーンという人がどんな人物なのかを調べ直しました。さらに、ハーマンー・カーンの最新の著書を買ってきて、徹夜で読んで、要約をカセットテープに吹き込みました。彼は、「また明日も、絶対に同じ質問がくる」と思ったのです。

 4日目の朝、彼が予想したとおり、またハーマン・カーンの質問がきました。その時、彼は、初めて違う答えが言えたのです。そしてさらに、
 「社長、時間があったら一度これを聞いてください」
と言って、前日徹夜で吹き込んだカセットテープを渡しました。

 5日目、彼は会社へ行くの楽しみで仕方なかったのです。松下幸之助から、どんな言葉が返ってくるかという期待を胸いっぱいにして社長の出勤を今か今かと待ちました。やがて、社長が出勤してきました。そのとき、松下幸之助は、たった二言だけこう言いました。
 「おはよう。君、なかなかええ声してるな」

 彼は、この出来事を一生忘れられないと言いました。それは、自分で気がついたからです。そうかと、自分で気づいたことは一生、自分の身につくのです。
 この話を聞いて、私はたいへん感動しました。もし私か松下幸之助の立場であったら、きっと次のように言うでしょう。

 「君なあ、その程度のことは僕も知ってるんや。図書館へ行って調べてくるとか、本を買ってきて要点をまとめるとか、もっと方法があるやろ!」
 このように、私なら、答えまで全部言ってしまうでしょう。こういうやりとりを繰り返していると、部下はだんだんと考えなくなってきます。言われたことしかやらない、指示待ち人間になるのです。上司にとって、自分の思ったとおりに部下が動くことは、仕事をするうえでとても楽です。

しかし、本当に大事なことは、みずから考えるとともに相手に考えさせることです。そして、部下が自分で”そうか!”と気づいたことは、全部、部下自身の血となり、肉になっていくのです。
 自分で考え、自分で答えをつかんでいくということが、みずからを成長させる最大の方法ではないかと思います。

 同時に、私は自分の子育てについても大変反省しました。私の子育てを考えてみると、ほとんど子どもが自分で考える力を奪い続けるものでした。例えば、朝、子どもが起きると、私は次から次へとせきたてていきます。
 「おい、早く起きろ!」
 「起きたらぐずぐずするな! 顔を洗え!」
 「顔を洗ったらもたもたするなI メシを食え!」
 「メシを食い終わったら、とっとと学校へ行け!」
 こういう調子ですから、子どもは考えている問がありません。そんなとき、子どもは何と言うでしょう。
 「うるさいな!」とだけ言って、学校へ行くのです。しかし、私か反省したときには、時すでに遅しでした。子どもたちはもう成人していて、気づいたときには孫の時代になっていました。

 ”待つことは愛である”という言葉があります。相手がいつか気づいてくれると願いながら、温かい気持ちで刺激しながら待つことが、本当の愛なのです。

 しかし、残念ながら今の世の中は、何事も「早く、早く!」とせきたてて、私たちは、なかなか待つことができません。そのために、結果としては人が育たないということになったのではないかと思います。

 こういう現代においては、親や上司の側、つまり、育てる側は、効率ということを考えることも大切ですが、子や部下がみずから気づき、育っていくことを重視する必要があると思います。そして、実は、人が育つことこそが、結局、会社や組織が育つことにもなるのです。

 私たちが忘れていること「ものの本質を見る力」

2019年11月13日 06時44分48秒 | 自分を磨きましょう


2回目となりますが「人間として一流を目指す」(上甲 晃著 モラロジー研究所発行)より、転載させていただきます。私は、日々の生活の中、効率のみ優先、知識偏重になっていないか、人間として大切なことは何か、そんなことを考える機会となりました。(以下転載)

 本当に何かを求める心があれば、すべての体験が学びの機会になる一例として、「お茶くみ」について話してみたいと思います。

 「お茶くみ」といいますと、今日では「なぜ私がそんなつまらない仕事をしなくてはならないのですか」と言われるくらい、まったく尊敬されない仕事になってしまいました。しかし、お茶一杯でも「あなたの入れてくれるお茶はおいしいね」と、本当に人を喜ばせ、感動させようと思ったならば、並たいていの努力ではできないのです。

 私は、多くの訪問先でお茶をごちそうになりますが、色だけついた、味も素っ気もないお茶があります。それは、「お茶くみはくだらない仕事だ」と思ってお茶を入れている証拠です。私は、その価値観が間違っていると思っています。本当は、お茶くみ一つにも達人の域があるのです。

 先般、お茶くみが非常に重要な勉強の仕方だということを教えられました。
 それは、警視庁捜査二課にうかがったときのことです。警視庁捜査二課というところは、経済犯罪を数多く扱っているところです。そこで、ある刑事さんと話していましたら、大変よいことを教えてもらいました。

 その刑事さんは、最近の新米刑事について次のように話してくれました。
 「今の刑事は、理屈とか理論とかを教えられるから、一応の知識はある。しかし、知識だけでは泥棒は捕まえられない」

 つまり、いろいろと知っていることと、実際にできることは違うというわけです。本来は、”できる人間”にならなければならないのです。しかし、多くの場合は”知っている人間”でとどまっています。今日、日本全体でも検挙率が下がってきています。知識や理論は分かるけれども、泥棒の正体が分からないのです。ですから、泥棒がなかなか捕まらないのです。

 知識の偏重と、検挙率の低下との因果関係は明確には分かりませんが、何らかの影響があることは確かだと思っています。

 その刑事さんは、こう言いました。
 「昔は難しい理屈なんか、あまり教えなかった。けれど、実際に役に立つ知恵を教えてきた。そのための一番大事な教育方法はお茶くみだった」
 不思議ではありませんか。昔の刑事さんは、お茶くみでもって刑事を訓練したということなのです。私は、どういうことなのか耳を傾けました。

 話の概要はこうでした。
 新米刑事の研修は、まず、先輩の刑事さんが6~70人ぐらいいる大部屋のお茶くみから始まります。先輩の使っている湯飲み茶碗は、みんな違います。新米の刑事は必ずといってよいほどこう聞くのです。

  皆さん持っている湯飲みが違うので、誰がどの湯飲みなのかを一覧表にしてもらわないことには、お茶の入れようがありません。
 先輩は、「自分で考えなさい」と言うだけです。

 すると、新米刑事は、あくる日から、とにかく誰がどの湯飲みを持っているかを徹底して覚えることから始めるのです。
 たかがお茶くみですが、よく考えると、これは刑事としての最も基礎的な訓練なのです。人の特徴、持ち物の特徴を一つひとつ覚えていくのです。“あの人は、体も丸いけど、湯飲みも丸いな”とか、“あの人は、湯飲みは小さいけれど体は大きいな”とか、あらゆる意味において持ち物とその持ち主の特徴を覚えるという、刑事として最も実際に役に立つ力を訓練することになるのです。

 お茶くみをしていると、中にはこういう先輩刑事がいます。
 ちょっと口をつけて、無言で水飲み場へ行って、お茶をザーツと捨ててしまうのです。そして「飲めるか」ということで、お茶を入れた新米刑事の机に空になった湯飲み茶碗をポンと置くのです。当然、新米刑事は聞きに行きます。
 「すいません、何かお気に召しませんでしたか?」
 すると、先輩刑事は「自分で考えろ」と言います。
 そうすると新米刑事は、お茶を捨てた先輩がお茶を入れ直している様子をじっと見るわけです。どこが自分の入れるお茶と違うのか、じっと観察して、そして真似をしながらお茶を入れていきます。そうしていくうちに、やがて先輩刑事はお茶を飲んでくれるようになるのです。

 あるいは、お茶の葉の在庫が切れます。当然、買わなくてはならないのですが、どうやって手に入れるのか分かりません。そこで新米刑事は、出入りの業者さんをずっと見比べながら、どの人がお茶屋さんかを見極めるわけです。

 考えてみると、これらは全部「たかがお茶くみ」です。しかし、刑事としての最も大事な人を見分ける、あるいは人の特徴をつかむという力は、全部お茶くみを通して養われるのです。
 新米刑事は、こうしてお茶くみから、自分で考えて苦労しながら刑事としての力を身につけて一人前になっていくわけですが、これはあらゆる職業に通じることだと思います。

 自分の目の前にあることすべてを研修だと思い、みずから問いを発し、みずから答えを得ていく中で、人は育っていくものと思います。「たかがお茶くみ」と言い出したときから、日本人は、ものの本質を見る力を失ってしまったのではないかと思います。

目に見えない「橋」を架ける。

2019年11月07日 06時23分19秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!


350年以上前、宮崎を襲った地震を先人たちが50年ごとに記念碑をつくり、地元では長くその教訓を語り継いでいます。

この地震は、もっとも被害に大きかった地域の名前をとって、とんところ地震ともよばれています。

5年前、この地震について紹介するための私が事務局を務める、宮崎「橋の日」実行委員会で企画・製作しました。私たちの住む宮崎県では、南海トラフ地震への備えが必要なことから、広く告知するために県へ寄贈しました。

その後、県より協働して、制作しましょうという連絡があり、増刷、PR方法や活用方法を検討しました。翌年3月、完成した紙芝居と紙芝居DVDを、県内の230の小学校へ宮崎県教育委員会を通じて、寄贈しました。

あれから5年の歳月が過ぎ、南海トラフへの備えを風化させないため、今年1月から改めて内容を検討し、絵本形式に取りまとめて、今年中の完成を目指して準備を進めています。 

個人でできること、組織でできること、さまざまですが、気づいた人達が自分にできることを精一杯する。「橋の日」活動では、目に見える橋だけではなく、目に見えない「こころ」の架け橋や、「いのちを守るための」橋渡し活動になればと考えています。

「人間として一流をめざす、人間としての一流とは何か」

2019年11月05日 07時57分52秒 | ひとりごと
(人間として一流を目指す~心を育てる教育とは何か~)上甲 晃著より、転載)

 昭和の初めごろの話です。もちろん私も生まれていません。

 松下電器が中小企業より少し大きな会社になったころのことです。幹部社員の一人が、外部のある会合に出かけて行きました。そこで、隣に座っている人から、次のように尋ねられました。
 「あなたは松下電器という会社に勤務されているみたいですが、何を作る会社ですか?」その幹部社員は、当然のごとく、
「電気製品を作っている会社です」
と答えました。もちろん、当時のことですから、今のようなしゃれた家電製品はなかったと思います。主にこたつとか、アイロンとか、ラジオなどだと思います。会社に帰った幹部社員は、次のように社長の松下幸之助に報告しました。

 「社長、今日、外部のある会合に行きましたら、私に『松下電器は何を作る会社ですか?』と聞く人がいました」
 「そうか。それで、君はどう答えたんや?」
「はい、『電気製品を作る会社です』と、ちゃんと答えておきましたから、どうぞご安心ください」報告しながら幹部社員は、きっと社長から「そうか、うちも会社の名前を聞いただけでは、何を作っている会社かまだ分かってもらえんか。これから、おおいに頑張って、会社の名前を聞いただけで、すぐ、何を作っている会社かピンと分かってもらえるような、そういう会社にならなあかんな」という返事があると思っていました。

 ところが、松下幸之助は、次のように言いました。
 「なに? 君は『松下電器は、電気製品を作る会社』と答えたのかね。君のその答えは、僕の考え方と違うな」
 報告した幹部社員は、
 「社長、それはいったいどういう意味ですか?」
と聞き直しました。
 すると、松下幸之助は、
「君な、どんなに高度な技術を身につけても、どんな立派な知識を身につけても、それは所詮、道具にしか過ぎんのや。どんな立派な道具を身に備えても、それを使う君自身が、人間として立派にならん限りは、絶対にいい仕事はできんのや。松下電器は、電気製品を作る前に人間をつくる会社や」
と言いました。これは、今日でも、松下電器の社内では大変よく知られている言葉です。

 技術や知識は所詮道具にしか過ぎないのです。どんな立派な道具を撒えても、あなた自身が人間として成長しない限りは、絶対によい仕事はできません。知識や技術ももちろん大事なことですが、もっと大事なのは、自分自身の人間としての値打ちをどのように上げていくかということなのです。

 例えば、ゴルフです。
 私も、以前少しだけゴルフをやっていましたが、身に備わったゴルフの技術は、いわゆる三流以下です。その私か、仮に最高の道具を貸してもらってプレーしたとします。しかし、残念ながら、どんなよい道具を借りても、私の実力が三流であれば、やはり三流の結果しか出ません。

 ところが、世界でも有数のプロゴルファーであるタイガー・ウッズに、私の安物の道具を貸したとしましょう。道具がどんなものであっても、腕前が超一流であるタイガー・ウッズは、超一流に近いスコアを出すと思います。
 このように、道具ももちろん大事ですが、もっと大事なのは、自分ぽ身の人間としての実力なのです。つまり、人間として一流にならない限りは、絶対に一流の結果を生み出すことはできないのです。そして人間として一流ということは、決して一流大学を出るとか、一流の企業に入るということではありません。

 では、どんな人が一流の人間なのでしょうか。
私は次のように思います。たとえ一流の大学を卒業していても、「自分さえよければ」という、自己中心的な考えの人は、
人間としては三流です。人間としての一流は、たとえ学歴がなくても、周りの人のことを常に自分のことのように考えられる心を持つことだと思います。それは、「志」を持てば必ず目指すことのできる道なのです。

突然の電話から。

2019年11月03日 15時29分25秒 | のほほん日記
10月16日(火)午後3時40分、突然かかってきた1本の電話。「父親が仕事中、ろれつがまわらなくなったので、A病院へ向かわせた」とのこと。

電話は、勤務する宮崎市から70キロ程離れた延岡シルバー人材センター。早速、家族や同じ宮崎市内でコンビニを経営する妹に状況を伝えたのち、電車とタクシーを乗り継ぎ、延岡市のA病院へと向かった。

父は84歳。現在、地元延岡のシルバー人材センターで、20年近く、駐車場整理や草刈り業務などに従事し、ひとりで暮らしている。

午後5時30分、病院に到着。2週間ぶりに会う父は、人が変わったように、立ち上がることもできず、言葉にもならない声を発していた。10分後、医師からは「つじつまの合わない話をしているが、CTスキャンでは脳に異常は見られない。後日、大きな病院でMRIを撮るなど診察を受けて下さい。明日、MRIのあるB病院に、予約しておきます」と告げられた。それから父宅へ車で戻った。

午後6時30分、自宅到着。父は、病院にいる時より落ち着いた様子だった。さっきまでの、ふらつきも減り、回らなかったろれつも、聞き取れる程に回復したように思えた。
30分程すると、妹から電話。「知り合いから聞いたけれど、救急車を呼んだ方がいい、まずは県北医療ダイアルに電話して確認するように」とのことだった。その後、同ダイアルの相談員に状況を伝えると「脳梗塞の疑いがあります。至急、救急車を呼んでください。」とアドバイスをいただいた。

午後7時40分、救急車が到着。社内で機器を使っての診断後、宮崎県立病院へ搬送。専門医による診察を済ませ、MRIを撮影。

午後10時、担当する医師から、父は脳梗塞で入院が必要だと告げられ、市内になる別の病院へ救急車で向かう。その後、点滴など必要な処置を受け、正式は診断結果を伝えられたのが、午前1時。医師より脳内の写真を見ながら、脳幹に近い場所で脳梗塞を起こしているとの説明があり、1ヶ月の治療が必要とのことだった。

翌日から、父親は幻覚に悩まされるようになり、昼と夜の逆転生活が始まった。最初の数日は、病院から逃げだそうとする夜もあり、留めようとすると怒り出すなど、看護師たちと3人で対応にあたったこともあった。私は、病院に寝泊まりし、朝電車にて職場へ出勤。

ソーシャルワーカーからは、入院したばかりの時は、環境が激変するので幻覚が見えたりすることもあるが、落ち着く時がくるとの話から、ヘルパーサービスなども併用して、10日あまりが過ぎた。

変化が現れたのは、外出許可がでた日のこと。自宅に一時連れて帰った日から、すこしずつ、ひとりでも夜は看護師に面倒を掛けることも少なくなった。毎日だった付き添いも、2日にⅠ回、3日に1回という付き添いに切り替えたが、回数を減らすことにはためらいがある。何故なら身近に身内がいることで、父も安心するだろうし、認知も早く回復していくかも知れないと思うからだ。

この間、病院に寝泊まりしたが、夜間に認知症の患者を管理する看護師さんの苦労も、垣間見えた。そして自分自身も親と遠く離れて住むことへの後悔や、離れていることで限られる支援、病気の初期対応と知識、父親の生活環境への理解しておくことの大切さを改めて感じた。

今後は、脳梗塞の原因となった血管の手術のため病院への転院、継続治療、その後の生活と、予断は許さない。

家族の急な病気。それは誰も避けて通れない。日頃から家族に対してできることは何か。これから何を為すべきか。そんなことも考えさせる出来事だった。