あしたのたね育てていますか、ブログ「アシタネ」

2020年4月(同)アシタネプロジェクト®を起業。働く人や組織が元気になるお手伝いをしています。

フランスへ嫁いだ娘からの写真

2020年07月27日 14時44分00秒 | 家族、仲間の話題

  (青空に映えるエッフェル塔)

3月に日本で結婚パーティをして、4月に渡仏した次女。
現在、ご主人の両親と一緒にパリ郊外で過ごしている。

娘によると、店などは人数制限をしているが、外は賑わっているとのことだった。また、フランスの国籍を取得するには、フランス語の取得は必須とのことで、毎日7時間学校に通っている。クラスには、インドとアフガンとスーダン、トルコ、チュニジアの方がいるとのこと。


(セーヌ川遊覧)

6年前ワーキングホリデーで1年間、フランスで生活した娘。また、ご主人や家族の皆さんからとも楽しく過ごしているとのこと、遠く見守りたい。


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60歳を過ぎ、次の世代に遺したい思い

2020年06月23日 05時34分19秒 | 家族、仲間の話題
現在、父が老人ホームに入所している。そのため空き家となっている実家のメンテナンスに、先日帰省した。そんな折り、隣家で作業中の工事業者を発見。さっそく、庭の補修をお願いしたところ、ジャストタイミングで引き受けていただいた。

工事立ち会い中、近隣の方々が父の様子や近況を案じて声をかけてくれた。それは、私にとって父の日常生活が垣間見れる瞬間だった。何故なら、皆さんの言葉から父が親しまれている存在であることが伝わってきたからだ。そういえば、あいさつ、こころ配り、身近な人への手助けなどよくしていたなぁ。

人とのかかわりが希薄と言われている昨今。すこしオーバーからもしれないが、心がけ次第で、身近な場所で「人の心に灯をともせる」ことを父が教えてくれたような気がする。60歳を過ぎ、次の世代に遺したい思いでもある。


(夜空にコムローイが舞うチェンマイのイーペン祭りより)
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「母の日新聞」85歳の母に送る。

2020年05月10日 05時43分20秒 | 家族、仲間の話題
大阪に住む母に新聞をつくり、プレゼントを添えて送った。

母とは、3歳のころ両親の離婚で、私は父親と祖母に引き取られて、宮崎で育った。
その後、父は倒産した会社の負債を15年にわたり支払い続けたこともあり、苦しい生活をした時期があった。しかし両親は必死に、それぞれの場所で頑張ってきたことをみてきた。

私自身も苦しい出来事も何度か経験したけれど、乗り越えられたのは両親からの愛情だったと思う。改めて感謝したい。

自分自身こどもができて、親の愛を「恩送り」するつもりで子育てにかかわってきた。嫁もひとり親家庭で育ったこともあり、気持ちは同じだ。

エピソードをひとつ。娘の結婚式前日「両親からの手紙」を渡した。両親への手紙の逆バージョンで、ちょっと笑える内容ながらも、どれだけ大切に思っているか、一緒に過ごした思い出などをしたためた。そして、娘からはとても喜んでもらえた。

苦しいことは人生にはつきもの。しかし、愛情を確かめあうことで乗り越えていけることも多いと思う。普段、そんなことをすると「どうしたの?なにかあったの?」となるけれど、こんな機会にのっかって愛情を表現するって大切だと改めて思った母の日。
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オンライン飲み会で生演奏を楽しむ!

2020年05月09日 04時39分26秒 | 家族、仲間の話題
先日、アコースティックライブの出演メンバーでオンライン飲み会をおこないました。参加者全員が初体験ということもあり、アプリのインストールと使用法を書いたマニュアルの配布と説明、参加者ごとの事前リハーサルを経て、なんとか開催できました♪

ここでわかったことは、1対1の時は、音声がキレイでしたが、お互いの通信速度や人数が増えたことで、やや音質が下がったように感じました。何故そこにこだわるかというと、各メンバーがオンライン飲み会で生演奏を入れたからです。1対1の時は、お互いのギターでセッションもハモりもできたけれど、4人になると途切れたり、一部の音声が聞き取れないなどの現象が散見されました。


今回は2時間、お互いの近況やライブ演奏などを交え、楽しむことができました。
お酒を飲みながら、生演奏(ではないけれど、この飲み会だけでの演奏のため)はいいなぁと感じ入ったところです。

あと、カメラの前でお互い正面で話すので、疲れるのかなぁと思いましたので、オープニング画面(上記が画面キャプチャーしたもの)を配置しました。オンライン中、お互いが顔を見合わせる圧迫感がなくなることで、良い空気感を出せたように思いました、またメンバーからも好評でした。

今回、オンライン飲み会を経験して、飲み会の企画から導入・説明やリハーサルまで、過去IT会社でおこなっていた業務でもあり、得意な分野でもあったことから、スムーズに進めることができました。

今後は、パソコンやスマホ操作に苦手な経営者や関係者を対象に、オンライン会議アプリの操作説明や業務での活用を提案するってありかなと、今回の経験を通して感じたところでした。
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国際結婚、次女の結婚披露パーティ

2020年03月08日 11時10分02秒 | 家族、仲間の話題
先月の23日、横浜にて次女の結婚披露パーティがおこなわれた。このパーティは、友人や知人などを招いての催しで、長女夫婦と三女夫婦が参加した。当日は、子ども達が撮影したビデオや写真による実況中継があり、楽しませてもらった。


司会進行は、花嫁?


さまざまなエンターテインメントを準備していたようで、楽しさが伝わったきた。
ご主人がフランス人ということもあり、参加者は外国人も多く、国際色ゆたかなパーティとなったとのこと。

愛情いっぱいに育てたこどもたち、元気に育ってくれてありがとう!
みんなで力を合わせて生きていこう!
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介護との両立、関わって気づいたこと

2019年12月27日 05時48分52秒 | 家族、仲間の話題
父が脳梗塞で救急車で運ばれて2ヶ月。入院当初は、環境が変わったせいか幻覚が見えたり、ストレスから語気を荒げる場面、また深夜、病院外へなどで、度々病院のケースワーカーから呼び出された。

その都度、病院に寝泊まりしながら、看護師さんに力を借り急場を凌いだ。1ヶ月もすると、認知の問題は若干残るも、普段の会話ができるようになり、退院の話がでるようになった。しかし、普段、顔を見せなかった分、そばにいてあげたいとの思いもある。妹も、延岡市外に済んでおり、自分の店を切り盛りしているため頻繁にはこれない。

夜間における病院の付き添い、仕事が終わると自宅のある宮崎市から70キロ離れた延岡市まで、電車で通い、朝5時に宮崎に帰り出勤するという生活を続けた。月15日の嘱託ということもあり、有給休暇と併用しながら、年末を迎えた。

勤務先は公的機関で、理解のある上司もいることから、休暇は取りやすいが、この先を考えると、仕事に穴を空け続けるのも問題。

若い世代ならどうするのだろう。仕事はもちろん、子どもの成長期。携帯電話を片手に綱渡りのような日々を送ることになるのではないだろうか。家族の支援はもちろんのことだが、企業や社会は、どんな支援ができるだろうか。

特に、中小企業では人手不足であり、できる支援も限界がある。妻任せでは、済まない。会社の制度や身近な親戚や知人、公的な支援やソーシャルワーカーなどの専門家のアドバイスや支援、いくつもの支援ラインを確保しながら、両立していくことが大切だと思う。キャリアコンサルタントとして、何ができるか自問している。

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84歳父、現役で働く。人との交流、快眠快食、プラス思考が秘訣かも。

2019年08月18日 20時39分24秒 | 家族、仲間の話題


 父は、私の故郷延岡市で一人暮らしをしており、あと2ヶ月で85歳を迎える。現在もシルバー人材センター(以下センター)で週4日程働いてる。

 センターで働くことになったきっかけは65歳の時。定年後のある日、よく行く釣り場で時々一緒になる方が海外ボランティア活動から帰ってこられ、「遊びだけじゃなく、人のためになることで自分らしく生きていきたい」と話した言葉にショックを受け、このままではいけないと一念奮起。センターに登録し働き始めた。

 その頃の父は、働くことによって、職場の仲間、仕事先の方とも仲良くなり、世界が広がったように感じた。パソコン教育にも通い始め、ホームページを立ち上げるなど、仕事一辺倒だった父が変わり始めた。

 それから20年間、週5日働きながら2つの農業法人の監査なども引き受けるなど、精力的に活動している。一方、女性の友達もたくさんでき、私も飲み会にも数回誘ってもらったが、異性の友達ができると元気になるようである。

 センターでは男女問わず働いており、自然と異性の仲間ができることで、イキイキしてくる人も多く、中にはそんなつきあいを家族が反対して、センターを辞めさせることもあるのだそうだが、連れ合いが元気になることはうれしいことであり、どうして信じてあげないのかなと私は思う。

 今夏、お盆に帰省した際、父は作ったばかりのトラック荷台を見てくれた。左右の衝立と底面の板があると、ゴミ焼却場で荷物を一挙に捨てられるとのこと。昨年夏に倒れて依頼、役職は降り、仕事の量を減らしたという父。しかし、仕事がないとじっとしていられない性分で、今年から選定作業で出るゴミを運ぶ仕事などの比較的手間のかからない仕事へとシフトして働き始めた。

 暑い日差しの中真っ黒になりながら働いている父を見ると、元気でいてくれて本当にありがたいと思う。反面、交通事故を起こしたり、巻き込まれたりしないよう祈るばかりである。

 若い時から元気だった父。人との交流、良く食べよく眠ること、プラス思考が現在の父の健康を支えているように思う。そして、人から必要とされる存在が仕事であったり、家事や孫育てやボランティアなどの無償の仕事であったりすると思う。

 お金は使えば無くなるが、こころはいくらつかっても減らない。不安な時代でもあるが、身の回りの人とつながって、そして支え合って楽しく生きていけたらと思う。

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還暦同窓会、中学校愛にあふれたひととき。何故なら同窓生が卒業校の校長に

2019年08月13日 21時11分35秒 | 家族、仲間の話題
あと1週間あまりで還暦を迎える私。先日、8月11日(日)に昭和50年卒業東海中学校還暦同窓会がおこなわれ参加した。今回も司会をして欲しいとのリクエスト。2回目の司会、おだてられるとのってしまう私は、即引き受けた。

今回は、同窓生が同中学校の校長として赴任していること、還暦同窓会ということも手伝って、連絡のとれた県内外の同窓生170名あまりのうち、約半数の78名が参加した。

当日午後2時に中学校への見学、30名あまりが参加したとのこと。そして午後6時からは、会場となったキャトルセゾン松井で、浴衣姿や和服姿に身を包んだ同級生達が会場を訪れた。

男性は顔が赤くならないうちに、そして女性はお化粧が落ちないうちにと、集合写真。カメラマンは、市内の小中学校、11校の卒業アルバムを制作している木村君。美しい集合写真を提供いただいている。

その後全員が着席したのち、私は赤いちゃんちゃんこならぬ赤い帽子を被って、司会進行を進めた。まずは世話人代表挨拶のあと、来場いただいた3人の恩師方の紹介、そして世話人の大崎君から乾杯音頭。始終和やかな雰囲気で進められた。

途中各テーブルを回った際、ショックなことがあった。それは女性から「鶴ちゃん、覚えてる?」と聞かれ、顔を思い出せなかった。正直に覚えてないと答えたところ「もう話はしない」とバッサリ!。ひー。思い出せない自分自身にもショックを受けたが、1時間後気をとりなおして、新たな関係をつくればいいかなと、彼女に積極的に話しかけ新しく友達になることができた。そして1日が経った頃、ようやく思い出した。あー卒業生アルバムを見て、参加すればよかったと反省。予習は必要だな、自分の記憶を過信していたことに今更ながら気づいた。

しばらく歓談のあと、先生方からのメッセージ。高森先生からは、年齢の重ね方について実体験をもとにお話しいただいた。現在、82歳になる先生からは、還暦はおめでたい行事、その後古希、喜寿、傘寿と節目をくぐることになった時に感想、そして最近葬儀で、集めるメンバーが施設に入ったり、痴呆になったり、あるいは亡くなったりして、その同窓生が激減しているとのこと。そのうち自分の葬儀には誰もこなくなるので、早めに逝った方がいいかもなどと話して、笑いを誘っていた。私にとって、年齢を重ねるってどういうことなのかという実感がなかったので興味深く聞き入った。

次に音楽教諭を務めていた西垣先生は、音楽の素晴らしさ。歌う際に、腹式呼吸をつかうことの大切さ、また声を大きく発声することでお腹の筋肉が鍛えられ、病気することがなかった自身の体験談。発声を通しての健康法について話していただいた。

最後に、原田先生からは教え子たちの思い出や関わりなどから、変わらぬ生徒への熱い思いを感じる、原田先生らしいお話だった。その上、手作りのネックレスを全員にプレゼントしてくださった。費用や時間、大変だったと思う。感謝。

続いてはDVD鑑賞、内容は卒業アルバムの写真と中学校にドローンを飛ばして撮影された風景。360度、さまざまな高さから現在の母校を見ることができた。写真からあふれる中学校愛が、伝わってきた!またしてもカメラマンの木村君によるものだった。ありがとう!

余興では、千葉県に住む甲斐君による漫談。彼はコンピュータのソフトウェアの開発をしているとのことだった。TVにも漫談で出演したことのある彼からは、還暦のことをさまざまな情報を交えて、楽しく紹介していただいた。

次の余興は、私のギター弾き語り。演奏曲は中島みゆきさんの「糸」。みんな元気で顔を合わせられたこと、45年前の縁がつながっていることへの不思議さに思いを込めて歌った。

会の進行中、幾度となく金子君がテーブルごとに声をかけて回っていた。そういえば二次会もそうだったけれど、同窓生に気を配っている彼を見ながら、日頃の仕事ぶりが垣間見た思いだった。

今回参加できなかった同窓生のひとりからは、20万円の寄贈があったり、20年ほど前に亡くなったKさんのご家族からビールの差し入れがあったりと、それぞれの人生の中で中学校の意味や重みが違うのだと改めて思いつつ、自分にとっての中学校の意味を問い直す瞬間でもあった。

同窓会の締めは校歌斉唱。歌詞が4番まであることが、今回発表された。こちらも中学校愛があるからこそ、4番までつくられたのだと勝手に感じ入ったところ。高らかにそして清々しく歌い切ったことで、なんだかとても元気になれたように思う。還暦同窓会というこのタイミングで校長として異動となった金子君のこと、縁の不思議を感じた。

フィナーレでは、今回準備から運営まで携わった世話人の皆さんの紹介、そして世話人松田君による万歳三唱で、楽しい同窓会を結ぶことができた。

みんなまぁるくなって、男性ならではの優しさや女性ならではの気づかいに、あたたかい何かを感じた。一夜漬けの司会だけれど、みんなが声をかけてくれて、やっぱり接待されるより、お世話役がいいなと思い直したところ。

日記みたいになったブログ。参加できなかったメンバーにも伝えたかったこと、そして自分自身も忘れないように記録した。

ありがとう、還暦同窓会!元気になりました。また、会える時を楽しみに。

9月6日 新たに追加
同窓会の会計報告、返金、DVD、写真が届きました。
最後まで、本当にお疲れ様でした。

同窓会への寄付は、母校の体育祭の大会旗として寄贈されました。


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父、そして遠く大阪に住む母に、家族のニュース発行。

2019年05月26日 05時06分36秒 | 家族、仲間の話題

3歳の頃、大阪の住吉に住んでいた。父の印刷会社が倒産し、両親は離婚。その後、父と故郷である宮崎に帰省したが、父は多額の借金返済生活に、そして母とは離ればなれになった。幼い頃は、親戚の家にお世話になったりしながら、生活をしていた。

その後、父は再婚するも、二人目の母は重い病で闘病生活。そんな二番目の母も10歳の頃他界。それからも、いろんな不幸ごとが続いた。そんな中、父は懸命に働いた。会えるのは、夜9時半以降。毎日のように残業を続けていた。

仕事で忙しい父。家族旅行などはしたことがなく、また父親と食事に行ったのもわずか数回。幼い頃から、あたたかい団らんや家族。憧れていた。
自分がいつか家庭をもったら、あたたかい家庭をつくりたいという思いだった。

あれから、50年あまり。憧れを実現したいと、これまで頑張ってきたかいがあり、なんとか理想に近づくことができたように思う。そして、昨日、初孫祝い(長女)、次女の婚約、三女の結婚の日取りが決まったことから、お知らせを兼ねて父親と遠く離れて暮らす母親に手づくりニュースを送った。

改めて、生き方(キャリア)は自らの力でつくってもの、そして日々の暮らしは人と人が織りなすものだから、根気よく、そして丁寧に生きていくことが大切であると思う。これから、いろんな課題にも直面するだろうが、日々を丁寧に生きること、前を向いて笑顔で歩むことが大切ではないだろうか。



後日談
ブログに書いているように、手紙や写真を定期的に送っている。両親から、文字や写真プリントは、手元に残っていつでも見返すことができるから、幸せな気持ちになれるよと電話。お互いをちょっと思いやり、いたわること。そんなことが日々の幸せをつくっていると思う。

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来年○○○○。みんないい顔

2018年11月21日 05時56分41秒 | 家族、仲間の話題

1年に一度、顔を合わせる仲間がいる。青年会議所のOB,OGで、同い年のメンバー13名でこの会をつくっている。
しかし今年は、初めて2回目の集まり。それというのも、来年還暦を迎えるため、そして19年間お世話役をつとめていただいているOさんへの区切りという意味もあった。

会では、お互いの近況や仲間の話題、そしてこれから迎える還暦のことなど、2時間という瞬く間に過ぎていった。

卒業してから20年あまり、変わったのは白髪交じりになったことくらいで、みんな元気で明るい。これからも同じように年をとりながら、そしておいしいお酒を飲みながら、いろんなことを分かち合っていければと思う。

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NHKのど自慢に知人が挑戦

2018年10月21日 09時20分51秒 | 家族、仲間の話題


  知人が会場で買ってきてくれたお菓子

知人がNHKのど自慢に応募した。1000名以上応募があり、250名の候補に選ばれたもののテレビ出場は果たせなかった。知人によると、放送日の前日午前11時から、選ばれた250名が演奏曲目のあいうえお順で、サビの部分まで歌ったそうである。全員が歌い終えるのが午後4時頃で、5時30分に審査発表があったとのこと。夕方には歌う人も関係者もヘトヘト状態らしい。そして選ばれた20名は、翌日の放送に出演した。

数年前、延岡市でおこなわれたのど自慢の収録に行ったことがある。朝早くから並んで会場入りし、拍手の練習などをおこなった後、本番がスタートした。一方、放送後は、ゲスト出演者により数曲歌われたことが記憶に残っている。

今回の放送では、ゲストとして石川さゆりさんと氷川きよしさんが出演することもあり、たくさんの応募があったとのこと。たしかに有名人であるおふたりが揃ってステージで見る機会はない。知人も今回、のど自慢にチャレンジしたことで貴重な思い出になったとようだ。

出てみたいと思うことも凄いことだが、実行する力、勇気を見習いたい。

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父の緊急入院

2018年08月15日 18時26分07秒 | 家族、仲間の話題



14日 父の携帯電話から連絡があった。それは、聞いたことのない声だった。一瞬で何かあったのだと察しがついた。「父が診察に来たが心筋梗塞の疑いがあるので、検査のできる病院に救急車で搬送したい。よって至急延岡市まで来てほしいとのこと」、それは父の住む延岡市のクリニックの先生からのものだった。

3時間後、県立延岡病院に到着。担当医より、上記のイラストを描きながら父の病状の説明。
不安定狭心症の疑いがあり、4時間後心臓カテーテルによる検査をしたいとのこと。退院は、3日から1週間はかかることの説明を受けた。

午後4時30分。検査は、予定の30分を超えて2時間半かかった。結果は、見立て通り、不安定狭心症。投薬によって改善を図ることになった。

長いようで短かった2日。入院の手続きや上陸するであろう台風の備え、衣服などの準備をしたり、妹たちとのやりとり。突然、その日はやってくる。今回は、周囲のアドバイスにより何とか乗り切ることができた。父や義母も80歳をとうに過ぎている。さみしい思いをさせないよう準備を心掛けたい。

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初孫の誕生

2018年06月19日 05時21分37秒 | 家族、仲間の話題

2018年6月18日(月)PM5:55。長女に、3,246gの男の子が生まれた。前日まで、あと1週間かなと話していたところだった。ところが朝5時過ぎの破水から、急展開した。

仕事を早めに切り上げ、病院の控え室で嫁と義母と、娘婿、待つこと約1時間。待望の孫が誕生した。
昨日まで、娘のお腹の中、そして今は息をして動いている。当たり前のことだけれど、生命の神秘を感じる。
その後、3時間あまり、娘婿と喜び合ったり、孫の写真や動画を撮影したり、両親や関係者に報告したり、長女の出産の時より冷静な自分がそこにいた。



改めて感じたこと、それは結婚式でこの娘を娘婿に託すしかないことを実感したこと。さみしいとか、そんな訳でもないし、子離れをしていない訳ではないが、30年間育てた娘に何ができるかと考えたとき、改めて思う。今度は、娘婿を応援することが娘を支えることになると。

また、これまでのどう子育てに関わったかの集大成が、今日のこの幸せな場面をつくっているとも思う。子育てから結婚、結婚後。これまでの関わり方が、間違っていなかったと。今日はその意味で、ひとつひとつの出来事を大切にすることが、娘の幸せに繋がり結果的に、自分も幸せになる。頑張ってきて良かった。

そういう意味では、子育ても一大事業。80点位は、取れたかな。あと、娘2人。もうひと頑張りだな。

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父の日、もうすぐお爺ちゃん!?

2018年06月18日 06時14分00秒 | 家族、仲間の話題



3人の娘たちから、父の日プレゼントを貰った。来週には生まれるであろう初孫の誕生を祝おうと、日本酒をリクエストしたからだ。
祝い事が続くことは本当にありがたい。

父の日は、親であること、そして両親の子であること、夫であること。ある意味、子どもがいるから親の役をさせてもらっている。そんなことを考える日でもある。

こんな時こそ、日頃お世話いただいている周りの方々への感謝を忘れず、人とのつながりを大切にしていきたいと思う。

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大阪、りんくうタウンで弟と

2018年06月17日 10時39分09秒 | 家族、仲間の話題



3年ぶりに、大阪りんくうタウンで弟と会食した。母の傘寿祝いに利用した場所だ。この時は、東京、大阪、福岡、宮崎と離ればなれになった家族が一同に集まった。こんな機会がないと集まることがないけれど、母のお陰でお互いの近況などを確かめ合った。

遠く離れ、お互い忙しい。一生のうち、あと何度一緒に飲めるだろうか。語れるだろうか。思っているより案外すくないのかも知れない。だからこそ、ちょっとした機会と時間、大切にしていきたい。

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