新しい野菜!?

2021年08月28日 06時57分18秒 | 気になる○○


ずいぶん前のことになりますが、新人研修にて「ほうれんそう(報告・連絡・相談)」を教わりました。
新しい野菜!があると知人からフェイスブックにて紹介していただきましたのでお伝えしたいと思います。

こまつな=困ったら・使える人に・投げる
きくな=気にせず休む・苦しい時は言う・なるべく無理しない

最もしてはいかないことが
ちんげんさい=沈黙する・限界まで言わない・最後まで我慢 だそうです。
非常時には、さらに大切なことだと思います。

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「橋の日」提唱者 湯浅さん、テレビ出演(動画)

2021年08月23日 05時32分07秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
UMKテレビ宮崎さんの「みやざきゲンキTV:知っとこみやざき」で、橋の日提唱者の湯浅さんが出演しました。

私の所属する宮崎「橋の日」実行委員会の顧問として活動しています。
80歳、パワフルです!

「8月4日は橋の日 ~小戸之橋~(2021年07月31日放送)」

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好きな言葉「志を立て、以て万事の源となす」吉田松陰

2021年08月22日 03時42分06秒 | キャリアコンサルタント

「志」とは、読んで字の如く「十」の心を「一」にする心だと、以前お話で聞いたことがあります。心のなかで起こる、○○をしたい、○○もしたいと願う気持ちをひとつに絞ることだと理解しました。

しかし、ひとつに絞るということは他の願いを捨てる、または諦めるということになりますので、とても勇気が必要です。

一方、成し遂げたい願い・夢を完遂するには、選択と集中が必要です。しかし、「今日くらいは、休みたい」とか、「他にしたいことできた」などと、目移り、また目の前のことに振り回されそうになります。そんな時、志に試されている自分に気付きます。そこまでの思いだったのかと。
私自身、資格を取得する学びのプロセスを通して、志の大切さを学びました。そのエピソードをお伝えしたいと思います。

60歳までにある資格を取得したいと考えた私は、1回は落ちることを覚悟して4年間という期間を定めました。しかし資格取得には、23単位を評価「C」以上で修了させることが必要です。

受講にあたっては大学教授や専門職講師から、与えられる事前課題作成に2週間。講義への参加(単位によっては、6時間~24時間)、修了レポート提出に2週間。そして評価。それを毎月繰り返すというものでした。1単位を取得するのに3ヶ月の学びが必要なコースもあり、1ヶ月に2コースを併走し、正月休みもない年がありました。

具体的には、週末夜に宮崎を発ち、関東や関西方面への移動。研修後、クリスマス夜を過ごした大阪御堂筋。8月の暑い日のこと、1日8時間の勉強。昼過ぎには行水をして気持ちを切り替えたり、朝5時から単語帳や問題集を解き続けました。50歳を過ぎ、記憶力も落ちた私は、新聞や本、目の前の出来事から学べないかと、毎日、情報ノートを書き続けました。振り返ってみると、1年間に1,000時間以上勉強をしていました。

何度も、これくらいでいいかも・・と思いました。しかし、合格することが目的ではない、支援に必要な力を身につかなけ起業はできても、生き残ることはできないと、自分を鼓舞し続けました。

その後、試験に合格。振り返ってみると、資格取得のプロセスで得たことは、学びの習慣が身に付いたことでした。それは、これから生きる推進力と源となっています。これも、志を立てなければ得ることができなかったことです。

新しい世界で、新しい仕事との出会いするなかで、力不足を感じています。果てなく続く学びの世界ですが、学んだ分だけ人や組織を支援できる力がつきます。悩んだ時、壁にぶつかった時は、「志」を思い出して、気持ちを新たにすることが大切だと思います。

少子高齢化という事象のひとつをとっても、多様性・個の自立・社会環境など大きく変化しています。組織が働く人のキャリアをサポートする時代は、過去の出来事。私たちが自分らしいキャリアをつくっていくためには、どう生きるか、何かできるか、何をすべきかを考え、その中心となるものに思いを実現するために、すべてのことをエネルギーにし、その思いを実現させる。まさに標記の言葉の意味することだと思います。


(写真は松下村塾。標記の言葉は、以前同塾の記念館を見学した折、偶然目にとまった言葉で、大切にしている言葉のひとつです)
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思いは招く

2021年08月21日 07時14分02秒 | 気になる○○
TEDxSapporoにて収録された、株式会社植松電機 代表取締役 植松 努氏の「思いは招く(だったら、こうしてみたらで夢は叶う)」をご紹介します。植松さんは、池井戸潤さんの小説「下町ロケット」のモデルになった戦う下町のロケット開発者です。

この講演では、たくさんの名言やエピソード、大切なことが編み込まれています。ぜひご覧ください。

植松 努さんの紹介をします。 株式会社植松電機 代表取締役 株式会社カムイスペースワークス 代表取締役 NPO法人北海道宇宙技術科学創成センター(HASTIC)理事

(講演プロフィール) 全国各地で講演やモデルロケット教室を通じて、人の可能性を奪う言葉である「どうせ無理」を無くし、夢を諦めない事の大切さを伝える活動をしています。 また、2010年4月より「より良くを求める社会」の実現に向けて、北海道赤平にて「住宅に関するコスト1/10、ショックに関するコスト1/2、教育に関するコスト0」の実験をおこなう「ARCプロジェクト」を開始しています。

以上、同社ホームページより。
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“働く”の100年史|100 YEARS of WORK in JAPAN

2021年08月20日 09時13分28秒 | キャリアコンサルタント
“働く”の100年史|100 YEARS of WORK in JAPAN
120秒の動画。とても、心温まる、素晴らしい映像です。

 
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グアム島での不思議な体験(終戦記念日に思う)

2021年08月15日 05時49分49秒 | 出会いと経験



今から38年前、総理府「第18回青年の船」に乗船した。この不思議な体験は、この青年の船に参加した時の出来事である。ちなみに私が参加したこの青年の船は、日本の青年269名、オセアニアの10ケ国の招聘青年38名、合計307名の団員を乗せ 昭和59年1月26日に東京港を出航。



50日間にわたり、オーストラリア・ニュージーランド・トンガ王国・西サモアを訪問し3月15日の帰国まで、自己開発、リーダーシップから国際関係にいたるまで幅広い研修がおこなわれた。船内で生活を共にした外国人青年達と、言語・宗教・民族を越えた人間的共感によって結ばれたことも、この船ならではの成果だった。



前置きが長くなりました。長い船旅。日本への帰途、給油のため立ち寄ったグアム島は、年間100万人が訪れる観光地。面積は日本の淡路島とほぼ同じ大きさ。給油に合わせて1日の休日が与えられたため、どう使うかと思案。自分らしく思い出になることをしたいと考え、ゴミ拾いボランティアを計画した。

他の団員は、サーフィンやショッピングと楽しい思い出づくりをしているなど、内心羨ましく思いながらも、ひとりで船から市街地中心部までの片道分のバス料金をもって出かけた。午前11時、準備したごみ袋5枚も90分程で終了した。それから、船へ歩いて帰ることにした。

そこで不思議なことが起こった。道で50セント硬貨を合計7回拾うのである。最初は、偶然かと思ったが、船への帰途に出会った4名の団員たちも探しているのもかかわらず、私だけ拾った。当時の50セントを当時のレートで換算すると、125円。合計で、900円ほどになる。そのお金で皆さんに飲み物をご馳走しようと、通りがかりの食料品店に立ち寄った。何故かそこで店主と話が弾み、最後に戦争の話となった。

当時、店主が17歳。戦時中でこの島で、日本軍との戦いで親を亡くしたこと、友人が目の前で死んだことを話し始めた。話を聞くうちに、個人としての立場ではなく、青年の船でこの国に立ち寄った日本の青年としての立場で聞いている自分に気づいた。

いろんな思いが駆け巡った。結果的には聞くことしかできなかった。硬貨を拾い、何かに引き込まれるようにお店で入って導かれるように人に出会う。これも何か意味があったのだと。



上記写真は、激戦地硫黄島で弾丸を受けたため、生々しく変形した山々で「バンザイクリフ」と呼ばれる崖。戦時中追いつめられた日本人2万5千人の人達が自決した場所といわれている。

その時、その場にいた人達の心理状態を考える時、今の私たちはなんて幸せなんだろうという気持ちになる。これまで「戦争」という言葉は聞いていた。しかし初めて自分なりに理解できた気がした。

日本への帰国が近づいた3月12日。船上で行われた戦没者慰霊祭では、グアム島での出来事を通じて、その意義・意味を少しでも理解しようと努めた。「死」という手段を選ばざろう得なかった人たち、戦争の犠牲者。死というひとつの真理の前に戦慄に震えた事だろう。

私たちと同世代の人たちも多くいたと聞き、酒もタバコも、欲しかっただろう。そんな気持ちが心の中を駆けめぐった。そこで私は、一本のタバコに火を付け海へ投げ手を合わせた。それを見た団員たちも心が通じたのか何も言わす、海へタバコを流してた。



帰国後、しばらくして、この硫黄島での出来事を数人へ伝えた。ある方にこう言われた。「私は戦時中、軍医をしていた。生存者がいるのにも関わらず、ある国の戦車が医療テントを潰していくのを目の当たりにした。君ならどうする?」私は、「家族や仲間を守るために戦うかも知れません」と答えた。すると「それが戦争なんだよ」と。

最初は、小さなことでも、それが憎しみの連鎖を産む。それが戦争へと繋がるのだと。だから小さなことと言えども、おろそかにしてはいけないよと話してくれた。

ユネスコ憲章(前文)にこんな言葉がある。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。(以下略)」 
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ブログ開設して12年目。ある意味ブログに育てられたかも。

2021年08月10日 05時31分37秒 | ブログの12年のあゆみ
2010年8月11日。ブログをスタートした。第1回目のブログには、「ここ数年感じるのは、失われゆく若さと衰え・・・。このままでは、流されてしまう。その為には今、ここにいる自分やスキルを磨いていくことが唯一、衰えに立ち向かえることではないかと考えた。

そして、過去の経験や知識から新しい価値を生み出したり、自分の生きている証を記録していくことで、未来が見えてくるかもしれない。そんなブログをつくっていく中で、これからの理想の生き方を見つけていきたい。」と書いていた。

あれから11年。これまで書いた記事は1,139本。「11年サンキュー」だなって、なんという語呂合わせ。ステキだ!と自画自賛。

ブログをスタートした頃は、ホント物忘れが酷くなり、これから先のことが心配だった。あれから丸11年。家族が増えたり、旅に出たり、資格取得、転職、独立といろんなことがあった。

理想な生き方も見えてきた気がする。特に、最近は残りの人生を考えるともっと積極的にチャレンジすべきかと(それ以上頑張ってどうするの?と言われそうですが・・)

ブログの意味や価値を考えるとき、ブログはある意味「自己との対話」であり「リフレクション(振り返り)」でもある。そのプロセスはセルフコーチングのように私は感じている。

今月20日には、62歳。ブログというツールをつかって、育てられたようにも感じる。そして、このプロセスをとおして、新たなチャレンジを具体的に検討している自分がいま、ここにいます。
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失敗談、「転倒」。あれから1ヶ月。

2021年08月09日 07時04分47秒 | 健康管理
7月1日午前8時55分。駐車場の階段でつまづき、手をついた。ところが、手にヤジリのような石が刺さり、痛さに耐えかね、右肩から地面に落ちた。

あいにくの雨、シャツは泥まみれ。自宅で着替えたのち仕事を済ませた。

ところが夕方になって、右肩に激痛が走り以後右手が上がらなくなった。3日経ったが、痛みが引かないため病院へ。

レントゲン撮影したところ、腱板断裂。処置しないと右肩は上がらないとのことだった。さっそく週2日のリハビリを開始。
それから1ヶ月。痛みあるものの、ようやく肩が上がるようになった。

政府広報オンラインによると、年を重ねるにつれて転びやすくなり、骨折などのけがをしやすくなるとのこと。特に65歳以上の高齢者は要注意です。骨折がきっかけで寝たきりになってしまうことも。転倒事故が起こりやすい家の中や周囲の危険な箇所をチェックポイントが動画にて解説されています。

くわしくは、こちらをクリック!

あと、しばらく治療はかかりそうです。私の失敗談でした!
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第35回「橋の日」イベントは、役員のみで実施

2021年08月07日 06時55分39秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
コロナウィルス感染症拡大防止の観点から、宮崎「橋の日」実行委員会では、「橋の日」イベントを、役員により橘橋への献花行事のみをおこないました。

今回は、同じ幹事メンバーのご家族も参加いただき、規模はちいさいながらも、ほっこりしたイベントとなりました。


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伝えることの大切さ、伝わることの意味(再掲)

2021年08月03日 04時31分11秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!


一般社団法人九州地域づくり協会から、20年以上活動資金の提供をいただいている。2020年4月、上記団体の発行する情報誌に、私が事務局を務める「橋の日」実行委員会の活動が掲載された。

「橋の日」とは、日付は「は(8)し(4)」(橋)と読む語呂合わせから、郷土のシンボルである河川と、そこに架かる橋を通して、ふるさとを愛する心と河川の浄化を図ることが目的。毎年8月4日を記念日として、1986年、宮崎県延岡市を皮切りに「橋の日」普及啓発に活動をしてきた。

振り返えると、「橋の日」記念日を全国に広げるためには、時間と気力や体力、資金が必要。特に継続して資金協力を得ることは、今もなお課題である。

その資金調達の協力を得るためには、価値ある活動と成果をあげること、そしてメディアへの露出を増やすことが大切だと考えている。何故なら、支援する立場からみて、費用対効果がある判断されればと支援組織の賛同も得やすいからだ。

下記は1994年の活動報告。また、ホームページは1997年に手づくりで開設し、アピールするなど30年間のさまざまな資料はネットにて公開するなど、活動が九州、そして全国へと認知されることがアピールにつながると考え、活動内容を毎年見直しながら、広報活動にも注力してきた。


一方、広報活動には活動成果とは違う一面があると考えている。それは、あるきっかけから思い至ったことである。

20代前半、駅前で毎月おこなっていたボランティア清掃。ゴミを拾っていると、通行人から「カッコつけて」と言われ、なんとも言えない気持ちになった。清掃が終わったことを交番のお巡りさんに報告した。その時。お巡りさんがこう言った。「町がキレイになることも大切だけど、若い人が町のために汗をかいていることを市民の方が知ることの方が、もっと大切だと思うよ」と。その時、「清掃活動の成果だけではなく、新しい価値も生み出すんだ」と、感じ入ったというか、気付きのようなものを得た。

この「橋の日」運動。活動を通して、橋や川の魅力、風景や歴史、役割などを地域の人達につないできた。気付くといつの間にか36年の時が過ぎていた。そして、頑張った甲斐があって、29年目に47都道府県で「橋の日」が実施されるようになった。まだ、認知度は高くないが、8月4日には、カーナビやテレビで「今日は、橋の日」と伝えてくれる。

あのお巡りさんなら、今の私たちを見て、きっと言ってくれると思う。「活動成果も大切だけど、仕事の傍らお金にならないことを30年以上汗をかいている人達がいることの方がもっと大切だと思うよ」と。

いよいよ8月4日は、「橋の日」
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