ポッキーのスーパーレディオクラブ20周年記念パーティに参加しましたヾ(^ω^*)

2011年11月28日 20時33分44秒 | のほほん日記

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11月24日(木)宮崎観光ホテルにて、毎週土曜日の夕方6時から生放送されているFM宮崎の人気番組「ポッキーのスーパーレディオクラブ周年記念パーティに参加した
これは8月に「橋の日」の活動を紹介のため出演した縁がきっかけで招待状をいただいた。

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FM番組で年も続いている同じ番組のは非常に珍しいこと。
放送内容もさることながら、ポッキーさんの音楽のような語りと音楽やスポンサー、リスナー・等、いろんなものが絶妙につながったいるのだな・・と感じた。

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オープニングの太鼓(一番上の写真)はエネルギッシュそのもの。こんなパワフルな太鼓は見たことがなかった!

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フルコースの美味しい料理。楽しいひとときに2時間半もの時間があっ・・(*^_^*)という間に通り過ぎた

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写真は、ポッキーさん、小林真由さん、野菜ソムリエの寺原大介さん


スポンサーの霧島酒造さんからは、多くの社員達が会場内で接待してくれた。またたくさんの銘柄の焼酎等が準備されていた。
このようにスポンサー番組を持ったり、地域の活動を支援したり・・メセナ活動と言われた時代があったが、このように長く継続して続けられていることに敬意を表したい。

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改めて、企業活動が生み出す製品やサービスを向上させ、存続していくことが地域にとっても大切なのだと感じた
企業の製品や文化を磨き続ける・・。振り返って自分自身をどうか・・常に謙虚であること。今は、それしかないのかなぁ



ところで吉助の赤・・は美酒だなぁ~

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長崎、旅の余韻・・イメージ写真集

2011年11月25日 06時25分03秒 | 旅、風景写真
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グラバー園で見つけたソテツの木。園内には、薩摩藩主がグラバーにプレゼントしたと言われる樹齢年のソテツがある。

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島原市の食事処、姫松屋階にて・・

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長崎眼鏡橋の目の前にあるカステラの店『匠寛堂』にて

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異国情緒あふれる大浦天主堂・グラバー園へ続く坂道

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諫早眼鏡橋にて

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稲佐山公園の1,000万の夜景

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高速フェリーオーシャンアローにて

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熊本港にて・・・




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ここは長崎。旅の空・・

2011年11月24日 06時45分18秒 | 旅、風景写真
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グラバー園の展望台より

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旧グラバー社宅より浦上川を望む

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オランダ人が闊歩した出島に佇む


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眼鏡橋から中島川上流を望む

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マツヤ萬年筆病院そばにて・・



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ベルナード観光通りにて
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現役の鉄製道路橋としては日本最古といわれている出島橋にて




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日本最古の動く橋、長浜大橋は「赤橋」と呼ばれて親しまれています。

2011年11月23日 08時48分34秒 | 旅、風景写真



愛媛県の肱川の河口にかかる長浜大橋。
しかし、地元ではその姿から「赤橋」と呼んで親しまれています。



手で触れることのできる「鉄の橋」は、珍しいと思います



長浜は明治以降、港町として発展しました。



上流から筏流しや川船で運ばれた木材や木蝋などの特産品を積み出す港として、かつては大阪などと結ぶ定期航路もあったそうです



年(昭和年)に橋は完成。現役の道路可動橋では日本最古となります。



橋の一部が動いて船を通す可動橋には、種類あり、長浜大橋は、橋桁が跳ね上がる「跳開橋(ちょうかいきょう)」です。



全長m、幅5.5mで、可動桁の長さはm。



文化庁の「登録有形文化財」に指定されており、見学者も多いようです



1977年に、河口近くに新長浜大橋が完成。一時、撤去の話もあったそうですが、地元の強い熱意で保存が決まり、生活道路として今も利用されています。

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長崎まちさるきと「橋」ツアー_1日目

2011年11月23日 07時17分37秒 | 旅、風景写真
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11月19日(土)~20日(日)の両日、仲間達と長崎へで旅行に出かけた。午前7時30分、宮崎を出発、高速道路を北上。松橋ICを降り、熊本港へ。島原湾を熊本フェリーのオーシャンアロー号に乗って島原へと向かう。白く美しい外観とキレイな船内、たくさんのカモメも迎えてくれ、分の船旅を満喫した。

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乗船までの小雨が嘘のように、出港と同時に空はキレイな青く澄み、白い雲とカモメが一枚の絵のように見えた

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島原到着後、昼食を島原城前にある「姫松屋」へ。ここは雑雑煮が人気のスポット 雑雑煮の由来は島原の乱にまで遡り、島原の郷土料理としても有名。

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諫早の眼鏡橋は、年に造られ、石橋としては日本で最初に重要文化財に指定された由緒ある名跡。

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西海橋は日本大うず潮で有名な針尾瀬戸に架かる長大橋。桜の名所で周辺は西海橋公園となっており、急ぎ足でのプチ散策も楽しめた

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西海橋の下流川に架かる新西海橋の桁下には歩行者専用道があり、展望室も設けられている。この展望室の床にはガラス製窓があり、眼下に渦潮を眺めることができ、スリル感を味わえる。

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大島大橋(おおしまおおはし)は、長崎県西海市にあり、西彼杵半島と同市大島町の寺島を結ぶ斜張橋。天気がいい日にもう一度行ってみたい橋です。

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稲佐山(いなさやま)から見るパノラマ夜景は「1000万ドルの夜景」と称され、函館山(函館市) 、摩耶山掬星台(神戸市) と共に日本大夜景に数えられている。幸せそうに夜景を眺めるカップルを見ているだけで、幸せな気持ちになった

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長崎駅前のホテルクオーレに到着。ホテルの駐車場をフロントにお聞きすると、従業員の方が地図を持って、走って車まで来てくださった。(それだけもでいい気持ちに・・感謝)。その後、皆んなで居酒屋へ。岡持に入ってきた選べる付き出しは楽しい演出だ。新鮮な海の幸と楽しい旅の余韻に浸りながら仲間と飲む美酒に酔った



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長崎まちさるきと「橋」ツアー_2日目

2011年11月23日 07時16分57秒 | 旅、風景写真
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2日目の最初の見学先は、長崎港をまたぎ、長崎市西部と南部をつなぐ斜張橋「女神大橋」(長さ1289メートルで海面からの高さ65メートル)

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その後グラバー園へ。中学校の修学旅行を思い出すなぁ~。写真は旧三菱第二ドックハウス。ちなみにドッグハウスは「犬のお家」ではなく・・船の修理のため造船所に入っている間、乗組員が宿泊する施設のことだそうだ。

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分500円とお手頃な料金で、男女ともたくさんのレトロ衣装が着られるようです。次回は挑戦したいなぁ

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出島町と江戸町を結ぶ現役の鉄製道路橋としては日本最古といわれている「出島橋
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写真は昭和51年に制作された1/15の出島の模型(1820年頃の出島)。「出島」では、平成22年度から年で発掘調査を行っており、世紀初頭の出島の建物を更に棟復元する予定とのこと。楽しみ

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長崎では有名は「江山廊」に立ち寄り、チャンポンを注文。お昼過ぎでも凄い人・・1時間以上待ちましたが、評判通り食べやすく(野菜は食べやすいサイズにカット)麺を食べた後にちゃんぽんの風味がついてくるようで、とても美味。この味はぜひ友達にも紹介したい

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石畳の道を中島川方面へと歩いた石の優しい色とカタチが歩く楽しさを倍増させてくれた
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1960年に国の重要文化財に指定された眼鏡橋。長崎の石橋のなかで本物の石橋はこの橋と「桃渓橋」と「袋橋」のみ。3橋とも渡ってきました。龍馬も渡ったかもね・・

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川に浮かぶ橋を渡る親子。川とのふれあいが少ない今日。懐かしい昔を思い出した・・

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宮崎への帰路の途中、大村湾サービスエリアに立ち寄った。海の色も空の色も感動的。恋人の聖地・・とのこと・・・
九州各県を巡る旅も県目。毎回楽しい旅である。次回は・・・この気持ちを胸にまた年、がんばろー



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青い空とカモメと一緒に船の旅。

2011年11月22日 06時32分38秒 | 旅、風景写真
長崎へ旅行のため日本では数少ない高速カーフェリー「オーシャンアロー」に乗船しました。
このフェリーは熊本から長崎(島原)を分渡ることができます。
熊本港を出港すると、たくさんのカモメたちも一緒に・・・


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乗船までの雨も、いつの間にか青空に・・




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青空のキャンパスに雲の絵を描く




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さっきまでの雨がまるで嘘のように・・


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一羽のカモメが雲間を駆け抜けていきます




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白い船が空の青と海の碧の中を進みます


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ついに自由は彼らのものだ 
彼ら空で恋をして
雲を彼らの臥所とする
ついに自由は彼らのものだ
「鴎(かもめ)」三好達治 詩の一文より・・


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「語り継がれる災害の歴史」350年前日向灘を震源に発生した外所地震

2011年11月18日 06時21分56秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

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50年ごとに建てられた供養塔
寛文2(1662)年9月20日、日向灘を震源に発生した「外所(とんどころ)地震」では、県内の沿岸各地で津波や土砂災害が発生し、死者200名、家屋全壊3,800戸の甚大な被害となりました。

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□発生/寛文2(1662)年9月20日
□震央位置/日向灘(東経132.0°、北緯31.7°)
□地震規模/マグニチュード7.6
□震度等/震度5~6(現在の延岡から串間まで広範囲)、推定4~5mの津波

この地震による主な土砂災害
延岡藩:城下で山崩れが発生。領内沿岸部57町余が地盤沈下して海となる。
高鍋藩、佐土原藩:城下で山崩れが発生。
宮崎市地域:大淀川河口、清武川河口、加江田川河口など青島付近で1.2m~1.5mの地盤沈下。
加江田・本郷地区(現・宮崎市熊野)で周囲7里35町(約32km)が陥没し海に沈んだと言われています。

宮崎市熊野字島山に現存する7基の供養塔は、かろうじて生き残った人々のダメージが、いかに大きいものであったかということとともに、大地震・津波の被害を後世に語り伝え、防災上の戒めとするため、庄屋が約50年ごとに1基づつ建てて増やしてきました。

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平成19年記念碑(350年碑)

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昭和32年記念碑(300年碑)

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(250年碑)

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(200年碑)

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(150年碑)

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(100年碑)

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(50年碑)

(地図情報はこちら→ 供養塔のある場所

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空と雲。大空のスケッチ

2011年11月12日 21時40分47秒 | 旅、風景写真
月から月初旬まで、空を撮影した写真を紹介します
言葉では尽くせない色や形がそこにはあります前回の旅の空から2回目となりますが、刻一刻と形を変える雲と空の色は、魅力的で、見飽きない風景です。

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8月4日_会社の窓から(佐土原町)_夏空に鳥のくちばしのようなビルのコントラストが美しい


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10月5日_佐土原町にて_ジェット機が雲の間を突き抜けます。


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10月23日_都農町にて_空の広さと広がりを感じさせます。


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10月27日_国富町にて_鳥の羽が舞っているようです。




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11月4日_宮崎市新名爪にて_動物が駆けているような雲
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11月4日_宮崎市新名爪にて_鳥が飛んでいるような雲のカタチ


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11月4日_宮崎市新名爪にて_山の頂上から噴火しているような雲


雲を詠んだ歌(万葉集より)を紹介
あをによし、奈良の都に、たなびける、天の白雲(しらくも)、見れど飽かぬかも

意味: 奈良の都にたなびく白い雲は、ずっと見ていても見飽きないものですよ。
作者:天平8年(726),阿部朝臣継麻呂(あべのあそんつぐまろ)を代表として新羅へ派遣された人たちがいました。これを遣新羅使(けんしらぎし)と言いますが、この一行のひとりが詠んだ歌です。年程前のいにしえ人も空を見て、いろんなことを考えたと思うと、想いはつながっているだなぁとロマンを感じます


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本州と九州を結ぶ吊橋「関門橋」は、全長1068m、海面から橋げたまでの高さ61m。世界有数の規模を誇

2011年11月12日 06時34分18秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!



関門橋(かんもんきょう)は、本州(下)と九州(司)を結ぶ吊橋で1973年11月14日(昭和48年)にヶ月をかけて完成しました。



完成当時は東洋の長大吊橋でした。



全長m、海面から橋げたまでの高さm。下から見上げるとすごい迫力があります。



2本の橋塔の高さは約メートルと世界有数の規模を誇っています。



ライトアップの時間
☆2月~4月 19:00~22:00
☆5月~8月 20:00~23:00
☆9月~10月 19:00~22:00
☆11月~1月 18:00~21:00
※2011年9月現在



壇ノ浦古戦場址の碑。源氏と平家の最後の合戦が行われた場所として有名



この赤い橋は、二位尼による辞世「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」に詠まれたところで、御裳川(みもすそがわ)は、関門海峡に注ぐ小河川でしたが、現在の河口は公園と国道の下に隠れています。



関門海峡は、一日に大小隻もの船が行き交い、その汽笛と潮騒が調和した音は「日本の音」にも選ばれています。

 



メートルの高さから・・。タワーやビルからの眺めとはまた違う風情があります



橋は下部から見上げ、改めてその美しさと強さを感じました
この力強さが橋の魅力のひとつでもあります

※写真の一部は、社団法人山口県観光連盟より許可を得て掲載しています。

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300年の伝統を誇る延岡「鮎やな」は、秋の風物詩

2011年11月06日 22時23分01秒 | まちを良くする活動

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10月21日の大雨により大瀬川が増水し、やなが流され全壊・・。新聞報道で知った時、胸が痛くなりましたが、延岡水郷やなが10月31日に再架設されたと聞き、延岡に住む義母と一緒に家族で鮎やなへと行ってきました。

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日(日曜日)、お昼前に行きましたが、正午を過ぎる頃には、広い店内も満席となりました。

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鮎やなについて
鮎やなは川の流れを堰き止め架設するため、大事業になります。杉や松の丸太を組み合わせた「ウマ」と称する高さメートルほどの柱を川を横断する形に立てていきます。ウマにはムシロで編んだ袋状のカマス(かまげ)に石を入れたものを重しとして載せます。
また、水につかる部分には、鮎が下流に下れないように、竹で編んだ立て簀(ス)をウマに立てかけます。最も神経を使うのが、落簀の前の棚つくりです。鮎は、落簀に水が流れていないと落ちてきませんので、段差を上手に細工しなければなりません。(延岡観光協会ホームページより)

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アユは美しい色と香ばしい味わいから「香魚」ともいわれており、五ヶ瀬川で焼かれるアユの香りは、「かおり風景選(環境省)」に挙げられるほど延岡を代表するものとなっています。

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鮎料理の他にも、チキン南蛮などの料理も揃えてあったり、オープンスペースの場所があったりと、楽しめる工夫がたくさんありました。進化しているんですね。お店の対応もとてもよかった
延岡に立ち寄りの際は、ぜひ味わっていただきたい郷土料理のひとつです

★住所:宮崎県延岡市大貫町3-718
★TEL:0982-23-1905 (国技館) 0982-23-1193(鮎乃茶屋)

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沖縄県那覇市首里で、「天女様に会ってきたよ!」(あまさんブログより)

2011年11月06日 21時33分01秒 | 旅、風景写真

9月末、天草を飛び出して沖縄へ旅に出かけました。
その中でいつかこの目で見てみたいという、ある長年の憧れを叶えることができました。



     (長崎の中島川眼鏡橋)

江戸時代、鎖国時の日本で唯一海外との交易の窓口になっていた長崎。
ポルトガル・オランダや中国から、当時の日本には無かったさまざまな渡来品や知識が流入しました。その中のひとつに石造りアーチ橋の技術があり、長崎市内を流れる中島川石橋群をはじめとして、多くのアーチ式石橋が長崎県内に架けられました。

近代的な鉄橋や鉄筋コンクリート橋が主役になるまでの江戸時代~大正時代には日本各地で多くのアーチ式石橋が造られています。
こと長崎で生まれ育った私には古い石橋は故郷の懐かしい風景の一部であり、近代的な味気ないコンクリート橋よりも日本の川の風景と調和する古いアーチ式石橋を見つけるととても嬉しくなってしまいます。



      東京の小石川後楽園の円月橋

そんな古いアーチ式石橋に惹かれるものがあったため、過去に長崎の中島川眼鏡橋(寛永11年-1634年架橋)や東京の小石川後楽園の円月橋(江戸時代初期の架橋)といった日本最古級のアーチを目にしたことがありましたが、なんと沖縄にはそれを上回る1502年に架橋されたとされるアーチ式の石橋が存在するというのです。
それが事実ならば、江戸時代を超えて室町時代には沖縄に石造りアーチ橋の技術があったことになります。

そのことをある本を通じて知ったとき、いつか沖縄を訪れた折にはその“天女橋”をこの目で拝みたいと思うようになっていました。



そして、やってきました沖縄県。
琉球王国の象徴的な建造物であり世界遺産の首里城。その首里城公園の傍に円鑑池(えんかんち)という琉球王朝時代に造られた人工池があり、そこにある弁財天堂とを繋ぐ形で天女橋は架けられています。



これまで色々なアーチを見てきたがそのどれとも違います。



       (天女橋のある円鑑池)



        (天女橋が結ぶ弁財天堂)




       (天女橋の案内板)※以下はその案内文章

天女橋
 
1972(昭和47)年5月15日 国指定建造物

 15世紀末に朝鮮王から贈られたお経「方冊蔵経(高麗版大蔵経)」を納めるため1502年円鑑池の中にお堂が設けられました。

そこへ至る橋が天女橋で当初は観蓮橋と呼ばれていました。

 1609年薩摩の琉球入りでお堂は破壊され方冊蔵経は失われました。

1621年に至って新たにお堂を建て弁財天像をまつり以後弁財天堂と呼ばれ 橋も天女橋と呼ばれるようになりました。

 天女橋は中国南部にある橋に似た琉球石灰岩を用いたアーチ橋で全長9.75m 幅2.42m 欄干は細粒砂岩でつくられています。

 1945年沖縄戦で弁財天堂は破壊され天女橋も大破、1968年弁財天堂は復元され翌年天女橋も修復されました。

沖縄県教育委員会
那覇市教育委員会





やはり特筆するべきは沖縄で広く分布している琉球石灰岩が使われている点でしょうか。身近にある石材としてそれを用いたのは不思議ではないのかもしれませんが、過去に石灰岩で造られたアーチを見たことがなかったので、とても珍しいと感じた部分でした。
また欄干は砂岩でつくられているため、かなり質感が違うことがわかります。
孔の多く細かい細工の難しい琉球石灰岩より、あえて砂岩を石材として使うことで欄干部を華やかにしようとした意図が感じられます。



今回の旅では、日本で一番古いかもしれないアーチ橋を渡れたことが感慨深く思います。老朽化で取り壊されたり、水害で流失するアーチも多い中で、まだこの天女橋は実用的な橋として使える状態を維持しています。



弁財天堂側から見た天女橋、どこか西洋風の建築の質感の感じられる長崎の眼鏡橋とは違い、完全に中国様式の石橋そのものに見えます。



成形された琉球石灰岩が高く積み重ねられ造られた首里城の城壁から琉球王国時代の石工技術の高さが伺えます。
この高い技術があったからこそ、日本で最も古い天女橋のアーチを架けることができたのだろうと納得ができました。

天女橋の場所はココ

掲載中の写真及び文書は、あまさんの許可を得て、ブログ「釣り、天草の乱」より転載しています。

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ブルックリン橋はゴシック風のデザインともあいまってニューヨークの観光名所のひとつ。

2011年11月05日 06時09分55秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!


    �・ Marco - Fotolia.com

マンハッタン島から南東方向に向かって伸びており、マンハッタン橋と並ぶように位置している。イースト川(East River)の上に架かっており、長さは1,834m、中央径間は486m。



もともとの名称は“ニューヨーク-ブルックリン橋”といった。米国でもっとも古い吊り橋の一つであり、同時に鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもある。年の歳月をかけて年に竣工・完成した。



同年5月24日に開通し、開通初日には万人もの人がこの橋を渡った。この橋は 2層に分かれており、現在でも上層は人や自転車が歩いて渡ることができる。下層は片側3車線の車道である。



ブルックリン橋はゴシック風のデザインともあいまってニューヨークの観光名所のひとつになっており、休日にはよく橋の上をランニングする人々を見ることができる。



    (写真は長女

 継ぎ目なしにイースト川を渡る柔軟なケーブル、ゴシック風の荘重な石積みの巨塔、その間を貫いて対岸に走る橋桁。ニューヨーク市民はその姿に技術と人間の偉大さを実感したといわれています。 このブルックリン橋の完成によって、吊り橋は広い水路を架ける安定した構造であることを実証しました。



Massage)
この橋は、ナイアガラ橋で実績のあるジョン・ローブリングによって最初に設計されましたが、彼は橋の建設開始をまたずに破傷風で病死しました。亡くなったジョンを引き継いで息子のワシントンが引き継ぎましたが、彼もまたケーソン病により下半身を麻痺したため、その妻のエミリー・ワーレン・ローブリングも工学を勉強し、現場の監督者と彼との意思疎通をはかったと言われています。ワシントンは1903年に妻を先立たれてからも、1926年に89歳で亡くなるまで自宅から望遠鏡で橋の建設を見守ったそうです。

ローブリングは橋を設計する際に、それが当時必要と考えられていた強度よりも 6倍も頑丈に設計しました。橋が建設された当時はまだ風洞実験が行われておらず、同時期に建てられた橋のほとんどが廃棄されたのに対して、この橋が今日まで生きながらえたのはこのようないくつかの幸運があったためだと指摘されています。(多くの橋が廃棄されたのは、タコマナローズ橋が風で崩壊したことも理由と考えれています)。☆ウィキペディアより

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宮崎駅西口に新名所誕生!「KITEN」ビルオープン♪

2011年11月03日 20時02分23秒 | まちを良くする活動
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11月3日(木)文化の日。「KITEN」ビルがオープン、オープニングセレモニーに参加しました。
朝9時30分に受付を済ませ、フロアーで待つもののたくさんの人であふれる程に・・。
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オープニングは、橘太鼓「響座」の太鼓演奏。勇壮な太鼓の音が館内に響き渡り、セレモニーがスタートしました。
その後、新しいお部屋の香りと素敵な笑顔がいっぱいの各階フロアーを回りました。
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1階がローソンや宮交バスセンターやおみやげ店等、2階は、焼き鳥で有名ない「ぐんけい」などのテナント。3階は、九州電力のイリス宮崎や宮崎市観光協会、宮崎就職相談支援センター。4階~6階は企業がテナントとして入っている。
7階は宮崎商工会議所。まちづくりの核となります。8階宮崎商工会議所コンベンションホール(無線LAN対応で全5室の会議室)とJR九州ホテル宮崎のロビー。9階~14階はJR九州ホテルの客室となっています。

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表彰される西健次さん

正午からは、宮崎観光ホテルに会場を移して祝賀会。会では「KITEN」の愛称が選ばれて経緯などが紹介されました。ちなみに読売巨人軍の原辰徳監督が応募総数3,919点から選んだものです。
選ばれたのは、宮崎市在住の西健次さんが寄せた愛称。宮崎に来てん!(宮崎弁で来て下さい)と、観光・交通の起点、皆が集まり賑わう場所(起点)になってほしいとの願いが込められているようです。


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(ロビーの見学で見つけた人形)

会では、今週日曜日にTBS「がっちりマンデー!!」に出演したJR九州の唐池恒二社長を含む4名の方がスピーチをされ、会場をおおいに沸かせました。

みやざきてげうま国際夜市について
また、KITENビル周辺の高千穂通りでは、みやざきてげうま国際夜市が明日から開催されます。
今月の日までおこなわれ、歌手やお笑い芸人などのライブや、台湾からの屋台など74点が出店。ドイツビールなども楽しめますよ!

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8階 コンベンションホールより

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最近話題の少なかった宮崎では、久しぶりのシンボル的なビルの登場です。宮崎の活性化、中心市街地の活性化へのキックオフです!

まちづくりって、ドーンとホームランのようなイベントや仕掛けではなく、今日の、そして今の仕事にどれだけ「感動」を与えられるサービスができるか、付加価値がつけられるかだと思います。それをどれだけフツーにできるかの積み重ねが、最終的に、いい街や地域、そして人をつくっていくことだと思う。
がんばろう宮崎!






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世界遺産への登録を目指す、日本三名橋のひとつ「錦帯橋」は架橋から340年!

2011年11月02日 23時29分34秒 | 旅、風景写真



錦帯橋は山口県岩国市の錦川(川幅200m)に架かる木造橋です。
5連のアーチからなるこの橋は、全長193.3メートル、幅員5.0メートル



今から約338年前の1673年(延宝元)第代岩国藩主吉川広嘉(きっかわひろよし)によって架けられました.



276年間不落を誇った(部分的な架け替えはしています)錦帯橋でしたが昭和月に岩国地方を襲ったキジア台風によって2度目の流出をしてしまいます。



しかし、橋脚に近代工法を取り入れるなどして直ちに再建工事に着手し、三代目錦帯橋は昭和28年に完成しました。



以来、半世紀にわたって人々を渡し続けてきた錦帯橋ですが、木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるようになったため、平成13年度から平成15年度にかけて50年ぶりの「平成の架替」に取り組み、総事業費約26億をかけた大事業は、平成16年3月20日に完成しました。



記録によると、江戸期にはアーチ橋(第二、第三、第四橋)は約20年ごと、桁橋(第一、第五橋)は約40年ごとに架け替えられ、橋板や高欄は約15年ごとに取り替えられてきた。現代までに行われた架け替え工事の回数は、第一橋10回、第二橋14回、第三橋14回、第四橋16回、第五橋9回である。橋自体は50年以上持つにもかかわらずこうした手法がとられたのは、大工技術の継承の意味合いが大きかったと推測されている。(中略)


江戸後期には架け替えに必要な用材を確保するため、計画的な植林がされていた記録が残っている。現代においても、岩国市は将来にわたって架け替え材の自給をめざす「錦帯橋用材備蓄林年構想」を打ち出して植林活動を実施している。(ウィキペディアより)



(Massage
1673年以来、340年余り橋が守られてきたことは素晴らしいことだと思います。
架橋の想いや地域の方の思いは、いかばかりかと感じます。またこの橋は、地域から世界に発信できる橋だと感じています。
日本百名橋(松村博著)」より、錦帯橋の歴史を紹介します。
錦帯橋は、当初は大橋と呼ばれ、固有の名前はなかった。錦帯橋という名称が文献に見えるようになるのは、宝永年間(1704~)のことで、それ以前は漢詩の中では凌雲橋、玉竜橋、帯雲橋などの雅号が使われることもあり、のちにはそろばん橋といった愛称で呼ばれることもあった。

 明治になると、維持費用を捻出する制度がなくなり、種々の助成や寄付が募られたが、結局は岩国町(市)の負担が大きくなった。このため、錦帯橋を平らな鉄橋にしようという意見も出されたが、岩国の人々は、旧来の橋を保存することを選び、資金集めに苦慮しながら名橋を守ってきた。この間大正11年には名勝に指定されている。

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