「和」の国、日本の力を信じたい

2011年03月26日 06時48分56秒 | ひとりごと

東日本大震災により被災された方々を思うとき、祝日など遊んでいる場合か・・・などと思う。


宮崎を襲った口蹄疫では半年以上も自粛が続き、イベントなどがすべて中止になり経済的にも疲弊した。
風評で自殺した方なども報道されなかったことを含め、いろんな影響があった。
県の追加予算は1兆円を越え、県内の経済もまた未曾有のダメージを受けた。
自分自身も、いろんな影響を受けた一年だった。


そんな時思ったのは、自粛も大切だけれど、これまで通り地域にお金を落として、地域から盛り上げていかないとダメだと言うことだ。
普段通りの生活を続け、できることを自分らしく続けていくことではないかと思う。


今回の大震災、まだ解決されていない事や不安なことがたくさんあるが、ひとつ言えることは今回の大震災は「国難」だということ。
しかし、戦後の日本を乗り越えたきた「和」の国、日本の力を信じたい。
まずは、自分にできることを具体的にひとつづつ始めるしかないのではないか。
これまで以上に震災に備え、後悔しないような生き方をしていくことが大切かもしれない。
そう思わないと、何だか気持ちの整理がつきそうにない。


追記(2013/3/3)
双子なら同じ死顔桃の花

なぜ生きるこれだけ神に叱られて

春は壁乗り越えなくていいですか

三月や遺影は眼逸らさざる

亡き娘らは真夜来て遊ぶ雛まつり

照井翠句集『龍宮』より>>>くわしくはこちら

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月イチのサポーター

2011年03月24日 06時28分55秒 | 出会いと経験

以前、ブログで紹介した「COZY花菜(はな)」さんに、毎月一回のペースで利用ようにしている。
理由は、60歳で起業した店長を応援すると勝手に決めているからだ。
頑張っているな~と、いつも思う。

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いちおしが「ビーフカレー」。いろんなカレーがあるが、始めて食べて以来、やみつきとなり毎回このメニュー。
いろんなエキスが溶け込んでおり、いわゆる薬膳?カレー。

今月も残りわづか、まだ行けてない・・・

「COZY花菜」
宮崎市佐土原町下那珂(コープ佐土原そば)

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散歩散策、オススメコース「宮崎神宮周辺」

2011年03月22日 06時42分14秒 | まちを良くする活動

ぶらり、田舎の風景に出かけてみる・・・。
そんな感覚で遊べる場所がある。宮崎神宮周辺だ。
博物館周辺には、鬱蒼として森や古民家もあり懐かしい気持ちにさせてくれる。

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(蒸気屋さんの龍馬ラテ)

宮崎神宮といえば、忘れてならない偉人がいる。高木兼寛。彼が郷土宮崎に残した偉業の一つが宮崎神宮の大造営と言われている。

資料によれば、神武天皇御降誕大祭の祭典を行うことと同時に、当時の宮崎宮(現在の宮崎神宮)を大きな神殿に建て替えること、そして神武天皇御降誕の地と言われる宮崎県高原町の狭野神社の神殿も改築しようとするもの。

高木兼寛は、歳でこの大造営に幹事長として就任し、明治年(1898年)より全国から多額の寄付金を集め、明治年(1907年)に完成させた。この時に行われた奉告祭が現在、神宮大祭の起源。まちづくりのハードとソフトを一体としてつくった点が、非常に素晴らしい。また、たくさんのパートナー達が彼を支えたのだろう。先人へ思いを馳せながら、明治人の英知を感じている。

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夢と浪漫の人、想いでの中で生きる

2011年03月17日 06時33分17秒 | 出会いと経験

大神龍馬(おおがたつま)さんは、大きな人だった。
今から10年程前、(平成9年8月10日)永眠された。本業の仕事面はもちろんのこと、福祉面や文化面でも活躍された。

20年余り、いろんな形でおつきあいさせていただいた。飾らずに、良いことに対しては惜しみなく声援と支援をした。また、インド国際子ども村の提唱者である大神のりえさんは、大神さんの娘さんである。おつきあいの中で、たくさんの事を学んだ。そのエピソードを紹介したい。

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(在りし日の大神さん)

生前、大神さんの印象といえば、「金婚者を寿ぐ会」である。その会は、延岡市内で金婚者を祝うための自主的な会だ。いつか「金婚式」自分が祝いの席招かれたい。

そんな想いをもとに、40年以上も前から「延岡の金婚者を寿ぐ会」の発起人となり、仲間達で開催し物心両面にわたり援助してこられ、多くの延岡在住の金婚者を祝ってこられた。招かれた金婚者は2000組以上にのぼるのと聞いている。

亡くなる数年前、大神さんご夫婦は金婚の年を迎えられ、式に招待された。生前「継続が大切だ」といつもおっしゃていたのが今も心に残っている。

地元、延岡市の夕刊誌「夕刊デイリー新聞」の紙面で大神さんを紹介されていたので転載したい。

「今や日本中のつり橋建設だけでなく普通の橋の建設にも利用されでいるPCTという工法の特許権者で、延岡市の文化、福祉面にも功労があった大神龍馬さんが亡くなった。
もの静かで、思膚深い学者タイプの人だった。それまで、深い谷など橋脚を立てられないところに橋を架けるには、両岸に鉄塔を建て、ワイヤーと張り渡し、それに橋材をつり下げて繰り出しでいき、組み立てていた。
しかし鉄塔間が長いほど、また風が強いほどつり下けでいる橋材の揺れが大きく、危険も増して作業は困難だった。このため工事期間が長く、事故死も多かった。

大神さんは鉄塔間の上部ワイヤーに加えて下部にもワイヤ―を張り、上下のワイヤー間を何本かのつり索で固定することでワイヤーが安定し、つり下げた橋材も安定することに気づいた。効果はそれだけでなく、橋材の重量は下のワイヤーにも働いて重量を負担し合うため、鉄塔などに無理がいかないし、工期も早くなりしかも安全に工事ができる。これがPCT工法として、昭和43年特許庁に認められた。

この方法で架けられた橋は、県北では北方町の城橘、つり橋では高千穂町の音の谷橋などがある。つり橋で、もし橋の下の両側にも弓なりのワイヤーあったら、それは大神さんの発明によるものだ。これでつり橋もあまり揺れず、安心して渡れるのである。

大神さんと延岡市の島野浦島に橋を架ける夢を語ったことがある。下を船が通るところで、長大橋になるからPCT工法の出番である。大神さんはPCTの模型を前にニコニコ笑いながら、静かに「思いっきり、きれいで美しい橋にしましょう。展望所も付けて・・」と話に乗ってくれた。大神さんもこの夢を持って逝かれたはずである。」
(平成9年8月12日 夕刊デイリー新聞 記者手帳より)

Ooga

(大神さんからいただいた色紙)

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ひなまつりと演芸大会

2011年03月13日 11時56分39秒 | アコースティックライブと音楽

Hina

3月10日(木曜日)友人宅の、ひなまつり会に参加。
彼女の家はお菓子店(長峰菓子舗)で、「鯨ようかん」などを、お店を始め、
宮崎市内で販売している。<所在地はページ下へ掲載>
お店に隣接したご自宅には、この時期三世代の「ひな人形」を展示している。

また彼女はご主人とともに、国際交流や地域活動など、積極的に続けている頑張り屋さんだ。

Yasiro
(珍しい社のついたひな人形)


この日、参加者30名程で、料理を持ち寄り、ひなまつりパーティを開催。
出し物として、ギター片手に6曲歌いました。
他にも日本舞踊、民謡、手品、朗読、二胡や三味線の演奏もおこなわれ、楽しい演芸大会?にもなりました。


Nagatani
(永谷さんによる日本舞踊)

Hattori
(服部さんによる名槍_日本舞踊)


ホールでの演奏も楽しいけれど、お家でこのような演芸大会も、ふれあいがあって楽しいものです。

Muta_hisako
(牟田さんによる秋田長持唄などの民謡)

Awata
(びっくりする手品がいっぱい、淡田さんの手品)

Saito
(西都市からカレンズ・オレンズ・二胡2グループ)

Cakes
(誕生日をみんなで祝う)

3時間は、瞬く間に、過ぎていきました。

長峰菓子舗へは、こちら(佐土原町佐土原病院前)

より大きな地図で 長峰菓子店 を表示

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「なんでも鑑定団」に福沢諭吉の額を出品

2011年03月06日 11時50分51秒 | のほほん日記

Kakejiku

テレビ東京「なんでも鑑定団」小林出張鑑定に、鑑定品を応募したところ、明治13年、初代橘橋を架けた福島邦成翁のお宅にある福沢諭吉の額が、応募された200点の応募品の中から選ばれた。
テレビの収録があるとの事で、福島邦成翁のひ孫、福島順一さんと知人と三人で向かった。

「本物には間違いないと思うけど・・・。」なにせ140年以上前の事だから、確かなことは誰もわからず、ただ、伝え聞いた話では、福沢諭吉の額には間違いないとのこと。50万だろうか?傷がついているので20万。いや偽物で0円。素人鑑定団による鑑定で、車中は盛り上がった。

Kante1

午前10時、会場である小林市「コスモドーム」へと着く。鑑定依頼人7名が集まっていた。早速、集められた品を事前鑑定へ。そしてリハーサル。
そして、いよいよ本番。会場は多くの人のお客で熱気ムンムン。松尾伴内さんの司会、ゲストは小林市出身の斉藤慶子さんによりスタートした。

番組では約2時間をかけて、依頼品のオルゴール・掛け軸・時計・・・を時間をかけて鑑定。半分以上が、自己評価額より高い鑑定額、果たして福沢諭吉の額は・・・鑑定やいかに・・

Nantop

結果は、自己評価額20万円に対し、100万円の評価額。また、福沢諭吉の一番勢いのよかった頃の書であること。福島邦成へ送ったものであること。傷がなければ400万円の価値があることなどをコメントいただく。改めて、福島邦成の当時の活躍を垣間見た気がした。

初めてテレビ収録に参加したが、スタジオ外ということや観客の拍手で、審査員も熱く鑑定結果を語るなど、出張鑑定ならではの雰囲気だった。
鑑定という形を通して、モノの価値やモノへの想い、文化とは・・・色んな事を考えさせられるひとときだった。

Umamen

また、自己評価額より高い鑑定額が出た場合は、地元の「馬踊り」が披露され、会場を湧かせた。鑑定結果は、一ケ月後テレビで放送された。
(※この記事は、橋の日ホームページで公開したものをリメイクしたものです。)

余談だが、福島邦成の家は270年前建てられたもの。現在ではかなり老朽化が進むものの、文化的価値がある。
宮崎市内では貴重は文化遺産だ。事情があり、今秋(2011年)、取り壊されることが決まっている。移築するなどの方法が無いのか、仲間内で話している。

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また一歩前進!はし土木遺産ポスターへ発行間近。

2011年03月02日 23時08分03秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

Poster
(制作したポスターサンプル)

本日3月2日、宮崎県企業局県電ホールにて、私の所属する会で、宮崎の「はし土木遺産」PRポスターに関する意見交換会を実施した。

今回の企画は、宮崎県との協働でおこなうもので、昨年12月から準備した。

意見交換会では、土木遺産を地域の活性化への一助につなげるため、ポスター制作にあたり、さまざまな意見を取り入れることが目的だ。

Photo

(選考に携わった方々)

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