あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

おめでとう学園木花台小学校、創立20周年!

2013年03月31日 07時22分09秒 | ノンカテゴリー

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(児童が書いた絵と文章)

昨年より、取引先の小学校の記念誌出版のお手伝いをした。学校が創立20周年を記念して、手作りのイベントを実施した記録を本にまとめるというもの。
全校児童の1人1人が10cm×10cmの布のピースを作り、7300枚(365日の20年分)の小さな布の絵を完成されるプロジェクト。企画から布の絵つくり、完成、発表にいたるまで児童や先生、PTAの方々も協力してつくられたものだ。ちなみに布の合同作品は、縦8m横10mで体育館の天井から床までの大きさだ。

ちなみに企画の趣旨は・・
・一つ一つの行いは小さいかもしれないが、続けていると大きな力になる
・1人1人の行いでは届かないけれども、みんなが行えば大きなメッセージになる
・1人1人は完全でなくても、完全ではないからこそ、支え合い、助け合う中で絆が生まれてくる
というものだ。全員でつくり上げた喜びや想いは、子供達のこころにそして学校関係者の皆さんのこころに刻まみこまれていくだろう。

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ちなみに表紙の青は編集委員会で決まったとのことで、この青い色を生かすために、通常ではあまり使わない赤文字を使用して、新たな効果を出した。

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先日、完成した1冊をわざわざ準備してくださった。先生方も良い方ばかりで、さまざまな心づかいに深く感謝。つくって喜ばれるという仕事冥利に尽きる。
また、世の中は本当に狭いもので、担当した企画部長とは顔を合わせることはなかったが、なんと所属する会のメンバーだとPTAの方から教えていただき、先日の所属する会の会合でその話となり、二度びっくり・・。こんなところでもつながっていくのだと感じた。


英国式庭園がより美しく感じた一日。

2013年03月24日 17時21分31秒 | アコースティックライブと音楽

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日曜日は、定期ライブに参加。会場へ着くと、美しいフラワーロード。それもその筈、今年で4回目を迎える『英国式庭園春のフラワーガーデンショー』が開催中ということもあり、英国館周辺では美しい花々を見ることができる。

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英国を代表する四つの本格的ガーデン(コテージ・シーサイド・フォーマル・メドー)を撮影した。

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今日は、かわいいゲストも・・。名前は小雪ちゃん。

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ライブでは、衛藤さん&まり子さんのオカリナ+アコギの演奏。

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押川さんの篠笛演奏

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あっ、小雪ちゃん・・・アイドル並の人気だった・・。

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ちょっと休憩タイム・・。店内の様子。

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チューリップやビオラ、ダイアンサス、ジギタリスをはじめとした春の草花が彩り、、青く鮮やかな芝生と周辺の松林と調和した植物が春の訪れを感じさせてくれる。(案内ホームページより)

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イギリスの原風景を感じさせてくれる。

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今後のイベント情報

◆イースターエッグハント(宮崎日英協会共催)
・日時  3月31日(日)10:00~16:30
・対象  中学生以下のお子様
・参加料 無料
・定員  先着50名

◆『みどりの日』花苗プレゼント
・日時 5月4日(土)10:00~
・場所 英国式庭園 コテージガーデン入口前
・先着100名様に宿根サルビアの苗をプレゼント♪

◆ガーデンツアー
・日時 5月4日(土)11:00~、14:00~(全2回)
・場所 英国式庭園 コテージガーデン入口前
・料金 無料
・定員 10名程度(当日受付可)
※英国式庭園の歴史、デザインコンセプト、見頃の植物等の説明を致します。

◆グリーン&ガーデンマーケット in 英国式庭園 
・日時 5月4日(土)10:00~16:30
・場所 英国式庭園 コテージ入口前及びメドウガーデン
・料金 無料


みやざき景観まちづくりシンポジウムin綾

2013年03月24日 06時22分05秒 | まちを良くする活動

昨日、綾町で開催された「みやざき景観まちづくりシンポジウムin綾」に参加した。景観やまちづくり活動に以前から取り組んでいることもあり、参加した。
仕事の都合で午後から2時間程度の参加だったが、実り多いシンポジウムだった。

また、1週間程前だったろうか毎日新聞で都市景観の問題を取り上げていたこともあり、意義深いシンポジウムでもあった。
講演途中から参加したが、サンデーモーニングでおなじみの涌井史郎氏、具体的でわかりやすい話に引き込まれた。
一番感じたことを一言で表すと「温故知新」だ。

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『人と自然・人と人が織りなす地域の景観』
東京都市大学環境情報学部 教授 涌井史郎氏

有史以来先祖が自然と共生しながら生きつくったきた里山。ここにはたくさんの英知が蓄えられているという。
その他にも701年大宝律令が制定され日本国の成り立ちでは、河川流域や地形区分から地域が分けられ国土の経営がなされたこと、福島県の300年かけてつくった防潮林と樹齢173年と言われる奇跡の一本松の話、身土不二の意味、エンゲルベルト・ケンペルの見た古き良き日本では、景観づくりは地域の独自性と品格であり磨いていくことが大切、氾濫をくり返す釜無川の水を治めるため、約20年という歳月を費やして築いたとされる日本最古の治水土木施設「信玄堤」、観光の語源は易経(えききょう)であることやその意味などの事例を上げながら、人の暮らしと景観のかかわりを聞いた。

自然と戦うのではなく、自然とともに生きることがつまりは「自然を守れば自然が守ってくれる」ことなど示唆のある言葉をいただいた。先祖は、そうやって負けて勝つ方法やいなして生きることで、安心安全に暮らしてきたのだと思う。上記の釜無川の治水のように、暴れる川の勢いをぶつけて和らげる、越流させて農業用水として使うなど、多くの知恵が刻まれている。
その他にも景観とはコミニュティのためのツールであるという言葉にも共感した。

「風」という言葉は、みんなが共有するイメージだと聞いた。
風景、風土、風味、風情、風合などの言葉があるように、良い言葉と再認識した。

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≪パネルディスカッション≫
『景観づくりと地域づくり ~景観は住民心の映し鏡~』
・コーディネーター
北川義男氏(造園修景協会宮崎県支部長 元南九州大学環境造園学部教授)
・コメンテーター
涌井史郎氏(東京都市大学環境情報学部 教授) 

・パネリスト
吉武哲信氏(宮崎大学工学部 准教授)
高尾忠志氏(九州大学大学院工学研究院 特任助教)
河野耕三氏(綾町照葉樹林文化推進専門監)
石井和郎氏(活動団体代表:NPO法人正応寺ごんだの会理事長)

パネルディスカッションで、吉武氏より持続可能な社会づくりのために、地域を育てる人をいかにして育てるか、愛着や誇りをどう育てるかという問題では、人とのネットワークをいかにつくるか。バランスのとれた地域づくり、ソーシャル・キャピタル(涌井先生琉ではご近所の底力と訳される)、人とのかかわりながらいろんなことを決めていく、市民の出番をつくり、まちづくりのプロセスを見てもらう、子ども達にイベント等の体験を通してまちづくりへの意識を持ってもらう。例えば自然を知ってもらう、故郷を知ってもらうなどを通して、地域を愛する気持ちが醸成されていくのではないか。

高千穂の限界集落と呼ばれた村では、課題を発見して10年間外部の人とのかかわりを持ちながら活動してきたら、住民が自ら企画するようになった事例などを聞いた。

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照葉樹林の魅力やエコパークに認定されるまでの経緯。まちづくりの歩みなどが河野氏から紹介された。

組織的には、行政がやれること、民間がやれること、NPOができること、会社ができることなど段階を踏んでやれることが見えてくるとの報告が、石井氏からなされた。

地域をいかに維持できるか・・という質問に住民からは「景観の前に暮らしを守ってくれ」と言われた。経済・教育・環境・エネルギーすべてが関連しているが、まず狭い範囲で取り組む。

地域をキレイにすることは、景観をキレイにすることにつながる。涌井氏は宮崎交通の故岩切章太郎氏と仕事をした折り、どうやって街の個性を引き立たせるかを学んだという。
何かを足していくのではなく、引いていくことの「目利き」が大切だという。

戦後復興から50年社会資本を積み上げてきたが、これからの地域マネージメントは、余計なものはマネージメントしないことも大切。その見極めやルール(お作法・・いい言葉だ)

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今後のまちづくり展開のポイントを各自から話される。
地域の限られた人数では限界がある。地域の人達だけで取り組むのではなく、課題やテーマごとに人が集まったり、行政も横断的な組織づくりをしたり、地域外の方や専門家を交えて、共に担うことが「元気」につながるのではないか。関係性の無い人とワーキングしていくとき、気付いていくことも多いとの話も。

高尾氏からは、長崎県の五島に町づくりに参加した折、山がキレイだったので、キレイですね・・と話したら、どこが・・と言われた。住んでいる人が気付かない地域の良さがある。
当たり前に存在しているから大切。見えないものを信じないのが人間。もっと長い目で見て次の世代にメッセージを繋げていくのかを意識していくことが精神的に続かせることができるのではないか話された。

四季によって変化する景色。これが大切だ。地方の荒廃を引き受けてくれるところがない。都会の人に体験してもらうことが大切ではないかとコーディネーターの北川氏から提言。

ゴールをどこにおくか。50年後とした時「孫の世代」とするときイメージや実感としてとらえることができるのではないかと石井氏。

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最後の涌井氏より、神木は新月の時に切るという話を聞いた。新月の時は、重力が木の根を方へと向かう、その為伐採した木は良い木になる。他の日の伐採した時とまったく違うと言うことだった。
そうやって月と対話しながら、自然とともに生きて来た日本人の知恵。

その他にも「いいな」と思うことには、必ず理由がある。専門家に専門的・構造的に解説してもらうことが必要だとも・・。

自然も歴史も人も、伝統も文化も経済もつながっているのだと思う。 そこに住む人たちが時間をかけて、そして絶え間なく紡いでいくことが景観をつくっていくのだろう。前記の文章とは関係ないかもしれないが、先日、新聞に掲載されていた記事を紹介したい。

「南欧の人々が建物の内部をハイテク化しても外観を変えないのは、住民が代々共有する記憶へのこだわり、町の歴史への畏怖があるからだ」国連環境計画によると、日本は、建物などの製造資本、教育など人的資本と自然資本を加えた「国富」が一人当たり世界一だという。それほど豊かなら、今の風景を残すか、かつての山野や町並みを取り戻すことに力を注ぎ、新たな国土開発、ハコ造りから手を引いてもよい。そんな時代が来たのではないだろうか。(3/21 毎日新聞より)

宮崎は文明に侵されていない地域であるとの話もされた。これも住んでいてわからないことだろう。地域に誇りを自信を持つことが大切だと感じた講演会だった。関係者の皆様ありがとうございました。


天国へいる母ちゃんへ

2013年03月23日 07時20分31秒 | ノンカテゴリー

33回忌の法要で母へ書いた手紙を読むことができず、ずっと保管していましたが、書類を整理していた中で見つけたので、遠い国にいる母へと送りたいと思う。

天国にいる母ちゃんへ

母ちゃんがこの家にきたのは、私が幼稚園の時でした。私にとって二番目の母ちゃんでした。私を産んでくれた母は離婚で3歳の時、離れ離れになったこともあり、母ちゃんというのに何年もかかりました。

母ちゃんとはいろんな思い出があります。
当時は狭い貸屋に住んでいましたが、親戚一同集まり結婚式をしたこと。
おだいっさんでおもちゃを買ってもらったこと今でも覚えています。
帰り道は田圃の道を3人で歩いて帰りましたね。
母ちゃんを農作業帰りにリアカーに載せたり、勤めていた日の出町のしょうゆ工場へ遊びにいったこと、みかん山で働いていたころ、プレゼントをもっていってこと、妹が生まれる前、おっぱいがでるか試験的に試したこともありましたね。
そう・・あの時は村のこども達の中で噂が広がり、小学生になってもまだおっぱい飲んでいるなんて、いわれたこともありました。今となっては楽しいことばかりです。

昭和47年11月18日の朝7時頃、知らない叔父さんが「母ちゃんが亡くなりました」と言ってきました。そばで聞いていた私は、とても信じられずにそのまま学校へ行き、後で呼び戻されたことを思い出しました。葬儀の日は、重い棺を抱え泣きながら歩いたあの道風景が今も脳裏に焼きついています。

あれから33年。いろんなことがありました。言葉では言えない位たくさんのことがありました。
片親だけでも幸せなことだと人は言うけれど、父親から愛情もたくさんもらえて幸せだけれど、やっぱり誰にも言えないさみしさや悲しさはあります。

小学校や中学校でいじめにあった時、仲間外れにされた時など、片親が以内分、深く愛してくれる親に心配かけてはいけないと、こころに閉まっておいたこともあるよ。そして、誰にでも優しく接しようと努力しているのは、あなたの優しさに近づきたいからかもしれません。

今思えば、33歳という若さで、この世に別れをしなければならなかった無念さややり残した事等、本当にくやしい気持ちでいっぱいだったと思います。
でも安心してください。
あなたが残した家族は、全員元気に過ごしています。
母ちゃんが命がけで産んだ妹は、今優しい旦那さんと、かわいい3人の娘達、私も同じく3人の娘達、そしてお父ちゃんも元気に過ごしています。
これからも、天国から見守ってください。

私達も母ちゃんの笑顔や頑張り、優しさを胸に刻んで生きていくつもりです。
どうぞ、安らかにお眠りください。


桜の季節には、おすすめの店「ゆう創作料理」

2013年03月18日 06時37分22秒 | のほほん日記

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20年前から懇意にしたいただいているNさんがいる。 5年前に人材派遣の定年退職になり、退職祝いをして差し上げたご縁で、1年に一度宮崎市内で会食をしている。 Nさんは、仲人タイプの人で愛情たっぷりで良く人を見てる人で、人と人との出会いを演出する方、その能力?を活かして現在は、働く人と企業を縁組みしている。 今年2月にも、大淀川がよく見える宮崎観光ホテルの8階で会食をしたが、ごちそうになったので、今度はお返しをしたく食事にお誘いした。

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落ち着いた日本料理の店が良いと思い、男性はあまり行けない・・というか、利用者のほどんどが女性なので、男性、とくにいけてない・・50代は行けない・・お店だと感じていたが、勇気を持って招待した。 日頃、行きたいけれどひとりではいけないし、お店を喜んでいただける方にと思うと気分的に引けていた。しかし、Nさんならその店の良さを充分理解していただけると考え、お誘いすることにした。

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そして当日。とても喜んでいただいた。細やかな心配りと手作り感たっぷりの料理は、Nさんにハートをつかんだ! ひなまつりのシーズン。料理も季節感たっぷり・・。また行ってみたいお店だ。

ゆう創作料理 :宮崎市霧島4-1-2(県民文化センター隣道路沿)
電話:0985-29-5899
お店の向かいにはメディキット文化センターの公園があり、桜の木がたくさん植樹されている。 桜が満開がつづく来週位まで一層食事を楽しめるのではないかと思う。


学んだ知識より、学ぶ過程で得た経験が今後の力に・・。

2013年03月17日 12時41分24秒 | シニア産業カウンセラー



先日、10ヶ月にわたり受験勉強していた結果が届いた。「合格」、本当に良かった。今回の受験では、昨年4月から毎朝1時間、日曜日は最低4時間使って受験に備えた。
7月からは、受験のための勉強ではなく本物の力をつけたいと思うようになり、関連書籍も読み漁った。

受験勉強なんて、学生時代が最後だったから、感覚的にわからないこともあったけれど、いろんな方にアドバイスをいただいた。中でも一番役立ったことは、過去問を所定時間の半分で解答し、残りの時間で解答を確認ができるようにすることだった。

その為にまず、過去問を集めることから取り掛かった。8年分の過去問を揃えた。スキャナーで2日間程つかって、OCRを使って読み込み、文字に起こした。600問を選び出し、すべて解けるまで4回程繰り返した。

その努力も実って、試験当日は、精神的に冷静にテストへ取り組むことができた。そして秘密兵器、ipadのアプリ「暗記帳」のお陰だ。各問題ごとにチェックやメモが可能な上、ランダムで問題を表示してくれる優れもので、食事後や空き時間に問題を解いた。また受験終了後、更に本や資料も読み続け、学びを深めている。合格はあくまでも通過点にしか過ぎず、夢へ向かって前進する限り立ち止まることはない・・・といい聞かせたい。

この挑戦での一番の収穫は、3つある。ひとつは53歳でもやる気になれば、できるという自信ができたこと。そして受験を経験したことで、いろんなものに応用ができるノウハウができたことだ。

人生後半の時間も短いなかで、得た知識をいかに実践に役立てるかを考えると本気で学ばないと役立ちそうにもないと感じるようになった。それともうひとつは、覚悟ができ気持ちが座ったことだろう。

しかし、どこか誰かに頼ろうとする気持ちがあるが、決めた以上頑張りぬくという心構えができた。どんなに苦しくてもこの覚悟があれば、大抵のことは乗り切れるように思う。反省改善点も多々あるが、結果オーライとしよう。


ちょっと贅沢気分を味わうなら_RE.VON(リ・ヴォン)

2013年03月16日 19時23分24秒 | のほほん日記

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久しぶり家族で外で食事をしようということになり、タウン誌で情報を探す。そして、見つけたのが欧風料理RE.VON(リ・ヴォン)。

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外観はとてもオシャレでこじんまりとしているが、中は広い。

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この日は、ステーキセットをオーダー。サラダはポテトサラダから春雨サラダ、チキンのピリ辛サラダなど、種類が豊富。

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パンも6種類ぐらいありオーブンで焼くことができる。サラダ&パンは取り放題ヾ(^ω^*)

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ランチを利用している方も多いと聞いた。ランチは、メインを選びそれ以外はビュッフェ形式になっているので、好きなものを取って食べるというもので、量が調整できるので、ランチにいいかも!

 


「協働創出市2012」に参加しました。

2013年03月14日 21時18分31秒 | まちを良くする活動

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(パンフレットの表紙)

3月13日(水)、仕事を終え、宮崎県門川町クリエイティブ門川 多目的ホールで開催の「協働創出市2012」に、宮崎「橋の日」実行委員会として参加するため、駆けつけた。

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(事例紹介に聞き入る参加団体)

この創出市は、ビジネスのように県内で活躍する団体がまるで商談をするかのように、お互いの特徴を活かした協働事業の創出を図るチャンスを探ろうというものだ。参加団体は、36団体。ボランティア団体や地域づくり団体はもとより、行政や金融機関、地元の観光協会と幅広く参加している。詳細は>>>こちら

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会では、ハードやソフト面を含め、いろんな方を話して、まずはお互いを知ることが大切だと感じ、各ブース訪問をおこなった。一番の成果は、具体的に協働が可能な団体を見つけたこと。そして、活動へのヒントをもらったことだ。

また個人的にも成果があった。現在、橋の日活動とは別に、「生涯学習コーディネーター」として活動する中で、生涯学習を推進するために企業や個人、団体へのアプローチを考えている中、どのようにしたら、より理解が進むのだろうかと考えていたところ、参加団体の方からそのヒントとして「仲間づくり」をすることが重要だと教えていただいた。

生涯学習は、自ら学んでいくことで続けられるもの。意識のある方は、気付いて時点でスポーツや趣味など取り組むことができるが、問題はそれができない方への支援だ。生きがいや健康をつくっていくための手段のひとつが生涯学習だと認識している。職場や友達、グループなどの「仲間づくり」が何か(趣味やスポーツ)に取り組むことで、ひとりで考えていると何もできにくいけれど、仲間だと取り組みやすいということだった。「仲間づくり」の6文字だけれど、大きな勇気をもらったように感じた。一歩前進かな。

(当日の資料より

協働創出市2012とは・・・

県北のNPO・ボランティア団体・企業・行政が一堂につどい自分たちの想いをかたちにする協働商談会です。

出会い・交流・情報交換、新たな発見の場として、NPO・ボランティア団体や企業・行政など多様な主体が認識を持ち、志をひとつにして、協働を推進するための出会いの場で、あたかも商談をするかのように協働の相手先を探すことにより、新しい協働事業を創出するものです。

協働とは・・・

 NPOや行政・民間企業がそれぞれの主体性、自発性のもとにお互いの立場や特性を認識・尊重しながら、共通の目的を達成するために協力・強調すること。

ボランティア、民間企業そして・・

新しい公共の担い手NPO

 NPO(NonProfitOrganaization)とは、民間の非営利組織です。

 NPOの定義は統一されていませんが、県では、法人格を持つ特定非営利活動法人(NPO法人)及び法人格を持たないボランティア団体その他の市民活動団体等としています。NPOは、地域の課題を解決するために社会的な使命感を持ち、新たな公共の担い手として期待されています。

※「非営利」とは、収益活動を行ってはいけない(儲けてはいけない)ということではなく、収益を団体の構成員に分配をしてはいけないということです。

※自治会、自治公民会、婦人会などの地縁団体も、公益の活動を行う場合はNPOに含まれます。



あなたにもできる!協働

★農家が「食」の安全を提案    ★自動車メーカーが交通安全啓発

★薬局が介護予防も        ★書籍店で読み聞かせ

★宅配のついでに高齢者の見守り  ★ガーデニングのついでに道路もきれいに

★居酒屋が町の集会場       ★犬の散歩で見守り活動

その他にもアイデアしだいで協働の輪は広がります!


人生の応援歌「王将」。この歌はやはり村田英雄だ。

2013年03月08日 06時00分38秒 | アコースティックライブと音楽

 
ブログ「今だから…昭和さ ある男のぼやき」をご一読いただきたい。

吹けば飛ぶような将棋の駒~王将

この曲は、村田英雄以外には歌えないと思う。ちなみに故郷の「ばんば踊り」の歌も村田英雄氏によるものだ。

★諸事情で削除される場合がございます。その際は、ごめんなさい


宮崎「橋の日」活動25周年を迎えて(執筆文)

2013年03月07日 05時18分32秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

昨年、土木関連の季刊誌に投稿した。その文章を紹介したい。

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( 第1回宮崎「橋の日」イベント_昭和62年)

「橋の日」は、今から26年前、昭和60年に宮崎県延岡市出身の湯浅利彦さんが提唱された宮崎発祥の記念日です。
湯浅さんは子供の頃、延岡市街地を流れる大瀬川で毎日のように泳いだり、魚を獲ったり、また橋を望みながら、まるで河童のように川で遊んでいたそうです。ある日、洪水によって木橋の大瀬橋が流され、町が分断、橋の存在の大きさやありがたさを子供心に思い知らされたとお聞きした。

湯浅さんはその後、橋梁メーカーに勤務。「橋との触れ合いを通じて故郷を愛する心を育てたい」という熱い思いが、年を重ねられるごとに募り、昭和60年に語呂合わせもあり、8月4日を「橋の日」と提唱されました。さっそく翌61年に延岡市の大瀬川に架かる安賀多橋で最初の「橋の日」活動が実施され、風船やパラソルを欄干に取り付け、「橋の日」を祝った。そして翌、昭和62年には宮崎市において宮崎「橋の日」実行委員会が発足し、宮崎市の母なる川、大淀川に架かる橘橋を会場として、第1回宮崎「橋の日」のイベントを実施した。以来、今年は活動25周年の節目の年を迎えることができました。

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(橋パネル展_於宮交シティ)

今振り返ってみると、最初の10年間は「橋の日」という経験の無い活動を手探りしながら進めた、まさに委員会の基礎づくりの期間だったように思う。深夜、冷房の切れたデパート館内でパネル展の準備を、汗をかきながら準備したことが昨日のように思い出される。

まずは組織づくり。当時の松形宮崎県知事に賛同を得て、「新ひむかづくり運動県民会議」の会長 塩見一郎氏を当会会長に、事務局長の青井正彰氏を副会長に迎え、また宮崎大学教授 藤本廣氏に相談役をお願いした。

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(シンボルマークの選定作業)

次に「橋の日」のシンボルマークの制作。全国に公募し、305点の応募の中から標記のマークを選定。
さらに「橋の日」の歌の制作。
また平成6年には念願であった日本記念日協会から8月4日「橋の日」の認定を受けることができ、相当勇気づけられたものである。この頃より行政や団体からの物心両面にわたる支援が受けられるようになり、また地元高校からも毎年100名以上の学生の参加をいただいている。

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(ひょっとこ若芽会がイベントを盛り上げてくれた)

実行委員会では、「橋の日」を盛り上げるため、さまざまなイベントを企画し、橘橋周辺の清掃はもとより、橋への感謝を込めた献花、各界の方々にご参加いただいた橋の座談会、橋のパネル展、稚魚の放流、また歌や太鼓など、自らも楽しみながら、橋のお祭りとして賑やかに行った。

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( 橘橋と宮崎のまちづくり講演会)

11年目からは、地域に根ざした活動に力点をおいた。「邦成没後100年パネル展」では、橘橋の歴史を調べていくうちに、「初代橘橋」を架けた医師福島邦成の存在を抜きにして地域を語れないことを知った。福島邦成は、橋が宮崎市のまちづくりの原点であるとの想いで、宮崎を活性化させるために橘橋を架橋しただけでなく、大阪と宮崎を結ぶ航路の新設をしたことが分かりました。邦成の居宅が現存し、築300年を経た武家屋敷であることも知った。

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(宮崎の橋101選ポスター)

また、平成13年には宮崎県内に存在する92橋の石橋をまとめたポスターを制作し、県内の全小中学校・高校に配付した。
さらに平成15年には、「宮崎の橋101選」ポスターを製作。これは県民から応募していただいた県内の魅力ある橋、総数303橋の中から、101の橋を選定したものです。このポスター製作を通して、橋梁は全て、先人の努力と知恵、技術の賜であることを認識し、改めて地域を知り、愛するきっかけとなった。

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(橋の日サミット風景)

活動20周年を迎えた平成18年以降、地域との連携を大切にしてきた。 
兼ねてからあたためていた「橋の日サミット」を開催。全国の代表的「橋の日」活動団体を宮崎にお呼びし、パネルディスカッションを実施、盛会であった。

また、宮崎市大淀川に新設された天満橋のオープニングイベントへの参加や道路愛護活動を続ける「道守会」の皆さんと「橘橋フラワーブリッジ」イベントの共同開催、先述した福島邦成邸の移築保存運動に関わる見学会イベントへの協働参加、宮崎県との協働企画による「てげいっちゃが(宮崎弁でとってもいいですよ)宮崎の橋」ポスターの制作など、地域の団体等との協働活動に努めた。

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活動25周年の本年は、「橋を通じた地域づくりシンポジウム」を8月19日に開催、東京、福岡からも参加いただいた。
シンポジウムでは、地域づくりには永い時間と多くの人々の想いや熱意をとぎれることなく継いでいくことが大事であること、子ども達に記憶を継ぎ、夢を語れる地域づくりには、「橋」は誰にも理解しやすいテーマであること等を改めて感じ、勇気をもらった。

また、橋の歴史を振り返る中でそこには「人」がいて「夢」があって、「技術」がある。人に愛される「橋」をつくりたい、百年も残る橋をつくりたい・・・。その強い思いを地元で育て、そして生き続けて、継承していこうとする仲間達がいることを知った。

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(イベントの記念写真)
これまで、全国の「橋の日」活動団体へ、情報の提供や幟の無償提供などの活動を続けてきた結果、宮崎で生まれ育った「橋の日」運動は、全国30都道府県まで拡大した。これからもその輪が一層広がるよう努力していきたい。

現在、実行委員会メンバー40名で活動を続けているが、ここまでこられたのは、地域の団体企業・行政による支援のお陰だと深く感謝している。暖かいご支援に報いるためにも「橋の日」活動の成果を県民に発信し続けることが大切だと痛感している。

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地域の明日を思い、更に何かできないか、「橋の日」を通して、地域の魅力を伝え、地域住民との協働作業によるまちづくりにまい進し、「人と人」、「地域と地域」とのつながりを取り戻す「架け橋」になりたいと、25周年を迎え決意を新たにしているところです。

「国づくりと研修」129号 2012執筆した文章)


大淀小学校と橘橋

2013年03月06日 03時36分39秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

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創立120周年を迎えた宮崎市立大淀小学校。校歌の歌詞に「橘橋」が書かれている。
橋の名前が校歌に登場するのも珍しいのではないか。ちなみに校歌の制定は明治30年代、戦後、校歌を改正する小学校が多い中で、由緒ある校歌を連綿として歌いつづけてきた学校は、大淀小を措いて他に例をみないのではないだろうか。(同校100周年記念誌より)

ちなみに初代橘橋を架けた福島邦成翁の生家の隣接しており、曾孫の福島順一氏も卒業生である。現在の橘橋は6代目。

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大淀小学校校歌
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作詞:阪 正臣 
作曲:宮内省雅楽部

一、
つきせぬかおりの橘橋
たえせぬ流れの大淀川
とうとき所に生まれ出でて
つどうぞうれしき教えの庭

二、
としどし数添う学びの友
月々ととのう千々の設け
軒端の木立は枝葉茂り
垣根の草花いろか深し

三、
神代をうけきて栄ゆる里
里ふりあらわすこの学びや
まなべる我が友心あわせ
ほまれをかさねむ里に家に

ちなみに100年前の橘橋の写真はこちら

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ちなみに、作詞者の阪 正臣(ばん まさおみ)氏をWikipediaで調べると(安政2年3月23日(1855年5月9日) - 昭和6年(1931年)8月25日)は、 歌人、書家、古筆研究家、宮内省御歌所寄人。現在の愛知県名古屋市生まれ。

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     (旧橘橋_宮崎市)

日本の三名橋といわれた第5代目橘橋(昭和54年に現在の橋に架け替えられた)の欄干の一部が同校正門の門柱として使われている。他の萬代橋、名島橋は現存している。

Bandai

     (萬代橋_新潟市)

Najima

     (名島橋_福岡市)


5代目橘橋に使われていた石をいただきました。

2013年03月05日 05時59分44秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

宮崎市の中心部を流れる大淀川は、宮崎のまちの表情をつくっており、憩いを与えてくれる川。 その大淀川に架かる「橘橋」は明治13年に架けられてから、現在にいたるまでの130年間、たくさんの橋が架けられてきた。
その中でも5代目橘橋は、日本三大名橋ともいわれたことがあり、(現在の橋は6代目)宮崎県庁とほぼ同じ時期につくられていた。

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(第5代目の橘橋)

昭和5年4月1日着工、昭和7年4月完成。
・全長358.5m、巾16.4m、(車道10.9m、歩道2.7m)の無こう式鉄筋コンクリート橋
・外観、構造とも重厚な造り。

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参考資料2)
○第5代橘橋の建設は、橋幅の拡大、橋の高さが高くなる、用地無償提供、中村通りとの取付道路を直線に・・など問題続出でした。また、宮崎市東部において東方振興会が組織され、橘橋はより東方へ架けた方が南北を結ぶ幹線が2本になってよい、とする主張なども飛び出したりしました。

橘橋との取付けがいびつであった中村町側は、新線架設にともない直線で取付ることとなり、これにより町の最も東側の北詰の方は旅館の真中を道路が通るなど大変な騒ぎとなってしまいました。結局、一丁目だけの特別区画整理を行いました。

第5代橋の建設に際し県は、橘橋120万円、県庁舎建設80万円を国庫補助と県債での対応で考えていましたが、工費の増大などのため、さらに50万円の県債の発行を余儀なくされ、また、銀行の資金不足が深刻になった時に第5代橘橋開通式を迎え、この時銀行は開通式を利用して突然の臨時休業とし、取り付け騒ぎ防止と資金集めに奔走した、という話が残っています。

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太平洋戦争の末期、本土爆撃において、宮崎市で一番ねらわれたのは赤江の飛行場と橘橋でした。終戦間近の昭和20年7月、米軍の爆撃機が宮崎市に襲来し、橘橋を襲った。爆弾2発が橋に命中し、車道に直径5~6mもの大穴があく重傷でしたが、中詰め土砂が詰まっていて、その直後でも車が通れる程、びくともしなかったと言われています。
(橘橋の頑強さを物語る話として有名)

※資料は、国土交通省宮崎河川国道事務所のホームページより転載

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(昭和41年の市役所前で泳ぐ子ども達)

第5代目の橘橋が取り壊される前に、橋へのお別れ会が開催され1,000人が集まったといわれています。

 

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(お別れ会の参加記念のスタンプ)

宮崎の橋や橘橋について、これまで3回写真展を開催し、その当時の町の様子などを紹介してきた。
そしてこの程、思いよらぬプレゼントがあった。

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それは5代目橘橋の一部。橋途中にあった水飲み場のものらしい。
もう30年以上前のものだが、奇跡的に残されていた。いずれは何かの形で披露したい。


映像で見る時代を彩ったアイドルたち【70~80年代】

2013年03月04日 06時45分03秒 | アコースティックライブと音楽

南沙織 小柳ルミ子 天地真理 アグネス・チャン 麻丘めぐみ 浅田美代子 あべ静江 安西マリア キャンディーズ 桜田淳子 森昌子 太田裕美 木之内みどり・・あれから年。


★諸事情で削除される場合がございます。その際は、ごめんなさい。


「元気の出前」が届きました。

2013年03月03日 11時08分25秒 | 自分を磨きましょう

デフレと言われて久しい今日、「元気」というテーマにつられて研修会に参加した。
講師は、中川政雄氏。1942年(昭和17年)7月21日大阪府八尾市生まれ。
地元の信用金庫に入庫し、1971年28歳の若さで支店長に抜擢され、以来7ヶ店の支店長として第一線で活躍。不振店舗を次から次へと優秀店舗に仕上げる。常務理事などを経て、2002年退社し、オフィス・なかがわを設立し、全国で講演活動を行なっている。

大きな体、大きく通る元気な声、村田英雄(古い?)似の方だ。40歳から2年間学んだという漫才の軽妙な「間」の取り方や話のリズムで始終笑いを誘った。

講演では、ここ50年間の日本経済の動きから、以前の経験だけでは生き残れないことなどを聞いた。時代は180度変わっており、その変化についていけているか?自立しているのかと問いかけられた。新しい価値観が必要なことを学んだ。

モノ余りの現代、消費者は人と同じものを欲しがらない。また各メーカー商品は、どこの店でも大差はない。従って消費者のもとに売りにいかなければ売れないなど、現在はいかに商品の良さを伝えていくか、「あの人に、あの会社に相談にのってもらおう」を思われることが重要だ。いい商品が売れるとは限らない、しかしよく売れている商品はいいものという考え方も新鮮に聞こえた。どれだけ「お客様」の気持ちをいただけるか。みんな同じような商品、その中で自社の商品を伝えるには「情報」+「情熱」が必要。
セールスについても、28分が雑談、2分がビジネス。居留守を使われるか、応援してあげよか・・もその人次第だ。
講演の中で聞いた「吸啄同時(そったくどうじ)」の四字熟語。またとない機会をつくれるか。つくる努力が大切だと感じた。

自分自身はエリートでは全くないけれど、妙なエリート意識を少なからずもっており、バカバカしいことはできない・・やる前から理論で考えてしまうけれど、「やってみないとわからない」1回やってダメなら2回、3回。5回やってダメだったらやり方を考える。そんな粘り強い挑戦する気持ちが大切。知らないうちに「どうせ」という気持ちが生まれやすい、しかし、やってみないと誰にもわからないと改めて感じた。

遅れ咲きの冬の花 土の下で根を太らす」人知れず積み上げていく努力の大切さを天童よしみの26年の下積み生活などを通して話してくれた。

部下に対する指導についても、ひとことの大切さを力説された。「この人についていこう」と思えるリーダー、その一言がうれしくてついていこうと思える言葉がけ。教えすぎると部下の自主性が損なわれるので、リーダーは忍耐力を持って育てる。そして上司がいつも自分を見てくれているという、心と心の通じ合いが重要だと氏は説く。そして部下のちいさなエンジンを育て、一つづつ本気させながら、参画意識を高めることも必要。中川氏は先輩に恵まれ、良い出会いをたくさんされたようである。やはり人間は出会いである。

「知恵」「勇気」「独自性」「奇抜性」で勝つのだという氏の心意気にも感じ入った。中川氏は70歳。気持ちも若くエネルギッシュ。自分で自分の限界を決めるのはまだ早い・・。頑張っていこう!

最後に、氏の語録の一部を紹介したい。

・「これからが人生だ
  現役時代は、退任後に活躍する為のキャンプである
  大切なことは、定年後をどう生き生きと生きるかである

・「感動が若さを生む
  一日一回は感動しよう。一日一回はおなかを抱えて笑おう
  感動は若さを生み、活力を生む
  少しばかりの心配と、少しばかりの喜びと、少しばかりの感動と、少しばかりの夢と少しばかりのお金があれば人生最高である。

・「人生二毛作
  自分という人生の土壌に、二回まったく違う花を咲かせよう