晴天に恵まれた24日(日)定例ライブを行った。このライブは毎月第2日曜日は、クラッシックコンサート。第4日曜日にはフォークソングと、月2回のペースで開催している。入場は無料。会場は、フローランテ宮崎に隣接する英国式庭園内ガーデンハウス。上記写真は、会場入口の写真。道路沿いにあるが、通り過ぎてしまうような場所だ。
ガーデンハウスは、1999年に宮崎で開催された「グリーン博」で英国式庭園の一部として建設されたもので、外観はイギリスから取り寄せたと聞いた。
庭園の風景の一部としてつくられたもので、グリーン博終了後、取り壊しの予定が、市民運動により残されたという。
今回のライブは、春、卒業シーズンを控えて、旅立ちや卒業というテーマで選曲した。
①月にてらされて 作詞:荒井由実 作曲・編曲:松任谷正隆
②なごり雪 作詞・作曲 伊勢正三
③いい日旅立ち 作詞・作曲 谷村新司
④卒業写真 作詞・作曲 荒井由実
⑤永遠のBLUE 作詞・作曲 鶴羽 浩
⑥海岸通り 作詞・作曲 伊勢正三
⑦翼をください 作詞 山下路夫 作曲 村井邦彦
昨年の4月から参加して、もうすぐ1年。いろんな楽曲を季節に合わせて演奏している。
今月は、篠笛奏者の押川恭子さんが参加。
①春雨
②笛吹き童子
③思いでのスカイラインの3曲を演奏していただいた。篠笛の優しい音色が心地よく響いた。
ステージ最後を締めくくったのは厚地哲夫さん。あたたかい心が伝わってくるステージ。
毎月奥様も同伴され、プログラムを配布等、来場されたお客様を気遣っていただいている。感謝。
来月のライブを楽しみに頑張っていきたい。
長女がアメリカに卒業旅行で遊びに行き、お土産にポストカードを買ってきてくれた。
さて、ブルックリンブリッジといえば、アメリカの橋の中では一番魅力的な橋だ。(多くは知らない私ですが)
で、ウィキペディアから転載し、紹介に代えたいと思う。
マンハッタン島から南東方向に向かって伸びており、マンハッタン橋と並ぶように位置している。
イースト川(East River)の上に架かっており、長さは1,834m、中央径間は486m。もともとの名称は“ニューヨーク-ブルックリン橋”といった。
米国でもっとも古い吊り橋の一つであり、同時に鋼鉄のワイヤーを使った世界初の吊橋でもある。
14年の歳月をかけて1883年に竣工・完成した。同年5月24日に開通し、開通初日には15万人もの人がこの橋を渡った。
この橋は 2層に分かれており、現在でも上層は人や自転車が歩いて渡ることができる。
下層は片側3車線の車道である。ブルックリン橋はゴシック風のデザインともあいまってニューヨークの観光名所のひとつになっており、休日にはよく橋の上をランニングする人々を見ることができる。
1903年に上流のウィリアムズバーグ橋ができるまで世界最長。
なお、マンハッタンからイーストリバー下流にかかる3本の吊り橋の順序は、下流(南)からBMW(Brooklyn, Manhattan, Williamsburg)と記憶するという方法がある。
熊本側「矢岳越え」は、トンネルのほか、山裾から山を回るように登るループ線や、ジグザグに山を登るスイッチバックで電車が山を越えていく。吉松駅から肥薩線で最も標高が高い矢岳駅(536.9m)に向かうと、霧島連山、麓の盆地の風景、遠くは桜島までの眺望が、次第に高度を上げる車窓から大パノラマのように広がっている。
鉄道ファンのみならず、移り変わる車窓風景を楽しめる日本三大車窓のひとつとして観光客を集めている。
えびの市の矢岳第一トンネル(矢岳方)を訪ねた。くわしい地図が無く、村人に聞きながらようやく入口にだどりついた。最初は川かと思ったが、トンネル内やトンネル周辺から、湧き出た水であることが後で分かった。
急こう配の山。道は無く、ようやく線路まで辿りついた。
熊本~鹿児島両県の県境近く、矢岳山を抜ける矢岳第一トンネルは、矢岳駅と真幸駅の間にあり、JR九州肥薩線の中で最も長いトンネル(全長2,096.17メートル)。険しい山岳地帯を抜ける難工事が伝えられている。平成21年に土木学会選奨土木遺産に認定されている。
人吉駅(熊本県)から吉松駅(鹿児島県)までの区間は、「矢岳越え」と呼ばれる難所。
矢岳を貫通する工事も水分の多い凝灰岩の地層では激しい水分に見舞われ、熊本側からはトンネル全体が1,000分の25の急な下り傾斜となる難しい工事だったと言われている。
工事には多くの殉職者を出した。また湧水の激しさを物語る記録には、建設材料を運搬する馬が転倒し、助けるいとまもなく流されてしまったことなどがある。こうした難工事であったにもかかわらず、作業員の昼夜の努カによって明治39年9月の看工後、明治41年には員通、明治42年11月21日の開業期目に完成。
トンネルの入口には、熊本県側に当時の逓信大臣、山県伊三郎氏の「天険若夷(てんけんじゃくし、)」、宮崎県側に鉄道院総裁、後藤新平の「引重致遠(いんじゅうちえん)」の石額がはめ込まれており、難工事を克服した喜びが記されている。
言葉をつなげて読むことで、「天下の難所を(トンネルによって)平地であるかのようにしたおかげで、重い貨物を遠くへ運ぶことができる」という意味になっている。この2人の名前は、この区間を運行している観光列車「いさぶろう」、「しんぺい」にも使われている。
トンネルの入り口(えびの側)下は暗渠となっているが、石組みで美しく整備されている。その外、見えないところにもデザイン的な配慮がなされていた。
旅の記念にカメラのキタムラでフォトブックをつくった。写真のように冊にまとめると感慨深いものだ。
今回で回目となるフォトブック作成。ネットで注文。ネット上で写真の配置やサイズが変更できるのでとても便利だ。今回は断ち切りという手法をつかって、紙面いっぱいに写真を配置して、写真のスケール感を出した。
我ながら・・満足。A5サイズでページの本。2300円で完成。
後半ページに働く家族特集ページをつくった。
それは、今回旅行にいけなった妻や三女も掲載したもので、楽しい1冊に仕上げた。2月5日、母へと送った
(朝10時、大会準備は順調に進んでいる)
私の所属するアスリートタウンのべおかは、延岡西日本マラソン大会を毎年支援している。 会から資金を提供してうどんコーナーを支援したり、選手を撮影して即日無料で配布している
今年も選手の撮影を担当した。
大会は今年で回目を迎えるが、毎年盛大になっていく。地元テレビ局であるUMKテレビ宮崎の力により、九州管内のテレビ局で放映されるようになり、参加選手も増えてきた。
NATS(延岡アスリートタウンサポーターズ)によるうどんの提供。会から資金を出して、無料で選手に提供している。 NATSは、この他にもたくさんの活動を通して、まちづくりを支援している。
スタートを待つ選手達。緊張の瞬間
先頭集団。力強い走り。同級生の娘さんが白バイ隊で伴走していた。
大型モニターが準備され、リアルタイムに伝えられている。こちらもNECさんやスバルさんというスポンサーがついているお陰かもしれない。企業の社会貢献は、まちづくりには欠かせないと感じる。
初マラソンで優秀した佐野選手(ホンダ)歓喜のゴールシーン。記録は、速報タイムで時間分秒。
結果は次の通り
1位 佐野選手(ホンダ)
2位 黒崎選手(コニカミノルタ)
3位 平山選手(安川電機)
4位 清水選手(ヤクルト)
5位 松本選手(DREAM)
最後までデッドヒートが繰り広げられ、1位から4位が初マラソンというまさに新人の登竜門というレース。
また、ふるさと招待選手の松本選手が位入賞。
入賞された選手の皆さん。おめでとうございます
母との旅行を毎年企画している。今年は、家族にとって願いごとの多い年になることから、「三社巡り」の旅と題して、旅をした。
月日(金)午後5時50分、宮崎発の高速バス「トラポータライン」に乗り(往復で3,998円と安くバスもキレイ)、次女とともに長女の住む福岡へ向かう。午後10時45分、博多駅着。
長女のマンションで仮眠。午前時、岡山へ出発。天気予報では曇りのち・・。なんとか晴れて欲しい。
午前時、山口県防府市にある佐波川SAで朝食。牛丼で元気をつけて、出発。
途中、高速道の事故により渋滞に巻き込まれたが、予定より5分遅れて、目的地である岡山県笠岡市に到着。1年半ぶりの会う母は、11年ぶりに会う孫の成長した姿に目を細めた。
一路、世界遺産「安芸の宮島」・「厳島神社」のある広島県廿日市市(はつかいちし)へ。午後時、神社へ向かうフェリーターミナル に到着。
ターミナル内の売店で広島産かきクリームコロッケを食べる。美味。
朝、母が自宅近くの竹林でとってきた笹の葉に包んだいなり寿司。3個づつ、4人分ラッピングされており、こちらにも感動
「宮島」までkmの海上を分で結ぶJR宮島フェリー。景色も楽しむ。
宮島へ到着。ここで記念撮影。
ここ宮島は、昨年放映されたNHK大河ドラマ「清盛」の影響もあり、感慨深い。
時代の変革者として描かれていた清盛。この厳島神社からもその活躍を想像できる。
この海の中に建つ大鳥居は宮島のシンボル。この大鳥居の根元は海底深く埋められているわけではなく、自分の重みだけで建っている。この大鳥居は、平安時代から数えて代目のもので、1875(明治)年に完成したもの。
(反橋)
かつては重要な祭事の際、勅使がこの橋を渡って本社内に入ったことから別名・勅使橋(ちょくしばし)とも呼ばれていた。現在の橋は、弘治3年(1557年)に毛利元就・隆元父子によって再建されたもので、擬宝珠の一つに刻銘が残っている。
月日(日)、午前8時30分。母の体調を考えて予定変更、昼から予定していた太宰府天満宮へと向かう。
太宰府といえば、梅ヶ枝餅(うめがえもち、うめがやもち)。参道沿いのお店で抹茶といっしょにいただく。
お店の庭で記念撮影。脚が長く見える
参道は洗練された店が立ち並んでいる。その中でもひときわ目を引いたのがスターバックスコーヒー。景観に合わせた店づくりが魅力的だ。
(境内のつの橋について)
大宰府天満宮の境内にある「心」の文字をかたどったと云われる心字池に架かる橋。
心字池には、太鼓橋・平橋・太鼓橋の順に3つの橋が架けられている。この3つの橋は、仏教思想の過去・現在・未来という三世一念を表現しているそうで、この橋を渡ると心身ともに清められるといわれている。 しかし人間は、どうしても罪を犯してしまうため、人間本来の清らかな姿勢に立ち返るため、水でお祓いを受けたあとにこの橋を渡らなければならないそうだ。
いよいよ見えてきた・・・。
小さな橋を渡る。これまで見た橋の中では最小・・。記念にぱちり
写真右の飛梅は、樹齢年を超えるとされる白梅で、太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるとされている。
2月3日は節分。参拝の途中、「節分厄除祈願大祭」が斎行されており、絶妙なタイミングで参加することができた。また鬼を払って福を招き入れる「豆まき神事」にも参加し、思い出深いものになった
高齢の母を気づかい後方に陣取る。ここが、絶好の撮影ポイント。 宙を舞う「豆」を撮影することができた。
社目は、博多駅の近くにある住吉神社。神社の歴史はおよそ年以上前に遡り、全国に2,129社ある住吉神社の中でも、最初の神社と云われており、古書にも神社のことを「住吉本社」「日本第一住吉宮」などと記されているとのことだ。
境内の様子。ワゴンの代わりに舟形の陳列ケース。珍しさに思わず一枚
節分祭では、黄金4つ目の「方相氏(ほうそうし)」が盾と矛を持ち、悪疫に霊験があるといわれる「桃の弓」「葦の矢」を以て鬼を追い払う、除災招福の追儺(おにやらい)の神事が執り行われる。その後、豆撒き行事が神楽殿にて行われた。
この神社でも絶妙なタイミングで節分祭に参加
当初予定していなかったつの節分祭へ参加でき、楽しい思い出ができた。母にとても喜んでもらえた。天候にも恵まれ、本当に楽しい日間だった。
本来なら、若い頃から親孝行をしておきたいところ・・。を過ぎてやっと、できるようになった。時間的にも経済的にも、精神的にもゆとりがなった・・。今でもゆとりがあるとは、言えないが気づいた時に始めてよかったと思っている。
2月3日(日)節分。福岡県の太宰府を合わせ、3社巡りをした。
節分の行事のため、たくさんの老若男女が太宰府を訪れていた。
2月3日の節分にあわせ「節分厄除祈願大祭」が斎行され、節分当日には鬼を払って福を招き入れる「豆まき神事」が行われた。
御神木「飛梅(とびうめ)」が咲いていた。「東風吹かば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ」道真公を慕って、都から一夜にして飛んできたと伝えられる由縁の御神木。
歴史を感じる神殿。
博多駅そばの住吉神社。こちらでも節分の行事が行われた。
辺りは、オフィスビルが立ち並ぶ中、静寂で荘厳な雰囲気を醸し出す神社の杜。
見上げた空の青さと立ち並ぶビルとのアンバランス。
豆まき行事が行われた神楽殿
2月2日(土)広島県廿日市にある宮島にある厳島神社を訪れた。 一日前までは曇りのち晴れの予報だったが、朝から晴天に恵まれた。
飛行機雲が、まっすぐ伸びて気持ちいい・・
雲と青空のコントラストが綺麗だ。
石でつくられた大鳥居は見上げる程大きく太い。
空を舞う鳥たちが、空にアクセントを与える。
不思議な形の雲。同じカタチの雲は無い。この不思議・・。
1千年以上もの間、ここでどんな景色や物語が綴られてきたのだろうか・・。
海の中に建つ大鳥居は宮島のシンボル。実はこの大鳥居の根元は海底深く埋められているわけではなく、自分の重みだけで建っている。