あしたのたね育てていますか、ブログ「アシタネ」

未来への不安もあるけれど、夢や希望のタネを見つけ育てていきたい・・・。
日常の出来事や感じたことなどを発信しています。

i-phoneで初めての動画作成!

2015年07月25日 11時27分34秒 | ある日の出来事

7月19日(土)自主研修のため訪れた東京。1日目の研修後、三女と品川プリンスホテルに隣接するエプソンアクアパークへ行き、感動的なイルカーショーなどを堪能。

その様子をi-phone+6で撮影し、記念にと附属のアプリで編集後、YouTubeにアップロード。無料のアプリなので、細かい調整はできないものの、できる範囲で作り上げた作品。

これからも、スライドショーなどつくっていけたらいいな♫

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「記念日文化功労賞」を受賞しました。

2015年07月20日 21時16分00秒 | 「橋の日」活動


(7回目の受賞で7月7日って、ゾロ目)

毎年8月4日「橋の日」の記念行事実施とともに、全国への情報発信及び活動支援等を行ってきましたが、このたび全国47都道府県で記念行事等が実施されることとなり、これらの活動に対しまして、今月7日、(一社)日本記念日協会から「記念日文化功労賞」を受賞しました。

 
(左より私、提唱者の湯浅氏、「橋の日」実行委員会、日高会長)

記念日文化功労賞とは、(一社)日本記念日協会が、記念日文化の発展に貢献した団体・企業・個人などを讃えるもので、現在、同協会が認定している記念日の数は、約1,100 件です。過去、第1号 JUJU、第2号 野沢温泉観光協会、第3号 (株)メリーチョコレートカムパニー、第4号 川上産業株式会社、第5号 「親子の日」普及推進委員会、第6号 井村屋グループ株式会社が受賞しています。

暑い夏、第一回の橋の日が延岡市で開催されましたが、それから休まず参加して、30年。26年前から事務局として参加してきましたが、本当に早かったと思います。
まだ実感が湧きませんが、一つの区切りとして、仲間のひとりとしてやり遂げたという気持ちが少しづつ感じています。

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転機:娘が学校へいかないという・・・。(2)

2015年07月18日 07時57分55秒 | 家族・仲間の話題

私自身も小学生5年生の春、ある事件がきっかけでいじめに遭った。最初に先生が「このクラスの中にその事件を起こした人がいる」と発言。昼休み時間に、クラス内で犯人捜しが始まった。とてもやりきれなかった。いつかはわかること、そして自分自身のことでクラスがおかしくなるのを避けたかったので、「それはボクだ」と声を上げた。それからクラスのメンバーがほとんどの態度が変わった。私の弁解も聞かずに、一方的に差別を受けた、言葉による暴力を受けた。

本当に苦しかった。親には言えず、じっとこらえていた。そして、いじめられていることは、親には言えないものだと、心から思った。それは愛してくれている親を心配させるから・・・。なんとか自分の中で解決しようと。だから、いじめによるつらさは、わかっているつもりだ。

5月のある日、村の教育委員会を訪問した。これまでの経緯を話し、入学の条件などを聞いた。島の見学をすることになったが、仕事の都合で娘を置いて宮崎に帰ることになった。その日は、教育委員会の職員の自宅へ娘が泊りお世話になった。職員の方の家では、家族同様に接してもらった。

翌日、船にて中学校を訪れ見学した娘が、入学することにしたと帰ってきた。早速、その日の週末、妻と次女、祖母と三女とともに、生活に必要な品物を準備して、島に渡った。
島は、鹿児島県薩摩(さつま)半島の南方沖50kmに浮かぶ火山島。鹿児島港から約4時間で島につく。島は12km2 120人の住民がいる。

鹿児島県では、過疎化を防ぐ意味からも、県内の離島の小中学校で潮風留学制度がおこなわれている。お世話になる三島小中学校は、当時35名おり、県外から20名の児童生徒を、里親が各戸1~2名預かっていた。迎えてくれた村の人たち。

島の生活が過ぎて1ヶ月。自宅への手紙も届くようになった。半年後には、生徒会の副会長になったとか、図書館の本をたくさん読んでいるなどの話が聞かれるようになった。小学生の面倒も見るのが楽しく将来は保育士になりたいという夢も話してくれた。

その後、1年がたち、島を訪れることにした。島に訪問した際、約束だよと娘から「どんな人にも、あいさつをきちんとしてね」という言葉から成長を感じた。部活度の積極的に参加し、音楽発表会ではイキイキと演奏する娘をうれしく思った。

それから、卒業を控えた6ヶ月前から、帰りたいとの話を聞くようになった。保育士の話は、子供たちを平等に見てあげることができないと思ったからという。
電話で何度も説得しながら、引き留めた。理由のひとつは、しつけが厳しい里親への不満だった。遊びたい盛りの中学生に、厳しい環境だったかも知れない。しかし、子どもを自立させたい、良い子に育って欲しいという里親の気持ちは、有り難かった。育ち盛りの子ども、ちいさな駄菓子店がある環境。プライベイトの無い生活。親には言えない悩みもたくさんあっただろう。しかし、そんな悩みを乗り越え卒業。高校へと進学した。

振り返ると、友人、知人、行政機関、学校、里親が一体となって支援したこの制度。教育の外注と揶揄されることもあったが、娘にとっては貴重な人生の時間だったと思う。親としても、反省すること、学んだことの多かった時間。子どもとともに、親も育っているのだと思う。 (終わり)

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転機:娘が学校へいかないという・・・。(1)

2015年07月11日 08時54分09秒 | 家族・仲間の話題

今から10年程前、子どもが朝「お腹が痛い」と言うようになった。病院に連れて行くと、成長痛だと診断。
そのうち症状も緩和すると思い、見守っていた。それから1年あまりが経ち、少しは緩和されるも時折、朝の訴えは続いた。
今思うと、その頃から学校生活の違和感を感じ始めていたのだろう。その時期は、仕事も忙しく一緒に遊ぶことが少ない数年だったように思う。

中学校2年生になった春。他のクラブで移籍したいという。理由は、先生と馬が合わないとのこと。話を聞いた後、自分で話しをつけるように具体的な進め方を教えて、諭した。その後、他クラブへ移籍。

それから1ヶ月もしない内に、携帯で悪口を書かれるようになったとのこと。うざいとキモイという文面だったとのこと。しばらく辛抱するように話した。理由は、いつまでも続くものではないし、すぐに判断するより、状況を見る必要があると感じたからだ。
それから数日、「お父さんもう限界じゃわ。学校にはいかない」と娘。

私は、「それなら学校行かんでいいよ。学校がすべてではない」と話した。娘が耐えていることがわかっていたので、それ以上頑張る必要はないと感じたからだ。1週間程して、たぶんもうこの学校にはいかないだろうと感じた。それは理屈ではなく、直感的というしかない。家に居てすることもないことの限界もある。また嫁も気持ちが落ち込んでいく。このままで家族が崩壊すると危機に感じた。何か手を打たないといけない。そこで以前テレビで観た山村留学について考えた。自分の娘を他人に預けるなんて・・とは思ったが、背に腹は替えられない。

そして翌日、娘に「せめて中学校くらいは出ていないと後々苦労するよ。他の中学校へ行くか?山村留学という制度もあると聞いたよ。」と話した。それから数日して娘は、鹿児島の潮風留学制度があることをインターネットを通じて調べてきた。潮風留学とは、鹿児島県の離島の里親が、小中学生を受け入れて育てる制度で、県市町村も支援している制度だ。娘も新しい環境と海に囲まれた生活へ希望を見いだしているように見えた。

親子で中学校を数日かけて選んだ。そして、留学先を鹿児島県三島村に絞り、休みと取って娘と鹿児島市内にある三島村役場へと出掛けた。(続く)

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