あしたのタネをまく、アシタネブログ!

今日よりちょっといい、明日にしませんか

世界最古の鋳鉄橋・アイアンブリッジ、1779年完成

2011年08月30日 21時00分28秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!



イギリスの中南部の工業都市バーミンガム、そこから西へ約60キロメートル、セバーン川が流れる渓谷に世界最古の鉄の橋「アイアンブリッジ」がある。地名もまたアイアンブリッジである。一帯は産業遺産の宝庫で、シンボルのアイアンブリッジの他、溶鉱炉跡や鉱山の坑道、インクラインなど多数の遺構がある。また、ブリスツヒル野外博物館、コールポート陶器博物館など6つの博物館を総合して、アイアンブリッジ峡谷博物館と呼ばれている。 イギリスを歩いているといくつかの産業革命発祥の地に出会う。それは、製鉄、製鋼、紡績とそれぞれの産業分野毎にわが地が歴史に名を残すと主張しているからである。ここアイアンブリッジはその名が示すように製鉄技術革新の地であった。



橋の設計は建築家のトーマス・プリチャード、建設はダービー三世が指揮し、彼のコールブルック製鉄所の鋳鉄約320トンを使用して1779年に橋は完成した。
 ところでアイアンブリッジの構造に注目してみよう。現在一般に見られる鋼鉄橋とは違い、アーチ形をしているのがわかる。それは、材料が鋼ではなく鋳鉄であるからである。



鋳鉄(鋳物)は、鋼と違い、引張力や曲げには弱く、圧縮力には強い性質がある。それで圧縮力に強い構造、石橋と同様にアーチ形の構造となったのである。

(石田正治さんより・愛知県立豊橋工業高等学校教諭)


栄光の架け橋(ゆず)

2011年08月28日 22時50分37秒 | アコースティックライブと音楽

今月始めにエフエム宮崎に出演した際、エンディングにかけていただいた曲。
橋の向こうへ・・終わらない旅へ・また一歩。頑張りましょう!

 誰にも見せない泪(ナミダ)があった
 人知れず流した泪があった
 決して平らな道ではなかった
 けれど確かに歩んで来た道だ
 あの時想い描いた夢の途中に今も
 何度も何度もあきらめかけた夢の途中

 いくつもの日々を越えて 辿り着いた今がある
 だからもう迷わずに進めばいい
 栄光の架橋へと…

 悔しくて眠れなかった夜があった
 恐くて震えていた夜があった
 もう駄目だと全てが嫌になって
 逃げ出そうとした時も
 想い出せばこうしてたくさんの
 支えの中で歩いて来た

 悲しみや苦しみの先に それぞれの光がある
 さあ行こう 振り返らず走り出せばいい
 希望に満ちた空へ…


 誰にも見せない泪があった
 人知れず流した泪があった

 いくつもの日々を越えて
 辿り着いた今がある
 だからもう迷わずに進めばいい
 栄光の架橋へと…
 終わらないその旅へと
 君の心へ続く架橋へと…



★諸事情で削除される場合がございます。その際は、ごめんなさい<(_ _)>

沈下橋「口屋内橋(くちやないばし)」は危機的状況に

2011年08月24日 20時16分23秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!




口屋内橋(くちやないばし)高知県四万十市<長さ241.3m、幅5.6m、1955年架橋>
下流域の沈下橋の多くが、鋼やコンクリートの杭を橋脚にしていますが、この橋は川底から直接コンクリートの橋脚を立ち上げています。

沈下橋の橋桁は、角が丸く作られているのが特徴です。これは川が増水して橋が水没したとき、少しでも水の抵抗を減らして橋の流失を防ぐためです。
口屋内橋の場合は橋脚も丸みがあるため、無骨でありながら、優しい印象を残します。
特にこの橋の橋桁は、厚さが変化する変断面になっており、「アールヌーボーの沈下橋」と呼ばれることもあります。美しい橋です。
しかし、現在は口屋内沈下橋が落ちそうになっています。なんとか復元してもらいたものです。

(沈下橋とは・・)
 清流に架かる欄干のない「沈下橋」は、大雨などの増水時には水中に沈み、流れてくる流木などによって橋が壊れることを末然に防ぐという暮らしの知恵から生まれた素朴な橋です。周囲の自然とマッチして清流のシンボルとなっている沈下橋の風景は多くの人に愛されています。


日本三奇橋のひとつ「猿橋(さるはし)」

2011年08月23日 19時58分40秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!

山梨県大月市にある橋(1932年(昭和7年)国指定名勝に指定)で、長さ31メートル、幅3.3メートル、水面からの高さ31メートル、崖の下には桂川が流れています。
 現在の橋は、昭和59年に復元されたもので、橋脚を使わず、棟と桁(けた)を何段も重ねて両岸の崖からせり出させてかけ渡してあります。
橋の建造は古く西暦610年。 1400年も前に高さ30mに造った当時の技術は圧巻です。



(猿橋の名前の由来)
今から1400年ほど前の推古天皇の時代に、百済(くだら)の人がやってきて、白い猿の群れが藤蔓(ふじつる)で川を渡るのを見てこの場所に橋を架けたことにちなんで名付けたという伝説に由来しているそうです。



写真は、「橋の日スケッチ大会」の様子。橋のそばにある旅館「大黒屋」(橋の日お世話役)のご主人からいただいた写真。


早いもので、ブログ開設1周年。おめでとう♪

2011年08月21日 20時49分14秒 | ブログの12年のあゆみ

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(ニューヨークのブルックリン橋)

ブログ開設1周年。よく続けられたと思う。読者の皆様ありがとうございます。
何か1周年の記念になることはないか・・と考えていましたが・・。
そしてこの度、1周年を記念して、ジャンジャカ.ジャーン♪新ブログを開設しました。その名も「日本、そして世界へ「橋めぐり」」。

アドレスは、http://bridge.no-blog.jp/→現在は閉鎖。本ブログと統合!

二度目のジャン・ジャカ・ジャーンヾ(^ω^*)こりゃいいわ・・と自画自賛。
何でブログ1周年のお祝いがブログなのか・・。
本人にもよくわかっていませんが・・たぶんこれは勢いなのだと思う。

これまで渡った橋やこれから出合う橋を紹介するブログ 9月には娘に会いのついでに「隅田川に架かる橋めぐり」を予定しており、こちらも紹介します。そう、橋の美しさや楽しさを伝えていきたいと考えているところです。

今回のブログも、全国・世界のどこからでも簡単に更新ができるようブログの管理がしやすいものを選んで、橋ファンの方がいらっしゃれば共同で運営できればとの想いも・・。

全世界の橋ファンに参加いただき、たくさんの橋を紹介しあえると楽しいだろうなぁ~と夢見ています(^_-)
娘から、ニューヨークのブルックリン橋の撮影をしてくれるとのこと・・。楽しみにお待ちください。


福島邸解体前のお別れイベントに参加

2011年08月21日 17時47分25秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
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8月21日(日)午前11時より、初代橘橋を架けた福島邦成の住んだ福島邸へ行った。
今日から解体工事が始まるのに合わせ、家のシンボルとも言うべき、「鬼瓦」の取り外しを福島邸のお別れイベントとして催したものだ。


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平屋建てではあるが、屋根に登ってみると高い・・。マンションの2階よりも高かった。
近くで見る鬼瓦は、美しく重厚に感じた。ちなみに鬼瓦を調べてみると「鬼瓦は建物のシンボルで、また古くから棟端を神聖な霊所として守護してもらう事を目的に据え、厄災よけのデザインや、家紋を入れるもの、鬼の面を形どったものなどがある。また鬼の面でないものも鬼瓦と呼ぶ。」と書かれていた。

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(現、当主福島氏と関係者による取り外しの様子)
福島邦成について、知ったのは21年前。これまで福島邸にあった「福沢諭吉」の額をなんでも鑑定団に出品させていただいたこともあった・・。幾度かこの家でお酒を酌み交わしたこともあった。お別れ見学会では、「橘橋と福島邦成」の紙芝居を上映した。
思えばあっという間だ。



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(このように組み合わせれているんですね)
いくつ「橋渡し」しただろう、そしてどれくらい「橋渡し」されただろう・・。
さまざまな方々との出会いの中で、志をもって生きていくこと、故郷を大切に思うこと。そして仕事やさまざまな活動を通して、地域や人にできること・・。よく考えていくことが大切なことを改めて考えさせられた。




一番美しい石橋「西田橋」

2011年08月21日 09時52分25秒 | 旅、風景写真

 



九州街道の道筋にあって参勤交代の列が通った西田橋は、城下の玄関口として藩の威光を誇示した橋で、岩永三五郎の代表作。石橋への架け替えの際にも、由緒ある橋として木橋時代の青銅製擬宝珠をそのまま使い、丸柱の精巧な高欄とするなど、他の4橋に比べて約3倍もの建設費がかけられたと言われています。



1846年(弘化3年)架設。橋長:49.5m・橋幅: 6.2m。4連アーチ橋。県指定有形文化財。
1993年(平成5年)8月6日の鹿児島大水害(8・6水害)によって新上橋と武之橋が流出。その後、結局残りの3橋を2,000年(平成12年)に開園した石橋記念公園に、玉江橋、西田橋、高麗橋が移設保存されています。



何度見ても、その美しさに打たれます。この写真は2010年10月に訪問時に撮影したものです。
桜島のある風景に、みごとにマッチしています。

 

この石橋公園には、たくさんの資料が展示してあり、半日ゆっくり過ごすことができます。
ぜひぜひ訪れてくださいね!


橋を通じた地域づくりシンポジウム盛会のうちに終了

2011年08月21日 08時03分45秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
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橋を通じた地域づくりシンポジウム」が19日、320名の参加者を迎え盛会のうちに終了しました。このイベントは、宮崎「橋の日」実行委員会が活動25周年を迎えたのを記念に企画したものです。ご支援・ご声援いただいた皆様ありがとうございました。


東京の「日本橋」は、石橋として架橋100周年。福岡の「名島橋」は、昨年喜寿(77歳)。夢見橋」のある日南市は、今年から「橋の日」をスタート。そして地元「橘橋」は初代橘橋を架けた福島邦成の居宅であった築300年の福島邸の移築が決まったばかりと、各講演者ともタイムリーな話題でした。
当日のアンケートの一部を紹介して、報告とさせていただきます。


○地域づくりには長大な時間と、多くの人々の想いや熱意を途切れることなく継いでいくことが大事だと思います。子ども達に記憶を継ぎ、夢を語れる地域づくりに「橋」は理解しやすいテーマであると感じました。


○名橋「日本橋」保存会の高速道路(高架橋)の移設という途方もない計画に息の長い活動(高速道路開通直後から)と巨額の事業費にひるむ事なく行政だけに頼るのではなく、自ら調達しようとする気迫に感銘しました。


○名島橋が残っていることがすばらしい。特に当時の技術力又、現代にマッチしたデザインに感銘した。宮崎も橘橋(アーチ橋)が残っていないのは、今となると残念である。学生時代によく利用した橋であるが、当時は何も考えずに利用していたのがなつかしく思える。


○女性の参加者が少ない


○地域に親しまれている橋が多いことに関心した。身近な橋についても歴史を調べると面白いかもしれない。


○高校生や大学生がシンポジウムに参加するよう、学校等に呼びかけてもっと若い人に橋と地域に関して興味をもってもらうよう工夫していただけたら良いと思います。


○夢見橋が土木学会デザイン賞優秀賞になった事は素晴らしいと思った。


○「地域づくり」について考えさせられた。いい機会だった。


○橋づくり、まちづくり等においては、官民協働はもとより、地域の"おもい"が大事で、その過程(プロセス)が大切であるとわかった。


○橋の日が思った程住民に浸透していないのではないか、もう少しPRが必要ではないかと思った。






龍馬も渡ったかも・・長崎眼鏡橋

2011年08月15日 20時59分35秒 | 旅、風景写真

我国最古の石造アーチ橋、長崎市の眼鏡橋。



(5月に長崎市の亀山社中を見学に行った際に撮影した一枚)

1634年に興福寺唐僧子禅師(とうそうもくしぜんし)によって架設されました。川面に写るその姿から「めがね橋」 と親しまれてきた橋です。1960年に国の重要文化財に指定されました。 長崎の石橋のなかで本物の石橋は、このめがね橋と「桃渓橋」と「袋橋」のみです。



・形式:1連の石造アーチ
・橋長:22m
・橋幅:3.65m
・橋高:5.46m
・完成:寛永11年(1634年)



この橋は、長崎女子高等学校の生徒達が定期的に橋の清掃をおこなっており、今年4月に宮崎「橋の日」実行委員会と宮崎県がコラボして発行した「てげいっちゃが宮崎の橋」ポスターでも紹介した橋。学校では校長先生を始め担当の先生方が、親切に対応してくださった。橋つながりの学校だ。


絶景を眺めることができる海の吊り橋「門脇吊り橋」

2011年08月13日 10時51分27秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!



中野さんからの写真と投稿です。

門脇吊り橋(長さ48メートル、高さ23メートル)
城ケ崎ピクニカルコースの途中にある、コース上一番のハイライトです。



断崖絶壁を結ぶように造られている吊り橋が、この門脇吊り橋。
門脇吊り橋の全体像を見るには、城ヶ崎遊覧船からが一番です。

真下に波が踊る入江を見て吊り橋を渡ると、思ったより高いことにびっくり。吊り橋が揺れるのでスリル満点。吊り橋の南に門脇灯台が立っています。


パロディ童話_延岡弁「アリとキリギリス」

2011年08月13日 05時34分53秒 | 気になる○○
早いものでブログも8月10日をもって1周年。今回もお読みくださりありがとうございます。
前回に引き続き、パロディ童話でふるさと延岡を懐かしんでみたいと思います。


Kirigirisu

☆☆アリとキリギリス☆☆

昔々、あるところん、働きもんのアリさんの一家と、よだきんぼのキリギリスさんの一家が住んじょったげな。
暑さがたまらん夏の日のこと・・。アリさんはせっせと働いちょったげな。
「あちーね。汗が滝んごつ落ちるし、倒るるっごつある」と言いながらアリさんは、今日も真っ黒(?)になって働いちょったげな。

それにひきかえ、キリギリスさんは、ひとっもに働らかんでかい、朝から晩まじ、歌ばっかり歌って遊んじょったげな。


「あちぃーね、こんげあちー時は、何もせんがましじゃね。毎日よだきーこつばかり。近頃は、息するのも「だりー」ごつある。」とキリギリスさん。
キリギリスの嫁も輪をかけたようなのだきんぼで、「のさんね、毎日よだきーこつ。みんなは、"あんたどんは、ずそじゃ"と言わるっが、そんげ働いてなんぼんなるけ、秋んなって、ぼちぼち働けばいーちゃが。なんとかなるが・・」と夫婦揃って、何~んもせんかったげな。

ある日アリさんがこんげ言うたっちゃげな。
「キリギリスさん、そんげ遊びほうけちょらんで少しは働らかんけ。じゃねーと冬になってかい食い物んがなくなって、生活がきちーなるよ。そんげなってかい、助けちくりと言うても知らんかいね」

するとキリギリスさんは、こう言うたげな
「何を言いよっとけ、おりにはこんげな強い味方があるっちゃが!すげーじゃろ」そう言いながら、キリギリスさんは某消費者金融のカードを見せたげな。「ありぃー」とアリさんは、ひったまがったちゃげな。

本日の教訓
-ご利用は計画的に -


ブログ開設1周年記念。日本、そして世界へ「橋巡り」写真コーナー開設

2011年08月10日 20時20分41秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!



(新潟県 萬代橋)

ブログ「ゆけゆけ50代」のオープン周年を記念して、新企画を開設。タイトルは、「日本、そして世界へ「橋巡り」写真館」では日本や世界の橋を紹介していきます。

訪問した橋、ホームページ上で見つけた写真などを作者の許可を得ながら、転載していきたいと考えています。どうぞよろしくお願いします。


エフエム宮崎「SUPER RADIO CLUB 」出演しました。

2011年08月06日 07時53分33秒 | のほほん日記
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8月5日夜、「橋の日」実行委員会の活動をラジオ番組で紹介するため、エフエム宮崎へ
番組収録を待つ控え室では、同番組に出演する「大淀川流域ネットワーク」の皆さんと、川や橋、故郷、音楽・・までさまざまな話題で盛り上がった。


そして、いよいよ本番。予めいただいた資料をもとに話すことを決めていたものの、最後まで「うまく伝わるかな・・」「一方的な内容になってないかな・・・」と、原稿に最後まで目を通していた。しかしだ・・・ゲストへの質問コーナーがあり、それは放送中でしかわからない・・・あーとちったりしないか・・・

いや・・ここまできたら、司会のポッキーさんと小林さんのノリについていこうと決めたそう思うとスムーズに会話も進みフィナーレへ。


久しぶりのラジオ出演。反省点も多くあったが、たくさんの方に「橋の日」のことや、橋や川、故郷のことなど、言葉だけで伝えることの難しさを感じつつ、伝えることの大切を痛感する。さて、また一歩前進・・あるのみ!


8月6日午後6時 エフエム宮崎にて放映
(番組ホームページに詳細が掲載されます・・)
http://www.joyfm.co.jp/super_radio_club/



第25回「橋の日」イベント大成功!

2011年08月05日 05時55分42秒 | 8月4日は「橋の日」記念日!
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(戸敷市長による挨拶)



今年で25回目を迎えた宮崎「橋の日」イベント。前日からの時折降る雨・・も心配されましたが、晴天に恵まれ、220名という過去最高の参加者で、事故もなく無事終了した。


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(イベント会場をパノラマ撮影)


式典では、日高孝会長の挨拶の後、来賓の、戸敷宮崎市長から橋の日へのメッセージ。国土交通省宮崎河川国道事務所、大脇所長からは、現在施工中の橘橋の地震対策工事などが紹介された。


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(打ち水の様子)


その後、橋への感謝を込めて、来賓の皆様を始め、宮崎産業開発青年隊、宮崎学園高校、宮崎女将の会(打ち水大作戦の先導を努めていただく)、福島順一氏(初代橘橋を架けた福島邦成の曾孫)合計8名の方から献花をしていただいた。
そして参加者全員による写真撮影の後、大淀川駐車場経由で堤防~天満橋、そして橘橋までを清掃しながら歩いた。


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(各ポイントで打ち水前後の温度を計測)



最後は、橘橋の下流側通路で「打ち水大作戦」をおこなった。打ち上げ花火を合図に参加が一斉に打ち水をおこなった。
(打ち水には、道路などの埃を抑える効果があり、また夏場には、気化熱を利用し涼気をとるためにも行われる(水1gの蒸発につき約0.58kcalの熱が奪われる))また、視覚的にも涼を感じる打ち水は夏の風物詩。橘橋の通路を2度も温度を下げることができた。参加者にとっても夏の1ページに刻まれることと思う。



今年もたくさんの方の支援や協力により、盛大に実施することができたことを感謝。残すは19日のシンポジウム。こちらもぜひ参加者に夢や希望を感じていただけるよう頑張っていきたい。