9月26日(土)第4回 地域のお宝再発見ツアーを実施しました。参加者は20名。男性17名、女性3名。
午前8時、宮崎県庁を出発。これまでは、宮崎県内を訪問していたが、今年初めて県外へと出掛けることとなった。
午前10時、宮原SAに立ち寄り。
午後1時30分。女神大橋に到着。この橋は、長崎県長崎市の長崎県道51号長崎南環状線および臨港道路女神大橋線にある斜張橋。長崎港の港口に架かっています。橋を地域の資源として、観光に利用するという発想、その目的のために、地元ボランティアと長崎県が共働で事業を進めています。素晴らしい *:..。o○☆
延長:1,289 m(斜張橋部880 m + 取付高架橋部409 m)となっています。車の通行料は100年。一日に7,000台が通行するとのこと。歩行者と自転車は無料。朝はウォーキングやマラソンをされる方がとても多いとのことでした。
斜塔の高さは、海面から175メートル。いよいよ登頂まで登ります。
塔の中央に、入り口があります。
橋底板から海面を望む。この高さでも、やはり怖い。
水平梁からの車線を望む。
女性から怖い帰りたい・・との声。ご主人がどうする?と聞くと、「軍艦島が観たい」とのこと。
ご主人「意味がわからない(T_T)」
175メートルの最上部。揺れてます・・・。
最上部から長崎港内を望む。眺めは最高です!
国指定重要文化財「長崎眼鏡橋」1634年架設。
ハートの石垣は見えますか?見つけて幸せになってください!
(稲佐山展望台よ、軍艦島方面を望む)
稲佐山公園へ。8月に、友人が長崎に来た折、ライブのため、市内のホテルに泊まれなかった(かなり前に予約連絡されらしい)とのこと。
このライブでは、福山雅治が、2015年3月21日でデビュー25周年。“デビューから25年間を応援し続けてくれたファンの皆さんへの感謝の気持ちを、出来る限りたくさんの人にライヴで伝えたい”。 そんな想いから『福山☆夏の大創業祭 2015』と題して、福山史上最大規模のスタジアムライヴ、そして6年振り、3度目となる故郷長崎・稲佐山ライヴの開催された!!と、ネットで紹介されていた。
25周年の年に結婚。決めますね福山さん!日曜日に福山さんがラジオのパーソナリティをつとめていますが、非常に好感を持てる方。結婚おめでとう!
この後、長崎市内で宴会、そして二次会。気がつけば、日にちが変わっていた
9月13日(日)、研修日翌日、大阪に住む母とウォーキング。母は、大阪府泉北郡忠岡町に住んでいる。忠岡町は、日本一面積の小さい町で、ており、広島東洋カープに所属している前田健太投手もこの町の出身だ。
(忠岡町役場)
母とは幼い頃、両親の離婚に伴って離れ離れになった。私の結婚の機に、数年に一度会うようになった。
50歳を過ぎて1年に一度、会う機会をつくっている。
(後ろ姿の母)
昨年、母の傘寿祝いを義弟家族と正面上のツインビルでおこなった。
先月から研修翌日、母のアパートで1日過ごしている。
大津川の河川敷をのんびりと歩く。
川のせせらぎを聞きいる。
周囲に田畑も残っている。
市民農園だろうか。数人の方が仕切られた畑で、汗を流していた。
隣町は岸和田。来週は、有名なだんじりで賑やかになるそうだ。
読書好きの母から、毎回鋭い指摘をされる。来月で81歳。以前のように旅行はできなくなったが、同じ時を過ごしながら、一緒に思い出をつくっていきたい。
友人の娘さんが出演するとのことで、定期演奏会を観に行った。
今年で50周年を迎えるという宮崎ジュニア・オーケストラ。多くの方や企業に支えられ50年も連綿と活動を続けているとのこと。素晴らしい演奏とともに、支えてこられた方々の心意気に感激した。
(プログラム)
ブラームス 大学祝典序曲ハ短調作品80
ドヴォルザークチェロ協奏曲口短調作品104
第1楽章 アレグロ(AIlegro)口短調
第2楽章 アダージョ・マ・ノン・トロッポ ト長調
第3楽章 アレグロ・モデラート ロ短調
藤森亮一氏のチェロの歌うような音色。低い音色から高い音色までの弦の響き、そして美しいオーケストレーション。
宮崎ジュニア・オーケストラの演奏技術が高さに改めて魅せられた。
休 憩
リムスキー=コルサコフ交響組曲「シェエラザード」
第1楽章《海とシンドバッドの船》ホ短調-ホ長調
第2楽章《カランダール王子の物語》ロ短調
第3楽章《若い王子と王女》ト長調
第4楽章《バグダッドの祭り。海。船は青銅の騎士のある岩で難破。終曲》ホ短調-ホ長調
この曲の持つ魅力というか、ファンタジーな世界観、川田知子氏の美しく繊細なバイオリンの響き。あの小さなボディから、会場に響きわたる音色。
友達のお子さんもパートリーダとして紹介されたが、友人もきっと素敵なステージを楽しんだことだろう。とても感動的な演奏会だった。
先日、知り合いの方から依頼で、高齢者の集まりで、紙芝居2本をボランティアで上映して欲しいとの連絡があった。
いつも紙芝居をお願いしているKさんにお願いしたところ、外せない用事があるとのことで、私が代役を務めることになった。
せっかくの機会なので、私らしい時間をつくりたいと思い、音楽と紙芝居を組合わせて上演した。位置づけ的には「演芸会」。
約40分、ギター弾き語りと「福島邦成と橘橋」「とんところ地震」の紙芝居の上演をおこなった。リラックスした雰囲気の中で、楽しんでいただけたのではないかと感じた。
ところでこの紙芝居。演者として1年の経験しかないが、最近少し上達したように思う。それは、言葉をはっきりと発声することや声に抑揚をつけることが、以前にも増してコントロールできるようになった。
たとえば、紙芝居上演の副産物として、ライブでの歌い方にも好影響がある。歌詞が以前より明瞭に発声でき、また抑揚も曲に合わせて意識的に表現できるようになった。
その他にも、会場の参加者の空気を読んだり、気持ちを掴むということも、弾き語りライブやこのような演芸会で、磨かれていると思う。何がプラスになるのか予想できない。これからは、ひとつひとつの出来事を通して、プラスアルファの意識を持つことが大切ではないだろうか。
一方、忘れてはならない点もある。この演芸会の目的は、「1,参加者の貴重な時間。楽しいひとときをつくること。2,紙芝居を通して、地震の教訓や地域の歴史を振り返ってもらうこと。3,その目的達成のため、演者を知ってもらいリラックスした空間をつくること」だったはず。
目的を達成するために頑張っていれば、自然についてくるものに欲を出すと、本来の目的を見失ってしまうのではないか。
いつも考えていること。それは、産業カウンセラーとして「人や企業への支援ができる力」をつけられるかということ。
そのために、本を読み資格講座を受けるなど、日々研鑽を積み重ねている。
しかし、自分自身の能力が足りない。特にこの分野の知識は、3年程度しかない。道の向こうにある最低限の知識を身につけるには時間が足りないし、消化能力も年齢的に厳しいものがある。
どうしたら良いのだろうかと思う。そんな折り、ふと頭によぎったことがある。それは、テクニックだけではカバーできない何かを「今、ココ」で身につけることが必要ではないかと。
つまり、遠くにある知識を追いかけることも大切だが、今ここにある、目の前にいる人やコトへ、どんな意識や考えを持って、向き合うかということ。これでいいのかと、自己洞察がすることがより深いものを見る力になる。そして、ひとつひとつの出来事へ真剣に向かい合うことが、支援者としての自分をつくっていくことになるのではあるまいか。
そのプロセスを通して、人としての品格やその人のたたずまいや存在感。言葉の重み。複眼的思考。それは、本だけでは学べないテクニック以外のものである。テクニックと捉えるのではなく、支援の「ツール」と「仕組みづくり」と、「支援者としての生き方や志をもつ自分」との合わせ技が、力量と言えるものではないのか。そう考えると何も焦ることはないと感じる。24時間が修業ではないだろうか。
朝の散歩中にふと考えた。
(美しくに刈りとられ、見るだけでも気持ちいい)
以下はNHKラジオにて聞いた話。
50歳を過ぎると親の年齢も75歳を迎える方が多い。その中でも心肺停止は1年間に12万人で救急搬送されるという。
それによると、家族が発見する 生存率 2.7%。知人や同僚が発見すると生存率 9~10%となり、断然生存率が上がる。
理由は、家族がお父さんがいびきをかいており、疲れて眠ったと思う。しかし、心筋梗塞の初期状態では、イビキをかいていることもあり気付かないためでという。結果的に、119番通報が遅れる。
1分遅れることに7~10%の死亡率が上がり、5分がデッドライン。過去、13万人のデータから、早期発見すれば1ヶ月後に自立できるという。
発見したら、119番に。心臓マッサージ 1分100回 胸骨圧迫を救急隊が来るまで続ける。わからないことは、119番通報した際、心臓マッサージをしながら、不明点は尋ねるといいとのこと。
橋梁新聞「私の履歴書(松村 博)」に、印象的な文章が掲載されていましたので、ご紹介します。
「土木史と橋」
土木技術者が歴史を調べ、まとめてみる意義について考えてみたいと思います。
土木技術者は、「・図面がわかる・経済、社会がわかる・良識的判断ができる」などの特性をもっていますので、歴史的な事象に対しても複眼的な考察が可能であると思います。
例えば、江戸時代、大井川に橋が架かっていなかったのは幕府が軍事的に架けさせなかったというのが文献から制度史的にアプローチする歴史学者の見解でした。しかし、他の渡河形態との比較、川の水量変動のデータや河床の地盤状態などから判断すると、当時の技術では架橋は難しかったことがわかります。そして大勢の川越人足が定着すると、幕府は社会経済的な影響を考慮して他の選択肢を潰してしまったのです。これが大井川に橋がなかった理由です。
戦国時代の大名は城下町繁栄のために橋を架ける努力を惜しんでいません。例えば、宇喜多秀家は、山陽道が岡山城下を通るように旭川に京橋を架け、道を整備していますし、柴田勝家は福井の城下町のために半石半木の丈夫な九十九橋を架けました。信長、秀吉は言うに及ばず、家康も岡崎に矢作橋、そして江戸の喉元に千佳橋や六郷橋を架けて、街道や城下町の交通の利便性を優先する施策を採っています。 インフラ整備はいつの時代でも為政者には大切な施策だったのです。
九州に石橋が多く架けられましたが、軍事的な理由から藩が架橋を制限していたとか、秘密を知った技術者は長送りにされたとか、一つの石を外すと一気に橋が壊れるように造られていたなどといった荒唐無稽な説が流布されています。
これらは技術的に判断すると誤りであることは明らかです。江戸時代に作られた九州の石橋のビッグ3、霊台橋、通潤橋、虹澗橋はすべて民間人が企画し、各地から多くの技術者が参加して架けたものです。土木技術はいつの時代も民衆に開かれた技術だったのです。
このようにインフラの歴史を土木史的観点から検証するとこれまでの歴史的常識に多くの間違いがあることがわかってきます。土木技術者自らがこのような歴史的認識を持って利用者にインフラ整備の大切さの理解を深めてもらう努力をすることも大切です。
数年前から、大坂の堂島で船大工を営んでいた家に残された文書を基に当時の橋の復元に取り組んでいます。この文書の大半は船や橋の建設を請け負うための見積書で、これらを丁寧に読むと当時の船や橋の構造の復元が可能です。和船の研究者、建築史家、文献史学の専門家に呼びかけて、一緒に文書の解読を進めています。船や橋の復元には構造的判断と製図の知識が欠かせません。ようやく江戸後期の大坂の木橋の30橋ほどを復元することができました。
社会インフラの歴史研究の共同作業においてむ土木技術者の役割は大きいと思っています。歴史の専門家との対話を深める努力ももっと必要です。一方、和船や木橋の技術、研究の基盤は絶滅が危惧される状態になっています。若い方にぜひ参加していただけることを望みます。
次回は、福岡大学工学部の渡辺浩准教授につなぎます。(終)
松村博さんは、橋梁工学専門家。大好きな著書に「日本百名橋」があります。技術・デザインをも優れた橋を全国各地から百選んで解説。宮崎県は「橘橋」が挙げられています。
橋梁新聞は、我が国唯一の橋の専門誌です。
この記事がご縁で私の所属する宮崎「橋の日」実行委員会にて、2017,8,18「橋」を通じたシンポジウムにて松村博先生、渡辺浩准教授の両氏に、講演者として登壇いただきました。以下は打ち上げの写真です。
この写真、日本の和室のようだけれど、オーストラリア、ブリスベーン港に停泊中の商船三井「にっぽん丸」の和室での一枚。
私は、23歳の頃、総務庁(現在総務省)「青年の船」事業に参加した。日本人団員307名、各国からの招聘青年50名が、ひとりひとりが自ら各種の研究テーマを設定し、船内における研修や寄港地での視察、交歓会などを通じ、そのテーマを追求し学んだ。
日程は、昭和59年1月26日東京港を出航し、50日間にわたり、オーストラリア・ニュージーランド・トンガ王国・西サモアを訪問し、3月15日帰国。
その当時、私は延岡ローターアクトクラブに所属し、地域づくりやボランティア活動、リーダーシップトレーニングなどの活動をしていた。世界各国にも同クラブが活動しており、10万人の会員がいたと記憶している。この旅を通して、同じ活動をするオーストラリア、ブリスベーン地区メンバーに、会ってみたい、そして話したいとの思いから、初めてのエアメールを送った。
英語が堪能でもなく、想いが強いだけの私だったが、気持ちが通じたのか、面会の約束をいただいた。
2月8日、ブリスベーン地区メンバー代表10名と、私が船内で呼びかけて集まってくれたメンバーが食事を共にし、船内にて多くの語らいが出来たことが今でも記憶に焼き付いている。
特に地区代表クレイムさん(左下)とは、「これからも自分達の住む地域をより住みやすい街にしよう」とお互いに語り合った。たとえカタコトの英語でも、伝えたい何かがあると通じると、この旅で知った。
(相変わらずおバカな私です)
音楽が好き、それだけの私が、多くの先輩に引き上げられて、社会奉仕活動に参加することができた。また、ロータークラブ活動やこの青年の船活動などを通して、果てることのないエネルギーをもらったように思う。そして以後30年間さまざまな活動が続けることができ、家族にも感謝している。
これからも、お世話になった方々へ恩返しのつもりで、後輩や仲間の役にも役立てるよう楽しみながら活動を続けていかんとね。
この程新しい机を購入。これまで、おひとり様用こたつを勉強机にしていた。机にはパソコンが収納することができる引き出しがあり、使用時には手前に引いて使えるという優れもの。
これまでいろんな机を見てきたが、購入するまでには至らなかった。しかし、このモデルを見たとき「これだ」と感じた。
机の幅も2種類あったが、短い1メートルを選択。奥行きも45センチの小スペース設計で満足している。
正式名称は「スリムデスク アーリン2 100」(お値段は、3段のキャスター付き収納ワゴンがついて、1.5万円程度 ニトリで購入できる。
7月から参加している資格取得講座。今月から大阪市で講座が開かれることになり参加が決まった。あと2年程、月に1回大阪に通う予定。今月は、今週の金曜日夜に宮崎を発ち、日曜日夜に宮崎へと帰ってくる予定。講座は土曜日のみ、従って日曜日は自由に使える。大阪に住む母に会えるのも楽しみ。
昨年から、数回大阪へと出掛けているが、まだ知らない場所も多い。もっと大阪の街を知りたくて、昨日ガイド本を購入。古くて新しい大阪を見て見たい。おいしい料理だけではなく、知人友人との交流、歴史遺産や美術館、ライブなどを観て回りたい。
実を言うと、生まれたのは大阪市住吉区。印刷会社を経営する両親のもと、5歳まで大阪で過ごした。幼い頃の記憶は乏しいが、この機会にできる限り、歩いて散策してみたい。
また、大阪には多くの橋が架かっている。これは江戸時代、諸藩が蔵屋敷へは水路で年貢米が運ばれたため八百八橋と言われるほど橋と水路の多い町となった。江戸時代には200橋程度が架けられたという。現在、大阪市交通局では764橋を(平成21年)管理しているらしく、国や府が架けた橋を含めると808橋を超える橋が存在している。
こちらもできる限り歩いて、多くの橋をカメラに残していきたい。
さて、この研修を含め、いろんなことへと挑戦しているのは、先輩からアドバイスのお陰である。生きているうちに、そして動けるうちに、元気があるうちに、今を大切にして生きていくのだと教えられた。夫婦ともに働いており、両親も元気で、またこどもが独身のうちに、できる限り夫婦ともに、好きなことして楽ししめればいいと思っている。好きなことができない時期が必ず来る。そんな今を大切にしていきたい。
所属する会で、災害ボランティア活動グループのリーダーをしている。5日に会内研修があり、7月より講師を探していたが、防災週間ということもあり、講師が見つからなかった。
そして急遽、私が講師をすることになり、準備を進めた。これまで受講した研修や振り返りの中で、何か役立てることはないかと考える中で、準備の大切さを痛感したことがあったので、紹介したい。
(大きな爪痕を残した台風の被害、於:宮崎市)
平成17年の台風。宮崎でも大きな被害がでた。私の故郷、延岡市でも五ヶ瀬川が氾濫して、床上・床下浸水で、家具や家電品、自動車が水につかったという方が多かった。
友人のS君もそのひとり。何か手伝えることはないか、支援するにあたり、新聞や地域の方にどんな支援が必要かを調べた。その中で地元の人は動けない。なぜなら、ご家庭や親族の復旧作業のことで精一杯であったり、台風影響が少なかったにせよ、気持ちの整理がついていないように感じた。被災された方が必要としているのは人手と、気持ちが沈んでおり、不安が大きいことがわかった。
人づてに友人S君は、個人経営の自動車工場が、水浸しとなり、車は難を逃れたが、事務所はほとんどつかえない状態と聞いた。台風が通り過ぎた3日後、「よかったら、何か手伝いにいくけれど。どれくらい時間手伝いできる。どんなことでもする。昼飯は持参する」とだけ伝えた。友人は、気にかけていてくれたことを喜んでくれた。あと、当日必要なものを調べた。タオル、バケツ、スコップなど、手に持てる範囲で持ち込んだ。
当日がやってきた。車が邪魔にならないよう、タクシーで現場へとかけつけた。朝から、もくもくと手伝う。手伝いながら、友人は、台風の様子や事前に預かっている車を移動したことなど。話を聞きながら短時間のうちに、大きな影響があり、自然災害の恐ろしさを知った。また、今後の悩みなども聞くことも話してくれた。
夕方5時、まだまだ片付いてはいなかったが、ひと区切りつけた。友人に、何か必要なことができたら、連絡してくれと伝え、その日の作業を終えた。その後、自宅の復旧など落ち着いた同級生たちが、その後の片付けなどを手伝ったと聞いた。
その時は、特に本を読んだりした訳ではなく、自然に感じるところで準備をしたが、今考えてみると、講座などで学んだような支援が10年前にできていたのだと思った。もちろん、不足していことはたくさんあるけれど。それらは、防災士講座などで補える学習をしたので、今後は更に手厚い手伝いができると思う。改めて、事前準備が大切なことをこの経験を通して改めて再認識した。
9月4日(金)17:30から、山形屋前交差点で、私が所属する日本産業カウンセラー協会が実施する「働く人の無料電話相談」の案内の入ったティッシュを会員16名で街頭で配布した。
この電話相談は、9月10日の世界自殺予防デーに合わせて、協会が全国で実施している無料電話相談で、9月10日~12日の10:00~22:00までの間、無料で電話相談が受けられるというもの。
パワハラやノイローゼ、突然の配置転換など職場の悩み、今後の生き方に関する悩み、自分がダメな人間に思えるなど・・・働き盛りの現役世代の方から相談をベテランのカウンセラーが相談を受けています。
なかなかこころの悩みは言えないものですが、電話でしたら、すこし気軽にお話できるのではと思います。「あなたはひとりじゃない」ということを伝えられたらと思います。お知り合いの方で困っている方がいらっしゃいましたら、ご紹介ください。
「働く人の電話相談室」
日程:9月10日(木)11日(金)12日(土)
時間:10:00~22:00
電話:0120-583-358
主催:日本産業カウンセラー協会
協力:日本労働組合総連合会(連合)
後援:内閣府/厚生労働省/中央労働災害防止協会/独立行政法人労働者健康福祉機構/公益社団法人全国労働基準関係団体連合会/日本産業カウンセリング学会/日本産業精神保健学会/公益財団法人産業医学振興財団
ちらしはこちら入手できます。→http://www.counselor.or.jp/
「シニア産業カウンセラー」資格取得講座を受講している。大変厳しいとは聞いていたが、結構、時間と費用のかかる講座だ。どう捉えるかということもあるが、2回の講座を終えたばかりの私には、道が遠いように感じる。
講座は、1ヶ月ごとに講座の案内と受付が行われる。参加枠より申込者が多い場合は、抽選にて受講者が決まる。受講が決まった場合は、決定通知を受取り、事務局から課題を示される。内容は、テーマに従って事前学習をスタート。課題図書を読了し、2,000文字程度のレポートを提出する。
この間2週間。その後、翌月の次の課題に取り掛かり、研修日を迎える。
研修後は、講座中のメモをまとめ、講座後のレポートの作成。この繰り返しである。ちょっとした通信制学校に通っている感じだ。
課題や学びを整理するため、朝2時間、夜1時間をつかって、そして土日には平日にできなかったところに集中する。イベントや会合や雑務があると更に忙しくなる。こんな状態があと2年半続く、そして費用もかなりかかるかと思うと、ひとつひとつを大切に学んでいくしかない。焦っている訳ではないが、できる時にやれる程頑張りたいと思う。いつかしたくてもできない時が必ず来ると思うからだ。
この学びが、働きつづけるスキルとなるのか。人や企業の役に立てる仕事ができるのか。起業は可能か。不安と期待が交差する。しかし、前に進むしかない。不安から逃れるには、より学び自分自身を磨き人の役に立てるスキルと経験を積んでいくしかない。この50代の挑戦が、きっと未来につながると信じている。
5年程前に購入したプリンター。7月の初旬から、調子が悪くなった。プリンターヘッドが壊れているらしく、印刷時、左側3センチ位の場所の印字が縦長文字となってしまう(-_-)。毎日のように使用するため、修理に出そうと機会を伺っていたところ、8月31日の夜、プリンターインク5色のうち、4色分のインクが無くなったと表示された。4色一度に無くなるのは初めて。珍しことはあるものだと関心していた。
修理の機会と思ったが、今週中に必要な資料印刷もあることから、今回はインクだけを購入しようと家電品店へ立ち寄った。
4色分併せて5,000円。修理代も発生するし、これまでの経験からすると修理は約5,000円程度。結構維持費はかかるものだと、レジに向かって歩きだそうとしたその瞬間、目の前に4,800円のプリンター。
おっ、これは、お得。家電品店の特別セール中で、目玉商品が積まれている。そのプリンターは、スキャナ機能もあり、贅沢を言わなければ使えそうだった。インク代で変える!
しかし、よく見るとカラーインクが3色一体型(1色が無くなってもまとめて3色交換)となっており、代金も2,500円程度で黒色と合わせると5,000円。プリンター=インク代。そう思っていた瞬間、6色独立インクで無線機能がついたプリンターが視野の中に。そのプリンターは、8,500円程度でスマホからもプリントできると書かれている。即決!プリンター、EPSON EP-707Aを購入。
帰宅後、プリンターの各種設定。1時間程度で、無線LANの設定も完了。便利、便利。ケーブル不要。SDカードスロットの挿入口もついており、ダイレクト印刷可能。スキャナー機能も使える。DVDの印刷も・・。
修理しなければという思い込みも、発想を転換することでこんなお得なお買い物ができる。プリンターは修理するより購入した方が安いのだと改めて思った。地球環境にはよろしくないけれど・・。こんな発想の転換、以外と身の回りにあるかも・・。その発想は、お買い物より大切だ。
(こちらが新しい機種)
ここ10年余り、親しくさせていただいている方と先日、宮崎観光ホテル「汐彩」で、昼食を一緒にした。 80歳を過ぎてもなお、仕事への情熱が熱い。どこからこのエネルギーが湧いてくるのだろうかと思う。
(汐彩でのランチ)
私の父と同じ昭和9年生まれの80歳。ふたりとも今年81歳となるが、勢いは衰えていない。ふたりに共通するのは「元気な体」、「仕事を楽しんでいる」こと、そして「人間関係が豊か」「好奇心がある」こと。それと、年齢を重ねても「オシャレ」であること。うちの親父も、ちょっと外出するのでも、キチンとして出掛けるし、家の中でも無精ヒゲ姿で見たことがない。偉いと思う。
あと25年で同じ年になる。どんな80歳になっているのだろうか?どんな生き方を過ごしているのだろうか。
人生は長さだけではない。イマ・ココの時間の積み重ねが未来をつくるのだと思う。
(あいにくの雨空でした)