5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

「そこはかとなく」考える

2012-11-15 21:49:59 | ことば
「そこはかとなし」をわが電子辞書の広辞苑でしらべると、「はっきりとした所在や理由があるのではない。ただわけもない。どこということもない。」とあって、源氏物語(帚木)の「風涼しくてそこはかとなき虫の声々聞こえ」という例文が引いてある。

おなじみ金田一春彦先生の「ことばの歳時記」、11月13日分が「そこはかとなく」である。13日である「はっきりした理由」はないのだろう。11月にしたのは理由があって、旧暦の神無月だから。先生は新古今和歌集に載せられた藤原高光の歌を引用する。

「神無月 風に紅葉の散るときは そこはかとなく 物ぞかなしき」

旧の十月ころ、紅い木の葉が風に吹かれて散りしきるのを見れば、なんとなしに、物悲しい気分になるというのが、普通の解釈だろうが、これは違うのではないかとおっしゃる。広辞苑的解釈では不十分だというわけか。

その理由として、室町時代に日本に来たポルトガル人が作った日葡辞書(そんなものがあるのか)には、socohacatonaqu(ソコハカトナク)というローマ字のあとに「無限に」という意味が書かれているからだと云う。

これなら「なんとなしに」物悲しいのではなく「限りなく」物悲しいという解釈になる。急に寒さを増してくるこの頃の気候、冬の初めの寂しさは、昔の人々にとっては、こちらの解釈のほうがぴったりするだろうという。

なるほど。

そして、先生は最後にやはり有名なこの一節、「心にうつり行くよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば」という徒然草を引用して、これも、兼好は、「なんとなく書き付ける」のではなくて「あとからあとから書き付ける」と云いたかったのではないかとキメている。

ふたたび、なるほどである。ソコハカトナク面白い。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿