5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

目先の平和

2016-07-09 23:26:23 |  経済・政治・国際
いよいよ明日は参議院選挙である。といってもなんと盛り上がりを欠いた選挙選だったことか。我が家の正面に設置された候補者のポスター板が雨に濡れて泣いているように見える。

それでも名古屋駅頭ではめずらしく立候補者のアピールする姿が見えた。ブルーのTシャツを着た若者たちがなにやらパンフを通過していく人々に手渡す。Tシャツの背中には自由民主党とあった。渡される方も週末で街に出てきた若者たち。互いに手を振り合いながらエールの交換だ。

さて候補者はと見ると街宣車の上に整列して、こちらも手を振る。応援弁士(古い云い方だ)が「なにがなんでも○○君を国会にヒキモドシて」と力んだのには思わず笑った。

力づくでも当選させたいというつもりだろう。昔なら「声を嗄らしてお願い」するところだが、この若い弁士は自分の科白に酔っている感じ。声もすこしも嗄れていない。応援は今日だけか?

候補者は二人いる。自民候補と公明候補がならんでご挨拶。野党が共闘するのなら与党もやろうやとはいったい誰が云いだしたのだろう。きっと全国でもこんな光景が見られたはずだ。与党は野党の共闘戦術を「野合だ」と云ったが、政権与党連は「野合」とは言わないのだろうか。

いつもなら、我が屋の前を街宣車が「おねがいします」連呼をしながら往来するのだが、今回はほとんど聞けなかった。その代わりに廃品回収車が大声で触れて回っていた。

新聞には「党首遊説地球を2周半分」とあって、党首9人が10万キロの遊説をしたのだそうだ。暑い中をごくろうさんであった。衆議院に比べ住民への知名度の相対的に低い候補者のサポートには、やはりマスコミで全国的に顔と名のしれた代表に頼むしかキャンペーンの方法がないということなのだろう。

候補者が声を嗄らさぬ選挙。民進が「三分の二の攻防」という割りにさみしい選挙戦になるわけだ。投票率も低いだろう。

中日の文芸欄「大波小波」には「豊臣秀吉と選挙」というタイトルでこう書かれた箇所がある。

秀吉が死にその圧制から解放された民衆は歓喜する。それを見た家康は『今はあの男の死を歓んでもやがて大地に穴のあいたような寂寥を覚え、美化された嘘っぱちの英雄伝をかたることになる。民衆は平和をもたらした人間よりも、おのれを蹂躙した人間を崇め愛するからだ』と云ったという。

不思議な心理だが、結果は家康のいうとおりになった。世界中にこうした事例はいっぱいあるだろう。しかし庶民たちが「美化された英雄伝」を語れるのはずいぶん後のはずだ。圧政が目の前にあるのだとしたらたまったものではない。

やはり為政者はしっかりその全体像を観察した上で、「自分のレガシーを求める者」ではなく「目先の平和をもたらしてくれる者」を選ぶのが筋だろう。





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