大晦日、年越しそばも美味しく頂いてデスクに座ったところだ。伊賀の「玉の腰」の二八そばがゲットできない我が家では、デパ地下の冷凍ケースにあった二八そばがその代り。
今年最後のブログ書きは、ベルリンフィルのベートーベン、第9番のスケルツォを同じPCで鳴らしながら行っている。指揮者はクラウディオ・アバド、小気味のよいテンポである。
歳末のデパ地下もすこし様相が変わって来ている。昔は大晦日の売り切りだった「そば」「だし巻き」「かまぼこ」といったおせち食品が前面から後退したように見える。大声を嗄らして客を呼ぶ売り子の姿も減った。
洋風の総菜や寿司の盛り合わせなどに客の手が伸びている。これならいつもと同じではないかと思うが、それで平気だという客層が増えたということなのだろう。代りに賑わっていたのは、ケーキなどのスイーツコーナー。たしかに正月が節目行事だった時代はもう過去のものかもしれない。
お仲間のKさんが「年末になると発売される神田まつやの鶏南ばんそば、また買ってしまった」とツイートしているように、200円のインスタントヌードルで年越しそばに代える年代層も確実に増えているのだ。味気なかろうとも思うが、これで充分だと云われればそれまで。
「おせち料理」も大晦日は業者が超大忙しのはずだ。こちらも現役時代には毎年大晦日を出勤して高級おせちのお届けサービスに駆り出されたものである。「ヤマト運輸 おせち約1200個届けられず」という見出しを読んだ途端、寒くても車のヒーターを切ったまま急いで運び終えるという当時の苦労を思い出した。
ヤマト運輸が福岡の販売業者の依頼で北海道エリアの注文客先に向けて運んでいた1200個分は、冷凍で運ぶべきところを誤って冷蔵で運搬してきたことが中継地点で判り、品質の劣化を考慮してして急遽配送を取りやめたという。
注文客にはメールや電話で謝罪しており、返金などの対応をとるとはあるのだが、客の憤懣やるかたなしといったところだろう。「とんだ年末」とツイートしている人もいるとあるが当然だ。「30日の到着予定が届かなかったから問い合わせた」とあるのが、そのポイントのようだ。
配送取りやめを決めたのであれば、販売業者やヤマト運輸側から先に謝罪して事情を説明するのが筋だろう。金を返金すればそれで済みということではない。
「注文をいただいたお客様、関係者の皆様に深くおわびいたします。原因の調査を進め、このような事態が起きないよう再発防止に努めます」という紋切り謝罪をしたとしても遅きに失する。ロジスティックス大手の奢りというようなものを些か感じた。
販売業者とあるが、ということは製造業者は別ということになるのか。もしそうだとすると、商品にたいする製造責任という意識に些か欠けるきらいはないのだろうか。
届かなかった1200個の注文主は、いまごろどんな気分で大晦日の夜を過ごしていることやら。
正月のおせち料理は母親が夜なべでつくるのものという生活文化が、いつしか買って運ばせて、自分は食べるだけといったおかしなカタチに変容したのは残念な気持ちがしてならない。昆布巻きの巻き方や黒豆の柔らかい煮方など、正月おせちの調理を母親に教えてもらえることの大切さ、幸せを感じられるような世の中が本当だという気がしてならない。
そんなこんなを書きつられている間に、第9の演奏は終わっていた。そろそろ除夜の鐘が聞こえてきそうだ。
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