5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

命令は命令口調が当然

2012-11-04 21:40:19 | ことば
「お客様は神様です」とは三波春夫のキャッチフレーズだったが、行政施設や交通機関、学校、警察などが、丁寧語をつかって利用者対応を始めたのはいつ頃のことなのだろう。

商品販売の接客技法を真似ておけば、役人の「上から目線」をカムフラージュできるということで始まったのだろうが、いつのまにか自我ばかりが肥大してしまった庶民には、なんとも気持ちの良い対応だと受け入れられてしまった。

いまや行政の役人や先生や警察官までが「接客者」の感覚で対応するのが当たり前。その公的立場や位置関係は二の次という、いささか行過ぎた社会慣習になってはいないだろうか。

教師や警察官が友達目線や仲間口調で仕事をこなすとなれば、それを誤解する馬鹿な庶民も増えてくる。教育指導や犯罪取締りの質が変わってしまうようなことも起こりそうだ。学校でのイジメや犯罪増加の裏には、こうした「接遇姿勢や言葉使い」の変化に比例しているのかもしれない。

今日の日テレニュース24には「武豊町で『命令口調』の津波防災訓練」というローカル記事をWEBに載せている。

南海トラフ3連動地震による4メートルの大津波発生を想定し、知多半島の武豊で行われた避難訓練では、住民への避難呼びかけを「命令口調」にしたというのである。こんんなことが、ニュースになるのだ。

「海岸付近の人は速やかに高台に避難せよ」。

命令口調の呼びかけは危機感をあおり、避難を迅速にするために改められたもので、武豊近辺では初の取り組みだというのだが、なんだかおかしい。自分が子供のころの、大人の指示はすべてが「命令口調」であって「お願い」ではなかったのだから。

「強い口調の方が急がなきゃって感じるからいいと思う」という参加住民のコメントにあるとおり、市民側にはさして抵抗感はないのだろう。

時に応じて「はっきりと指示される」ほうが、烏合の衆にとっては安心なのである。さらに、命令する担当者の気持ちも引き締まることは間違いない。行政側の無駄な遠慮こそが、災害対応の邪魔だと考えるべきだろう。

事件や事故を起こした組織の責任者が雁首を揃えて「深くお詫びを申し上げます」とTVの前で謝罪してみせるパフォーマンスは、すでに長い間見慣れたものになっている。

口先だけ丁寧に「お詫び申し上げ」れば、(腹はどうでも)赦してもらえる日本的風土というのも気持ちの悪いものだ。









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