5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

文化財保存をどうする

2015-11-22 22:10:55 |  旅行・地域
知り合いYYさんの所属するアマチュア合唱団の定期演奏会を聴きに半田に出かけた。去年に続いて2年目である。

演奏会は市役所の隣にあるホールで行われるので、名鉄の半田駅から歩いて向かう。数百メートルほど離れたJR半田駅を抜けて本道を歩くとミツカンの本社がデンと構えているのに出会う。今日は連休日曜日だが隣の酢のミュージアムには自家用車が並び見学者たちが三々五々周辺の「蔵のまち」を散策しているのに出会った。

ミュージアムの先、半田運河にかかる源兵衛橋の欄干にもたれてしばし休憩。運河の水は下流の衣浦港に向かって流れていくのだが、風もなく水面はいたって静かである。運河の両岸は黒板囲いの倉庫が並んで落ち着いた風景を作っている。海からの潮風から壁を守るためにタール塗装がされているのだという。

川瀬巴水が描いた「東海道風景選集」の「尾州半田新川端」という版画を思い出す。こちらは雪景色の中の運河である。霙が降り続く運河辺を和傘をさした黒コートの男が歩いていく後姿、やはり黒毛の小型犬が男のあとをついていく。冬の日の散歩だろうか。昭和10年の作とあるから、戦前のイメージということになる。

さて、川面に目をやると体を丸めたカモが十数羽、水の上で動きを止めてたゆたっている。円形クッションのような恰好がなんとも可笑しい。薄日もさして温かいほどだから午睡にはうってつけなのだろう。人間が三連休なら、カモたちも休日でリラックスといった様子である。

江戸時代から富裕な町だった半田だが、とくにこの周辺にはそうした半田商人たちの名残となる建造物がたくさん残っている。酒造の国盛、小栗家住宅(国登録有形文化財)、カブト麦酒工場(同)、旧中埜家住宅(国指定重要文化財)などが代表的なものだ。一般の市街地は開発がすすんで街の様子は特別個性的なものではなくなってしまった。だから余計にこうした江戸から明治、昭和にかけての古い建造物が残された一区画があるということが貴重なのである。

地域開発と云うと道路を通して工場を呼びマンションを建てるというワンパターン行政ばかりだが、これでは環境保全にも役立たないだろうし、後の世代の自慢にもなるまい。

今日のNHK三重県ニュースには「伊賀の旅館が国の登録文化財に」という記事が読める。街道沿いに残った明治時代の料理旅館「梅屋」がそれだ。有形文化財は50年以上が経過した貴重な建造物を保護するための制度だとある。

建物正面にある欄間のついだ格子戸が特徴で、屋根には天女や鷹のカタチの珍しい鬼瓦が宿場町としての歴史を伝えている。JRの伊賀上野からだと国道163号経由で11キロ東にいったところ。旧伊賀街道沿いとはいえ、今は旅する人も少なかろう。

過疎で通りを歩く人が減っているから、このきっかけに多くの人がこの地を訪れてほしいと旅館経営者は云うのだが、さて文化財指定だけで宿泊客が増えるものなのかどうか。半田の蔵のまちとはいささか事情が違うようだ。


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