5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

銃声が下げる意識のノッチ

2007-12-15 21:24:10 |  ニュース

14日の夜、佐世保市のスポーツクラブで起きた散弾銃乱射事件は、犯人の自殺で収束したようだ。



死者が2名、6名が重軽傷という惨劇、しかも誰でも出入りが可能な半公共施設で銃乱射が起きたということは、またひとつ、日本人の犯罪心理的なギアが「あるはずがない」から「あるかもしれない」の方向へ1ノッチ進んだということで、重大なハプニングだったといえるのではないだろうか。



新聞によると、今年に入って発生した発砲事件は11月末時点で昨年同期比10件増の54件。死傷者も12人上回る30人で、目立つのは繁華街や住宅街、不特定多数の人が出入りする病院などで発砲が起きている点だ。



“銃の恐怖”が、市民生活のすぐ近くまで忍び寄りつつあるという現実が見えてきた。政府もこうした状況を受け、プロジェクトチームを立ち上げ、銃刀法の罰則強化などを検討。12年ぶりに、厳罰化を盛り込んだ銃刀法改正案を国会に提出し11月に成立したばかり。今回はその矢先の事件ということになる。



自殺してしまった犯人の本当の動機は知る由も無いが、12月5日には、アメリカ・ネブラスカ州のオマハのショッピングセンターで8人が死亡し5人が重軽傷を負うライフル銃乱射事件が起ったばかりである。ニュースで大きく取り上げられたアメリカの事件、「有名になってやる」という犯人のダイイングメッセージも電波に乗ったことで、佐世保の犯人の耳に届いていなかったとはいえないだろう。むしろ、こういった内外の銃による無差別殺人の事件を模倣する気持になっていたというのは考えすぎだろうか。



犯人は隣近所では奇矯な問題児だったようだ。サイコによる銃犯罪となれば、まったくアメリカ型ではないのか。社会的意識や理性に欠陥のある人間が、複数の猟銃を堂々と保持できていることは、いったいどういうことなのだろう。改正銃刀法は銃を買う人間の心理テストなどを要件化したのだろうか。基本的人権とプライバシー保護が邪魔になって出来ないのではないのだろうか。所詮、持ち主の層が薄く、モノの性格上オープンになりえない武器類ならば、犯罪として厳罰化をしても、未然の抑止効果はあまり期待できないのでは。



文字通り、キチガイに刃物とならないような社会的ルールが出来ないといけないのだろう。以前に、今年4月のヴァージニア工科大留学生による銃乱射(史上最悪)のことを書いたが、日本での2回目の模倣事件がおきないことを願いたい。模倣犯が増えるということもだが、銃声を平気で聞き流す日本人が増えてきそうなことの方がむしろ怖い。








最新の画像もっと見る

コメントを投稿