5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

猫の寒サカリと同じ

2007-12-16 21:34:40 | Weblog

外気温はだいぶ下がって冬らしい寒さが感じられる。風がない分だけきびしくはないのだが。



12月もこのあたりになると、野良猫のサカリが始まる。夜中になると、近くの広場で奇妙な啼き声を上げながら、オス同士のバトルが始まるのだ。寒サカリと云うらしく、寒さと子育てのタイミングをズラす自然のルールのようだ。



どうやら、この寒サカリは近頃の日本人にもあるようだ。言い方は悪いが今日はヒトのサカリを3件もいっぺんに見て、世の中一体どうなっているのかと、いささかうんざりした。帰りの電車、ベンチシートの隣のカップル、電車の揺れにまかせて、ネッキングを始めたではないか。こにらの眼のすみで彼らの微妙な動きをつい追ってしまう。



前側のシートには5~6人の乗客が乗っているが、このカップルの動きが気がつかない風に、視線はあらぬほうを見つめている。中には、未就学の子どもをつれた母親も。子どもは、目前のカップルの動きには興味はなさそうだが、カップルの動きはしっかり観察しているのだろう。この子の気持の中では他人が「電車で抱き合うこと」を数回目撃すれば、その違和感はどんどん薄れて、この子が大きくなったときには、自然な社会行動としてコピーすることにほぼ間違いはない。母親はこのことを説明するのだろうか。



駅を降りて改札機にむかう途中、人の流れの真っ只中で、体を寄せて抱きあう高校生二人。横を通る人の視線は無視され、二人だけの世界に没入してしまっているようだ。それにしても、よりによって、人の通行の邪魔になるこんな場所で抱き合わずともとおもうのだが。教師はこうしたことにコメントはしないのだろうか。



続く3件目は、駅前に停車したSUVの中。電車から降りてくる家族でも待ち合わせているのだろうと思ったが、左にあらず。通りすがりにサイドのガラスから覗くと、中の二人は熱き抱擁の真っ最中だった。アリャリャである。彼らにとって、車内はプライバシーが確保された個室の気分なのだろうが、おあいにく様、すっかり外からお見通しだ。



3組のカップルからは、好きだから抱き合っているのに何が悪いと反論を食いそうだ。こちらも他人の恋路を邪魔するつもりでいるのではない。日本人はいつ頃から「はずかしさ」や「世間の眼」というものを忘れ、恐がらなくなってしまったのだろうか。



電車の中、駅の構内、車の助手席、いずれも他人の眼に晒される「社会の場」ではないのか。社会の場を意識せずとも平然と暮らして行け、誰も文句を言わない社会、自主規制のブレーキが利きにくい世の中、プライバシー尊重の名の下の無責任な放任主義、責任の伴わない自我主張、これらの流れはどこへゆきつくのか。昨日の銃乱射事件と見かけは違っても、同根の問題なのかもしれない。



羞恥心をもたない個人行動が許されるとするなら、もはやこれは猫のサカリと同じだろう。






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