名古屋が他所の人を惹き付ける魅力に欠ける理由のひとつが今日のニュースに現れている。「名古屋ボストン美術館が閉館 入館者数の減少などで」というNHKニュースのリードがそれだ。
鉄道ターミナルとして名古屋の副都心と呼ばれる割りには平面的な拡がりの生まれない金山で20年前の平成11年に生まれたのが「名古屋ボストン美術館」だったが、企画時点からすでにパトロン不足を問題化させて一時は開館さえ危ぶまれたという疵をもっての誕生であった。
それでも、アメリカのボストンという東部エスタブリッシュメントの地元にあるいわば「見識の高い」美術館が名古屋にブランチを持ってくるということにとても驚いた記憶がある。第二次大戦の戦勝国アメリカには、戦後のどさくさに紛れて数多くの日本美術が持ち出されていて、ボストンはいわば、東洋美術の宝庫だったから、きっとこうした宝物の里帰りも多く企画されるのだろうと思ったし、名古屋が仲立ちになって日本国内の優れた美術作品をボストンの本館で企画展示をすることも可能になるとしたら、それこそ、名古屋の文化的国際化になるではないかと密に喜んだのである。
ところが、ボストンと名古屋が姉妹都市関係を結んだり、文化交流が盛んになったりということもないまま、時は経過してゆき、初期の大物たちが鬼籍に入り、勧進帳も回らず、パトロンも減少していった。20年後の閉館を「入館者減による財政悪化」を理由にしているということは、入場料だけに頼って美術館経営を続けてきたということのようだ。
たしかに、初めの頃は、名古屋にはなかった企画展が観客を集めたこともあったが、途中からそのスケールが小さくなっていった感は否めない。間借り感のある貸ビルの2フロアでは、余裕をもった展示も企画もしにくかったろう。一度行ってその狭さに驚いたというのが正直なところだ。客の減少は美術館の狭さにも理由はなかっただろうか。
アメリカのフランチャイズ契約は高額なフランチャイズ料や運営条件の細かさこそが特徴である。ボストン美術館の場合もこのフランチャイズ契約になるわけだが、名古屋市側がそれを考えなかったということではあるまい。しかし入場料収入だけで収支勘定を考えるような役所的やり方が先細りになるのは目に見えていた筈だ。
閉館式では馬場駿吉館長が「モノとして残すことはないかもしれないが、これまで460万人以上の方に来ていただき、皆さんの胸の中にたくさんの名品が残っていると信じている。20年間、ありがとうございました」と述べたとある。「多額のフランチャイズ費用を支払ったが名古屋には作品ひとつも残らなかった」ということの言い替えにしては辛い。
「20年という短い期間でしたが名古屋地区のひとに美術や世界のいいものを見せていただけて感謝しております」初老男性のこのコメントは、いかにも名古屋ローカルの美術館の最期らしい。願わくば、彼の心の中の記憶が褪せないようにと願う。
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