5522の眼

ゆうぜんの電子日記、2021年版です。

英語は20年後も国際語か?

2010-08-02 23:00:46 | 学習
「広東語を守れ」という昨日(8月1日)の広州市民デモは、広東では3000人、香港では200人が参加して行われたが、流血などという問題はなく収拾がされたようだ。

デモ隊は大規模というまでには膨らまなかったようだが、ポイントは参加者数ではなく、香港側のシンパ参加によって国際メディアが取材に走ったこと。今日のBBCワールドニュースでも早速、この微妙な問題を取り上げているから、「普通語で言語的全国統一を図りたい」北京政府の思惑もハザード含みということになりそうだ。

斯様に一つのローカル言語が政治的かつ国際的な問題として捉えられる現代社会だから、英語優位性というのも絶対的なものだとは思えないのだが、8月1日の産経「生活ニュース」には「親は片言、でも子には日常会話期待 小学生の英語教育」という教育コラムが掲載されている。日本は相変わらず英語偏重のようである。

コラムでは、改定された小学校学習指導要領によって、来春にはいよいよ小学校高学年で英語が義務化され、週1時間程度の「体験型英語授業」を行うことが決まったが、ここへきて小学生むけの「児童英検」が人気になっているのだという。

記事は、今年の「英検」を受験した児童の保護者を対象にしたアンケートの結果についてコメントをしており興味深い。

来年度からの英語必修化に「期待する」という回答が63%の過半数。「期待していない」の約2倍と高率だったのは、受験者の43%が、すでに3年以上に亘って英語を学習していることに因るるのだ。子供の英語教育に期待度の高い教育ママ達の姿が見える。

オモシロイのは、子供に求める英語力についての回答。「日常会話レベル」が38.3%、「ビジネスレベル」が33.5%、「バイリンガルレベル」20.3%と、過剰期待もいいところ。ところが、保護者自身の英語力になると、「片言レベル」が28.1%、「日常会話レベル」21.6%、「旅行会話レベル」15.6%となって、半分の親たちは自分の英語力を流暢だとは思ってはいない訳だ。

子供に英語を学ばせたい理由は、「将来英語ができた方がいいから」が一番の77.8%とほとんどだが、これは「わが子をピアニストに」と子供の情操教育にお熱だったもう一世代前の親たち(子供からすれば祖母世代)の気持ちに似たところがあるように見える。

国際競争力を持つためには英語能力が必須であるという意見には不賛成ではないが、小学校から会話重視の英語を教えることで、日本人全体の国際対応力が将来的に向上するのかといえば、決してそうはならないと思う。

「中国や韓国では小学3年から英語が必修だから負けられない」という意見をよく耳にするが、二国の高等教育や就業事情と日本のそれとはかなりの違いがある。国内教育から就職が自然に決まる日本人に比べて、外国へ出ることでしか自分のキャリア解決ができない中国人や韓国人は、相対ハンディを抱えているわけで、彼らの外国語(英語)習得はいわば必要悪、一所懸命なのだ。

20年後の日本人の国際モビリティはどれほど高くなっているのだろうか。

企業の国際的連携はどんどん進むだろうが、十二分の日本語力を持った外国人従業員の数も増えて来ているだろう。両隣のデスクには外国人が座って流暢な日本語を駆使するなんて風景が当たり前になっているだろう。入社してアサインされたビジネスの相手がそれこそ「広東語」しかしゃべらないとしたらどうする。

インターネットの環境も、自動翻訳が発展し音声ロボットによる同時翻訳が可能になっているかもしれない。英語なぞしゃべれなくても、個々の「国際的」分業はできてしまう環境になっている可能性も高いのだ。

要するに「英語が流暢にしゃべれること」が子供の未来を保証するなんてのは、親たち世代の過去のハナシで、要するにないものねだり。弾かなくなったピアノが部屋の隅で音もたてないのと同じだろう。







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