929. 旭川・先人たちの眠るところ (アイヌ墓地) 2006-09-01 11:59:30 | Weblog ① 春光台の西外れ、今は旭岡という住宅地に囲まれた、その昔は遠い野末だったであろうところ。 私たち和人が来る前から、ここは先人たちの墓所だったのでしょう。 今は旭川市アイヌ墓地というようです。 70戸程のお墓は半数近くが日本式の石のものになっているが、他は昔ながらの木のものです。 ② 先端の平たいのが女性、尖っているのが男性のようです。 名前や模様が手彫りしてあります。 ユーカラ口承者だった杉村キナラブックさんや、彫刻家の砂澤ビッキさんもここに眠っておられる。 ③ 一角に、こんな慰霊碑が建っていた。 ある思いが胸中をよぎった・・・。 ★最初と最後の2画像は、昨年の初冬に撮影したものです。 #写真 « 928. 旭川・夕闇に沈む大雪山... | トップ | 930. 旭川・秋味(サケ)が。 ... »
31 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 アイヌ民族 (kitaguni) 2006-09-01 14:16:36 北の祖先だよね・・・。此方の地名にも残ってるアイヌ語。この前TVで見ました。アイヌの悲哀感じました・・・。和人か・・・。北方領土にこの前感心が有り調べて見たら、其処もアイヌが暮らしていた土地。先住民が住み憎い世の中に進歩した事が原因かな・・・。二枚目の写真、白い雲みたいな物が写ってるけど・・・何かな? 返信する 旭川にも。。 (くまたん) 2006-09-01 14:27:48 やはり先人の足跡が残っているんですね~~~!しかし。。なんとも素敵なお墓ですね。雪がたっぷり積もっても壊れない形なんですかね?他にもアイヌのモノってなにかあるんですか?リクエストしちゃいまぁす!で。。2枚目の写真はなぜ白いものが??? 返信する スゴイ! (北ホタル) 2006-09-01 15:30:46 うーーん、2枚目の画像!。 かなり沢山来てますね。 合掌。 返信する 先人 (FEFE) 2006-09-01 16:20:30 北方4島は日本でもロシアでもなく、アイヌのものだという人がいました。 北海道には地名とか多数その名残りが見られますね。少数民族への思いをこめて、旭川市長さんが建てた殉郷殿ですか。 オーストラリアでも先住民を大切にしていました。 素朴な木彫りの墓標ですね。熊と一緒に眠っているようです。 返信する アイヌ墓地 (siawasekun) 2006-09-01 21:51:24 アイヌ墓地ですか。もちろん、初めて、見ました。先人のものですね。歴史を感じますね。さすが、旭川のまりあさん。珍しいもの、ありがとうございました。 返信する アイヌ墓地 (michioaruku) 2006-09-01 22:25:49 旭川にアイヌ墓地があるんですね。木のお墓。男性と女性で先端の形が違うんですね。昔ながらの木のお墓でも長年の風雪に耐えて綺麗に残っているんですね。 すごい! 返信する Unknown (Takuya) 2006-09-01 22:41:43 アイヌのお墓、はじめてみました。カナダの先住民も木でトーテムポールを作っていたのを思い出し、北に住む人には何か共通点があるのかな?と。。除霊が必要な写真があると思われます。? 返信する 胸痛むわ。 (ヤマト) 2006-09-01 22:59:12 アイヌのお墓初めてです。とても哀愁を感じます。碑も胸を打たれます。征服された者の悲しさですね。 返信する kitaguni さんへ (まりあ) 2006-09-02 05:19:21 この岡を旭川側へ下りた辺りが彼らの集落でした。 今もこの辺りに多く居住されています。川村カネト酋長が建て、なくなった後「川村カネト アイヌ記念館」として今も笹で作った建物があり、見学者が訪れているようです。 私、学校で彼らと同窓ですよ。2枚目の写真は、地面にプライベートなことが判明するような、お参りの品が写っているのを隠す目的で私がソフトを使って写真加工したものです。 紛らわしくて、ごめん。 返信する くまたん へ (まりあ ) 2006-09-02 05:44:19 白いものは写真装飾の一種です。 ↑のコメントを見てね。今も旭川市民として普通の生活をされているはずです。 ふだんは昔のような服装や刺青やの姿でないので、すぐにわかるということがありません。時に伝統的な儀式をするときに、伝統的ないでたちで伝統的な器具を使用してやっているようです。今、公園になっている嵐山(春光台に隣接している)が昔、彼らの聖地であったようで、ここに市としてのアイヌ関連施設があります。「アイヌ文化伝承の森」として、記念碑、復元笹小屋、博物館分館などが・・・。脇を流れるオサラッペ川では昔、丸木舟でサケを捕獲していたようです。あとで、いくつか紹介しましょうね。 返信する 北ホタルさんへ (まりあ ) 2006-09-02 05:58:33 北ホタルさんも旭川市民ですが、こんな場所を、あまりご存じないのではと思います。で、紛らわしい写真で、お騒がせいたしました・・・。 ハハハ・・・。↑のようなことでした・・・。 返信する FEFEさんへ (まりあ) 2006-09-02 06:11:50 網走近辺は、アイヌ人よりもっと少数の北方民族のギリヤーク、オロッコ人などの居住があるようです。この墓地、半数以上が普通の石のものでも、ふだんの市民生活よりは民族色が色濃いです・・・。 返信する siawasekunさんへ (まりあ ) 2006-09-02 06:15:01 さりげなく紹介しました・・・。観光的には紹介したくないので・・・。 返信する michioarukuさんへ (まりあ ) 2006-09-02 06:25:16 かなり昔立てられてそのまま残っているものもありますが、現在も、この、木の墓標が立てられていますよ・・・。 1人1人1本ずつ家族としての区画にまとまって・・・。 返信する Takuya さんへ (まりあ ) 2006-09-02 06:34:21 昔は、どこでも木の墓標だったのでは・・・?日本でも、角柱で作られて墨書きされていたのを、よく目にしましたが・・・。 返信する ヤマトさんへ (まりあ) 2006-09-02 06:46:20 アメリカやオーストラリアや・・・、似た例は多々あり・・・。近代になっての少数民族としての苦難、悲哀は多々あった(今も?)ことでしょう・・・。 返信する Unknown (健太郎) 2006-09-02 08:08:48 おはようございます。「知られざる北の話」を多くの人に知ってもらうためにもこれからも彼らの「足跡と今」を教えてください。健太郎 返信する ふむ (ブラック・ジュッキ) 2006-09-02 12:25:31 オーブにしては妙な形だし全然髪の毛も立たず妖気も感じないし変だなと思ってました。まりあさんの加工だったのね。ははは。みんなで歌おうゲゲゲのゲ♪ 返信する それにしても (ブラック・ジュッキ) 2006-09-02 12:27:19 可愛いお墓だ。 返信する 何年か前に。 (北ホタル) 2006-09-02 17:44:27 今日、美瑛に行く前に行ってきました。 中学生の頃、自転車で訪問したところですね。 同じ時期、嵐山の裏側に、があったのを 覚えています。 あの頃は女性が口に真っ黒い刺青をしていた のが怖かったです。 返信する 健太郎さんへ (まりあ) 2006-09-02 23:39:23 私が特に詳しく知っているわけではないですが、気に入った写真が撮れたら紹介したいと思います・・・。 返信する ブラック・ジュッキさんへ (まりあ) 2006-09-03 00:01:11 あ~あ、BJさんまで楽しんじゃって・・・。おばけの話じゃないのです!げげげ♪ええ、可愛い感じかも・・・。質素、素朴、純粋、自然、そんなイメージもあります・・・。 返信する 北ホタルさんへ (まりあ) 2006-09-03 00:13:22 私は、きょう神楽のディーラーで車の点検をしてもらっている間、三浦綾子文学館に行ったら、ここの墓地の写真が出ていてびっくりしました。『氷点』の主人公が散策した場所として紹介されていましたヨ・・・! 返信する Unknown (ブラック・ジュッキ) 2006-09-03 04:29:26 そういえば私が小学校6年生の時、アイヌを見学に行ったときに、そこに履物を作っていた若者がいましたが、そこに本州から来た観光客らしい兄ちゃんが「おい、あいついかにもアイヌみたいやね」「熊みたいなツラしとるでえ」と言った途端、このアイヌの若者が「何おっ!」と言って鉈(なた)を持って立ち上がりました。近くにいたアイヌの老人がすぐにこの若者を押さえましたが、その目は爛爛と射抜くように光ってその凄みに少年の私は縮みました。今でも焼きついた記憶です。彼は今頃どうしているのだろう。 返信する ブラック・ジュッキさんへ (まりあ ) 2006-09-03 10:10:41 そういう観光の仕事をするのも本位ではなく、仕方なしにだったのでしょう。かたや神経ピリピリ、かたや無神経・・・、そんな場面がたくさんあった(ある?)のでしょう・・・。 返信する 優しい瞳・雪蛍 (旅人) 2006-09-03 21:48:48 我が故郷といっても、もともとは先住民の神々との共存の大地。心の優しい人たちが残してくれた北の自然と恵みに感謝し、素朴な気持ちで頭を下げる。貴方の優しい心遣いにも。 すべての恵みに神宿る先人達の心ひろき知恵 おもいやりの白き光か慰霊の雪蛍 ピリ~カ ピリカ タンドシリピリカ ヌンケクスネ~中学の修学旅行で阿寒のバスガイドさんが歌ったような。そんなことも古脳をよぎった。 返信する アイヌ民族 (kawa) 2006-09-03 22:43:08 日本の先住民族ですよね。歴史で、ほとんど、習わないので、知識がありません。 返信する 黙祷 (ブラック・ジュッキ) 2006-09-04 00:20:35 もしかして其の時の老人と若者も年を経てこの土の下に眠っているのかも知れないと思うと、感慨深いです。 返信する 旅人さんへ (まりあ ) 2006-09-04 10:32:36 阿寒ネ~。私も憶えがあります。『ピリカ・・・』は。そのず~っと以前は、『君の名は』かな?『クロユリの歌』。『イヨマンテ』なんていうのも・・・。若いのに、よく知ってるでしょう・・・?ははは・・・ 返信する kawa さんへ (まりあ ) 2006-09-04 10:40:17 今は私達と同じ国民、道民、市民です。国会議員になられた方もおられます。教科書には出ていなくても、こちらでは博物館などに展示されているので、学ぶ機会は、まあまああります。 返信する ブラック・ジュッキさんへ (まりあ) 2006-09-04 10:53:50 う~ん、それから40年近くたって・・・、BJさんのストーリーにしておきましょう・・・。文字を持たなかった彼らの木の墓標に、漢字で名前が彫ってあって、当然といえば当然ながら、何だか妙な感じも、しました・・・。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
此方の地名にも残ってるアイヌ語。
この前TVで見ました。
アイヌの悲哀感じました・・・。
和人か・・・。
北方領土にこの前感心が有り調べて見たら、其処もアイヌが暮らしていた土地。
先住民が住み憎い世の中に進歩した事が原因かな・・・。
二枚目の写真、白い雲みたいな物が写ってるけど・・・何かな?
しかし。。なんとも素敵なお墓ですね。
雪がたっぷり積もっても壊れない形なんですかね?
他にもアイヌのモノってなにかあるんですか?
リクエストしちゃいまぁす!
で。。2枚目の写真はなぜ白いものが???
かなり沢山来てますね。
合掌。
北海道には地名とか多数その名残りが見られますね。少数民族への思いをこめて、旭川市長さんが建てた殉郷殿ですか。
オーストラリアでも先住民を大切にしていました。
素朴な木彫りの墓標ですね。熊と一緒に眠っているようです。
もちろん、初めて、見ました。
先人のものですね。
歴史を感じますね。
さすが、旭川のまりあさん。
珍しいもの、ありがとうございました。
木のお墓。男性と女性で先端の形が違うんですね。
昔ながらの木のお墓でも長年の風雪に耐えて綺麗に残っているんですね。 すごい!
カナダの先住民も木でトーテムポールを作っていたのを思い出し、
北に住む人には何か共通点があるのかな?と。。
除霊が必要な写真があると思われます。?
とても哀愁を感じます。
碑も胸を打たれます。
征服された者の悲しさですね。
私、学校で彼らと同窓ですよ。
2枚目の写真は、地面にプライベートなことが判明するような、お参りの品が写っているのを隠す目的で私がソフトを使って写真加工したものです。 紛らわしくて、ごめん。
今も旭川市民として普通の生活をされているはずです。 ふだんは昔のような服装や刺青やの姿でないので、すぐにわかるということがありません。
時に伝統的な儀式をするときに、伝統的ないでたちで伝統的な器具を使用してやっているようです。
今、公園になっている嵐山(春光台に隣接している)が昔、彼らの聖地であったようで、ここに市としてのアイヌ関連施設があります。「アイヌ文化伝承の森」として、記念碑、復元笹小屋、博物館分館などが・・・。
脇を流れるオサラッペ川では昔、丸木舟でサケを捕獲していたようです。
あとで、いくつか紹介しましょうね。