島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

32.栗と餅の三笠

2021-03-18 | 菓子たくさん
 
 朧八瑞雲堂(オボロヤズイウンドウ)(北区紫野上鋳i町)は2009年の創業と、京都の和菓子屋さんにしては歴史が浅すぎますが、分厚い生クリームをはさんだ「生どら焼」が衝撃的で、行列が出来る有名店になりました。
 
 今回は、人気ですぐに売り切れるという「生どら焼」ではなく、「栗と餅の三笠」税別305円を買ってきてもらいました。
 
 餡は甘さ控えめで、餅の食感も良かったですし、1個で食べた感はあります。
表面がつるつるした三笠ではなく、裏生地のような感じの皮は、ややパサつき感がありました。
 どら焼きと三笠の区別はどうつけるんですかね、私としては三笠の名の方が馴染んではいます。

       返事
花水木さん:昔の女の人の名の「子」は、
    ほとんど「し」と読んで下さい。
     74点って、なんか教習所の意図を感じますね。
    2000円獲りたい一心ですかね。

コメント (2)
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82-7後鳥羽天皇皇女禮子内親王

2021-03-16 | 天皇陵巡り
 
 第82代後鳥羽天皇の第3皇女禮子内親王(レイシナイシンノウ)(1200~1273)の母は坊門信清の娘なので、道助親王は同母兄、頼仁親王は同母弟になります。
 異母兄の土御門・順徳両天皇朝に賀茂斎院に入ってますが、承久の乱の混乱で賀茂斎院は廃絶したので、禮子内親王は最後の斎院となってしまいました。
  御墓は太秦映画村にも近い、少しは畑も残る住宅地の中に、かなり広々と存在していました
 
 禮子内親王は病気の為に13歳で斎院を退下し、七条院殖子の元で養育されたこともあってか、嘉陽門院の院号を宣下され、承久の乱前には出家していました。
  御墓の中央には、ャcンと石塔が立っていました
 
 七条院領を相続したためか、墓は単なる内親王にしては広目です。
宅地開発された農地の中に、宮内庁治定になった為に、こんな空き地が残るのは良いことかもしれません。
  後鳥羽天皇皇女禮子内親王墓(右京区太秦安井池田町)
 
 後鳥羽天皇の皇子女6人の墓参りをしましたし、この後天皇になった2人の親王の陵も廻りますので、後鳥羽だけで10回分ぐらいを使わなくてはならないようです。
 少しスピードを上げたいような、終わりを長引かせたいような気分です。

       返事
花水木さん:善峯寺の山門は、
    白い部分があるので、余計立派に見えます。
     75点以上ですか!
    63点でなんとか世の中を渡ってきた私は、
    追加の2000円を払います。

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82-6後鳥羽天皇皇子道覚法親王

2021-03-14 | 天皇陵巡り
 
 道覚法親王(ドウカクホッシンノウ)(1204~1250)は後鳥羽天皇の皇子で、母は尾張局です。
朝仁親王(アサヒトシンノウ)と親王宣下は受けましたが、12歳で出家し天台教学を学びました。
 
 承久の乱(1221)で青蓮院を退出せざるを得ませんでしたが、その後天台座主となり、青蓮門院門跡にもなってますので、ここ善峯寺の青蓮院宮墓の中に祀られてるのでしょうね。
 青蓮院宮墓地(ショウレンインノミヤボチ)(西京区大原野小塩町)の一番左横にありました
 
 特に巡るまでもない人のようですが、善峯寺にも行ってますので、数増やしに挙げさしてもらいました。
もちろん宮内庁治定陵墓です。

       返事
花水木さん:75歳以上の試験は難しそうですね!
    せっかくの新車に2年間しか乗れなかったら辛いです。

コメント (1)
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新車で薬師寺へ

2021-03-11 | 
 
 日曜日も新車の試運転を兼ねて、奈良までドライブ。
年寄りの乗る車日産ノートから、新型日産ノートになって、チョット若返った気分です。
℮-POWERはほとんどブレーキを使わない運転なので、新しいドライブ感覚ですが、アクセルとブレーキを踏み間違わないように頑張ります。
 
 新しく再建された建物が並んでる薬師寺に行きました。
写真は平成15年(2003)再建の大講堂、正面が40mあって、金色の鴟尾が輝いていました。
 観光客はこれくらいで、参拝の邪魔にならないので、名所に行くなら今ですかね。
国宝の仏足石・仏足跡歌碑も、触れるぐらい近くで観れました。
こんな石の国宝があるとは知りませんでしたので、幾つになっても知らぬことは多いですね。
 
 50年前に来た頃は、これしかなかったかもしれない国宝の東塔です。
裳階が付いてるので六重に見えますが三重塔で、「凍れる音楽」と称されてる有名国宝です。
 今回は全面解体修理が終わった所で、特別に戸が開かれていて、内部の心柱などを見ることが出来ました。
 
 この解体修理で東塔てっぺんから1300年ぶりに降ろされ、役目を終えた水煙が、平成29年(2017)にこれまた再建された食堂(ジキドウ)横の西僧坊内に展示されていました。
歴史の教科書でも見た、透かし彫りの水煙をまじかに観れて、しかも写真も許可ですよ。
 
 写真は昭和56年(1981)再建の西塔ですが、昭和42年(1967)に懐かしい高田好胤管主により始められ、当時は話題にもなった薬師寺再建事業ですが、50年以上たって金堂・西塔・中門・回廊・大講堂・食堂が再建され、薬師寺式伽藍配置として教科書で学んだ白鳳伽藍完成したんですね。
 
 再建が良かったか悪かったか判りませんが、この薬師寺の伽藍拝観料は1600円と、帰ろかなと一瞬思った値段でした。
まあ金もかかったと思うし、高田好胤さんの執念も入ってるので、これぐらい獲らないとやっていけませんかね。
 善男子・善女子は最初と最後にもこのトイレも使わしてもらってるので、まあ元は取りましたかね。
 50年前に東塔だけを観た時は、無料だったのでしょうか、憶えていません。
 
 奈良市内在住の長男家族とも久しぶりに会って、家からすぐの店でランチ。
デザートの名前は覚えきれませんが、シンプルながら味わい深い味でした。

       返事
toitennさん:4輪自動電車です。
花水木さん:もうすっかり元のCityboy?に戻ってます。
     一昨年も高齢者教習受けてますが、
    75才以上はそれよりずっと難しくなるんですか?

コメント (2)
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新車で彦根へ

2021-03-09 | 
 
 五島列島から京都に戻って、早いものでそろそろ5年が経ちます。
京都に戻ってから乗り換えた年寄り向きの日産ノート、5年の車検も近いので、新型ノート℮-powerに買い換えました。
これが私の最後の新車になると思いますが、名義は家内です。
 日産の℮-power、ガソリンエンジンで発電して、その電気で電気モータを回して走るという形式なので、車と言うより電車ですかね。
 
 早速往復200㎞ぐらい、琵琶湖の湖岸道路を走って彦根までドライブしました。
彦根では「ひこにゃん」には逢いましたが、彦根城はパスしました。
 
 彦根にも、おなじみの像がありましたよ!
関西圏は京都以外でよく見かけますね。
 
 お城近くの並ばずに入れた店でランチ、安くて美味しかったです。
まあまあ観光客も増えていて、車のナンバーを見る限り、岐阜など東の方から来ていました。
 デザートのチーズケーキも自家製の様で、甘さ控えめで美味しいです。
  新車はやっぱりいいですね。!!

コメント (2)
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