島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

52-3嵯峨天皇皇女有智子内親王

2019-12-07 | 天皇陵巡り
 
 島から戻って最初の元旦、嵯峨野を二人でブラブラした時の写真です、左に御陵らしき森と鳥居、右に見える藁ぶき屋根が落柿舎(ラクシシャ)です。
長崎生まれで芭蕉の弟子、蕉門十哲の一人向井去来(ムカイキョライ)の別荘が、この落柿舎です。
(庵周囲の柿が、一夜にして全て落ちたので、この名があります)
 
 ブログを始めた頃に、島から訪れた長崎市内にある、坂本龍馬も遊んだ有名な料亭「花月」の入り口に、向井去来の句碑があって、この写真も掲載し紹介したことを思い出しました。
(10年以上前の若き?私の姿ですが、まだこのシャツやズボンを着てると思います)
    いなずまや どの傾城の かりまくら
 色っぽい俳句なんですかね
 
 この左の陵墓が、嵯峨天皇第8皇女の有智子内親王(ウチコナイシンノウ)(807~847)の墓(右京区嵯峨小倉山)で、母は交野女王(カタノノジョオウ)です。
 なんでこんな墓が残ってるのかと言えば、
 
 810年薬子の変の時に、「勝てば私の娘を賀茂大神に捧げる」と、嵯峨天皇は祈願したので、勝利後初代賀茂斎王(イツキノヒメミコ)として4歳の有智子を任命しました。
(現在の葵祭では一般人を斎王代として選んでいます)
 
 また、嵯峨天皇の多数の皇子女の中で、有智子内親王は文才に恵まれ、数少ない女性漢詩人でしたので、墓が残るそれなりの理由はある内親王だったようです。

    返事
花水木さん:「灯台下暗し」で、
    思わず福江島の大瀬崎灯台を思い出してしまいました。

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1 コメント

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Unknown (花水木)
2019-12-08 15:47:19
「いなずまや・・・」の俳句が色っぽいのかどうか。
俳句を知らない私には、よく解りません。
色っぽい事には、最近と言うか、もう数十年、縁の無い私。
今回の画像を見て、前回の紅葉の写真が良かったと
再確認しました。
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