島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

奈留島百人一首53

2013-10-16 | 奈留島
 
 53. なげきつつ ひとり寝る夜の 明くる間は
              いかに久しき ものとかは知る

                      右大将道綱母(ウダイショウミチツナノハハ)(936?~995)
 この歌のように、ひとり寝はいつの時代も寂しいものですが、若い時は当直の時でさえ一人で寝るのは寂しかったのに、60過ぎて一人暮らしにも慣らされてくると、それほど寂しいものではなくなってしまいました。
      良いような?情けないような?・・・。
 夫の関白藤原兼家との間に生まれた道綱が右大将になったので、この名で呼ばれている作者は、和歌の神様衣通姫(ソトオリヒメ)・9番の作者小野小町と共に日本三大美人と言われていますので、歌を詠めないとなんぼ綺麗でも昔は美人とは認められなかったのですね。
  
 古文で習ったので名前だけは覚えていますが、内容はまったく知らない「蜻蛉日記」の作者でもあり、その中にある二首の歌が五島列島福江島にある三井楽を歌っていますので、五島列島と百人一首はどこかで繫がっているので、奈留島百人一首もそれほど奇異なものではないのですよ。
 三井楽にある道の駅「遣唐使ふるさと館」の中の展示コーナーに、この二首が展示されています。
 
 三井楽は西方浄土に一番近い日本の西の端、遣唐使船も最後にここを出て東シナ海を横断しました。
 最近紹介した空海の残した「辞本涯」(日本の最果ての地を去る)の碑です、この写真は昔の分です。
  
 53. 投げた玉 皆で入れあふ 玉入れは
            いかに難しい ものとかは知る

          なげ・は・いかに・ものとかは知る  13字 同じ
 奈留島の体育祭は来週ですが、いつも地区対抗戦として玉入れがあります。
これには比較的元気な高齢者が主に出ますので、私もその該当者として出場したこともあります。
ただ奈留島の玉入れの籠は5m以上とやけに高いきがして、私のように肩の弱い男や女性ではなかなか届きませんので、悔しいですが球を集める役に廻っていました。

    返事
花水木さん:おみくじどおり台風で遅れて今日帰ってきました。
大雪男さん:万馬券の方が値打ちはありそうですが・・・。
喜珍さん:今年のお祭りは肝心な所をパスしてしまいました。
    喜珍日記で私のブログを又紹介いただきありがとうございます。
    名前クリックですぐ出る方法を私も会得したいです。
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4 コメント

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Unknown ()
2013-10-16 19:57:23
あはっ、 なんと高さのある玉入れでしょう。 これでは皆様 翌日いえ数日後は 肩、腕の筋肉痛でしょうね?

若いときのひとり寝は 淋しいと思うときもあったのでしょうが、長いこと夫婦をしてると時間の使い方 それぞれで、別々の部屋で過ごすのが当たり前になると たまの旅行で一緒の部屋、これがまた気を使うもので熟睡が出来ませぬ。 
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Unknown (大雪男)
2013-10-17 09:22:02
コメントやクリックで跳ぶ方法はそんなに難しくないですよ。この私ができるんですから。ちゃんとやり方を読んでみて下さい。歌は何かいかにもといった“女々しさ”ですね。
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Unknown (喜珍)
2013-10-17 17:43:02
投げキッス 一人寝る夜の 翌朝は いかに彼氏を 得るかをぞ練る
・・・ルルルルルゥー♪ 「寝る」「得る」「練る」見事に韻を踏んだ久々の秀作です。 (#^.^#)

>先生

件の玉入れは、先生が初出場した後、高すぎだと少し低くなりました。
・・・とは言え、よそに比べると、まだ高い方なのかもしれません。

先生の場合、向こうに跳ぶリンクは不要だと僕は思いますけどね。 (*^^)v
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Unknown (喜珍)
2013-10-18 04:39:42
追記、

平安朝の時代に美人とされたは、絵でも分かるように下膨れのお多福顔をしたぽっちゃり系です。
この時代、そうしたふくよかな体型でいられたのは、和歌も詠めるような特権階級だけだったのではないでしょうか。

下々の者は、和歌を詠むことはおろか、文字すら書けない人の方がはるかに大多数であっただろうと思います。
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