![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/69/2dcd3f0ef2b79ef90a8502d2f4549846.jpg)
55. 滝の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ流れて なほ聞こえけれ
大納言公任(ダイナゴンキントウ)(966~1041)
第52代嵯峨天皇は離宮であった大覚寺に滝を作って、楽しんでいたそうです。
「その滝の音は200年後の今や聞こえなくなっていますが、その評判だけは残っています。」と詠った公任は、関白藤原頼忠の子で、政治的にも件p的にもプライドがかなり高かったようですので、嫌な奴だったかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/5b/d84e01eadf8e16cb0f05782b5a9c2c58.jpg)
55. 鳴神の音は 絶えて久しく なりぬれど
名こそ続いて 今も島の名
の音は・絶えて久しく・なりぬれど・名こそ・て 20字 同じ
奈留島の南端の岬は鳴神鼻と言い、そこには海蝕による大きな洞窟があったため、打ち寄せる波の音がドーンドーンと一里四方にまで響いていたそうです。
これ故にこの島は鳴島と言われていましたが、700年ごろに好字二字に統一する詔により、鳴→奈留となったそうです。
その海蝕洞も最近は上部の崩落があって、以前のような大きい音は出なくなりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/c7/54626ae89221c505ecaec5fcef633dae.jpg)
奈留神社の祭神コノハナサクヤヒメは、古事記の話とは違って、笠沙からこの鳴神鼻に漂着して子供を産み、育てている時に過って海に落ち流されて、奈留神社下の海岸に死体となって漂着したと、奈留島では伝えられています。
したがって秋の奈留神社の例大祭では、大漁旗で飾られた御輿を乗せた船団が鳴神鼻の洞窟までパレードをして、御神酒(オミキ)と祝詞(ノリト)をあげて帰ってくる行事があります。
奈留島の名前の由来を上手に伝えた良い替え歌になりました。
返事
福山市さん14日分:今コメントを見つけました。
「あみん」は再結成しているのですね。
喜珍さん:特派員の家内まかせで、今年の実物を見ていませんが、
写真で見る限り、やっぱり高いですね。
喜珍さん2:車のことを考えていませんでした。
旧奈留小グランドでは車が混みすぎますかね。
花水木さん:今回の貼り付けからは、クレソン畑に入れましたね。
奈留島のいわれは良く解りましたが、スケールデカ過ぎです。
コノハナサクヤヒメとは仰天です。
昔からお上は下らない地名変更をやってたんですね。鳴島なら一発で分かるのに。
それにしても一里四方に聞こえたとは凄い。
・・・今回は、あえて言い訳はしません。 (#^.^#)
自慢たらたらの人とか、他を認めようともしないワンマンは困りますね。
鳴る島⇒奈留島。
今時のお子さんの名前に、当て字のような漢字を使う方が多いですね。ルビを振ってくれないと読めません。
そういう意味では、奈留島は最先端でしょうか?
すみません。疲れて変なコメントかも。
失礼がありましたらお詫びします。
今でいう字画占いみたいなものかもしれませんが、7世紀ころに、大和朝廷の支配が確立した機内地方で好字という、元々の地名の表記の文字を置き換える作業が行われました。
それが地方にも波及して、それまで鳴島と表記されていたのが奈留島となりました。
江戸時代くらいに書かれた思われる奈留神社の来歴等を記した奈留神社所蔵の文書にそのことも記載されています。
「奈」の字、「留」の字とも、奈留島の中心地であった「浦」「泊」の両地区の名称とも関連する文字です。
「留」の字と「泊」の字が関連が深い文字と言うのは誰しもわかるでしょうが、「奈」と「浦」の関連は説明しないと分からないでしょうね。
例えば「玉之浦」のことを五島の人間は「たまんな」と発音します。現に、「丹奈(たんな)」といった地名もあります。
五島の方言で、湾や入り江を「な」と言い、ひらがなの「な」の元字である「奈」が充てられたのでしょう。
その後に、意味するところを表す「浦」の字があてられたことを「玉之浦」の表記と呼び名が表しているように思います。
>先生
私ごとですが、うちの娘の名前も当て読みの最先端だったと思います。