島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

82-4後鳥羽天皇皇子雅成親王

2021-03-03 | 天皇陵巡り
 
 第82代後鳥羽天皇の第3皇子は第84代順徳天皇ですが、少しとんで第6?皇子は、母が藤原重子(ジュウシ・シゲコ)(1182~1264)と順徳天皇の同母弟になる雅成親王(マサナリシンノウ)(1200~1255)です。
  兵庫県豊岡市のJR豊岡駅から少し山側の高屋、道端から傍に少し雪の残る石段が続いていました
 
 1219年鎌倉3代将軍源実朝が甥の公暁に鶴岡八幡宮で暗殺され、源氏将軍が絶えたので、鎌倉幕府は雅成親王を次期将軍に迎えたいと要請したのですが、何故か後鳥羽上皇はこの申し込みを拒絶しました。
この時にこの要請を飲んで、雅成親王を征夷大将軍にしておけば、後鳥羽上皇も承久の乱など起こさずに、武家の上に立って天下を掌握できたのにと思いますがね。
  石段を登ると、いつもの風景が見えてきました
 
 そして承久の乱(1221年)が起こり、雅成親王もこの豊岡の高屋に幽閉されたそうです(黒木御所)。
 父後鳥羽上皇が隠岐で亡くなった後には、雅成親王は許されて一旦京都に戻れたようです。
  後鳥羽天皇皇子雅成親王墓(兵庫県豊岡市高屋)
 
 しかしながら、雅成親王を担ぎ出して次期天皇にしようとする公卿達の動きが有ったので、再び但馬のこの地に戻された雅成親王は、ここで亡くなっています。
  宝塔が並んでいる墓でしたが、どれが誰かまでは分かりませんでした

        返事
花水木さん:花が無く、
    寂しいばかりの天皇陵巡りですみません。
    ここはまだ車内で待つ家内が居る車道にも近く、
    明るい気持ちで巡れました。

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1 コメント

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Unknown (花水木)
2021-03-06 15:59:00
あーー良かった。
数日訪問せぬ間に、さくさくと更新してたら・・・と。

奥様が同行して下さるって愛ですねえ・・・・
我が家は、言葉の使い方(言い方)で大喧嘩です。

雪は、沼津ではもういつ降ったのか不明。
雪掻きで苦戦してるニュースは胸が痛みますが、犬と同じく、雪を見ると、何故かはしゃいでしまう静岡県民です。m(__)m


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