島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

北朝3-3後伏見天皇皇玄孫治仁王

2021-10-02 | 天皇陵巡り
 
 緊急事態宣言もやっと解除され、昨日1日は早速滋賀県で食事はしましたが、すぐに帰り、今日土曜日はどこに行っても良いのですが、朝からブログを書いて、あまり他府県に行く気にならない天邪鬼です。
 前回の栄仁親王(ヨシヒト)(1351~1416)と御息所正親町三条治子(?~1399)との間に産まれた第1皇子が、今回の治仁王(ハルヒトオウ)(1370~1417)で、同母弟に貞成親王(サダフサ)(1372~1456)がいます。
  後伏見天皇皇玄孫治仁王とある、大光明寺陵の制札ですが、第93代後伏見天皇から数えて(後伏見-光厳-崇光♂h仁-治仁王と)4代目になります。
 
 本来の長子相続なら北朝天皇は光厳-崇光-栄仁℃。仁と続くので、治仁王は天皇に成れても不思議ではなかったのです。
しかし、治仁王が産まれたのは持明院統の時代でも、後光厳-後円融-後小松の時代で、祖父崇光の弟の系統が皇位に就いてる頃でしたし、南朝でも、長慶-後亀山-後小松の時代でしたので、天皇位は治仁王にとってははるかかなたでした。
  やや右に廻ってますが、ほぼ直線の明るい開放的な参道です
 
 1408年第100代後小松天皇の時代に、やっと元服できた治仁王は、1416年に父栄仁親王が亡くなると、伏見宮第2代当主となりましたが、数カ月後には急死しました。
伏見宮家廃絶を望む人がいたのか、弟貞成親王に殺されたとの風説が流れましたが、後小松上皇と第4代将軍足利義持により安堵され、治仁王には女の子しかいなかったので、弟貞成が第3代伏見宮当主になりました。
 墓はこの北朝2代崇光・3代光明と同じ大光明寺陵(ダイコウミョウジノミササギ)(伏見区桃山町泰長老)に有ります。

 10月・11月ぐらいは新型コロナも落ち着いてると思われるので、また旅行など遊べそうですが、なんか自粛中に気力が萎えてきていて、解除されても今はまだ予定なし。
今週の休日は変わらず競馬と阪神とWOWOWですかね。

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1 コメント

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Unknown (Toitenlabee)
2021-10-02 23:21:42
涼しくなりかけたこの季節に、夏の疲れと、自粛疲れが出てしんどい人が周りには多いです。
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