島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

119-3光格天皇父慶光天皇

2023-04-16 | 天皇陵巡り

 閑院宮典仁親王(カンインノミヤスケヒトシンノウ)(1733~1794)は第113代東山天皇の孫にあたり、世襲親王家の閑院宮第2代当主でした。

  私の母校の目と鼻の先にある盧山寺境内の南側に、盧山寺陵に行く参道が始まっていました。

  その参道を左に曲がって進みますが、右側が賑やかな河原町通とは思えない静寂さが有ります。学生時代は近所なのに、恥ずかしながら全く知らない所でしたね。

 典仁親王は伯父にあたる第114代中御門天皇の第5皇女成子内親王(フサコ)(1729~1771)を妃にむかえましたが、その妃の侍女であった岩室(大江)磐代(イワムロイワシロ)(1744~1812)を寵愛し5人の王子をもうけています。

 その王子たちの一人、第6王子祐宮(サチノミヤ)が第119代光格天皇(1771~1840)(在位1779~1817)になってしまいました。

  写真は盧山寺陵正面で、急に開けた感じで、ガランとした内部も丸見えの御陵です。

 息子の光格天皇は、父典仁親王に太上天皇の尊号を贈りたいと思いましたが、時の老中松平定信に反対され、断念せざるを得ませんでした。

これが前々回に紹介した1788年の尊号一件です。

 典仁親王は尊号を得られないまま亡くなりましたが、その90年後に玄孫(ヤシャゴ)である第122代明治天皇によって、明治17年(1884年)に慶光天皇(キョウコウ)を追贈され、この盧山寺陵(ロザンジノミササギ)(上京区河原町広小路上ル)に葬られました。

  陵正面まっすぐ奥にある写真の石塔がそれだと思います。まだ出来て140年ぐらいでしょうね。

 盧山寺陵の制札には、慶光天皇妃成子内親王墓を始め沢山の名前が並んでいますが、次期光格天皇を産んだ大江磐代の名前は有りませんので、次回に。


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6 コメント

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Unknown (Toitenlabee)
2023-04-16 16:06:51
廬山寺は、御朱印にひかれて、行ったような気もするし、その景色も見たような気がするし、、、。でも、さだかではない。そんな風景。
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Toitennさんへ (島の医者になって)
2023-04-16 16:38:44
 見たような気がする、行ったことが有るような所かも知れない、デジャヴ!
 まあそんな風に思うのも、若いからですよ。
 私は知ってる所なのに初めてのような気がしたり、読んだ本なのに犯人が分からないままで、観た映画も最初から最後まで楽しめますよ。
仕事に行く日や場所も忘れたらどうしましょうかね。
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他にの有るのはご存じ? (新日本海)
2023-04-16 17:58:47
蘆山寺には天皇陵の他皇族の墓や私は分からないが大昔の有名人の墓が一杯あるんですよ・・盧山寺陵が奥にありますがその手前右側に一般墓地が有りますが、その中に10基程あります。金の菊の文が有る扉が有りますが畳半畳小さな墓です
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Unknown (花水木)
2023-04-16 18:03:48
ややこしやぁ~('-'*)

気温の変化が激しすぎて自律神経がおかしくなった私。
微熱は出るし、ビールは不味いし(;_;)

今回も関係無いコメントですが、今年と来年二年間、自治会の常任委員とやらにならされた夫。あまりにも用事が多く私が下請け。
今日は、広範囲に、配る事業所の工法の配布方法で大喧嘩。
自治会の役員が原因で離婚したら笑えますね。
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新日本海さんへ (島の医者になって)
2023-04-16 20:53:32
 新人さんありがとうございます。
この奥の一般のお公家さんや塀に囲まれた宮家の宮内庁治定墓、次回で紹介させていただきますので、乞うご期待を!!
 私の知ってる方ですか?新日本海の意味は?興味大ありなので、またコメントお願いします。
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花水木さんへ (島の医者になって)
2023-04-16 20:55:38
 自治会のことで喧嘩になるぐらいの議論をする夫婦は、そう簡単には離婚しないでしょうね。
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