奈良市の東南、山辺の道の北コースに、崇道天皇の八嶋陵(ヤシマノミササギ)(奈良市八島町)があります。
写真の奈良県道188号高畑山線の角を入ってすぐです。
早良親王(サワラシンノウ)(750?~785)の父は光仁天皇で、母は高野新笠なので、第50代桓武天皇の同母弟にあたります。
同母兄の桓武天皇の皇太子となりましたが、次期天皇を大伴一族が推す早良親王にするか、藤原一族が推す桓武の息子安殿親王(アテシンノウ)(後の第51代平城天皇)にするかで起こった、有名な造長岡京使藤原種継暗殺事件の黒幕であると疑われ、皇太子を廃され、乙訓寺(京都府長岡京市)に幽閉されました。
早良親王は無罪を訴え断食しましたが、認められずに、淡路島に流される途中に大阪で憤死しました。(それでも遺体は淡路島に流されたそうです)
その後、替わって皇太子になった安殿親王の病や、桓武天皇妃の次々の死、母の高野新笠までも病死したので、祟りを恐れた桓武天皇は、早良親王を崇道天皇と追称し、この八嶋陵に天皇として移葬しました。
この御陵はちゃんと土塀に囲まれているし、鳥居もありません。
この方が明治になって出来たような天皇陵より本物らしいです。
陵の前には何故かゴロゴロ巨石が残されていましたので、一応写真におさめておきました。
早良親王は死の間際に石を9個投げて、「この石の落ちた所に葬ってくれ」と言われたそうです。
9個の内8個がここで見つかったので、ここに陵を作ったそうです。
その八つ石がこの写真の石でした。
知っていたらちゃんと数えていたのですが、他の写真とも合わせて数えても、はっきり8個は確認できませんでした。
参拝したのが年末でしたので、陵の隣の由緒正しそうな家の玄関には門松が立っていました。
奈良の門松は、けっこうにぎやかで楽しいですね。
怨霊としても崇道天皇は、菅原道真や崇徳天皇と並ぶ超一流の怨霊ですので、桓武天皇が造営した平安京の鬼門にあたる北東、八瀬に至る道の途中に、崇道天皇だけを祀る崇道神社があります。
以前紹介した(2018年6月の小野妹子)小野毛人の墓は、この神社の奥の山の中にあります。
返事
花水木さん:免疫力の低下と共に、
死が近づいています。
大雪男さん:まあ後はパリーグの試合をのんびり観ます。
顔の三叉神経領域の帯状疱疹は、珍しくは有りませんが、
綺麗な顔が台無しなのがつらいです。
そろそろブログの顔を塗りつぶすのをやめて、
素顔を出して、読者を増やそうとしていた計画はおじゃんです。
玄関に大きな花を活けてるのかと思いました。
所変わればですね。
こちらで見かける門松は、青窒ノ松とほぼ緑のシンプルな門松です。
玄関飾りは、以前は真ん中に裏白と橙でしたが、風で舞い稲が飛んだりするので、最近はこちらのお宅のような、リース型にしてます。
重なってるので分かり難いですが。
野球から離れるとやる事が増えて良いですね。
顔は隠した方が良いと思いますよ、
自分の好きな顔を想像してくれますから。
顔に帯状疱疹が多いとは意外でした。