島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

楠原天主堂

2015-11-16 | 富江
 
 1912年(明治45年)に完成した楠原(クスハラ)天主堂、五島の天主堂としては珍しく福江島の中央、海から離れた場所に建っています。
 
 天主堂と言うより楠原教会と言った方が言い易いですが、「教会」は共通の信仰によって形成される集団のことで、その「教会」の建築物が一般的に「教会堂」らしいです。
 「ローマカトリックのアジア名は天主教、その建築物は天主堂になります」と、以前信者さんから説明されたことがあるので、五島の教会堂はほぼ天主堂になります。
ですから、「長崎の教会群を世界遺産に」と運動していますが、「長崎の天主堂群を世界遺産に」変えなくてはと、天邪鬼の私は思ってます。
それでも、天主堂と言うより教会の方が言い易い。
 
 昭和41年の楠原天主堂の写真です。
昭和41年には私はもう高校生、天主堂の玄関のヤシの木はまだ2ⅿぐらいの高さしかありませんでした。
その後私はまったく背が伸びず、むしろ2~3㎝縮んだぐらいですが、ここのヤシの木は立派に育って、狛犬か左近の桜・右近の橘以上に教会によく似合っています。
 
 窓の外から中をそっと撮らしてもらいました。
窓ガラス越しなので余計幻想的に、今にも神が降臨するような雰囲気です。
 
 明治の初めにこの地であったキリシタン迫害で、牢屋として使われていた民家が老朽化し、解体されたものを集めて、平成8年にこんな小屋の中に復元されていました。
 
 内部は明治の頃の民家一部です。
ここに入牢していたのは全部で69名、楠原や水ノ浦、それに少し離れたあの小さな島姫島の18人も含まれていました。
名簿の中には(名前の末は蔵・吉・助など)女性名は見当たりませんでした。

     返事
花水木さん:カーナビの女性の声にも心ときめく老人です。
    京都弁にしてくれたら、もっと現実感をもってときめくかも。
大雪男さん:確かに、カーナビはわざと狭い道を教える時がありますね。
和みさん:遊具はまだ古くなかったのに、
    あの芝生広場はそんなに昔からあったのですね。

コメント (3)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 鐙瀬 | トップ | 長崎から博多へ »
最新の画像もっと見る

3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (花水木)
2015-11-17 18:21:41
「およそ一キロm先を右方向どすえ。」
なんてね。
これが河内弁とかだったら浮「でしょうね。
ボケとかカスとか言われ唐キのかしら。
失礼しました。

教会よりも天主堂の方が趣きもあり、格調高い感じです。
返信する
Unknown (大雪男)
2015-11-17 20:13:03
楠原はまあ海に近いと思います。繁敷教会には参りましたよ。野兎に遭遇しましたし。よくあんな山奥に入ったなあと呆れました。
返信する
Unknown ()
2015-11-20 21:04:24
五島に生まれながら 楠原教会も存じませんで。

大雪男さんのおっしゃる繁敷も存じません。 富江中学はその繁敷も校区内でした。 私の生まれ育った所から 富江の町まで3・5キロ 繁敷きはどれほど? 福江島のそんな奥にもひっそりと教会がるのですね。
返信する

コメントを投稿

富江」カテゴリの最新記事