島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

鞍馬街道20.

2024-03-25 | 京都へ、京都から

 写真の地図は私が産まれる10年前、昭和13年作京都都市計画書2万5千分の1(だいぶ前に寺町の古書店で1995円で買ってますので、たぶん再発行のまがい物?)です。

 今回はからまで、大徳寺通り(旧大宮通り)を大徳寺から上賀茂神社まで、鞍馬街道の西街道を行きます。

85年前の京都の北部は、ほぼ田畑だったんですね。

 左に大徳寺を見ながら北上し、その大徳寺が終わるとすぐの左手に、小さいですがよく整備された総神社(ソウジンジャ)が有りました。

この辺りの森が「菅宿の森(常盤の森)」と呼ばれてるのは、菅原道真が筑紫に流される時、当社巫女をしてた叔母を訪れて別離の時を過ごし、一宿されたからだそうです。

また、源義朝の別邸があって、常盤御前との子牛若丸(義経)をここで産んだとも言われています。

 更に大徳寺通り(旧大宮通り)を北山通りを越えて北へ進むと、久我神社(クガジンジャ)です。

上賀茂神社の境外摂社と言うことになってます。

この付近も「大宮の森」と呼ばれていたようで、総神社と同じくこの辺り一帯は巨樹が繁茂する森だったようです。

 境内を抜けると反対側はもう大宮通りで、神社の辺りでは旧大宮通りと、今はこちらの方が広く商店街にもなってる大宮通りは、かなり近づいていました。

 さらに北に進むと、地図に青〇で記した三叉路の道標にぶつかりました。

左に行く道が大徳寺通り(旧大宮通り)のようですが、ここで別れて右の道を行き、大宮通りを横切って猪熊通りに出て、御園橋まで行くのがたぶん鞍馬街道の道だった感じです。

 この三叉路に立つ石の道標、何とか

  右 上賀茂・貴布祢・くら満道  左 にしかも・神光院・岩屋道

と読めますが、1842(天保13)年の道標です。

コメント (2)
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