島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

123‐1大正天皇

2023-07-24 | 天皇陵巡り

 1879年(明治12年)、第122代明治天皇(1852~1912)(在位1867~1912)の第3皇子(他の皇子は夭折)として産まれた嘉仁親王(ヨシヒトシンノウ)の母は、側室の柳原愛子(ヤナギハラナルコ)(1855~1943)です。

  天皇陵巡り初めての関東遠征です、東京の中心からは結構遠い多摩地方でした

 明治20年、9歳で儲君治定を受け明治天皇皇后一条美子(ハルコ)(1849~1914)(後の昭憲皇太后)の実子となり、2年後に立太子した嘉仁親王ですが、生後すぐに大病を患ったりしたので、心身の発達は思うにまかせませんでした。

  多摩陵(タマノミササギ)(東京都八王子市長房町)正面、上円下方の形であることががよくわかります

 明治33年22歳の嘉仁親王は、九条道孝(ミチタカ)の娘17歳の節子(サダコ)(1884~1951)と結婚、この御世からは一夫一婦制となりました。

翌年には昭和天皇になる裕仁親王(ヒロヒト)(1901~1989)が誕生しています。

  数年前の平日だったせいもあって、この陵周囲にはあまり人影は有りませんでした

 明治45年(1912年)に崩御した明治天皇の跡を継いで、嘉仁親王は第123代大正天皇(タイショウ)(1879~1926)(在位1912~1926)として皇位に就きましたが、歩行障害もあって議会にもなかなか出られず、言語障害の為勅語を朗読することも困難であったようです。

  陵印は夫婦一緒です

 1920年(大正9年)には、大正天皇の病状が重いことが発表され、皇太子裕仁親王を摂政として、天皇は療養生活に入りました。

大正15年47歳で亡くなった天皇は、多摩陵に葬られましたが、私ぐらい大正天皇が生きていれば、私は大正生まれになっていたんですがね。

コメント (2)
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