いったん本土に戻った私たちですが、やっぱり奈留島のことが懐かしく、「島の医者になって」のブログ名にふさわしい環境にと思ったのかどうか知りませんが、もう一度2012年春から奈留島に、家内とフークに連れられて戻ってきました。
続いて応援してくれていたコメンテーターさんからも喜ばれてうれしかったですが、なんといっても今も続いて応援してくれてる(大雪男)さんが上五島でインフルエンザに苦しみながらこのブログにたどり着き、奈留島まで会いに来てもらえたり、(福山市)さんも海鮮ウオークで奈留島に来れれるなど、実際にブログで繋がって会えた人がいたことです。
2回目の勝手知ったる奈留島だったので、例大祭では舟にも乗せてもらえて、奈留島の鳴る島たる写真の洞窟までも見せてもらえましたし、
家内などと共に、離島総合センターの写真の緞帳修復など、奈留島生活を楽しみましたし、小倉百人一首のパロディーで「奈留島百人一首」シリーズを掲載、(喜珍)さんはじめそれなりの好評も得ました。
そんな中65歳の一応定年も迎え、奈留病院も付属診療所奈留医療センターと有床診療所になったため、色々考えた末、隣の大きな福江島にある富江病院で嘱託医として働き、週1回奈留島で外来をすることになったのです。
返事
Toitennさん:青野原病院で住んでいた官舎の隣に、
驚くことに、Toitennさんが少女時代を過ごした官舎の跡が残っていましたね。
運命のいたずらか!と言うこともないか。