島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

55番外天智天皇6世孫聖宝

2020-02-19 | 天皇陵巡り番外
 
 京都から奈良へ向かう街道の一部深草の辺りは、師団街道と呼ばれていますが、これは深草に第16師団の司令部が有った為で、今この跡地は聖母女学院になっています。
 この近くにも宮内庁治定のお墓があるというので、捜しました。
一度目は目の前を通過してるのに見落としまった、民家の狭い通路の向こう側に、それらしきものが見えるだけのお墓です。
他人の家に入るような感じで、少し心配しましたが、門の隙間を抜けて参拝しました。
 
 奥まで入ると、小さな塚が有りました。
聖宝(ショウボウ)(832~909)の墓です。
 天智天皇6(7)世孫と言うことなので、沓塚陵墓参考地(クツヅカリョウボサンコウチ)(伏見区深草)として宮内庁の管理になっていますので、55番ぐらいに入れ紹介します。
 
 聖宝は香川県の塩飽諸島で生れ、空海の実弟真雅(シンガ)の弟子となりました。
やや権力にすり寄りがちな真雅とは、犬好き犬嫌いの違いもあってか、やや距離を置いた聖宝は、清廉潔白・豪胆な人柄だったようです。
真言宗の僧であり、醍醐寺の開祖とも言われてるので、塚の頂上の石碑に、その名理源大師○塚と書かれていました。
 
 聖徳太子は「私は日本国に三度生まれ、その名には聖の字がある」と予言したそうで、これが聖徳太子・聖武天皇・聖宝の三人だそうです。
なんとも微妙な選び方ですね。
 
 何故こんな遠い親戚のような人の墓が、宮内庁の管理になったのか、その理由は何なんでしょうかね。
陸軍の師団本部のうわさとして、この辺になんか天智天皇と繋がってる人の墓があるようだとの噂を聞いた師団長か誰かが「これはちゃんと綺麗にして宮内庁がしっかり管理せい」と言ったので、こうなったと私は思います。
まあ邪推でしょうが、管理してる割には分かり難い場所です。
でも中は予想より広く、綺麗でした。

     返事
花水木さん:「男と女」
    アヌーク・エーメさんは4度の結婚と離婚、
    ジャン=ルイさんは2度の結婚と離婚以外に、ブリジット・バルドーとの交際もあります。
    これぐらい馬力のある券\人の方が楽しいですね。
大雪男さん:基本の骨組みも悪い上に、
    部品も壊れ始めていますので、
    色気ある男ではいたいのですが、
    単なる下品ないやらしいおじいちゃんになりそうです。

コメント (2)
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