奈良県内ではちょこちょこ見られる、近鉄橿原神宮前駅近くのこの道標を頼りに、初代神武~第4代懿徳までの陵のある畝傍山麓とは近鉄線路の反対側にある、第8代孝元(コウゲン)天皇陵を目指します。
古代から灌漑用としてあった剣池(ツルギイケ)の上に浮かんだように、陵は見えてきましたが、実際は半島のように剣池に飛び出した部分が、第8代孝元天皇の劔池嶋上陵(ツルギノイケノシマノエノミササギ)です。
参道は剣池から飛び出た、根元の部分から登るように出来ていました。
第7代孝霊天皇がクハシヒメノミコトに産ませた、大倭根子日子国玖琉命(オホヤマトネコヒコクニクルノミコト)が即位し第8代孝元天皇になったので、孝元天皇は前々回と前回に紹介した、ヤマトトトビモモソヒメと吉備津彦の異母兄になります。
軽堺原宮(カルノサカイハラノミヤ)(奈良県橿原市)で天下を治め、3人の妻に5人の子をもうけて、このうち3番目の子が次の第9代開化天皇です。
5番目の子、古事記では建波邇夜須毘古命(タケハニヤスビコノミコト)、日本書紀では武埴安彦命(タケハニヤスヒコノミコト)は、甥にあたる第10代崇神天皇の御代に、河内から嫁いだ妻の吾田姫(アタヒメ)にたきつかれるように反乱をおこし、妻は吉備に行った前回の孝霊皇子の吉備津彦に討ち取られ、自分は京都の南の精華町で、異母兄のオオヒコノミコトに滅ぼされています。
この第8代孝元天皇は古事記では57歳で崩御していますが、日本書紀では116歳と長生きで、その在位年数が数合わせのように57年間になっています。
と、ここまでの8代の天皇8人中、古事記では3人日本書紀では5人が100歳以上の長生きですし、その在位年数は8代合計で480年、1代平均60年という嘘のような年数です。
そして、日本の始まりを紀元前680年とした編纂者の後の努力にもかかわらず、8代目でも紀元前の人々の話になってしまっています。
前方後円墳が出来たのは3世紀になってかららしいですので、その前方後円墳の陵には年代的に入れない人々ばかりの陵を、私は巡っていることになります。
初代神武天皇の即位を、辛酉革命説からの紀元前660年にせずに、紀元200年ぐらいにしてしておいてもらった方が、まだ話は合ってきたように思います。
返事
大雪男さん:五島の海の色は良かったし、
その下に住む魚の美味しかったこと!
締まった体をしてるなんて言われたのは、本当に久しぶりです。
もうちょっと精進します。
和さん:団体で行くような観光地は、
どこもなかなかきびしい状況ですね。
京都は外国人観光客ばかりですが・・・・。
花水木さん:動物の子供、外国の子供、
そして孫は可愛いですね。
花水木さんと私の間には温度差はないと信じていますが、
女はわかりませんので、心配です。