島の医者になって、た頃もあった

70代男の日記風ブログです。新連載「京都へ、京都から」も始めました。

海嶺

2014-04-17 | 富江
 
 富江病院から歩いて3分、富江小学校がありますが、その向に小さな教会を見つけました。
ここは隠れキリシタンではなく、カトリックでもない、プロテスタントの教会である富江バプテスト教会でした。
 京都にもバプテスト病院があって、私の初孫も出産直後そこのNICUに担ぎこまれたので、私も5年前に奈留島から初孫に面会に京都バプテスト病院に行き、NICUのガラス窓越しに対面したことを思い出しました。
 確かブログにも、嬉しくて書いていたと思います。
 
 4月13日(日)夕方7時前、富江の空低くに満月に近い月が懸かっていました。
 富江バプテスト教会で映画会があるという看板に誘われて、初孫がお世話になったバプテストも何かのご縁と、どこでも行きたがり屋の私は、早速入ってみることにしました。
もちろん無料です。
 米国北部バプテストの宣教師が、1911年から瀬戸内海で伝道していた「福音丸」と言う伝道船を使って、平戸から五島まで布教活動をして、丁度今から100年前の1914年に、その頃は福江よりずっと繁栄していたと思われる富江に教会を作ったと、映画の後で聞きました。
 
 プロテスタントの教会の内部は、十字架だけでシンプルです。
この中での映画会ですし、教会の人が3人、観客は私を入れて5名、しかも私が一番若そうですので、五島でのプロテスタントの布教はなかなか苦労が有りそうですよ。
 窓から薄暮の外の光や、車の音も聞こえますし、画面も大きくはなさそうですが、なんか昔の校庭での野外映画会を思い出すようで、少しワクワクしてきました。
 さすがに一応教会での映画会、賛美歌の斉唱で始まりましたが、「いつくしみ深き」なのでオルガンに合わせて大声で歌えました。
 
 映画は聞いた事もない「海嶺」。
日本史でその名前だけはなんとなく憶えの有る幕末1837年の「モリソン号事件」の日本人漂流民の話でしたが、さすがに教会での上映会、原作は三浦綾子さんですし、初めて聖書を和訳した話も出てくる、約30年前の松忠f画でした。
 若い若い西郷輝彦・あおい輝彦・井上純一など懐かしいアイドル達に、忠コ景子・米倉斉加年・田村高廣・火野正平などが脇をかためていました。
そしてびっくりの、なんか見た顔と思った、昔LPも持っていたジョニー・キャッシュまでもが出ています、CDでも買ってまたカントリーウエスタンを聴きたいような気分にもなった、なかなか楽しい富江の日曜の夜でした。

    返事
和さん:65年間使用の血管が切れるより、20年間使用のゴムが切れるほうが、
    まだ良かったですよね。
大雪男さん:カープを三たては望んでいませんが、カープが三たては嫌ですよ。
花水木さん:遅いけどフォームがきれいって、私の理想です、
    花水木さんが出来るのなら(失礼)、私もクロール挑戦するかも?
綾部のとしちゃん:ご愛読ありがとうございます。 メールで分りました。
    綾部の上林のカフェ「じょんのび」、夫人が高校同級生です。
    ドッグランも整備されていますので、あの時の愛犬まだいるならどうぞ行ってやって下さい。
コメント (4)
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