上級編2は、伊能忠敬「天測之地」の碑です。
福江の街中の公園にこの碑はありました。約200年前にここに、伊能忠敬一行は来ているのです。
この測量隊の副隊長、坂部貞兵衛(42歳)は、若松で病に唐黶Aこの福江で亡くなっています。手厚く葬られたそうです。
墓は、この近くの常念寺にあります。
伊能忠敬は奈留島の地も踏んでおり、1週間ぐらいで奈留島を一周、測量をしています。
忠敬68歳、私より高齢です、海岸に沿って何が楽しくて、何を考えながら、測量を続けたのでしょう、ほんまに偉い人ですね。
50歳で隠居し、それから天文・測量を勉強し、55歳ぐらいから全国測量を開始、芭蕉はもう死んでいる歳ですよ。
もう日本の海岸線で、忠敬が歩いた頃と同じように残っている場所は、少ないと思いますが、奈留島の海岸に立つと、もしかしてこの同じ砂を忠敬も踏んだかもしれないと思えます。
福江の街中の公園にこの碑はありました。約200年前にここに、伊能忠敬一行は来ているのです。
この測量隊の副隊長、坂部貞兵衛(42歳)は、若松で病に唐黶Aこの福江で亡くなっています。手厚く葬られたそうです。
墓は、この近くの常念寺にあります。
伊能忠敬は奈留島の地も踏んでおり、1週間ぐらいで奈留島を一周、測量をしています。
忠敬68歳、私より高齢です、海岸に沿って何が楽しくて、何を考えながら、測量を続けたのでしょう、ほんまに偉い人ですね。
50歳で隠居し、それから天文・測量を勉強し、55歳ぐらいから全国測量を開始、芭蕉はもう死んでいる歳ですよ。
もう日本の海岸線で、忠敬が歩いた頃と同じように残っている場所は、少ないと思いますが、奈留島の海岸に立つと、もしかしてこの同じ砂を忠敬も踏んだかもしれないと思えます。