二日続きの好天となった。
今日は、4月最後の日である。
早くも、1年の3分の1が過ぎた。
今日まで、自立して生きられたのは、ありがたい。
その過ぎ行く日々の内容は、実に空疎なものではあるけれど。
多少、はかどったことといえば、断捨離! である。
衣類では、コート、スカート、セーターなど、冬物を中心に処理した。
靴の類も。
そして、食器類も。
しかし、身辺がさわやかに感じられるほど、ものが減ってはいない。
今までにも書いたことだが、戦時下や戦後、物不足の時代を生きたせいだろう。
あきれるほど、物への執着が強い。
思い切りが、すこぶる悪い。
ゴミ袋に入れるまでの、逡巡が並大抵ではない。
が、今年の決意は、今までとは多少異なる。
<ゴミ出し日>が、少々楽しみ(?)でさえある。
昼前、庭に下りた。
雑草の威勢よく伸びる、変わり映えのしない庭を眺める。
葉陰に、二つの変化を見つけた。
横庭の刈り込まれたツツジの葉陰に、ツツジの、小ぶりな花が咲いていた。
前庭に立つ老木(モミジ)の葉陰では、咲いた花がプロペラ風の実に変わりつつあった。
小さなツツジの花
モミジの実
今日は、4月最後の日である。
早くも、1年の3分の1が過ぎた。
今日まで、自立して生きられたのは、ありがたい。
その過ぎ行く日々の内容は、実に空疎なものではあるけれど。
多少、はかどったことといえば、断捨離! である。
衣類では、コート、スカート、セーターなど、冬物を中心に処理した。
靴の類も。
そして、食器類も。
しかし、身辺がさわやかに感じられるほど、ものが減ってはいない。
今までにも書いたことだが、戦時下や戦後、物不足の時代を生きたせいだろう。
あきれるほど、物への執着が強い。
思い切りが、すこぶる悪い。
ゴミ袋に入れるまでの、逡巡が並大抵ではない。
が、今年の決意は、今までとは多少異なる。
<ゴミ出し日>が、少々楽しみ(?)でさえある。
昼前、庭に下りた。
雑草の威勢よく伸びる、変わり映えのしない庭を眺める。
葉陰に、二つの変化を見つけた。
横庭の刈り込まれたツツジの葉陰に、ツツジの、小ぶりな花が咲いていた。
前庭に立つ老木(モミジ)の葉陰では、咲いた花がプロペラ風の実に変わりつつあった。
小さなツツジの花
モミジの実