宗教には、正しい宗教と間違った宗教があるって言うけど、それって、自分の宗教だけが正しいって話じゃないの? なーんて疑問もってる人、いませんか?
幸福の科学の大川隆法先生は、『新生日本の指針』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。
宗教には正邪があります。(中略)
ただ、宗教の正邪を分けるということは、宗教の多様性を否定せよということではありません。私は、いろいろな個性を持った宗教が、日本にも世界にも数多くあることは、よいことだと思います。宗教が、よいところをお互いに出し合って、人びとを導いているという姿は、実に頼もしいものだと思います。宗教の正邪を分けることは、その多様性を否定するということではないのです。
また、宗教の正邪を分けることは、宗教のいろいろな教えにおいて次元の高低を知ったり、高等宗教と初歩的な宗教とを分けたりすることを、否定するものでもありません。
このように、宗教の多様性や、程度の違ういろいろな宗教が現に存在しうるということについて、私は肯定的見解を持っています。
この地上を去った天上界においても、そのように、さまざまな人たちが、さまざまなグループをつくって、生活をしています。
しかし、天国と地獄だけは、はっきりと分かれています。これが、宗教として外してはならない一線なのです。正教と邪教は、ここに線を引くべきです。
邪教なるものは、悪魔や悪霊といわれるものに取り憑かれて、多くの人びとを狂わせている教えです。これを極力、小さなものとし、正しいものを推し進めることが、いまの日本の宗教界を浄化し、人びとを幸福にし、迷った人びとを救うために、ぜひとも必要なのです。
宗教の正邪を見分けることは、難しいかもしれません。しかし、一般の人にもわかるように、簡単にいうならば、「その宗教が社会に広がっていくと、犯罪が減っていくようであれば、それは正しい宗教である。逆に、その宗教が社会に広がっていくと、犯罪が増加するような宗教は、間違った宗教である」ということなのです。
その宗教が広がることによって、犯罪が増加するならば、その宗教団体のなかにも、犯罪を数多く重ねている人たちがいるはずであり、そのトップに立つリーダー自身の心のなかにも、犯罪を志向するものがあるはずです。それを見分けなくてはなりません。
(24~29ページ)
宗教には正邪があるが、それは、宗教の多様性を認めないとか、高等宗教と初歩的な宗教を分けないということを意味しない。
しかし、この地上を去った世界においては天国と地獄がはっきりと分かれているのだから、正教と邪教は、ここに線を引くべきである。
簡単に言えば、社会に広がれば犯罪が減っていく宗教は、正しい宗教であるが、逆に、社会に広がっていくと犯罪が増加するような宗教は、間違った宗教である──。
なるほど、なるほど、です。
たとえば、私なりに学校で考えてみると、学校の正邪を分けることは、国公立系があったり私学があって様々な特色のある教育をしていることや、小・中・高や大学・短大があることを認めないわけではありません。
しかし、きちんとした学校でもないのに、英会話学校だと称するだけの詐欺は間違っているのだ、とでも考えれば、理解しやすいかもしれない気がします。
そして、最初はもちろん小学校からですが、早く初等教育は終えて上級の学校に進んでほしいというのも、宗教と学校では、似ているのかもしれないなどと、私は考えたりもしているのです。
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『新生日本の指針』
大川隆法著
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これはまたストレートな質問ですね。
不倫について、大川隆法先生は、何度か教えを説かれていて、このブログでも何度かご紹介したことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/b844aeacc5447896ce0c60c39571940b
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/f819aed5ae6facf1059f6157ba8b9bf5
この2つの記事を読み返してみて改めて気がつくのは、幸福の科学の教えというのは、“人生であやまちを少しでも犯したら、即、地獄に落ちる”というような極端な教えではないということです。
あなたがいま問題にしている方(「法友」と言ってよいだろうと思います)も、そうなってしまったその人なりの理由があるだろうし、それがいいことと思っているわけではないのだろうけれども、でも…、というその人なりの事情があるんだろうとは思うのです。
ただ、大宇宙には「縁起の理法」(「原因・結果の法則」)が厳然としてあって、原因に応じた結果は、必ず自分に返ってくる。つまり、仏法真理にかなった生き方をすれば幸福になれるし、仏法真理に反した生き方をすれば(「原因」)、それは必ず自分に跳ね返ってきて不幸になってしまう(「結果」)。
人生というのは、その法則の中で、成功したり失敗したりしながら、一つ一つの体験を積み重ねて、仏の目で見たとき何が正しく何が間違いかを学んでいく、大切な修行の機会であるわけです。
あなたが功徳を信じておられる幸福の科学の根本経典「正心法語」には、
「他人に 対して 理解をし
自分に 対しては 反省せよ」
という一節があります。
また、人生のあやまちも、「反省」を深めることで、未来に向けて、あたかも消しゴムで消すように修正して行けるというのが仏の教えです。
http://blog.goo.ne.jp/mryupa/e/5768fa762f7ed37f3e2395ee2e39e8c5
この機会に自らを省みながら、その法友が自らの過ちに少しでも早く気がついて、幸福への道をまた歩んで行けるようにと、心からお祈りしてあげられる私たちで、ありたいものですね。
いつも勉強させていただいております。
拙ブログで、一部使わせていただきました。
http://blog.goo.ne.jp/rokochifukyosho/e/d68dee836d827e251f854a957e14d63b
いや、今回だけではありません。
内緒で、いつも使わせていただいております。(笑)
ゆーぱさんの常日頃のご精進に、心より感謝申し上げます。
ばくさんのブログに、少し遊びに行かせていただきましたが、いやあ、凄いと思います。ばくさんのものすごいエネルギーに圧倒されました。永遠のマンネリでやってるこのブログとえらい違いだと思います。
もちろん、総裁先生のお教えは人類の宝ですから、引用先をきちんと明記して紹介させていただくのはまったく問題ないと思います。
大川隆法先生のお教えが広く伝わっていくために、少しでもお役にたつことができますように。それぞれが強みを生かして精進を続けていけたらと思います。今後とも、よろしくお願いいたします!