これ「レタス」?いや~雑草でしょう^^;
寒の戻りと言いますか、外は晴れた春の一日ではありますが、吹く風は冷たく時折白く輝く物が舞う…確かに季節は巡っておりますが、まだまだ『節は若い』ようであります。
人は人によって活かされもするが、人によって殺されもする。のっけから物騒にも思える表現ではありますが、自分のことは「紙切れ一枚の人生」と割り切れても、今風の教育を受けた子どもたちは「納得出来ない」ことは納得できないようであります。かつて、高崎山のニホンザルの群れで起こった「ボス」の交代劇を紐解きながら、人間の組織にも起こる『ボスの交代劇』を解説するのは、やっぱり人に失礼ですかねぇ^^;
飯豊の山並は、今日も有りのままに…
漂白の詩人「種田山頭火」が、自由な心で詠んだ「分け入っても 分け入っても 青い山」という句は、叙景詩として読めば深き山懐を思い描き、叙情的に読み込めば、求める道の果てしなさに心を馳せているとも思える。詩自体が自由奔放なのだから、解釈も自由で良いはずであります^^;
ああ、また新しい事業年度が始まる…同じことの繰り返しと思ったら、やるせなくなるので、日々の生活に変化を求めることにいたしましょう。冒頭の画像、何やら解らない草の芽が「チシャ(レタス)」なら、その花言葉は「冷たい人」であります。心は暖かい人なんですけどねぇ…私。(ハッハッハ、自分がそう思い込みたいだけですが。)
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