長崎原爆の日である。
ゆきたんくは日本人でありながら、世界で最初に原爆が落とされて日本の広島に行くのに半世紀がかかってしまった人間である。
趣味で作詞・作曲をするのだが、20代の時には無責任な歌を創った。
その歌詞の一説に
「悲しみとは、その悲しみの主人公になった時だけ分かる。」
というのがあったが、それは世の中に起こる事件に対しての意識は人ごとであるということを憂う歌であった。ゆきたんくなりの若い感性で世の中の無責任さに対し怒りをぶつけたものであった。
しかし、自分の問題にしていなかった事実も自分の人生が物語っていることを今回知ったのだ。無責任なのは自分ではないかと・・・。
写真は、長崎の高校生が核爆弾廃止の署名を集めているものだ。
10代の若者が、日本や世界の将来のために、「No more」と頑張っているのだ。
ゆきたんくも署名した。自分の名前を書き込んでいる時に、ふと前述の気持ちにされられたのである。
「自分の問題にして考える」ということを小さいうちから教育の中で行っていくことしか方法はあり得ないのではないかと思う。
大小の出来事に対して、考える姿勢というのは大切なものだ。
長崎の原爆のことも自分の問題にするために、近いうち長崎に行かねばと思うのだ。