

仕事の量が落ち着いてきた時に旅行にはまった。しかし、行く先々で宿題ができてしまうのは、仕方がないことなのか。
前回アウシュビッツについて書いた。
自分は今回の旅で、有名な軌道敷のある施設がビルケナウ(第二アウシュビッツ)としいう名前であることも知らなかったのである。
そしてこの旅では、現地ガイドさんに日本が好きで、日本語が堪能なポーランド人の方がついた。解説の内容は、一つ一つ事実に基づき(帰国後ふり返ってみた)丁寧であった。そして途中に見えた煙突(現在は工業地帯)のあるところにモノビツェ(第三アウシュビッツ)があることも知った。そのガイドさんがビルケナウでは、ガス室跡やその近くに建立されているメモリアルの方へは行かなかった。収容所の方々が過ごした施設などの説明は分かりやすかった。残念(楽しんではいけないが)なのは、ビルケナウに入口に設けられた「アウシュビッツ II 歴史の門」というレンガ施設を見ることができなかったからだ。
ビルケナウの軌道敷
日陰は霜柱が立つ。
手洗い場。寒くても湯は出なかった。
帰国後改めて、アウシュビッツの関する書籍を数冊買って読んでみた。今回ガイドさんが行かなかったところは、一般的に知られていることと、(本による)検証的にかみ合わない部分があるところだった。一部を紹介するとガス室に使われていた壁と、収容所にいた方たちの服の虫たちを駆除(チクロンβが使われた)するのに使われた施設の壁とでは後者の方の毒性は認められたが、前者ではほとんど検出されなかったこと。ガス室で亡くなった方たちのその後のあり方が、割り当てられた人数ではこなせなかったこと・・・ これからの勉強(学者が検証した文献に目を通す)が大切だな。しかし、事実がどうであっても、無辜の民がたくさんの命をなくされたことだけは忘れてはいけないし、繰り返してもいけない。
この終点にガス室があった(と言われている)。メモリアルもある。
よって宿題は、ガス室の経緯が事実とどれだけ乖離しているのかを確かめること。そしてビルケナウの門を肉眼で見ることだ。
門(テントに隠れている…1月下旬に公開再開)をバックに。
にやけている訳ではない。寒いのでこの顔になった(と思う。)
アウシュビッツ。
大まかな出来事はみなさんご存じだろう。
自分はテーマを持ってここに来た。
亡くなった多くの人の思いの一つ一つの寄り添うことは不可能だからだ。もちろん鎮魂の祈りは捧げた。
テーマだ。
1、入口の門を見ること。
2、11号棟のコルベ神父が亡くなった部屋を訪ねること。
写真不可の場所が2つある。
女性の刈り取られた髪の毛の部屋。
そして11号棟の地下室だ。
コルベ神父は、死刑を宣告された1人の父親の身代わりと なって(自分は独身で家族がいない…カトリックの司祭は妻帯を許されていない)地下室で亡くなった。
その地下室には最後の写真にあるような教会の祭壇に置かれる復活のろうそく(と思う)があった。
年末年始に旅行したポーランド。
人生の宿題をやらないとね時間がさ・・・
と言って得意げに、あちらに行って、こちらに行ってと予習をしていたゆきたんく。
「ん・・・?」
そんなところあったけなと思う。
「オシフィエンチム」
これから行く場所だという。
ガイドさんの解説で分かった。
「Oświęcim(ポーランド語)」→「Auschwitz(ドイツ語)」
「あっ、アウシュビッツ・・・」
知らないってこういうことか・・・
2023年には54年の夢を叶えた、「ハイドンの生家」訪問がありました。
そしてまだ果たしていない夢の中に、「ショパンの生家」もありました。
行ってまいりました。
昨年夏でしたか・・・
女房から「冬にどこか行かない?」
ゆきたんく「いいよ。」
しばらくして
女房「ポーランドどう?」
ゆきたんく「いいよ。」
女房「ツアーだけど。」
ゆきたんく「いいよ。」
そしてに女房の選んだツアーの内容を見せてもらいました。
うん、行きたかったところがいくつもありました。
もちろん「ショパンの生家」も。
細かいことはいずれ、拙サイト「幸たんく」の「旅たんく(工事修復中のところ多いですが) 」で・・・
ショパンの生家前で。ワルシャワのジェラゾバ・ヴォラにて Map
生家内にあったピアノ。生まれて7か月までここで過ごした。このピアノは弾かなかったのかな。
ショパンの魂がかえってきているかのように感じた展示。
生家の奥にある記念碑の前で
生家は実はレプリカです。
消失してしまったのをできだけ当時に近く復元といいます。
それはそれでしょぅがないが、1930年に「フ・ジェラゾベイ・ボリ公園」として整備され、現在に至るそうです。
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
今年は新年を海外で迎えました。
それに伴うお話は、ここで挙げていきたいと思います。
まずはご挨拶まで。
お久しぶりです。
ずっと更新しておりませんでした。
毎日更新という形で取り組んでいましたが、
1 病気
2 体力の衰え
3 ネタ
の3つの理由で、「伝えたい」事柄ができた時の更新にしたいと思います。
よろしくお願いいたします。
今回の旅行8/1(木)~8/3(金)の3日間である。
…投稿は8/4日、内容は8/2(土)であります。…
この旅行が企画されたのは、5/11(土)のことである。
旅行の中で訪れる予定であった佐渡金山がある。
この佐渡金山が世界遺産に登録されたのが7/27(土)のことなので、旅行申し込みの時点は思いもよらぬことだったのだ。
新幹線もフェリーも押さえた。
宿も押さえた。
レンタカーも押さえた。
うん、ラッキーである。
なんの心配もなく、まあ急遽来られる方は別として混んでも旅行自体は挙行できることが分かったからだ。
そして訪れた佐渡金山。
大立堅抗やら、割戸だとか坑内の歴史だとか博物館だとかいろいろあったのだが、ゆきたんくの中に残ったのはこれである。
かつてトロッコが通った坑内。
坑内分岐点には、2トン蓄電池式機関車や、1トン鉱車が展示されている。
当時のものを当時の様子に近い状態で見れることは非常に貴重である。
この部分一番好きだなあ。
そして金山関連で2番目に好きだったのがここである。
残念ながら、世界遺産の構成の中には入っていない。
しかし、九州は長崎の軍艦島にある炭鉱遺跡に匹敵する施設に思えた。
それは、国史跡の「北沢浮遊選鉱場跡」である。
この場所は同の製造過程で使われていた技術を金銀の採取に応用した場所である。
1ヶ月で50,000トン以上の鉱石を処理が可能で「東洋一」といわれた。→ Map
このような巨大な史跡がそのままの状態で残されていることに感動した。
地震などによる崩落の危険性を考慮した補教が行われ、公開されると良いなと思っている。
そして世界遺産の構成要素になるといいなぁ。
さて、取り上げる最後はこれ。
佐渡金山の始まりの大本である。
鉱石が見つかった露頭の部分を掘り下げた「割戸」というものだ。
暑かったの近くまでは行かなかったが、よく見える場所で冷房の効いた車から降りてサッと撮った。
実際には、よく紹介されているアングルではなくて裏側である。→ Map
さて、今日は2日目。
(8/3(木)投稿分ですが、内容は8/2(金)のものです。)
尖閣湾から攻める。
ここに尖閣湾揚島遊園というのがあって、浅瀬の海を堪能できるというものだ。
このような遊覧船には必ずお供がいる。
そうウミネコさんね。
見て、水の綺麗なこと。 ウミネコさん良い所にいるね。
うん、ここで乗る船は「透視船」と言って、ガラスでできた船底部分から海を見れるというものだ。
そう、その一部をお見せしよう。
どうでしょう。
少なくともゆきたんくは命の洗濯ができました。
もっと大きい鯛も泳いでいたのだけれど、ゆきたんくの技術では撮影できませんでした。
では、海から港への復路で。
ウミネコさんたちは別れを察してか、エビセンが足りないと言っているのかは分かりません。
いよいよお別れです。
船の周囲を飛び回る。
とにかく、こんなにきれいに海か見えたことは久しぶりのことでした。
名前がなかなかのものですが、そんな物騒な所ではありません。
ぜひ一度来ていただきたいところです。
ホテルに着いた。
うん、期待しているアングルがある。
お宿の名前は「夕日と湖の宿 あおきや」である。
カタカナの「エ」のような形をしている佐渡島。
字の1角目に当たる部分が大佐渡。
3角目に当たる部分が小佐渡。
2角目は国仲というのだそうだ。
その国仲に加茂湖という湖がある。
その湖畔にホテルがあるのだ。
昨日は夕日後に宿に着いたのが18時過ぎ。
窓から見た最初の景色がこれだ。
虫が入ってくるというので、窓は開けなかった。→ Map
何て素敵なんだ。
右に大佐渡、左の小佐渡のアングルである。
今日から2泊3日の旅である。
今回の旅行ユニットはココフカである。
昨年12月の福島旅行から8か月。
待ちに待った旅行である。
ゆきたんくは初めての佐渡をリクエスト。
それが通って佐渡へ。
そして旅行申し込みは6月のココフカだった。
その後の7月27日に世界遺産への登録が決まった。
新潟駅に着き新潟港へ向かうタクシーで萬代橋を渡る。
新潟は2回訪れたが、糸魚川市と友人の結婚式の場所だったので萬代橋を見ていない。
運転手さんにお願いして、通ってもらった。
これで宿題を1つ終えた。
新潟港からフェリーで両津港に向かう。
日本海をクルーズである。
これも新鮮だ。
佐渡島が見えた。両津港も近い。
初めての景色って、とても心を新鮮な気分にしてくれる。
またもや予習は十分ではなかったが、初めて出会う物事、史跡、人にわくわくしている。
白石の千畳敷
まずは朱鷺に会いに行った。
別の投稿で語ろう。
その後は千畳敷である。
少し人工物も混ざってはいたが、普段お会いすることができない代物だったのでGood。
昔「欽ちゃんのどんとやってみよう」という番組があった。
面白くて家族でいつも見ていた。
略して「欽ドン」。
今日は仕事もひと区切り。
午前中勤務なのだ。
そう、「半ドン」
嬉しくして仕方がない。
友達とランチの予定もある。
ランチは塩分補給から始まった。
らーめん超ひがし皐月(さつき)の海苔塩ラーメン卵入り
自分はラーメンを食すことを塩分補給と言っている。
そして食後のスイーツは糖分補給だ。
そして次は夢庵で甘い夢を見た。
職場についた。
8時過ぎであったがもう暑い。
場所を移動している時に、頑張っているやつにあった。
「やられた。」と思った。
直に陽に当たっているのに文句1つ言わない。
そして心を和ませてくれる。
職場の睡蓮
まあ、熱中症になっては元も子もないけれど、頑張ろうと思ったよね。