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伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

旅の楽しみ341…クーヘン

2017-11-30 23:20:15 | 

クーヘン中心部に車でに随分と川沿いを歩いたが、中心部少し手前で左折し(西側)肉屋で食事をした。

今度は、肉屋を出て川沿いを左折し北に向かう。

いやぁ、一通りが多かった。

この辺りに土産物屋があるからだろう。

ゆきたんく一行は、N氏とゆきたんく以外は女性なので、さっそく店を物色している。

この間にゆきたんくは周囲の写真を撮る。

遅れることは心配しなくて良い訳だ。



近隣の町からは自転車で遊びに来るのだろうか。クーヘンはこの近辺では一番大きい町だ。


ヨーロッパはサイクリストが多いことを忘れていた。


 道1本、川沿いから西側に入ると、こんな景色も見ることができた。

また、道1本入った訳は、のりたんがお酒を買いたかったからである。

お土産と、自分の分と(笑)



一休みできるね。


こんなに人がいても静かだったのを覚えている。


石畳が素敵な道。


ちょっと別方向を見ると歴史的遺構のようなものが見える。


 よし、のりたんが酒屋に捕まっている間に取材をしよう。

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旅の楽しみ340…クーヘン

2017-11-29 23:12:58 | 

満腹感に酔いながら、店を出てモーゼル川沿いに出る。

次の地に向かうまでに、散策と腹ごなしを同時にしようというのだ。

店の中では、いかついドイツ人のおじさまがアイスバインを一人で平らげていたが流石だなと思った。

半分閉じそうになるまぶたを必死に明けながら歩く。

そして目の前に現れたのは・・・



 対岸の山とその中にある葡萄畑だった。

 ライン川やモーゼル川流域は、もう、川を挟む両岸の山の中に葡萄畑が広がっている。

この写真で見る葡萄畑は狭いが、それでもゆきたんくの目を覚ますのには十分な光景だった。

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旅の楽しみ339…クーヘン

2017-11-28 23:53:29 | 

前にも書いたことがあるが、あらためて。

ドイツのソーセージは旨い。

高校の先輩はドイツ在住で仕事をされていたが、ドコのを喰っても旨いと仰っていた。

ゆきたんくは、硬い丸パンに挟んだのをかぶりつきたいのである。

運転手のN氏が、「オイシイヨォ~」と言いながら店に導いてくれる。



この左側の店。 → Map


ゆきたんくご一行様の入店。


入り口の風景。よだれが・・・・


 日本ではうなぎ屋が煙を喰わすというのがあるが、もう、この店の近くに来ただけで、旨そうな香りが漂っているのである。

その匂いを嗅いだだけれで、胃袋が音を立てて動き始めるような・・・(笑)

注文しましたよぉ。



30㎝はあるソーセージ。カメラからはみ出してしまった。マスタードはボトルからね。


付け合わせのポテトの量は凄かった。


 大食漢のゆきたんくが、これ一つでお腹いっぱいになってしまうのである。

日本でも喰いたいねーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー。

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旅の楽しみ338…クーヘン

2017-11-27 23:42:19 | 

さあ、先日モーゼル川西岸の景色を平和ではない時代の象徴のような話を書いた。

その西岸の景色で目を奪われたものだ。


  
規則に積み上げられた煉瓦か石が、他の建築物との時代の差をものがっている。


  歩哨楼のようなこの建築物は、ある意味遺構でもあるが、現代の建物とそれなりに共存している。

 赤い家の手前が、かつて城に上がる時の通路があったと考えられる。

 そう、壊すのでなく共存できるのが一番いい。

 このような形の歴史は言葉を発することはないが、そこにあるだけで伝わってくるものがあるからだ。

 そんな中にもマイナーチェンジがあるようだ。 



できた当初はこの時計はついていなかっただろう。もちろんライトアップの照明も・・・


 

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旅の楽しみ337…クーヘン

2017-11-26 23:35:21 | 

対岸の景色の差・・・



かたや・・・


かたや・・・


 最初の写真はライヒスブルク城の入り口にあたる部分である。

現在では観光用の入り口が他にあり、ここは使われていないらしい。

つまり、昔のままの様子なのだ。

モーゼル川を挟んただ対岸の景色は「オスターマン・ハウス」というホテルである。

現代が平和だってことだな。

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追悼、そして2013年5月26日の記事

2017-11-25 23:27:20 | 東京都立秋川高等学校

先日、友人の訃報について触れた。

こいつがいなければ、ゆきたんくは別の人生を送っていた。

そう、自信を持つことのできない人生だ。

自信をもたせてくれたのが秋川高校なのである。

その秋川入学も、こいつがいなければあり得なかったのだ。

そのことを書いた記事が2013年5月26日にあった。


若い奴が調子にのるほど、格好悪いものはない。

秋川高等学校受験発表の日は、ある意味特別な日である。

ゆきたんくは私立を3校受けていてすべて合格していた。

当然、都立も合格するものだと思っていたのだからいい気なものである。

「先生、行ってきます。」

母校の中学校を一緒に受けた友人と出発したゆきたんくである。

2時間半かかって秋川高等学校に着いたのだ。

さて、その時の時刻は14時ごろ。

さあ、ある意味特別な日とは・・・

合格した私立高等学校の入学金振込み最終時刻が16時だったと思う。

つまり、都立高の合否を両親、学校の担任や進路指導主任は首を長くして待っていたのである。

私立の入学金を振り込まねば、合格は取り消し、都立を落ちてしまえば中学浪人なのである。

 

合格者の受験番号が並んでいる掲示板の前にきた。

友達はすぐに自分の番号を見つけた。

「やったぁ、おめでとう。」と余裕の声をかける。

それで自分の番号を探す。

「ない・・・」

もう一度探す。

「ない・・・」

念のためもう一度探す。

「ない・・・」

そんな馬鹿な、俺落ちたんだ。

「帰ろうか・・・」

友達にそう言い、駅の方向を向いた。

すごい敗北感に包まれたその時、「おい、こっちへ来いよ。」

掲示板はもう一つあって、そちらに自分の番号があったのである。

「やったぁ。」

二人で大きな喜びに包まれた。

そして、マルモという制服の業者が手招きをしていたので、その勢いで制服まで作ってしまった(笑)

「おい、お祝いだ。」

メタセコイア並木を歩きながら、薔薇色の人生が始まったかの錯覚をした。

たしか、西秋留の駅前かなんかで食事をした。

とっくに16時なんて過ぎてしまっている。

もう、何を話したのか覚えちゃ入ないが、楽しくってしょうがなかった。

20時過ぎに中学校に到着した。

合格の報告である。

「よくやった、おめでとう。」どころか、たいそう雷を落とされた。

まぁ、合格したということで、事は収まったが・・・

そう、ゆきたんく家の親父はたいそう怒って、絶対に私立の入学金なんて払わないと母親がどんなに頼んでも動かなかったようだ。

その手前、秋川への入学を許さざるを得なくなってしまった親父である。

親父の望んだ、公立高等学校への切符を手にしたゆきたんくは強かった。

まっ、はっきり言って、2発殴られたんだけれどね。


卒業生の思いがこもっている校樹のメタセコイア並木


ゆきたんくの人生にアシストをくれたI氏の冥福をあらためて祈る。

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そんな

2017-11-24 23:13:31 | 東京都立秋川高等学校

この時期は、喪中欠礼が届く時期である。

毎年、だんだんに多くなってきている。

今年もいくつか届いていた。

今日、届いた手紙を見て絶句してしまった・・・

東京都品川区の中学校の同級生。

そして、東京都立秋川高等学校に進学した仲間の手紙だった。

今年になって転居を知らせる手紙が届いていた。

なかなか会えないので電話をして話をした。

それが最後になってしまった。

57歳、早すぎるよね。

7月に亡くなっていたなんて・・・



この中の一人であることに誇りを感じていたよなぁ。

写真をクリックしていただきたい。大きいのが見れます。


 この彼がいなかったら、ゆきたんくは秋川高校に行くことはなかった。

陸上競技もやっていなかったし、ハンマー投げに出会うこともなかった。

糧を得ている、今の仕事に就くこともなかった。

自分の中から大切なものが抜け落ちた気持ちである。

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旅の楽しみ336…クーヘン

2017-11-23 23:04:46 | 

まだクーヘンの中心部には着かない。

ただ歩くことで、車内からは気がつかない風景をたくさん見れて嬉しい。

今日はこれ。

進行方向の左側。

ライヒスブルク城が近い所。

何か囚われの身のような像を見つけた。



立派に石で囲まれている。 → Map


 何か囚われの身になったことのある方なのか・・・

幸い道路には車は通っていない。

一行の早さに追いついてもいる(笑)

道路を渡り、近くで撮影する。



なんとマリア様であった。


 一見ギョッとする造りである。 

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旅の楽しみ335…クーヘン

2017-11-22 23:37:21 | 

川沿いを歩いていると、川を見たくなるものである。

モーゼル川はきれいなのかな・・・



澄んでいる水。


 実にきれいな水である。

魚も泳いでいる。

近くの石の上にアヒルがいた。

白ではなく、色彩豊かなやつだ。



仲良しアヒル。


しっかりと足輪が・・・


 つがいで自由で、仲良しで・・・

良いなぁと思ったのもつかの間で、しっかりと飼われて(管理)されているようだ。 

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旅の楽しみ334…クーヘン

2017-11-21 23:18:23 | 

宿題ね。

今回はライヒスブルク城には行かなかった。

まぁ、一行の事情があるからだ。

築城1000年以上の歴史がある城はいずれ訪ねてみたいものである。

もっとも日本で一番古い城とされているのは664年に天智天皇が築いた水城である。

このライヒスブルク城の築城は、日本では平安時代の後期にあたる。



堅牢さはトップクラスのライヒスブルク城だ。


 

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旅の楽しみ333…クーヘン

2017-11-20 23:57:11 | 

歩く。

まだクーヘンの中心部ではない。

あのライヒスブルク城を越えないと町には着かない。



写真左上に「あのライヒスブルク城」。モーゼル川に涼しい風が吹く。


 一行に追いついては、写真を撮って遅れることを繰り返すゆきたんく。

一行の皆様も慣れたようである(笑)

そしてまたしても尖塔を見つけたので写真を撮る。



この尖塔の建物は何かロシアっぽいのだが・・・


 カトリック・セント・マーチン教会であった。

とすると宗教改革が始まった1517年よりも前から存在している教会なのだろう。

西暦1000年にはライヒスブルク城が築かれているので、その当時はカトリックは庶民の宗教ではなかったのだろう。 

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一安心。

2017-11-19 23:44:22 | 家族

やってこの日がきた。

もう、20年前から思っていたことだ。

ゆきたんくの母が44歳で亡くなったのが今から38年前。

そして父親が亡くなったのが、21年前だ。

母が亡くなって、次の年に父が墓を作った。

自分が生まれた家の近く(茨城県)に作った。

仕事が現役のゆきたんくはいつでも行く訳にはいかない。

ずっと従兄弟が面倒を見てくれた。

草取り、掃除、花あげと甘えていたゆきたんくである。

従兄弟夫婦には頭が下がる思いである。

感謝の言葉しか見つからない。

そう、今日は改葬の日だ。

今年になって、墓を作り、改葬届を整え、いつもお世話になっているお寺さんの住職に話をして準備をしてきた。

ゆきたんくにとっては初めてのことなので、従兄弟、ご住職にアドバイスをいただきながらことを進めた。

田舎の墓は、父親のの場所ではないところなので管理されている方との間も取り持ってもらった。



ゆきたんくとのりたん建立。


 自宅から車で5分の所である。

まあ、17時には霊園の門がしまってしまうので平日は会えないかな。

休みの度に顔出しができるのだ。

やっと、ゆきたんく一家と親父・お袋が同じ市内で過ごすことができるようになった。

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旅の楽しみ332…クーヘン

2017-11-18 23:50:10 | 

この時の旅をコーディネートしたのは女房ののりたんである。

その通りに、我々一行を運んでくれたのは、ディッセルドルフに本社があるフジライントリベルのN氏である。

6か国語を操り、上手な日本語で我々を楽しませながら運転をしてくれているのである。

そのN氏が嘆いていることの1つに、ドイツの瓦がある。

ドイツの瓦は、石を薄く割って形を整える製法だという。

その職人が、ついにいなくなったとのことだ。

それぞれの町に石を割って作った瓦は見ることはできる。

これからは、人工的なものになるか、それさえ消えてしまうかだとのことだ。

どの国にも職人技が必要なものはあるのだ。

今後どうなっていくのだろう。


 


ドイツ職人の葺いた、石の瓦屋根である。


 

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旅の楽しみ331…クーヘン

2017-11-17 23:29:04 | 

ヨーロッパといえばガーデン。

ヨーロッパで初めて訪れた国がイギリスだったから余計そう思うのかもしれない。

ここは何かにつけて簡素なドイツというイメージでものを見ている。

聖アンソニー教会から少しをを進めると面白い植え込みがあった。

これだ。



なんとも、色の別れ方が・・・(第一印象) → Map


 それにしてもと思っていた。

奥にライヒスブルク城を入れて、この花壇の写真を撮った。

何だろうと歩きながら考え、クーヘンの街中で楽しみながらも考え・・・

帰国してから分った。

のりたんが写真を撮っていてくれた。

もちろん、ゆきたんくも写しているのである。

この花壇の模様の正体を。



クーヘンの案内図を撮るゆきたんく。一行は先に行き(笑)、のりたんにケツを叩かれる前の様子。 


 ラインラント=プファルツ州のコッヘム=ツェル地区であること。

そして地図の右上にはコッヘムの紋章がある。

その紋章が、花壇の花の色で表されていたのだ。

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旅の楽しみ330…クーヘン

2017-11-16 23:20:23 | 

ゆきたんくが写真を撮っている間に一行には少しリードされていた。

そう、故人旅行ではないのである。

お友達と一緒。

女房ののりたんと一緒。

恥をかかせてはならない。

で、、

次に目に入ったのは(笑)

これ。


 


道の奥に山があって、組木造りの家があって・・・贅沢な風景だ。


 よし、追いつかねばと思いながらも道の角にある家屋に目がとまる。

これだ。



尖塔が一つついているが・・・聖アンソニー教会であった。 → Map 


歩道の右側がモーゼル川、左側が車道だ。

その車道沿いとはいっても家屋の前には、ちゃんと歩道がある。

この教会の対岸にマリア様はいらっしゃった。

関係があるのだろう。

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