伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

40年ぶりに・・・

2016-04-30 23:29:29 | 言いたんく

ゆきたんくの母校・中学校は品川区立伊藤中学校だ。

現在の小中一貫校である伊藤学園の前身である。

校名に伊藤博文公の伊藤を、校章に伊藤家の家紋「上がり藤」をいただいている。

伊藤家墓所の門が在校当時、ずっと使われていなかった南側の門だったと思い、行ってみた。

実は蒲田に用があったので、帰りに寄ったのである。



かつての門扉はなくなっている。 → Map


 在校当時ゆきたんくが使っていた西側正門の方に行ってみる。

普段使われていると思える通用門の隣に、その門はあった。



伊藤学園の門扉 左側に原小学校の校章、右側に伊藤中学校の校章がある。 → Map


伊藤家家紋の「上がり藤」


 現在では、入学式・卒業式の時に児童生徒がこの門を通れるそうである。

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めでたい。

2016-04-29 23:48:56 | 家族

今日は次男つっくんの誕生日。

天皇誕生日という、まことにめでたい日に生を受けたのである。

長男のおーちゃんは陸上競技、つっくんは演劇と打ち込むものがあったのは幸いである。

どの家庭でも紆余曲折はあるが、素直に育ってくれた方だと思う。


 


夜はお祝い。普段の食事に🍰がついただけ。


 いつも通りの誕生パーティー。

記念日に家族が揃うというのも少なくなってきたが、この日は4人揃った。

いまだに夢に向かって、自分を肥やそうとしている姿勢は親として応援したい。


 
野田秀樹氏の「赤鬼」でトンビを演じたつっくん。


 

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打ち込めるもの…7

2016-04-28 23:36:57 | スポーツ

鉄は熱いうちに・・・

前回の練習から1週間が経った。

ハンマーのスイングからターンへの入りがスムーズになってきた。

大きな回転半径でハンマーを左に降った時の張りを作るのができるようになってきたようだ。

正面から写真を撮る。

胸椎支点の大きな回転半径を感じることができた。



まだまだ腰高だが、この当時の筋力を考えれば上出来であった。


 ハンマーヘッドにスピードが着いた分、右脚の接地が遅れるようだが、この時点ではそれについては言わないことにした。

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打ち込めるもの…6

2016-04-27 23:16:01 | スポーツ

スポーツで技術種目については、形が大切だと思う。

ハンマー投げでは、ハンマーを加速するための条件を満たすために形づくりをする。

胸椎を支点とし、作用点のハンマーまでの距離を最大限にする形である。

両手でハンマーをスイングし、加速するためのターンの入りで回転半径は決まってしまう。



体幹とハンマー(シュロイダーバル)の間にある張り。

 
張りをもたせたまま、片足局面を迎える。


 この時に両足で送り出した(加速)ハンマーを片足(右脚)で追い越す。

ハンマーが遠い軌道を通り、右脚は軸足(左足)の近くを通るので追い越すことができる。



大きな半径(胸椎とハンマー)と小さな半径(左足つま先と左足踵)


 右脚は素早く、両足が揃うように動かす。

この時に、左足踵を左足つま先を中心にして素早く戻す。

両足が再び地面に着いた時に、ハンマーは右の方に大きく残っているのだ。

これで、振り切り(加速)の準備ができたことになる。

また、2回転投げであれば、2回転目のターンの準備ができたことになる。

ハンマーと胸椎の間に張りを持たせることは簡単なようで難しい。

本人は投げたくてしょうがないようだったが、ここは我慢である。

ちょうど外が雨天で、屋内の施設が空いていたので練習に時間をかけることができた。

やっているうちに、本人もハンマーヘッドの加速を感じることができるようになってきたようだ。

今から、12年前のお話である。

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旅の楽しみ282…レンタカー・イギリスからユーロ圏内へ

2016-04-26 23:25:23 | 

ゆきたんくはドライブが好きだ。

座ってハンドルを握っていると好きな所に連れて行ってもらえる感覚が好きだ。

イギリスでは左車線の右ハンドル。

日本はイギリスの方式に習ったのである。

明治維新後の日本は、同じ皇族が存在する産業革命の起きたイギリスを崇拝していたそうだ。

それで仲が非常に良く、鉄道などもすべてイギリスの規格、自動車でもイギリスに習い右ハンドル、左側通行となったそうだ。

イギリス旅行では、3回ともレンタカーのお世話になった。



2003年 プジョー


2011年 フォード


2014年 ヴォクスホール(GMのイギリスブランド) 


 電車やバスも良いが、自由度が違う。

イギリスの旅はレンタカーが良い。

B道路を堪能したり快適な無料のモーターウェイ(日本より速く走ることができる高速道路)を走ったりするのが楽しい。

課題は一つ。

左ハンドルで右車線の道路を走ることができれば、ユーロ圏内のドライブも可能なこと。

初めてのイギリスで苦戦したラウンドアバウトの左ハンドル右車線のヴァージョンを十分にシュミレーションしなくてはならない。

いつか実現したいと思う。

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参ったね。

2016-04-25 23:46:14 | コンピューター

ゆきたんくが現在使っている携帯はiPhoneである。

何が参ったって、今までの知識が役にたたないことだ。

待ち受けの壁紙一つとっても自由に操ることができないのである。

今はネットの時代。

いくつかやり方を検索して挑戦するが、どれもだめ。

iPhoneで撮った写真ではなくて、カメラで撮った他の写真を使おうとしているのだが、サイズが合わない。

写真編集アプリでサイズを変えても、壁紙設定で見られる写真の大きさは変わらない。

枠にはめようと写真をトリミングしても変わらない。

よって画像がボケてしまう次第。

最終的に行きついたのはアプリであった。

その名も「壁紙ぴったん」だ。

それで簡単にお気に入りの写真を壁紙にすることができた。



こんな感じです。


 

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素晴らしい

2016-04-24 23:53:06 | 言いたんく

高校時代の友人に誘われてチューリップ祭に行ってきた。

祭とは言っても、個人宅のプライベートなものなので場所は公開できない。

毎年4月下旬に開催されている催しに、何年か前から誘ってもらっているが今年が初めての参加である。

オーナーの別荘の庭に4000本にもなるチューリップが植えられている。

バーベキューをしながら、話に花を咲かせる。

周囲を竹林に覆われていて、その筍も焼いて食べた。

体も気持ちも休まる空間で疲れが取れていく。

また来年も行きたいゆきたんくである。


 


 

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あれから・・・

2016-04-23 23:23:25 | 言いたんく

あれから35年。

そう、1981年4月23日のことだ。

我が目を疑ったことがある。

新日本プロレスのリングで佐山聡氏が初代タイガーマスクとしてデビューしたのである。

類まれな身体能力とプロレスセンスが融合したその動きを、古館伊知郎氏は四次元プロレスと表現した。

あれだけ動けるレスラーはその後見ることができていない。


タイガーマスク

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旅の楽しみ282…ロンドン

2016-04-22 23:25:31 | 

ふと思った。

海外旅行で一番長い時間を過ごした場所って何処だろうか。

もちろん海外出張のようなかっこよいものではなく、私事旅行でのことである。

圧倒的な時間を過ごした場所は一つしかなかった。

ロンドンのエベリーストリートにあるエベリーハウスホテルである。



エベリーハウスホテル正面入り口


一つきりの窓からの景色。


HMVで手に入れたTubularBells2003をベッドに置いて眺める。


ここに2003.08.09の夜から08.13の朝までいた。

とは言っても観光の拠点にしたのである。

2003年の夏は熱波で38℃から40℃の気温があった。



クーラーが着いていないから、ドアに靴を挟んで通気の改善・・・。


 初日はのりたんの友人宅(ポートチェスター→ Map ヒースローから105km)に。

2日目はウェールズに足を伸ばして、パンディー(→ Map ポートチェスターから256km)に。

なんと宿泊場所を予約していなかったのである。

3日目はオックスフォードのマールボロゥ・ハウスホテル(→ Map パンディーから137km)

そしてロンドンのエベリーハウスホテルまでは94kmだ。

もちろんこれは最短距離である。

単純計算で計592kmだが、いろいろと寄ったり道を間違えたりしたので、少なくともこの1.5倍は走っているはずだ。

そんな訳で、残りの日はロンドンの宿泊場所は一つにすることにした。

歩いて行ける距離に観光名所がたくさんあるからだ。

で、夕食は毎回ここ。

ゆきたんくはダイエット・コーラとポテト・サラダ。



トラベラーズ・タヴァーン4号店 ホテルから徒歩3分にあるパブ


 

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社会科嫌い…吉田松陰先生編3(長崎県平戸市)

2016-04-21 23:44:47 | 史跡

たまたまつけたテレビで見たのが宝亀教会。

女優の2人旅で素敵な場所巡りをしようというもの。

どんな番組だったか名前も忘れた。

脳裏に焼き付いたのが「宝亀教会」だったわけ。

あれは見に行きたい。

それが長崎旅行のメインになった。

他にも様々なメモリアルがあるのにもかかわらず自分の中では第1位だったのだ。

ゆきたんくの旅とはそういうものだ。

もし、事前に吉田松陰先生の足跡に触れていれば少しは感慨深く足を伸ばす場所が増えたのも事実である。



平戸城。 2011.08.04 → Map


この時は近くにある知り合いの母校猶興館高校を見に行くために車を停めた駐車場から撮影した。

もうそういう優先順位なのである。

さて、吉田松陰先生は1850年(嘉永3年)、山鹿流軍学を学ぶために平戸を訪れた。

儒学者で平戸藩家老でもあった葉山佐内に惹かれ、この地にあった紙屋に滞在しながら数多くの書物を書き写した。

いう話を事前知っていたら。

この平戸城には当然行っていただろう。

そして究極のニアミスの一つがあった。

まぁ、これは衝突回避ではなく、ぶつかりたかったニアミスで吉田松陰先生が滞在した紙屋敷のことだ。

「おぉ、これはいい。」と撮った写真がこれ。



宝を探し当てた気になった「ポルトガル船入港之地」 2011.08.04 → Map


まぁ、確かに貴重な史跡である。

そう、前述の紙屋敷のことだった。

なんとここから徒歩1分110mの所にあったのだ。

なんとも間抜けな話である。

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つい・・・

2016-04-20 23:16:33 | 写真

つい撮ってしまう。

何をって写真である。

旅に1週間出ていようものなら4000~5000枚は撮ってしまうのである。

まあ、枚数については自分のシャッターチャンスでシャッターを切った結果なので良しとする。



こんな格好をしていることが多いんだなぁ。撮影者のりたん 2016.08.26 Cochem


 同い年の写真の師匠に、「たくさん撮っていれば上手になるよ。」と言われてからもう、15年になる。

40過ぎての遅いカメラ小僧(いや、カメラ爺か)デビューだ。

師匠の言うことをずっと守っているゆきたんくである。

まぁ、被写体を決めた後は躊躇わずにシャッターを押せるようになった。

何でもいいから撮ろうなんてことはしていない。

それでも、結果的にたくさんの枚数を撮ってしまっているのである。

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社会科嫌い…吉田松陰先生編2(東京都品川区)

2016-04-19 23:29:19 | 史跡

伊藤博文公はゆきたんくが小学校の時にすでに顔は知っていた。

そう、お年玉の千円札にある顔でだ。


 
1986年まで造られていたC号券(現在はE号券…野口英世)。

 


伊藤博文公と吉田松陰先生とのかかわりは17歳で松下村塾に入門してからのこと。

松陰先生には随分と可愛がられたという。

松下村塾で出会った木戸孝允、高杉晋作、久坂玄瑞らとは公武合体論を主張する長井雅楽の暗殺を画策したり、品川御殿山のイギリス公使館を焼き討ちしたりするなど尊皇攘夷の志士として活躍した人である。

 大日本帝国憲法制定の起草・主導的役割を果たし、初代枢密院議長・韓国統監府統監・貴族院議長など数々の要職を歴任。立憲政友会を結成し初代総裁を務めた人物だった。



伊藤博文公墓所 → Map


10/26の伊藤博文公の命日しか中に入れない。



伊藤博文公の胸像


 東京都品川区の旧伊藤町にある伊藤博文公の墓所である。

かつてのゆきたんくの実家から歩いて13分の所にある。

中学校時代はその時の悪友とともに、何度も素通りした場所である。

ゆきたんくの母校、旧品川区立伊藤中学校には使われていない門があった。

いつも使っている正門とは反対の位置にあって、在校中も2回ほどしか見たことのない門である。

この門は、伊藤博文公墓所より門柱と門扉の寄贈を受け、それを正門としたそうだが、ゆきたんく在校時には使われていなかった。

現在では、入学式と卒業式の時のみ開門するそうだ。

学校章は伊藤家の家紋と同じ「上がり藤」で、学生帽中央にはそれがつけられていた。

その帽子はもう何処に行ったか・・・

今考えると非常に勿体ないことをしたと思う。

社会科嫌いは目の前にある宝物を見逃していたのと同様のことだと気づくのが遅かったように思う。

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デート

2016-04-18 23:01:33 | 言いたんく

デートとは言っても友人のR氏と言う男性が相手である。

R氏とは気が合い、スポーツ関係の話をいつもするのである。

また、旅行に行って気に入った所の情報交換などもする。

まぁ、旨いものを一緒に食べる理由があれば良い2人なのである。

そのR氏から土産をいただいた。



かわいいでしょ。


 R氏は研修で青森に出かけていたのである。

そこで、「金魚ねぶた」を買ってきてくれたのである。

しかし、いただいた箱を空けて、中身が分かった瞬間に懐かしさに襲われた。

何だろう・・・

ほんの一瞬のことであった。

そしていつものように話と旨いものにに夢中になっていた。

帰宅してから、「懐かしさ」のことを思い出していた。

青森の旅を回想する。

2009年8月に青森に旅をした。

台風のために午後10時30分に青森空港に到着した。

その時に撮った記念写真に答えがあった。



空港の展示物。青森のねぶただ。


上写真に天井からぶら下がっているのがあるが、そのうちの一つを撮ったのだと思う。


 金魚ではないが同じ顔をしているキャラの写真を撮っていたのであった。

人間の記憶はこんな状態でつながっていることを知ることができた。

いただいたお土産を見ただけで、7年も前の記憶が引き出されることに驚いた。

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あった。

2016-04-17 23:47:06 | 音楽

ずっと探していた。

ゆきたんくのギターの教科書だった、「レコード・コピー・ギター弾き語り さだまさし楽譜全集」だ。



ボロボロになるまで練習に付き合ってくれた。


 ゆきたんくがギターを続ける原動力になった楽譜である。

今では、開いただけでページがばらけてしまうのである。

使わずに、部屋の本棚でおとなしくてしている。

1ページずつコピーして貼り合わせても良いが、471ページでは時間とお金がかかる。

アマゾンで探していたら、在庫が1冊だけとのこと。

考えてみたら30年以上も前に出された本なのだ。

1冊あったことが奇跡に等しいと思った。



取り寄せた


 これを今後頻繁に使うことはないだろう。

ただ、この本を使って一生懸命にギターを練習した日々の思い出に浸ること。

この本を毎日使っていた当時のことを思い出すことができれば良いのである。

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震度5弱以上が14回も・・・

2016-04-16 23:33:23 | 言いたんく

熊本の皆様にお見舞い申し上げます。

また、大分の由布市の皆様にもお見舞い申し上げます。

仕事の忙しさで地震のことが一時頭から離れていました。

普通の状態で仕事ができるなんて、なんて恵まれた境遇なんだろうと思います。

 

東北地方太平洋沖地震までは大きな地震というのは一過性のものだと思っておりました。

2007年12月暮れに兵庫県の波止場町に残されている「神戸港震災メモリアルパーク」に行きました。

発作的な行動だと記憶していますが、夏と冬にしかまとまった時間がないので衝動的な行動でした。

阪神淡路大震災を引き起こす元となった兵庫県南部地震では、今回の地震と同じく震度7を記録した地震です。

余震が1800回近くあった中で、ほとんどが震度0と震度1、最大のものは震度4が1回だったと記憶しています。

東北の地震では2011年から2015年までに非常にたくさんの地震を数えました。

 
今回の熊本地震でも震度5弱以上が14回も起きています。

余震のために被害に遭われた方もたくさんおられます。

ライフラインが切れてしまって、救助が難しい状況もあると聞いています。

ゆきたんくにできることは、被害に遭われた方々の命の無事を祈ることです。

そして状況が落ち着いたら、今時分にできることをしたいです。

今、郵便物・宅配便が送れない状況だと聞いています。

支援物資等の受け付けが始まったらできるだけ協力させていただきたいと思います。



中央区新市街のアーケードも思い出の場所。「写楽」で食事をしました。

 


これからも、皆様のご無事を祈り続けます。

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