さて、21日の話である。
千菓進でフルコースをいただき、友達とも解散したゆきたんくは、食後の運動をした。
とは言っても、自宅近くの土手を歩いただけだ。
その時の景色が自分的には好きだったのでここの貼る。
雲の切れ目からの日光。
肉眼で見るともっと素敵。
松戸駅方面。
流山方面
三郷を臨む。
松戸北部方面。
結局、運動量は少なかったな。
さて、21日の話である。
千菓進でフルコースをいただき、友達とも解散したゆきたんくは、食後の運動をした。
とは言っても、自宅近くの土手を歩いただけだ。
その時の景色が自分的には好きだったのでここの貼る。
雲の切れ目からの日光。
肉眼で見るともっと素敵。
松戸駅方面。
流山方面
三郷を臨む。
松戸北部方面。
結局、運動量は少なかったな。
私は通勤に流山街道という道を使っている。
その途中に千葉県立流山南高等学校がある。
そこで見た横断幕の話である。
阿炎関と大翔鵬の横断幕。
これを見て、素直に嬉しいと思うゆきたんくである。
コロナ禍の中で紆余曲折はあったが、続けていてよかったと思う。
そして立場は人を作るので、これからが楽しみだ。
これからかかわることになったスポーツ。
ヘルスバレーである。
もともと球技が苦手なゆきたんく。
そしてこれはなかなかねぇ。
ヘルスバレーで使用するボール。
もともと、体をストレッチさせるために使うボールが競技用ボールになってしまったそうだ。
そしてゆきたんくが仕事をしている流山でさかんに行われている。
やるからには上手くなりたいと思っている。
怪我をしない程度にね。
雨ではない。
雪でもない。
夏だからね。
調べ物でサイトを探していたら降ってきた。
うん、これだ。
うん、ピクトグラムが降ってきたんだ。
こういう演出は楽しいね。
感動して見入ってしまった。
千葉県出身のマラソンランナー瀧崎邦明さん。
芸名、猫ひろし様、リオデジャネイロ・オリンピックのマラソン代表決定おめでとうございます。
38歳で代表になられたこと、本当に素晴らしいと思います。
頑張れ、猫ひろし氏(瀧川邦明さん)
不断の努力の賜物であることが分かります。
ゆきたんくがファンだったハンマー投げの室伏重信氏は39歳で日本新記録を投げました。
ゆきたんくの長男おーちゃんがファンの室伏広治氏は37歳で世界選手権で優勝しました。
どれだけ節制して、仕事と競技の両立を図ったことでしょう。
4年前のくやしさも払拭して下さいね。
カンボジアの代表ということですが、立たれる舞台は日本代表選手と同じ本物のオリンピックです。
ご自分の中での大きなエポックですから精一杯頑張って下さいね。
応援させていただきます。
つい、このあいだ猪木氏の記事を書いた。
その中で猪木氏とアリ氏の試合についても1行書いた。
そのアリ氏が昨日亡くなった。
74歳。
先月の5月16日に日本記念日協会が6月26日を「世界格闘技の日」の制定した。
試合の行われた1976年から40年が経っている。
猪木 vs アリ
アリ氏が左大腿血栓症になり、猪木氏は右足甲の剥離骨折をした。
プロレスラーの猪木と、当時プロボクサー世界ヘビー級チャンピオンだったアリ氏の格闘技世界一決定戦だ。
その日を待たずして(アメリカにいるアリ氏は知らなかったかも・・・)アリ氏は逝った。
パーキンソン病には30年間苦しめられたという。
アリ氏の娘さんも、父は病気から解放されたと言っていた。
記者会見の時の寂しそうな猪木氏の顔が印象的だった。
思い出すのは、1983年6月2日に行われたIWGP第1回決勝戦である。
猪木対ホーガンの試合だ。
もちろん猪木が勝利をして、ベルトを持って世界中を周るというのを楽しみにしていた。
それはホーガンのアックスボンバー一発で夢となってしまった。
猪木失神KOにつながった強烈な一発。
猪木が死んでしまうのではと本当に思った。
この7年前に行われたアリ戦でのコンディションは見る影もなかったのは事実である。
ところが、リング状のホーガンの顔が青ざめているのを確認した時に、何か大変なことが起こったことに気づいた。
その後、リング禍でお気の毒なレスラーは何人かいたが、この時ほど本気で心配したことはなかった。
6月2日というのはゆきたんくにとって特別な日なのである。
鉄は熱いうちに・・・
前回の練習から1週間が経った。
ハンマーのスイングからターンへの入りがスムーズになってきた。
大きな回転半径でハンマーを左に降った時の張りを作るのができるようになってきたようだ。
正面から写真を撮る。
胸椎支点の大きな回転半径を感じることができた。
まだまだ腰高だが、この当時の筋力を考えれば上出来であった。
ハンマーヘッドにスピードが着いた分、右脚の接地が遅れるようだが、この時点ではそれについては言わないことにした。
スポーツで技術種目については、形が大切だと思う。
ハンマー投げでは、ハンマーを加速するための条件を満たすために形づくりをする。
胸椎を支点とし、作用点のハンマーまでの距離を最大限にする形である。
両手でハンマーをスイングし、加速するためのターンの入りで回転半径は決まってしまう。
体幹とハンマー(シュロイダーバル)の間にある張り。
張りをもたせたまま、片足局面を迎える。
この時に両足で送り出した(加速)ハンマーを片足(右脚)で追い越す。
ハンマーが遠い軌道を通り、右脚は軸足(左足)の近くを通るので追い越すことができる。
大きな半径(胸椎とハンマー)と小さな半径(左足つま先と左足踵)
右脚は素早く、両足が揃うように動かす。
この時に、左足踵を左足つま先を中心にして素早く戻す。
両足が再び地面に着いた時に、ハンマーは右の方に大きく残っているのだ。
これで、振り切り(加速)の準備ができたことになる。
また、2回転投げであれば、2回転目のターンの準備ができたことになる。
ハンマーと胸椎の間に張りを持たせることは簡単なようで難しい。
本人は投げたくてしょうがないようだったが、ここは我慢である。
ちょうど外が雨天で、屋内の施設が空いていたので練習に時間をかけることができた。
やっているうちに、本人もハンマーヘッドの加速を感じることができるようになってきたようだ。
今から、12年前のお話である。
ターンの終盤。両足が地面に着いてハンマーが残せていれば安定した振り切り(加速)ができる。
「打ち込めること3」では、軸が左肩にあった。
2003.11.22
「打ち込めること4」では、軸が胸椎にあった。
2003.11.23
ちょっとした違いなのだが、距離に影響のある初速を獲得する回転半径に大きな違いが出る。
投射方向へ重心が乗らないと距離も伸びない。
どうにか悪い形で固まってしまう前に修正ができたようだ。
本人も気持ちよく投げていた。
「鉄は熱いうちに打て」
次の日もコーチに出かけた。
脇の下が空かない状態でターンなど覚えられたら修正にどれだけかかるか。
両手で持って2回回し、両肩が前に伸びる辺りで少し寄りかかる。
それで体の軸とハンマー(シュロイダーバル)の間に張りができる。
鉄棒にぶら下がって体の力を抜いた状態と言えば伝わるだろうか。
それを繰り返していくうちに、両腕が伸びるようになってきた。
膝は突っ立ったままだが、体の余分な力が抜け、腕が伸びている。
これが出来れば、自分の体で作れる最大半径で回ることができる。
飛距離は、ハンマーが手から離れる時の初速と角度で決まる。
そのハンマーのスピードを上げるのに一番大切な要素は回転半径なのである。
これから1週間、スイングからターンの入りの練習を繰り返しやるように指示した。
おーちゃんの話である。
前回「打ち込めるもの・・・」から1週間後の話である。
様々な種類の練習メニューを考えておいた。
高校の先生が練習をさせていてくれたのである。
有り難い。
ハンマーを持たないターンを何回も繰り返し、重心の移動もドリルにして取り組んだはず・・・
スイングとターンを繰り返すドリルも形になっている。
前回のスイング投げで曲がっていた右ひじも伸びている。
「1回転で投げて見ろ。」
突っ立っているは、腕は曲がっているは・・・ 2003.11.22
練習と同じことをやれば良いのに、恰好をつけてしまうのが良くない。
脇の下を開いて回転するように言ったのに、投げようとすると体の回転に気が行ってしまったようだ。
体の軸も胸椎の辺りではなく、左肩にかかっていることが原因である。
これが身についてはたまらないので、これ1回でやめさせる。
本人は不服そうだが、良くない型をつける練習はいらない。
最初が肝心なので、譲ることはできない。
「スイングからターンに移る時に、ハンマーと胸椎の間に、張りが発生し、両肩とハンマーで二等辺三角形を作ってから回転を始めること。」
それが暗唱できるまでは投げないことを約束させ、顧問の先生にも伝えた。
次の1週間、打ち込むことができるのか・・・
2003年11月15日。
長男のおーちゃんが打ち込めるものを見つけた日。
足の速さは普通の下。
砲丸は投げても飛ばない。
幅跳びは跳んでも距離が出ない。
まぁ、ひどいレベルではなかったが、気持ちが先行してじっくりと取り組んでいた訳ではなかった。
おーちゃんの高校で当時の顧問の先生がコーチをさせてくれた。
おーちゃんだけではなく、別の選手も含めてだ。
このままでは公式戦に出れない。
公式戦は、1種目につき1校エントリーが3人までだからだ。
さぁ、どうしよう。
ハンマーでも教えるか・・・
メディシンボールにひものついたシュロイダー・バルがあった。
そのスイングと振り切りを教えてみた。
力が入って腕が伸びていない状態である。
ただ、顔つきが違っていた。
興味を持ったようである。
「これだ。」
ならかっこよいのだが、
「これかもしれない」
ぐらいのレベルだった。
ただ、親として嬉しかった。
今日は2月29日。
4年に一度訪れる閏日(うるうび)だ。
ようするに閏日のあるのが閏年。
元々の中国での意味では「余計なもの、正統でないもの」も表しているという。
例を挙げると
閏位 正統でない帝位。
閏統 正統の反対語。正統な帝位を奪った皇統。
閏指 6本指のこと。
西暦の年が4で割り切れる年が閏年だが、100で割り切れるが400で割り切れないと閏年ではない。
なんか難しいので、時間がある時にゆっくり考えてみたいと思う。
そして、この年にオリンピックが開催されることになっている。
今年はリオデジャネイロオリンピックだが、その次2020年は東京で開催されるオリンピックだ。
陸上競技をやっていたゆきたんくにとっては思い出の国立競技場があった。
今度の競技場はオリンピック後は陸上競技には使わないという。
非常に残念なことである。
それでもゆきたんくにとっては思い出の場所なのだ。
33年前のゆきたんく。国立競技場にて(昭和57年5月23日)
前回はおーちゃんの記事だった。
それで一つ思い出したことがある。
現役最後の試合は専門種目のハンマー投げでなく円盤投げだった。
10年間を陸上競技者として続けられたことは、その後の糧になっているようだ。
動画からのキャプチャーで画面が荒いがご容赦いただきたい。
この時の試合であらためて思ったことがあった。
おーちゃんはあまり器用だとは思わない。
ただ、一つのことにコツコツと取り組むことは好きなようだった。
試合の1回1回の試技の間には、基本的な動作を繰り返すおーちゃんがいた。
おーちゃん円盤
人生も慌てずに、一つ一つ頑張ってくれればいいな。