伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

ココフカお休み2011年

2014-05-31 23:17:56 | 

2011年のココフカはお休みだった。

メンバーのじまさんの予定がどうしても合わないからだ。

ココフカを実施する時期が空いてしまった。

どうするか。

ココフカの旅は、基本的に飛行機で現地に移動し、レンタカーで徘徊する。

HISでの予約が便利だ。

10日前までに予約をすることができる。

例によって、飛行機とホテルを押さえる。

今回はメンバーに気兼ねすることがないから、少しアレンジを加えてみた。

2泊3日の予定で、行きかえりの空港は福岡空港。

2泊のホテルを変えてみたのだ。

1泊目は長崎県佐世保の「リソル佐世保」で2泊目は「コートホテル博多駅前店」にした。

宿が決まれば、経路の組み立てであるが、実は経路組み立てが先であった。

平戸島、佐世保、出島、眼鏡橋、長崎原爆関係施設以上長崎県。

太宰府天満宮、太宰府跡、中洲の散歩以上福岡県。

長崎と福岡の中間、佐賀で、吉野ヶ里。

実に贅沢な組み立てであった。



太宰府跡

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ココフカ4…2010年

2014-05-30 23:12:47 | 

さて4回目のココフカだ。

2010年は北海道である。

北海道は広い。

三人組も一度は訪れたことのあるところである。

それで3人とも行ったことのない所を選択だ。

「函館」で決まり。

飛行機OK、お宿も旨いもの屋の近くでOK、残るは観光ルートだ。

今回は2泊3日で出発は14時半。

ゆったりとお出かけ、函館空港到着は15時50分。

1時間20分で都心から北海道に行ってしまうのだ。

初日は「五稜郭タワー」、「大門横丁」、「函館山…夜景」とセット。

2日目は午前中は「大沼公園」、午後から函館市内散策となった。



「千の風になって」誕生の地(大沼公園)

 


 

最終日は朝をゆったりと過ごし、明るいうちに地元に帰る。

これが一番いい形だと思っている。


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ココフカ3…2009年

2014-05-29 23:46:19 | 

ココフカの旅第3弾(笑)

2009年夏は青森県に足を伸ばした。

とりあえずの2大目的として、「本州の最北端…大間崎」と縄文遺跡の「三内丸山遺跡」を訪れようというものだった。


 


本州柵北端の地、大間崎


 

3回目ともなると旅慣れて?くる。

それなりにプランナーとしての形ができてくる。

なんと今回は2泊3日の旅なので少し贅沢だ。

少しと書いたのは、初日は移動に費やされるからだ。

3人の仕事の関係で、初日の8月10日は羽田発17時45分の飛行機だったのである。

青森までの往復は飛行機である。

ここで事前のお勉強の様子を書く。

お宿は青森駅近くで決めたので、夕食のための近くの店舗を調べる。

青森から大間崎までで寄り道できるところがあるかを手あたり次第に調べる。

最終日はホテル周辺中心に調べる。

 そして優先順位をつける。

旅開始前日までにミーティングだ。

昼食をラーメンハウス中島で食べ、喫茶OBに場所を移す。

寄り道先の取捨選択をし、あとは現地で時間との相談である。

結局はメインの2日目は大間崎までの往路には何も入れず、ただひたすら向かう。

復路に、「恐山」を入れた。

霊山の恐山には圧倒された。

他はもう見なくてよかった。


では、時間のある方は、こちらの「青森2009」をご覧下さい。

拙サイト幸たんくの一部です。

 

 

 

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ココフカ2…2008年

2014-05-28 23:28:38 | 

さて、先日はココフカ1…2007年の岐阜は白川郷について書いた。

今日は調子に乗って、2008年の高知県を中心とした四国について書く。

2008年ココフカの旅はゆきたんく号(イプサム)から空の旅へと進化した。

まあ、2回目ともなると旅慣れたということである。

それまで仕事ばかりで、自分がプランナーとなって旅を組み立てたことがほとんどないゆきたんくである。

インターネットも使い方が上手になり、国内格安旅行の情報に目が行くようになった。

今回の旅の時間は1泊2日。

場所は、ココフカ三人組が行ったことのない所。

よし、四国にしよう。

四国は高知にしようとと即決であった。



高知県桂浜に立つ坂本龍馬像 2008.08.05 


 

決められた期日でパックを探す。

その中に、行きかえりの飛行機とホテルだけが決まっていて、中の日程は自由というのがあった。

これぞ、自分たちにあったスタイルだと飛びついたゆきたんくである。

 お値段は当時おひとり様21000円程度だったか。

これが元で、現地まで飛行機で移動。

現地からはレンタカーで移動というスタイルがココフカ・スタンダートになった。


では、時間のある方は、こちらの「四国地方」をご覧下さい。

拙サイト幸たんくの一部です。

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ココフカ1…2007年

2014-05-27 23:57:44 | 

昨日ココフカのことを書いた。

今回から少し、その旅のことを書こうと思う。

自分の思い出を鮮明にする作業でもあるのだ。

大男3人組の旅行ユニット、ココフカ。

その第1回目は2007年8月8日~9日だ。

世界遺産の白川郷の合掌造りを見に行くことにした。

足はゆきたんく号(当時はトヨタのイプサム)である。

旅行をするにあたって、いろいろと調べてみた。

合掌造りはその家屋を店舗としているもの、展示としているもの、宿泊施設としているなど様々なものがあった。

自分は、見学施設として存在しているだけだと思っていたので正直びっくりした。

このような勉強不足で、まだまだ知らないことがたくさんあるに違いない。



お世話になった合掌造りの宿「伊三郎」さん

当時はなかった「伊三郎」さんのホームページ


 では、時間のある方は、こちらの「白川郷」をご覧下さい。

拙サイト幸たんくの一部です。

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久しぶりに

2014-05-26 23:11:05 | 言いたんく

ココフカの仲間と集まった。

それぞれが忙しく集まれないでいた。

何度か書いているが、ココフカについて改めて書こう。

その方が、「伝えたんく」の投稿に楽をすることができるからだ。

ココフカとは、ゆきたんくの所属する旅行ユニットの名前である。

メンバーはかつて同じ職場にいた仲間である。

体の大きな男3人組で構成されている。

それぞれの名前の頭文字を取ってココフカである。

コ〇〇〇〇(ゆきたんく)、コ〇〇(じまん)、フカ〇〇(お父さん)の頭文字である。

毎年夏の旅行が2007年(1回予定合わず未実施)から続いている。

さて、そんなココフカは時間がある土曜日には昼食会とお茶会を開いている。

会場は固定だ。

昼食会は流山市の「ラーメンハウス中島」、お茶会は流山市の喫茶OBである。

ゆきたんくは職場の会合が夕方からあるのであまりゆっくりはできないが久しぶりに集まろうということになった。

中島でおいしいラーメンをいただき、OBでお茶会だ。




ゆきたんくの定番、クリームあんみつである。


 今年の夏はココフカ旅行をどうするかで盛り上がった。

まだ夏の予定が出ていないのではっきりと時期は決まっていない。

2泊か、1泊か、日帰りか。

国内か、海外か。

沖縄ならば、台湾のほうがいいとか・・・

短い時間ではあったが、充実した話ができた。

(5/24のことである。) 

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飲み会

2014-05-25 23:01:57 | 言いたんく

飲み会は楽しい。

昨日は、職場の仲間やご婦人方との飲み会であった。

ただ、ゆきたんくは下戸である。

ビールグラスにツーフィンガーのビールで寝てしまう。

「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな。」という標語がある。

ゆきたんくの場合は「飲んだら乗れない。」なのである。

だって、キーを回すこともできないのだから。

でも飲み会は楽しい。

ソフトドリンクで最後まで付き合う。

そう、飲み会の雰囲気は好きでソフトドリンクで酔っ払い状態になるのだ。

酒の肴も楽しい。

大好きである。



洋風鍋でコトコト似た野菜


蒸し野菜。アンチョビの効いた温泉卵を絡めていただく


アスパラ肉巻き


飲み物はサイダーか、コカ・コーラ0で・・・


 まだまだあったのだが、写真を撮ってばかりだと、話が中断してしまうので、このくらいで。

酒の肴をつまみながら、話に花を咲かせる。

飲めたらもっと良いのだろうが、こればかりはしょうがない。

結論、飲み会は好きである。

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出張の楽しみ

2014-05-24 23:07:38 | マイグルメ

1冊の本で投稿を7つも引っ張るなんて・・・

ゆきたんくはそういう奴なんです。

夢中になると周りが見えなくなるという。

さて、一昨日のこと。

千葉まで出張をした。

出張の時の楽しみの一つは昼飯である。

何か掘り出しものはないか・・・

あちこちに店舗ができている〇亀製麺さんの方式に似ている店を見つけた。



ぶっかけ冷やし 


 

 冷やしラーメンかと思って注文したら、冷やし中華だった。

スープが酸っぱかったのである。

山形県で食べることのできる冷やしラーメンというのは、ラーメンがそのまま冷たくなった形で出てくるものだ。

もっとも使っている油は植物性で、スープの上に白く浮くということはない。

「ぶっかけ・・・」という表現で、「あれっ」とも思ったのだが、そのままだった。

コートに並んで、お盆を取り、好みのラーメンを注文し、好みのトッピングを足していく。そして最後にお会計だ。

〇亀製麺さんと同じやりかたである。

味?

普通だった。だから店名は書かない。

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特効薬

2014-05-23 23:24:44 | マイグルメ

疲れた時の特効薬は何か。

病院で薬か、地元松戸のマツモトキ〇シでお薬か・・・

今日は1週間の〆。

体もメンテンナンスを求めている。

そして特効薬だ。

地元の千菓進で甘いものである。

前にも一度投稿したことがある。

千菓進が私のために作ってくれたようなメニューだ。


 


クリームトーストとブレンドコーヒー

 生クリームの載った、甘い甘いトーストだ。
 
これで疲れ取りバッチリである。
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読み応えの600円…⑬ 写真が語る「負の世界遺産」5…日本編⑤

2014-05-23 23:13:52 | 言いたんく

陸軍友ヶ島砲台。

戦争遺跡オタクのゆきたんくが前から知っていた訳ではない。

大男3人組の旅行ユニット「ココフカ」の和歌山旅行の計画を立てるときに知ったのである。

時は2013年8月13日。

当初は高野山金剛峰寺を中心とした観光を企てていたゆきたんくであった。

その旅の中に友ヶ島が加わった。

観光地の友ヶ島ではなく、軍事要塞「友ヶ島砲台」としての観光となった。



富国強兵の象徴である軍事要塞の一つである。第三砲台付近


 ココフカの旅はだいたい飛行機で現地に飛び、レンタカーで細かく回るパターンが多い。

この時は3人のスケジュールがお盆近くでしか合わないこともあり、新幹線で新大阪まで行き、レンタカーで和歌山入りすることにした。

飛行機が満席で取れなかったこと、お盆渋滞で乗用車なんてとんでもないということ。

新幹線が取れたのもラッキーだった。

足の確保をした後は、レンタカーの活躍である。

さて友ヶ島を訪れたのは旅行最終日である。

予約した帰りの新幹線の時刻と、友ヶ島の行きかえりの船の時刻との兼ね合いがある。

そんな訳で友ヶ島探索にに十分な時間を取れた訳ではなかった。

お目当ての第三砲台も近くまで降りて行くことができなかったので宿題の一つとなった。



現在では水が溜まっている砲床。これが明治中期以降日本の阪神方面を守ってきた。

  

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読み応えの600円…⑫ 写真が語る「負の世界遺産」4…日本編④

2014-05-22 23:32:57 | 言いたんく

4番目は大久野島。

あまりなじみのない名前だと思うが、戦跡オタクにとっては垂涎の物件である。




写真は大久野島に残る発電所跡である。 2009.08.05撮影

ちなみにゆきたんくは後光が差しているのでもなく、合成写真でもない。ただの逆光である。


 ちなみに衝撃を受けた写真とは、これではない。

これはただ単に、ゆきたんくが目立ちたいだけである。

さて、なんでこんな大きな発電所が必要だったのだろうか。

ここは、地図から消された島である。

戦時中に敵国に知られると非常にまずかったからである。

実は毒ガス製造の島だったのである。

島内の休憩所で専門家の説明を受け、様々な遺構を見学し島の概要を知ったゆきたんくである。

しかし、この景色が一番衝撃的であった。



フェンスで仕切られた所に完全密封されたような物体がいくつも・・・


 

これについての説明はなかった。

3.11の後にいたるところで見たようなものに似ているが・・・

 

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読み応えの600円…⑪ 写真が語る「負の世界遺産」3…日本編③

2014-05-21 23:16:05 | 言いたんく

3番目は長崎原爆資料館である。

長崎グラウンドゼロにある、浦上天主堂の遺構がゆきたんくの心には強く残っていた。

しかし、長崎の旅の帰宅後に写真整理をしていて・・・

ゆきたんくは旅でたくさんの写真を撮るが、瞬時に判断して撮ることが多く、何を撮ったかを明確に覚えていることは少ない。

景色などは、構図を決めてから撮るので比較的覚えていることもある。

資料館や博物館などでは写真撮影可であっても、他の方のことを考えて撮影には時間をかけない。

だから、帰宅してから、「あっ、こんな写真を撮ったんだ。」と驚くこともある。

長崎原爆資料館での写真を見て、「あっ」と息を飲んだのがこれだ。



何だかお分かりになるだろうか・・・ 


 

 

 広島原爆の稿では「この辺り一帯は3000度から4000度の高熱になり、ほとんどの人が瞬時にその命を失ったという。」と書いた部分があった。長崎原爆は広島原爆よりも威力の強いものだ。

 地形により、被害の広がりは浦上川に沿ったものになったが、広島と同じ地形だったらば、さらに大きな被害になっただろうと言われている。

さて、上写真は、ガラスと人の手の骨が、あまりの温度に溶けてくっついてしまったものである。

これは爆心地付近で見つかったものだという。

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読み応えの600円…⑩ 写真が語る「負の世界遺産」2…日本編②

2014-05-20 23:47:29 | 言いたんく

日本編2は原爆ドームだ。

一番衝撃を受けた写真は前に使ったことがある。

これだ。


 


原爆ドーム内部を西側から撮ったものだ。ここに人が居たのだ。

2009.08.04撮影


 実は原爆ドームそのものよりも衝撃を受けた写真を紹介する。

 次の写真だ。 



広島原爆の爆心地となった、島外科(現島外科内科)の様子 

島外科内科入り口近くにあるモニュメントの写真

2009.08.05撮影


 2001年にニューヨークで起きたテロの跡地をグラウンド・ゼロと呼んでいる。

意味は核爆弾等による爆心地だそうだ。

あの悲しい事件を形骸化するつもりは毛頭ない。

しかし、この写真の惨状は、ニューヨークと比べるべくもない・・・

昭和20年8月6日午前8時15分、島外科の上空580mで爆発した原子爆弾により、この辺り一帯は3000度から4000度の高熱になり、ほとんどの人が瞬時にその命を失ったという。

何の罪もない人を無辜(むこ)の民というのを「永遠の0」で知った。

その無辜の民である一般人を狙った原子爆弾投下の経緯について、日本人である自分たちが歴史教育で教えられていないのはどんなものか。

本来ならば、島外科のモニュメントで初めて見る写真ではないはずだと思った。

その分衝撃が大きかったのである。

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読み応えの600円…⑨ 写真が語る「負の世界遺産」1…日本編①

2014-05-19 23:22:37 | 言いたんく

1 足尾銅山

 

 ご存知の通り、足尾銅山の鉱毒により、地元住民が苦しめられた公害である。

 その原発とも言えるのが、ここ足尾製錬場ではないだろうか。



足尾製錬所 2004.04.10撮影


 銅山の開発により排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境に著しい影響をもたらした。

 1890年代より栃木の政治家であった田中正造が中心となり国に問題提起した。

実際にはこの精錬所は1980年代まで稼働し続けた。

2011年に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で渡良瀬川下流から基準値を超える鉛が検出された。

現在でも影響が出てしまう状況だ。

 

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読み応えの600円…⑧ 驚いた。

2014-05-18 23:59:09 | 

さて、昨日買った本に何が書いてあったのか。

「負の世界遺産」から連想するのは戦争である。

戦争は否定する。

しかし、歴史上の事実として勉強することは大切なのではないだろうか。

本の巻頭に書いていることから抜粋する。

ダークツーリズムという観光スタイルがあるそうだ。

1996年にスコットランドのグスゴーカレドニアン大学教授、ジョン・レノンとマルコム・フォーリーが提唱したという。

まあ、ゆきたんくは戦争遺跡の調査をする仲間がいる。

千葉を中心に日本のあちこちの戦争遺跡を訪れたいと思っている。

これもダークツーリズムなのだろうか。

前述の提唱者によるダークツーリズムの定義はこうだ。

「戦争跡地や大災害の被災地など、歴史上の悲劇が起こった地を訪問先とし、人類の悲しみや死を体感することで、自省や学びの契機とし、同時に災害や大惨事の後に復興する社会を助けることまでも含めた新しい観光のスタイルである。」

現在のゆきたんくは、後半が抜けている。

社会を助けることにまで及んでいない。

これこそ自省である。

さて、本題は「驚いた」である。

定義に驚いたのではない。

内容だ。

この本は世界を「南北アメリカ」、「ヨーロッパ」、「アジア・中東」、「アフリカ・オセアニア」そして「日本」に分けて書かれている。

その日本編を見た時だ。

7つ挙げられている。

1 足尾銅山  2 原爆ドーム  3 長崎原爆資料館  4 大久野島  5 友ケ島砲台  6 知覧特攻平和会館  7 ひめゆりの塔

このうち6つはもう訪問してしまっていたのである。

この後の投稿は、その6つについて自分にとって衝撃的だった写真を用いて自分の思いを伝えたい。

言葉がない方がストレートに伝わる場合もあるので、なるべく長文にならないようにしたい。

そして拙サイト「幸たんく」のコンセプトを支える、自分に素直に書きたい。

そう、未訪の地は沖縄の「ひめゆりの塔」である。

 

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