伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

ロイヤル・アルバート・ホール

2008-05-31 23:25:40 | Weblog

 UKネタだ。
 マイ・フィバリット・アーティストのマイク・オールドフィルードがイギリス国内で認知され、クラシックバージョンに書き換えられたオーケルトラル・チューブラーベルズのコンサートを行ったのが、ここロイアル・アルバート・ホールである。 ということで、訪れたかった場所なのだ。

 ロイヤル・アルバート・ホールロイヤル・アルバート・ホール(Royal Albert Hall of Arts and Sciences)は、イギリスのヴィクトリア女王の夫であるアルバート公に捧げられた演劇場で、眼前にはケンジントン・ガーデンがあり、アルバート・メモリアルがホールを見守る位置に建てられている。


ホールを見守る、アルバートメモリアル


アルバート・メモルアル
金色のアルバート様がいらっしゃる

 建物の形は楕円形でホールの外部には「芸術と科学の勝利」を描く巨大なテラコッタが展示されている。


テラコッタ陶板が使われているのか?

 コンサートだけではなく、ボクシングやプロレスリング等のスポーツイベントも開催されることもある。1991年には日本の大相撲のロンドン公演がロイヤル・アルバート・ホールで開催されている。このホールで2009年10月にも大相撲のロンドン公演が開催されることになっている


アルバート・メモリアルから見たホール


ホールの出入り口の一つ

 ここでマイクのライブを見ることができたら、最高なのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曰くつき2

2008-05-30 23:50:53 | Weblog

 2/23の投稿で「曰くつき」という記事を書いた。
日光東照宮の一の鳥居そばの「照り降り石」と千葉県市川市の弘法寺の「なみだ石」の関係についてであった。

 今回は曰くつきとまではいかないが、間違いないと勝手に思ったことについて書こうと思う。

 最初の写真は千葉県我孫子市の照妙院の社殿の前に敷かれている石である。写真では分りにくいとは思うが、ピンク色を帯びているのである。以前にこれと同じ色合いの石を見たことがある。その場所は埼玉県長瀞町。ライン下りで有名な所である。そのラインの途中にある紅簾片岩の色がそうであった。

長瀞町観光協会のホームページには「岩石の女王!親鼻橋のたもとにドッシリと構えるその姿は、長瀞の岩石群に君臨する女王の貫禄そのもの。世界で最も美しいといわれ比較的分布の少ない紅簾片岩のこのような大露頭は、他に類のない貴重な存在であるといわれている。組成は、ピンク色に輝く、美しい紅簾石を含む結晶片岩。」とある。


紅簾片岩①を親鼻橋の下から臨む

 


紅簾片岩② 写真に撮ると色は分りにくくなるが、
濡れた所は写真でも色がちゃんと出る。


紅色よりも縞模様が綺麗

 


大谷石の蔵

 唐突だが、写真は大谷石の蔵である。当然大谷石の名前の元となった大谷の石切り場から運んだ石で作られている。その大谷石の石切り場は今では「大谷資料館」として観光やコンサートの場となっている。


大谷資料館

 「曰くつき」のように完全なつながりがある場合、それに付随する物語はなかなか興味深いものだ。また、大谷石と大谷資料館の関係は実に淡白である。
 千葉県我孫子市の小さな寺社にあるピンクの綺麗な石と、埼玉県の長瀞にある紅簾片岩との関係はどうなのか。その両者の距離は実に90kmも離れている。
 しかし巨石文化で有名なイギリスのストーンヘンジと、それに使われているブルーストーンの山地ブルセリとの距離は385kmと4倍以上の距離がある。ということは運ばれた可能性が考えられる。

 あの石の色、他では見られないはずだ。と言いつつ、実際にはあるが長瀞と我孫子を結ぶ距離よりも遠いところにあるのだ。運ばれたとしたら、どんな曰くがあるのだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鯉餌の自販機

2008-05-29 23:50:05 | Weblog

 いやぁ、自動販売機はいいねぇ。世の中は便利になったものだ。道端を歩いていればいつでも喫茶店の気分だ。よりどりみどりの飲み物を飲むことができるのだ。
ゆきたんくも数十年、自動販売機のお世話になっている。
その昔、コーラ、ファンタは50円で350mlのアメリカンサイズを飲むことができたと思う。そのお世話になったジュース群の横で、細身で威張っていたのがコーヒーである。まあ別に威張っていた訳ではないだろうが、100円という値段がその当時の自分にとっては高嶺(高値)の花だったのである。
今でこそ、ジュース類もコーヒーも120円という値段でならんでいる。
そしてコーヒーのうまくなったこと。昔の砂糖水みたいのとは違う。

 これから書こうとする自動販売機を見つけたのは、静岡県の大瀬崎である。
 静岡に旅行をした時のことは5/25のカタストロフィで紹介した。そのメインの一つ、「神池」のことである。伊豆七不思議の一つで、海から最も近いところでは距離が20メートルほど、標高も1メートルほどしかないのに淡水の池なのだ。コイやフナ、ナマズなどの淡水魚が多数生息している。

 何故淡水池であるかは明らかにされていない。
①古くから池を調べたり魚や動植物を獲ったりする者には祟り(たたり)がある。
②実際に池の水が層状に分かれていた場合などに機材や人などが池に入ると取り返しのつかない環境破壊となる恐れが強い。
③透明度が低く池の底の観察が難しいと考えられること。


神池である。

で、正体のはっきりとしていない池のようである。
でありながら、神池の中にいる鯉のは餌をあげて良いのだ。
餌のあげかた次第では池を汚染しないのかと考えてしまうのだが・・・


神池の鯉たちである。

その餌は、池の周遊道路沿いの餌の自動販売機で売っているのだ。
そう、この神池の鯉のためのみである。これも便利と言って良いのだろうか。

さて、ここを訪れようと思っている方へ。引手力命神社の境内地であるため、拝観時間は日の出から日没まで、そして、拝観料が必要だ。また魚や動植物の採取は文化財保護法などにより固く禁じられているそうだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

仕事術7…ビジネス新書

2008-05-28 23:59:06 | 仕事

 さて、仕事術の記述は昨年の11月11日以来である。
「自分の仕事の領域だけの視点では、本当に探しているものが見つからない時がある。」という親愛なる先輩に教えていただいた書物がある。

 PHP研究所が出している「PHPビジネス新書」である。
     「血の通った実務書」
                「現場を知る人が本音で語る」
 ビジネス界の第一線で活躍する人たちの言葉が、本という形で簡単に手に入るのである。

 もちろん、そのスキルを簡単に手に入れることはできない。
自分の仕事に照らし合わせ、検証と考察を繰り返さなくては血や肉にはなり得ないと思う。

 冒頭に先輩に教えていただいたとあるが、それ以前に購入したのが「伝える力(写真)」である。それは、先輩の言葉に感化される前に、偶然セブンイレブンの書棚に見つけて買ったものだからである。自分の考えを人に伝える力が少しでも増せばいいなぁと思って手にしたのだ。

 先輩が言いたかったのは、「その本を書いた人間が、自分の仕事の領域とは別の領域を持っていることから学べ」ということだったからである。一緒に本屋に行って、書架を見ながら話すことが、「このキャバレーのおねぇちゃんの会話の本はいいねぇ。」周りに聞こえるような声で言うのだから少し恥ずかしい。しかし次の言葉が「お客さんを飽きさせない会話が出来るってすごいよなぁ。」とその本の価値についての説明がつくのである。実務書であることを分かっているのである。

 もともとPHPというのはPEAC and HAPPINESS through PROSPERITYの略で「繁栄を通じて平和と幸福」をの元、50年目の歴史を迎える、PHP研究所のことである。今から30年前の高校1年の時、全寮制高等学校の同じ部屋の仲間が見ていたので初めて知ったのだ。その時のPHPだけでなく、PHP新書(哲学書の趣がある。)も手にするようになった。

 いきなり話が飛ぶが、ゆきたんくがかかわってきた陸上競技の話である。
①陸上競技は一方向の動きが主だから、それ以外の動きを身につけてはいけない。
②陸上競技は腰を高く保って走るのだから、球技など腰を低くして走るスポーツをやってはいけない。
ということが話されている時期があった。今ではとんでもないことである。一方向の動きを力強くするためには、横方向のブレが生じないことも大切である。
「一つの動き」と表現したが、それは無数にパターンがある動きの中の一つでしかないこと。そしてそれから少しズレると別の動きであること。つまり「一つの動き」が正確にできるようになるためには、様々なパターンの動きも身につけ、ズレた時に修正する力も必要だということだ。

 これは先輩の言っている「自分の仕事の領域だけでは…」ズレた時に修正が効かないことを意味する。専門馬鹿になることも大切だと思うが、馬鹿に成り切るためには、その専門を再度から支える知識や技能も必要だということだ。自分を客観的に見るために専門から離れて見ることの大切さを説いている。

今4冊目を読んでいる。大変気に入っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いけ面

2008-05-27 23:52:11 | Weblog

 自分は、何か気にかかることがあるとすぐに確かめたくなる性格だ。
もちろん、その何かはその時の自分の気分である。
 まあ、こんな人間と一緒に仕事をやらされたり、上司でいたりしたら、堪ったものではない。余計な時間を取らされる。いつもご機嫌を伺わなければならないからである。

 自分の場合は、仕事については妥協があるので、安心していただきたい。気分の方もお腹が満ち足りていれば平和である。

 ところが、趣味関係では妥協なしである。
写真が何か分る方は、かなりの鎌倉通か、神社仏閣通である。
 これは、今でいうかなりの「いけ面」の傍にあるものだ。

 かの歌人、与謝野晶子の歌碑(観月堂の隣に立つ)には「鎌倉や みほとけなれど 釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」の歌が刻まれている。


与謝野晶子の歌碑

 詠んだ当時仏様に対して、「美男の釈迦」と言った表現が、物議をかもしたみたいだ。しかし彼女の中の一番は、富山の高岡大仏らしい。

 彼女の中では、多分3番以内に入ると思われるのが、今回のいけ面の正体、鎌倉は高徳院の大仏様である。


鎌倉大仏(高徳院)

 その大仏様が鎮座されている左側に、大仏様の胎内の入り口がある。
一般拝観料は200円だが、胎内を拝むにはさらに20円必要である。
 ちなみにこの大仏様は腹黒くはなかった(しゃれにならないかぁ…)。

 当たり前である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大三巴牌坊

2008-05-26 23:59:06 | Weblog

 写真に写っているのは、ヨーロッパ色の強い建物である。
天気が悪いが、晴天ならばパステルカラーに見えるはずだ。
しかしここはヨーロッパではない。
かつて、日本や中国へのキリスト教(カトリック)伝道の基地として栄えた所である。
であれば、東南アジアなのだが、東南アジアといえば大乗仏教が栄えた土地である。
公用語はポルトガル語と広東語。
ポルトガル領になったことは一度もない。

何なんだ、この複雑さは・・・。

国が入り混じり、宗教の色合いも違い、公用語になっている国の領土ではない。

①ポルトガルが中国の明王朝との交易のために到来した。
②明王朝から後期倭寇の討伐で協力する。
③協力の代償として、マカオの永久居留権を認められた。
④その後統治権を与えられるが、主権は中国(清)であった。

  さて、下の写真を見てもらいたい。この地のシンボルともいえるセント・ポール天主堂跡だ。ここは澳門(マカオ)である。漢字では大三巴牌坊と書く。


正面ファザード


石牌坊(中国・北京)

 漢字で書かれた中国名は複雑な感じがする。この2枚の写真の被写体には牌坊という言葉がついている。門という意味なのだろうか。いずれにしても、北京のは中国、マカオのはヨーロッパの趣がある。

 話がずれたが、聖ポール天主堂跡は17世紀前半に建設された教会の遺跡だ。完成当時は東洋一美しい教会だったそうだが、1835年に隣の学校からのもらい火で建物が焼け落ち、建物正面のファサードのみが残った。

 この教会建設にたずさわったのは、ポルトガル人と弾圧を逃れて長崎からマカオに渡った日本人クリスチャンだったという。


正面ファザード下部

 かつてローマ・カトリックの東南アジア布教の中心であったマカオ。その象徴的建築物がこの大三巴牌坊だろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カタストロフィ

2008-05-25 22:27:00 | Weblog

 さあ、デビュー戦だ。
何がって、ゆきたんくが3つのことに目覚めた時のことだ。

 バスは静岡の伊豆にぐんぐん向かっている。
目指すは西伊豆である。
初日と最終日の3日目は、コース設定がされている。
往路と復路を兼ねての観光である。

 間の2日目は、ツアー会社の予定に乗ってもいいし、自由でも良いのである。
ゆきたんくはもちろん自由コースを選んだ。
 最初に言った3つのうちの一つ目は、初めて旅をするに当たって本格的な予習をしたことである。本屋で旅の本を求め、自分が足を運ぶ西伊豆がどんな所であるのか、そして見所はどこか、どう周れば効率的か・・・

 3日目はもう疲れているのは分っている。寝て帰るのだ。眠気の前の最終娯楽が土産の購入である。もうそれだけ。
 ということは2日目がメインエベントと言っても良い。
では目覚めの2つ目は何か。それは生まれて初めて、自分のデジカメを手に入れたことである。
今はもう代替わりしているが、キャノンのパワーショットを購入したのだ。そしてろくすぽ練習もせず、旅行当日が写真小僧(小僧か)のデビュー戦になったのである。もちろん、カメラを教えてくれた友達の、たくさん撮ることが上手になることへの近道という言葉を信じてである。

 2日目のためにレンタカーの予約は済ませた。コースは西伊豆から北上して、沼津の大瀬崎に行き、海から10mしか離れていないのに水が真水である「神池」を見、次は名エベントである安楽寺の境内にある、まぶ湯である。土肥温泉の近くにあるのだ。温泉は鉱水である。この鉱の字を当てて鉱湯(まぶゆ)と言う。このまぶ湯は入浴はできないが、浴槽の脇に湯かけ地蔵というかわいいお地蔵様がいるという。このお地蔵様が、ゆきたんくの目覚めの3つ目である。名所旧跡でどうしても見たいものに目覚めた第1号ということだ。

 さて、2日目は西伊豆の宿泊先、松崎プリンスホテル(現松崎伊東園)から北上して、神池の神秘に触れ、きれいな富士山を見て間隙する。そして旅人岬、土肥温泉、土肥金山、土肥神社、清雲時には目もくれず、安楽寺へ向かう。安楽寺の山門脇にある大きな石標が、彫られた「まぶ湯」の文字を誇らしげに見せびらかしている。
 いよいよ湯かけ地蔵様とご対面である。そしてこの旅で鍛えたカメラの腕で湯かけ地蔵様とのツーショットが撮れれば、今回の「3つの目覚めツアー」(勝手に名前を作るなよぉ)は完璧になるのだ。

さて、安楽寺の駐車場で降車し受付へ。だぁれも出てこない。しょうがないのでまぶ湯の表示に従って歩を進める。


あったあった、まぶ湯の入り口である。
やっと来たぞ、赤い幟がいいねぇ。
そして歩を進めてみる。
「ん?」なんで通行止めなの・・・


で、近づいてみると「拝観中止」の表示
なあるほど、入浴ができないってことなんだね。

そして顔をあげると眼前に現れたのは・・・


崩れた入り口であった。

 ということは中に入れない。湯かけ地蔵様に会えない。ここであえなくゆきたんくの計画も崩れたのであった。時はすでに午後3時を回っている。旅の本でも調べた。インターネットでも調べた。地元の情報紙(誌ではない紙である。)も調べた。

 こんなこともあるんだなぁと思いつつ、盛り上がるだけ盛り上がったテンションが、真っ逆さまに落ちていく感覚に支配されるゆきたんくであった。

 ところで「伝えたんく」は幸せを書くブログである。何が幸せだって?
今となっては、この時のことも笑えるからだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パールライス

2008-05-24 23:56:14 | Weblog

 写真の看板を見たことがあるだろうか。そう、かつてブラウン管(この名称も今は使わないか・・・時代は液晶)に流れていた水晶米のコマーシャルをお覚えの方はいないだろうか。その水晶米を販売している店についている「パールライス」の看板である。
 ここで話をしたいのは次男のつっくんのことである。どこの家でもそうだと聞くが、長男はおっとりとしていて、次男はとっぽいという。 うちもご多分にはもれないのである。

 つっくんはなんと生後二ヶ月で寝返りを打った奴なのである。生後二ヶ月というとまだまだ体の自由は利かない時期である。ベッドの柵も立てずに隣の部屋で女房とお茶を飲んでいた時だ。つっくんの情けない泣き声が聞こえてきたのである。いつもと様子が違うが夢でも見ているのだろうとほうっておいたが、いっこうに泣き止まないので行ってみるとベッドから下半身がぶら下がっていたのである。なんと寝返りをうっていたのだ。赤ん坊は頭が重いから落ちなかったのだ。もしも落ちていたら今つっくんはこの世にいないであろう。

 さて話を戻すが、長男を叱る時にはすぐ観念しておとなしくなるが、つっくんは「こっちへ来なさい。」というと第一声は決まって「やだ~!」なのである。そしてすばしっこく逃げる。よってどうしたか。つっくんが悪いことをしていると「パールライスが来るぞ~!」と言うことにした。当時住んでいた所から一番近くにある食料品店についていた看板が「パールライス」なのである。

 女房は「何それ。」と小ばかにしていたがこれが功を奏したのである。「パールライスが来るぞ~!」というと「ごめんなさい、もうしません。」「助けて~」と涙を流しながら助けを求めたり反省したりするのである。これは5歳半まで効果があったのだ。現在、この時のことをつっくんは覚えていないし、パールライスに変わるものもない。

 現在高校生、とっぽいのは相変わらずである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おたく2

2008-05-23 23:59:21 | Weblog

昨年の11月27日に「おたく」を書いた。

最後に「ゆきたんくはおたくなのだろうな。」という一言を添えた。

「おたくってなんだろう。」という観点で、自分のしてきたこと(大したことないことも含めて)を思い出してみた。

あったあった。なんと5年間もかけてやっていたことが…

 時は平成元年、2頭身(SDガンダムと言えばお分かりになるかな?)のウルトラマン集めである。最初に手に入ったのは帰ってきたウルトラマン。なんとかわいいこと、このシリーズ集めなければならないという使命感を持った。当時ゆきたんく家には子供は長男のおーちゃんだけで、次男のつっくんは影も形もなかったのである。親と言うものは自分が好きなものは子供に伝えたいと思っているのだ。小学校1年生の時に初代ウルトラマンのテレビを、白黒であるがドキドキしながら見ていたゆきたんくにとっては当然のことである。

 それから、ウルトランエース、ウルトラマンタロウ、ウルトラセブンまではすんなりと手に入った。平成も3年を迎え、次男のつっくんが生まれている。残念ながら、ウルトラマンシリーズが揃わない。しょうがないので仮面ライダーブラックを加えた。そして平成4年にはつっくんもはいはいから、つかまり立ちをするようになる。

 この時のつっくんのマイブームが「仮面ライダーV3」であった。毎週日曜日の朝にテレビから宮内洋氏の声で「かめんらいだぁ、ぶぃすりぇー」の後に主題歌が始まるのである。この声を聞いた途端にはいはいからこたつの端につかまり立ち、そして歌が終わるまで、リズムに合わせてクォーター・スクワットのしっぱなしである。満面の笑顔で息をハァハァ言わせながら喜んでいたのである。

 と言うわけで、V3もコレクションに加わったのである。とこで写真を見ていただけるとお分かりと思うが、これは当時乗っていたカリーナEDの助手席である。

 そして平成5年の春、東京の自宅から神奈川に引っ越さねばならないという友人が、ゆきたんくがウルトラマンおたくなのを知っていて、プレゼントされたのが初代ウルトラマンの2頭身指人形である。ついにゾフィは手に入らなかったが、ゆきたんくの思い入れの大きい初代ウルトラマンが手に入ったことが満足であった。

こんなの人が聞いてもつまらないよね。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

兄弟

2008-05-22 23:58:18 | Weblog

ゆきたんくには2人の子供がいる。
まあ、ハンドルなんてぇのは持ってないのだが、ゆきたんくのサイトやブログの中では長男がおーちゃん、次男がつっくんになっている。

写真を見ると左側におーちゃん、右側につっくん、そして間には母であるのりたんがいる。あっ、もう一人はのりたんの父、子供らのじいちゃんがいる。

 今回のお題は兄弟であった。いやいや、体の大きさが違うだけで共通しているところが沢山ある。それもゆきたんくの長所も短所も似通っているのである。これを否定すると自分を否定することになるほど似ている・・・

 さて、別項で記事にしたことがあるのだが、兄弟関係にあるかもしれないと呼ばれている世界遺産と国指定史跡がある。


頭塔(奈良)とボロブドゥール(インドネシア)
この2つは現地で買ったパンフレットである。

 奈良県の東大寺から南下約950mにある頭塔(ずとう)を見に行ったのは2006年12月30日のことである。旅の本に史跡の一部分の写真が載っていて惹かれていたので、つっくんとともに訪れたのである。


史跡頭塔、南側部分とつっくん


ボロブドゥール・ストゥーバの前で ゆきたんくとおーちゃん

 世間一般では寺社内に建っている五重塔が、仏舎利を収める仏塔である。この頭塔も、同様だそうだ。そして、この旅の10日後、近畿旅行を一緒にした義母から電話が有り、せかい不思議発見で「頭塔」のことをやっているとのことだった。どうやら、その時は頭塔だけでなく、ボロブドゥールのことも併せてやっていたようだった。残念ながら、その電話には出れずつっくんが話を聞いた。


頭塔、北西からの光景

 そんなことは露知らず、インドネシアに住む義兄のところに行くこととなった。
もちろん旅の予習はつきものである。ジャワ島中部のジョグジャカルタにある「ボロブドゥール」を見ていた時、何か「頭塔」に似ていると思った。その時の気持ちを書いた記事があった。


ボロブドゥール東側の光景

 規模がまったく違うが、方形層の組み合わせがジャワ様式で似ている。ボロブドゥールは方形層の上にインド様式の円形層を組み合わせているが、どちらもピラミッド構造である。円形層の上にはストゥーバがあり、その中には仏像が安置されている。

 ボロブドゥールは紀元760~850年の間の建立と断定された。それ以後約1000年に渡って火山灰に覆われていた。基壇には古いものがあり、構造の強化の観点で新しく大きな基壇になったという。


遺跡南東部の旧基壇

 頭塔は古文書の記録な767年に築いた記録がある。現在の形になる発掘前(昭和61年までの約1220年は土の小山の状態だったようだ。(国の指定史跡になったのは大正11年…この時点では約1150年)そして、頭塔の内部に初期の頭塔があることが分っている。頭塔の石仏があった所の上には素屋根がつけられ、石仏自体も保存処理が施されているので露出展示がOK。

 規模こそ違え、歴史と構造が似ている頭塔とボロブドゥール。
 果たして兄弟なのか・・・

 以前友達が貼ってくれたリンクだ。

世界ふしぎ発見!
http://www.tbs.co.jp/f-hakken/mystery994_1.html

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たった、これだけ…

2008-05-21 23:59:26 | Weblog

 何気にテレビを見ていると、名所旧跡、名刹、記念碑などの紹介をしていることがある。その時点でのマイブームだったことは、頭の片隅に残っているものである。そしてそれを指す単語だけが耳に届く。
 英会話のテレビを息子達が見ていても自分には何の関係もない。ところが"I bought a yakisoba at ennichi."(これで合っているのだろうか…)なんてぇのが聞こえてくると、そのyakisobaだけが聞き取れるのである。これって誰もが経験することではないだろうか。

 NHKドラマは女房が好きで見る。私はその時の気分でお相伴することもある。新撰組や忠臣蔵、坂本龍馬ものは好きだ。坂本龍馬ものを見ていた時だ。その回も一段落したのでトイレに立った。出てきた時にやっていたのは冒頭の写真にある「龍馬遭難の碑」の紹介である。かつて醤油商・近江屋の跡地に当たる。その画面に出た1本のコンクリートの標柱だけが目に焼きついたのである。前述のyakisobaの目版である。

 もっとも、この形の標柱は京都市内には沢山ある。

 2006年12月29日に年末旅行で京都に出かけた。ヨーロッパ旅行よろしく、埼玉から京都市内まで12時間もかかってしまった。年末の渋滞と突然の大雪のためだった。やっと宿に着き、食事は外ということで出かけたのが、中学校の修学旅行では行くことを止められていた新京極通りである。いろいろ悪い奴らが歩いていて、喧嘩になることを懸念してでのことである。ゆきたんくは、修学旅行の夜どうしてもここを歩きたくて出かけた。当時は制服をきて、堂々と通りの真ん中を歩くと度胸があるような話だった。もちろん、ゆきたんくと友達は私服に着替えて、通りの端を大人しく歩いたのである。あぁ、恥ずかしい・・・

 新京極から蛸薬師通りに抜け、その通り沿いの店で食事をした。腹も張り、ボゥっと歩いていると1本の標柱が目に入った。それが龍馬と中岡慎太郎遭難の碑だったのだ。テレビで紹介している時は、きれいなお姉さんの声で(おじ様の時もあるが)、BGMが流れ、碑の写真の周囲には挿絵だとか、住所、アクセスの仕方が絵画のように散りばめられてとても賑やかである。
 その時は、友達のいない人間が一人ぼっちで佇んでいるような光景に見えてしまったのである。歴史を変えた大人物の一人である坂本龍馬氏の最期を迎えた地はこんなに寂しいものなのだと思ったのである。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津波の塔

2008-05-20 20:38:22 | Weblog

 ずっと気になっていた。あの津波の塔・・・

 初めての青森旅行で寄った十三湖。
有名なのは世界遺産になった白神山地の近くにある国定公園になっている十二湖。
ゆきんたく「今年の夏は、青森に行くんだ。」
同僚   「青森のどこ?」
ゆ     「うん、十三湖」
ど     「ふーん、白神山地のそばだね」
  注:十二湖と十三湖は位置が全然違う。

 なんて青森について全然分っていない会話をしてした時・・・
気になっていたのは、十三湖に浮かぶように架けられている十三湖大橋の傍にポツンと建てられている「津波の塔」のことである。


十三湖大橋

 十三湖大橋を渡らずに下をくぐり、十三湖の水の出口(岩木川河口)の北岸に出る。砂浜の西側を見れば日本海である。その向こうには数個の小島を挟んで北朝鮮かロシアかという位置である。


十三湖大橋近くの砂浜に続く道

そこに津波の塔は建っている。逆光だったので、塔正面からの画像では見ずらいので冒頭の角度の写真になったのだ。

 この津波の塔とはなんだろう。調べていくうちに「日本海中部地震の伝承と犠牲者の供養塔」ついうキーワードに行き着いた。
 しかしながら日本海中部地震というのは、1983年(昭和58年)5月26日11時59分57秒に、秋田県能代市西方沖で発生したやつを指すはずである。伝承という言葉を用いるのであれば、それより遡らなければならないはずだ。
 かつて十三湖には栄えた都市があり、その遺構も残っている。詳しくはこちら五所川原市商工観光化のサイトを見ていただきたい。

 さて、真偽のほどが取りざたされている東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)という書物がある。現在の位置づけは、いわゆる古史古伝と呼ばれる文書の一つで、古代における東北地方の知られざる歴史が書かれているとされる偽書だそうだ。

 その論争についてはここでは触れない。その東日流外三郡誌には

十三湊は、安東氏政権(安東国)が蝦夷地(津軽・北海道・樺太など)に存在していた時の事実上の首都と捉えられ、満洲や中国・朝鮮・欧州・アラビア・東南アジアとの貿易で栄え、欧州人向けのカトリック教会があり、中国人・インド人・アラビア人・欧州人などが多数の異人館を営んでいたとされる。しかし、1340年または1341年の18回に及ぶ大津波によって十三湊は壊滅的な被害を受け、安東氏政権は崩壊した・・・

と記されているという。この青文字の部分が伝承というのに当たる部分なのか。

この「津波の塔」に彫られている字は、塔が建立された当時の青森県知事…北村正哉氏によるものである。そして氏の任期は1979~1995までの三期で、日本海中部地震の発生した1983年には知事在任中であった。この塔の裏面の写真を撮らなかったことは失敗であった。

 彼の在任期間には、東日流外三郡誌の真偽の答えは出ていないのだが、世間的には偽書という認識が高くかった。結局この津波の塔が指している「日本海中部地震による津波の被害者」の供養は1983年の地震による津波で被害に遭われた方に対するものだと考えるのだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

できることなら・・・

2008-05-19 23:54:56 | Weblog

 滅多に見れないもので、かつ自分が初めて見ることができる。そういう機会は滅多にあるものではない。まして、初めてで有名で壮大なものほど期待大である。

2006年春にツアーで中国に出来かけた時のことだ。
 世界遺産にご馳走が売りの北京旅行でのこと。

 その中に故宮博物院がコースにあった。ということは、天安門を見ることができることを意味する。自分の中では、赤くて大きくてそして門の中央部分には毛沢東氏の肖像があることだ。

 4日間のコースで3日目に故宮博物院はあった。それまでは「万里の長城」、「明の十三陵」、「頤和園」を見ることになっていた。
 万里の長城では、観光客が登るのには選ばない男坂を登り、明の十三陵では、地下壕然としている、しっかりした構造に感心し、頤和園では、昆明湖という人口の湖を作らせた皇帝の力に驚き、だんだんに気持ちも盛り上がってきていた。

 そして「明日は、天安門だ。」と心躍らせながら気持ちの風船も張り詰めてきた。
と書くと、「充実した旅行をしたんだね。」と思っていだたけるだろう。

 そして唐突にその時は訪れた。
 万里の長城でそのスケールと人智に感動した後のことで、心の風船がまだ膨らみ始めたタイミングだ。昼飯前に訪れた、ツアー観光につきものの土産物屋にそれはあった。
 宝石店であることは分る。入り口を入ってすぐのところに数百キログラムの翡翠の塊から掘り出した風呂のようなものが飾ってあった。
 こんなに大きな翡翠の製品は見たことがない。店内も期待大である。そしてわたしの目に飛び込んだものは緑の天安門であった。

 なんと、翡翠の塊から掘り出した天安門が目の前にあるのだ。ご丁寧に中央には毛沢東氏の顔写真があるのだ。一挙に力が抜けていく。その作品は、今回の旅行で、初めて天安門を見るという機会を奪い、天安門の正確な形を知らなかったゆきたんくに形を教え、異国であるがゆえにやたら見ることができないという緊張感をコーティングした期待感をしぼませたのである。


天安門の前に立つゆきたんく
撮影は次男のつっくん

 次の日、生まれて初めて天安門広場の広さに感動し、その突き当たりにある本物の天安門を見ることができた。

 できることならば、本物を先に見たかったゆきたんくである。

 しかしながら、その日ホテルで写真を確認して気づいたことは、宝玉店の天安門と実際の天安門の形が違ったことだ。それまで気がつかないほど、天安門の形が頭の中に入っていなかったのである。非常に薄い認識であった。ようするに本物を見て、初めて本物の形を知ったことになるのであると理屈をつけたところでペンを置くことにする。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五色沼?

2008-05-18 23:50:45 | Weblog

 さて、単純な疑問。
福島県の裏磐梯と呼ばれている所の北塩原村に五色沼という沼がある。
五色(ごしき)というからには、5色の色合いがあると思っていた。
実際に自分の足で裏磐梯の散策コースを歩き、沼を見てその美しさにため息を漏らし、勝手に5色あると納得していた。

 しかしである。写真は毘沙門沼(びしゃもんぬま)という。青緑の水を湛えた美しい沼である。毘沙門ていうのは色の名前かい?
 ということで、五色沼の辺りの地図を見る。「柳沼」、「青沼」、「瑠璃沼」、「弁天沼」、「深泥沼」、「毘沙門沼」、「赤沼」とある。
なんだ、5色以上ある。そして周囲には「弥六沼」、「銅沼」、「甲府沼」など名前が載っているだけで十、それ以外にも小さい沼がたくさんある。


磐梯山をバックにいただく毘沙門沼

 色とは関係のない名前の沼もあるが、改めて五色沼ってなんだろう。調べてみた。

  たくさんある湖沼群のうち桧原湖、小野川湖、秋元湖にはさまれて 点在する 大小40あまりの湖沼群を 総称して五色沼というのだそうだ。別に数字にはこだわってはいない。色とりどりであることを五色と称したのだろう。

 ゆきたんくも歩いた沼沿いの散策路は五色沼自然探索路という観光名所だそうだ。単純な疑問であったが、知ったかぶりしていると恥をかくことが分った。もし聞かれていれば、「五色沼というのはね、・・・・・・・・・・・・・・・・」と自分の頭の中で組み立てたまがい物を人様に伝えていたかもしれないのである。


瑠璃沼である

 今回のことで勝手に自分の頭でありもしない事実を創り出していることってないか心配になってきた。キーワードの一つは数であることが分ったので、これから気をつけていきたいと思う。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

親の気持ち

2008-05-17 22:48:58 | Weblog

さて、誰もがいずれ親になる可能性を秘めている。
このゆきたんくも二児の父である。
しかし、どれだけの愛情を子に注ぐことができたか。

子育ては、その時その時が一生懸命で、今振り返ってみると良い思い出である。

写真は2004年の夏に旅行した鳥取県は境港市の、「水木しげる記念館」の前庭にある「鬼太朗と目玉のおやじ」のブロンズである。

何のシーンなのか・・・

 赤ん坊のころの鬼太朗を父親が鍛えているというか、遊んでいるシーンである。
 鬼太朗の父はミイラ男、母はお岩さんと言われている。
 鬼太朗の誕生時には母は死に、父もとっくに亡くなっていたはずである。
 一人ぼっちになってしまう鬼太朗を不憫に思った父は、死ぬに死ねず、ミイラ男の眼窩から飛び出た目玉が生きて活動しているという訳である。

親が子を思う心は本来はこのようでなくてはならない。

これをものさしにすると、ゆきたんくの自己評価は「苦しいです」

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブログ村Ping

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/okr7t7fen957