伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

Оさんの代わりに5…ブラウバッハ

2015-08-31 23:13:43 | 

コブレンツの後は、ブラウバッハに向かう。

電車だと12分ぐらいだというが、5分ほどで着いてしまった。

Nさんの運転は飛ばす時は飛ばすので早いのだろう。

最初に見えたのが、ブラウバッハの市門、オーバー・トーア。


 

「運転の邪魔だよ。」流暢な日本語で皆を笑わせていたNさん。これは帰りの写真。 


街中の組木の家が目を楽しませてくれる。


 そして向かったのはマークスブルグ城。

時間の関係で奥までは入らなかったが、途中でライン川周辺に広がる景色を見ることができたのは嬉しかった。

眼下にブラウバッハ、ラーンシュタイン、対岸にはブライとランスの小さな町が分かった。



マークスブルグ城


曇っていても、このクオリティと思ってしまうゆきたんくである。


 さて、ゆきたんくのカメラにパノラマ写真を撮る機能がついていた。

120度の角度で撮ったものをアップすることができた。


写真の下が欠けてしまった。360度で撮ったものはしっかりと入っているのだが、アップできなかった。


 ドイツには小さな素敵な町が多い。

次はザンクト・ゴアールスハウゼンだ。

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Оさんの代わりに4…コブレンツ

2015-08-30 23:01:56 | 

さて、宿泊地がデュッセルドルフからコブレンツに変わった。

ホテルの窓から景色を見ると、あら素敵。



選帝侯の城 現在は役所で内部見学はできないという。


 ここコブレンツはライン川とモーゼル川が合流する場所でヨーロッパの水上交通の要衝でローマ人は2000年以上前に町を建設したという。そしてここをコンフルエンス(合流地点)と呼んだことがコブレンツの語源だという。

 今日一番に行く場所は、ドイチェス・エックだ。

 「ドイツの角」という意味があるこの場所はドイツ人をして「父なるライン川」 「母なるモーゼル川」の合流地点だ。



ドイチェス・エックの突端に立ててある旗はドイツ国旗。


ドイツ国旗を先頭左右に8本ずつ、ドイツ16州の旗が建てられている。


1枚前写真のドイツ国旗の支柱に隠れていたのがヴィルヘルム1世の騎馬像


 この騎馬像は第2次世界大戦の爆撃で破壊されたが1993年に再建された。

 近くには東西ドイツ統一のモニュメンととして「ベルリンの壁」の一部が保存されている。

 ゆきたんくがベルリンの壁を始めて知ったのは、山崎豊子氏の小説「白い巨塔」で主人公の財前五郎が東ドイツを訪れた場面だ。

何人も人が東ドイツから、自由な西ドイツに行きたかったか。

もっともベルリンの壁は西ベルリンを飛び地のように囲むものが有名だが、実際には総延長155㎞ある。

様々な理由はあるが、東ドイツから西ドイツへの人民の流出を防ぐためのものだったのである。

東ベルリンと西ベルリンを分ける壁が一般的に知られる「ベルリンの壁」だ。

壁を越えようとして射殺された方は192人、壁越えに成功した数は5000人以上だという。

いずれ旧東ドイツには行きたいと思っていた。

ベルリンやドレスデンやポツダムなどだ。



ベルリンの壁の一部。弾痕が数多く残っている。


 ここで「ベルリンの壁」にお目にかかるとは思わなかった。

さて、この界隈の歴史ある教会に立ち寄る。

写真撮影が憚れる雰囲気だ。



聖カトター聖堂


 

最初の聖堂は9世紀に出来上がり、現在のは19世紀に完成した建物だ。

1944年の空襲では、バロックオルガンが焼けたり、ステンドグラスが壊されたりしたが大部分が無傷のまま残ったという。

ドレスデンの爆撃で無残な姿になった聖母教会の例があるだけに、当時の姿を見れるのは嬉しいものだ。

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Оさんの代わりに3…エルツ城

2015-08-29 23:03:32 | 

エルツ城。

コーヘンから車で30分のところにある。

周囲を川に囲まれる形の要塞である。



エルツ城


 ここに行くまでにバスがあるのだが、運転手のNさんの提案で帰りは登りになるからバスで、行きは歩くことにした。

城までの道は急坂でとてもではないが走ることはできない。

また、途中に砦があって、そこから敵を射ることもできるようになっている。

もちろん、隠れるところはない。



駐車場から城までを示した。  こんな所に城を作るなんて頭が良いのだ。 → Map


 急な坂を下りながら、ドイツの家々の屋根を葺いている石を拾ったり、景色を写真に撮ったりした。

ヨーロッパの建築物は石造りのものが多い理由が分かる気がした。



坂の途中で、ゆきたんくと奥方ののりたん。 エルツ城をバックに。


 エルツ城では、日本語ガイドはさすがにいなかったが、コース案内の方には、「英語コース」に編入された。

ガイドに従って城内を回ったが、多くの宝物に圧倒された。

途中でお腹の部分が出っ張っている甲冑があったが、これは主人がデブだったというオチがついて、皆が笑った。

日本人のゆきたんくには、ドイツ人ガイドが流暢な英語を話していると思っていたが、どうやら英語圏の人にとっては、それなりに聞ける程度の解説だったようである。子供たちは半分飽きていて、真剣な大人はよーく聞いてうなづいていた。

私たちは日本語ガイドを借りて、話していることと照合しながら聴いていた。

案内も最後の方で、ガイドから「内容が間違っているところはないか?」と聞かれて、

のりたんが「May be.」

と言っていたので、ゆきたんくはタイトルと内容がはっきりしないところがあると思ったが言うのをやめた。

正確に言うと、伝える自信がなかったので誤解を招かないように遠慮したのである。



城の中庭とも言える部分


突飛な印象を受けた城の装飾 


 Nさんは、移動するコースの中に名勝があると行くかどうか提案してくれる。

このような企画は大変嬉しい。

Оさんと一緒なら、なお嬉しかった。

 

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Оさんの代わりに2…コーヘン

2015-08-28 23:59:58 | 

次はコーヘン。

人口5000人強の小さな町だ。

絵にかいたような町。

街中をモーゼル川が流れる場所を観光した。


 


モゼール川の東側の街並み。


木組みの家に花がアクセントになっている。


 今回は川を渡らず、モーゼル川の西側部分を観光した。

街中の駐車場はどこも車を停めることができず、町から南に1.5㎞ほど離れたところから歩くことにした。

その間、モーゼル川沿いの景色を楽しむことができた。

 上写真のような景色はもちろんのこと、少しずつ近づいてくるライヒスブルク城(コーヘン城)を見たり、ローマ時代の遺構や、そのまま建築物に活用されている様などを見て楽しむことができた。



ライヒスブルク城(コーヘン城) 


 コーヘンの街中は、観光客で溢れかえっていた。

ただ、東洋人なのは自分たちだけだった。

周囲の人もこちらを気にしている訳でもない。

運転手のNさん曰く、近隣諸国のお金持ちが休暇にやってくるんだとか。



コーヘンの街中1


コーヘンの街中2


コーヘンの街中3


 歩き回れば腹も減る。

さて、かねてからNさんにお願いしていたお店である。

「旨いソーセージが食べたい。」

ドイツの正統派のソーセージ、一般的なソーセージを食べれるようにリクエストしたゆきたんくである。

連れて行っていただいたのは「Thomas Equit 肉屋」さん。

ここでゆきたんくの握りこぶし(ゆきたんくの握りこぶしき大きい)ほどのパンと太くて長いソーセージをいただいた。

からしはシャンプーのボトルみたいのから絞り出す。



トーマス・エクイット肉屋さん入り口


ゆきたんくが食したソーセージパン。これをかぶりついていただく。


 食べる前から「おいしいよぉ~」と言っていたNさんの言葉に嘘はなかった。

大変満足したゆきたんくである。

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Оさんの代わりに1…ケルン大聖堂

2015-08-27 23:42:47 | 

Оさんの手術が成功したこと。

回復に向かうこと。

この2つがとても嬉しかった。

あとは、無事にОさんの計画通りに旅を進め、報告をするのがミッションだ。

もっとも、ゆきたんくは一行より早めに帰国する。

さて、まずはデュッセルドルフの南、すぐお隣のケルンである。

まぁ、聞くところによるとデュツセルドルフとケルンは犬猿の仲だそうだ。

ご当地の理由というものがあるのだろう。

さて、昨年8月に訪れたので1年ぶりになる。

車を降りて、石畳を見る。

排水溝の蓋がこんなだ。


 

ライン川が下端に示された、街中の地図がマンホールになっている。 


ライン川側から見たケルン大聖堂。


大聖堂の中


美しいステンドグラス


 Оさんは敬虔なカトリック信者である。

ここには来たかったに違いない。

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頭が下がる。

2015-08-26 23:44:44 | 東京都立秋川高等学校

かくしてデュッセルドルフには着いた。

そして女房たち、女性軍との食事も終わった。

ここからは、男一人別ホテルなので気楽だ。

5月から連絡を取り合っている先輩へ連絡した。

都立秋川高校学校の5年先輩でデュッセルドルフ在住の方だ。

前に連絡を取り合った時には、シューマンの住んだ町、デュッセルドルフについて調べたいとエラそうなことを言ってしまった。

そして、ライン川に身を投げた場所も確認したいという話をしたのである。

午後8時過ぎに待ち合わせ、車でアルトシュタット(旧市街)に連れて行っていただいた。

まずはアルトシュタットの探訪。



この石畳の場所が、ビールを飲む客でごった返すのは、金曜日の夜だという。


 ついで連れて行っていただいたのが、シューマン一家が最期に暮らした家だ。

ここに行きたくて行きたくてしょうがなかった。

小学校3年の時に買ってもらった、「原色学習図解百貨」の第9巻「楽しい音楽と鑑賞」に入っていたEPのトロイメライを聴いて好きになったシューマン。

その解説に、「シューマンが投身したライン橋」というものがありました。

投身の意味が分からず、母に聞いたら「死のうとした」ということが分かった。

たかが9歳では死の意味も分からず、自殺の意味はさらに分からなかったはずなので分かるように説明してくれたのだと思う。

そのことで、シューマンのことが余計に頭に刻まれることになったのだ。


 


シューマンハウスの前。 シューマンと彼の妻クララのレリーフがある。


 そのシューマンハウスを起点に、どの道を通ってライン橋(シュプスブリッケ)まで行ったのかを一緒に検証した。

というよりも、先輩は前もって調べておいてくれたようだった。

町区分で言うと、さきほどのアルトシュタットの南にカールシュタットがあり、ビルカー通り沿いにシューマンハウスがある。

シューマンハウスから北上し、市場まで来たことは予習していた。

なんと先輩も、「このカールプラッツ(市場)」までは来たんだよな。

と予習をしていて下さったことが分かり恐縮した。

そこから北へ走ったか、西へ走ったかがはっきりしなかった。


 
シューマンハウスからカールプラッツまで  ライン川はこの地図の左(西)にある。


 とりあえず、その場所(シプスブリュッケ)に行ってみようとなった。



市庁舎前(マークプラッツ…マルクト広場)。を通ったり・・・


ハインリッヒ・ハイネの生家の前を通ったり・・・


ライン川沿いに出て、セント・ランベルタス教会(2番目に高い建築物)の確認をしたり・・・


セントランベルタス教会が描かれている。教会手前にある橋は現在はない。


一人ではなかなか歩けない街中を案内していただいた。

充実したとても良い観光になった。

本当に有り難かった。

4日間、他の場所を回ってまたデュッセルドルフに戻ってくることを伝えて別れた。

初対面で行き届かないところがたくさんあっただろうに、親切にしていただき感謝している。

頭が下がる思いというのはこういうことなのだろう。

 

かくして、9歳の時の思いがかないつつある状況になったのだ。

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再会

2015-08-25 23:46:01 | グーグルフォト

場所はデュッセルドルフ・マリエン病院。

デュッセルドルフに遊びに行きますよ。

その約束を果たすのと、私にとってОさん(ここではそう呼ぶ)と7年ぶりの再会が病院だった。

家族や、その友人がドイツ旅行する時には、Оさんが懇意にしているプロドライバーNさんに観光案内をしていただく。

今回の訪独は、Оさんが立てた計画を、ドライバーNさんが遂行する旅だった。



デューイブルガー通りの花屋さん。ドライバーのNさんには様々な交渉を助けていただいた。 


 ご自分が立てた計画に参加できなくなったОさんに会いに行く。

どんなにか悔しいことだろう。

ドイツ人で有りながら、ご本人がまだ訪れたことのない場所も含まれていた。



戦争でも残ったマリア像。 


 正面玄関を通って歩を進めると、正面の壁にマリア様がおられた。

Оさんは敬虔なカトリック信者である。

Nさんの案内で病室に進む。



掲載許可を取っていないので、顔出しはゆきたんくだけ。ゆきたんくの隣がОさんだ。 


 会えた。

とても嬉しい。

握手をして再会を喜んだ。

Оさんはドイツ語と英語を交えて、たくさんの話をした。

元ドイツの小学校の先生ということでお話は好きだ。

Оさんの立てた計画で旅をし、また報告に行く約束をして別れた。

9/1に再開を約束したが、ゆきたんくは一足早く日本に戻らねばならないのでまたの再会を約束した。

早く良くなって、一緒に旅をしたいとと思う。

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約束を

2015-08-24 23:48:35 | 

約束を果たす。

大切なことである。

20年近く前から、「おいで」と誘われていた。

仕事やら何やらの関係でなかなか行くことができなかった。

そのチャンスが今年きた。

お相手も高齢で、お体も悪くされている。

何としても行かねば。

その方はドイツ人のご婦人でデュッセルドルフにいらっしゃる。

 

初めてのトランジット。

エティハド・エアウェイというアラブ首長国連邦の国営航空会社である。


 


夜間飛行である。時々見える月がお友達だ。


 乗ること12時間。

尻も痛くなる。

アブダビに着いた。

乗り換えに4時間待ち。

あの人は元気だろうか。

早く会いたい。



飛行機からはバス(この日は特別なバス)で制限区域に向かう。


この綺麗な空間の中で4時間を過ごした。


 お金はユーロしかなかったので買い物ができなかった。

ドルを持っていれば使えたのだが。

両替も面倒くさかったしね。

ラクダのかわいい縫いぐるみにはそそられた。

なんて時間を過ごしながら、次に乗るエア・ベルリンのことを考えていた。

航空機の安全度は乗り物の中で一番高いのだが、初めての航空会社だと少し力が抜けにくいかな。



エアベルリン機内から。黒海上空辺り。


デュッセルドルフ到着


 

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童話。

2015-08-23 23:19:16 | 言いたんく

ある人が言っていた。

「童話」とは、子供の時に読んでこそ「童話」だと。

大人になってから読んだのは「童話」ではなく、「童話の本」だと。

 

そう、4歳くらいの時のことを覚えている。

せいぜい10歳くらいまでの無垢な感覚でしかとらえられないことを覚えていたのだ。

ゆきたんくが東京の自宅から、母の実家に行く時には、決まって東京・大垣館の準急という夜行列車に乗って行った。

空に真ん丸なお月さんが浮かんでいる。

電車が走るのに、寸分遅れずついてくる。

「どこにうさぎさんがいるんだろう。」

どんなに目を凝らしても、うさぎなんぞ見える訳がない。

それでもゆきたんくは懸命に探したのだ。

その時の月に近いイメージが撮れたので載せる。

こんな月と何時間も(本当は数分か)もにらめっこしたのである。



デュッセルドルフからアブダビに向かう旅客機の中から撮影した月 準急の窓からこんな月が見えた。


 8月中旬に戦争に関わる内容の番組がたくさんあった。

しかし、その内容を学校の教科書で学んだことはなかった。

ゆきたんくは戦争奨励者ではない。

しかし、動かしがたい事実「歴史」についてはしっかりと学びたくなってきているのだ。

ゆきたんくの住んでいる千葉県の北東部に平成6年まで「関宿町」という町があった。

現在は野田市の一部となっている。

その関宿町に「鈴木貫太郎氏」の記念館がある。

ひっそりとある。

テレビで映画の「日本の一番長い日」についての放送がされていた。

俳優の本木雅弘が昭和天皇役を熱演したことも話題になった。

その時の内閣を任されたのが鈴木貫太郎氏である。

ここでは、その内容については書かない。

いや、書くだけの表現力がない。

少なくともテレビ放送を見た千葉県民で、「あぁ、おらが県の総理大臣だ。」と知っている人たちがどれだけいただろうか。



千葉県野田市、鈴木貫太郎記念館 2005.01.30撮影


このような歴史を、当たり前に知っている日本人であるような教育はなされないのか。

それも、童話を童話として読むことができる純粋な気持ちを持っている時に学ぶことが必要ではないかと思ってしまうのである。


 


日本降伏と鈴木貫太郎首相~Prime Minister Kantaro Suzuki


 

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嬉しい。

2015-08-22 23:02:57 | 戦争遺跡

「同好の士」というのは、何時でも好きな時に会えると思っていた。

時間と言うものは際限なくあって、自分を中心に回っているような錯覚の中に浸っていたこともあった。

仕事を持って、少なくなった自由の中から時間を絞り出す工夫をするようななった。

好きなことができるのてあれば、仕事で疲れていようが苦にならない。

むしろ疲れが取れるような気がした。

そんな仲間たちと数年ぶりに会えることとなった。

お互い紆余曲折はあったのだが、それなりに落ち着いたということだろうか。

その仲間とは「戦争遺跡」探訪チームである。

全員集まるのはさすがに無理だが、顔を合わせることができるのは貴重だ。

9月の予定である。

また、報告する。



柏市花野井のロケット戦闘機「秋水」の燃料倉庫ヒューム管そばにて・・・


 

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思い出した…

2015-08-21 23:31:42 | 東京都立秋川高等学校

ゆきたんくの母校。

高校は東京都立秋川高等学校という。

かつて存在した全寮制の高校だ。

現在、閉校している。

その秋川生の拠り所はフェイスブックである。

その中で、鹿児島を旅された先輩が「本家白熊(かきごおり)」の写真をアップされていた。

この暑い中だから、食べたくなるゆきたんくである。



ちょっと糖質多めだが、たまには・・・


 そう、秋川高2年の時だ。

生活の場が、1棟(1年宿舎)から2棟に移り、同室の隣(正確には学習時間の机の向きは、背中合わせになるような配置)の奴を思い出した。

まぁ、どこでもあることだが同姓のやつを区別したり、見た目の特徴で呼んだりするのにリングネームがつけられたのだ。。

天才〇〇、パプー〇〇、メキシコ〇〇、チワワ〇〇、こなきじじい〇〇、かま〇〇、卒業して何年もしてから核弾頭〇〇と命名された者もいる。

その中のメキシコ〇〇がゆきたんくの隣人であった。

メキシコ日本人学校から秋川高に入学したのである。

足のサイズは31cm、色白で大きな体をしていた。

そして、「メキシコ〇〇」転じて「白熊〇〇」になったのである。

その彼に雰囲気の似ている生徒は「白熊パート2」と命名された。

そんな風に、秋川高であった出来事というのは小さなことをきっかけに思い出されるのだ。

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ヴァージョンアップ

2015-08-20 23:08:50 | 言いたんく

今使っているスマホはアンドロイド。

それにエクスペリアというやつ。

年がばれると思うが、この名前を聞いて、「エクソシスト」と「サスペリア」を混ぜたような名前だと思った。

今では普通に使っているが、若者が使いこなすほど多機能は使っていない。

電話、メール、フェィスブックくらいだろうか。

アンドロイドのヴァージンアップをした方が良いというのでやってみた。



ドロイド君が出てきて、何かずっと作業中の雰囲気・・・


次の画面がこれ・・・


 いやぁ、時間がかかるものだねぇ。

無事にヴァージョンアップが終わったが、使い心地は前とあまり変わりない。

いや、使いこなせていない方が正解か・・・

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力が抜けている時って・・・

2015-08-19 23:49:57 | 

退勤時刻10分前。

そろそろ帰る支度でもするか。

と思っていたら、同僚が探し物するからもう少し待ってほしいとのこと。

そんな時にふと思い出したこと。

丁度1年前、ロンドン発成田行きのブリティッシュ・エアウェイズの窓から撮った写真のことだ。

ゆきたんくは旅を終えると、撮りためた写真の整理をする。

その中で、一番場所を特定しにくいのが、自動車や飛行機の車窓から撮影した写真だ。

グーグルマップが使いやすくなったので場所の特定がしやすくなってはきていた。

その中で

「もう、いくら探しても(場所が)見つからない。」

 という写真があったのだ。

この写真だ。



ヒースローを出発した時刻と写真を撮った時刻から、だいたいどの辺りか見当をつける。 


 そして検討をつけた場所は、1日10分ずつでも2週間くらい見れば見つかったものだ。

しかし、この写真の場所はどうしても見つからなかったのだ。

 

さて、そんなことをふと思い出したわけだ。

コンピューターをダウンさせるまでの10分位の間に見ようと思った。

そういえば、あの時。

機内の席は後ろの真ん中。

3人掛けの右側。

左の2人は北欧の青年だった。

右後部にはトイレ。

左後部にはサーブする飲食物が置かれていた。

大体の窓観光写真は右後部の窓から撮った。


 
北海上空。右後部窓からの写真。尾翼が写っている。


そうだ。

何回か座席を立ち、写真を撮りに行っている。

その時にご婦人がトイレに入った時があった。

流石に、トイレの前に立ったら失礼だと思い、左後部の窓から写真を撮ったことを思い出した。

食事をサーブするためにワゴンがそこになかったこともあったからだ。

早速、グーグルマップに飛行経路線が引いてあるので、飛行機より南側(左後部窓から見れる範囲)を180度回転させて探してみた。

な、なんと1分で見つかった。



ロシア、
カレリア共和国のエンゴゼロ湖のロウフスキーという場所だ。


 スポーツでも余分な力が抜けている時は、とても良い動きができる。

頭もそうなんだと再認識した。

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後半開始・・・

2015-08-18 23:31:56 | 仕事

休み明けで仕事が始まる。

いつも気になっていたことがあった。

職場で仕事に使っているPCが遅いのである。

8GBのUSBが遊んでいたので、レディブーストをかけてみたが、そんな早くは感じられない。

エクセルを立ち上げたり、データセーブしたりする時に固まることもあるのでなかなか怖い思いをされられたのである。

もう待たされたりやり直しをしたりするのはいやなので決断した。



久しぶりにメモリ増設作業をした。 どうにか覚えていた。


メモリ増設である。

装備されているのは2GBの目盛。

増設のためのスロットが1つ。

ウィンドウズ7の32ビット。

すると4GBまでしか認識しないから、

もう一枚2GBのメモリを購入することになる。

某所でバルクで3000円でゲット、こりゃ安い。

つけたら速いこと、速いこと。

固まることも無くなった。

これでストレスが1つ解消した。

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田舎

2015-08-17 23:23:35 | 言いたんく

毎年、この日は親父の実家に行く。

子供の頃から夏になると行かされていた。

旨い空気。

少ししょっぱい水。

毎日朝から晩まで遊んでいた。



この緑の中で一休み。道路には車が来やしない… 


 命の洗濯をする場所があるのは良いことだ。

両親のそばということもある・・・

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