ゆきたんくのお気に入りのギター。
自宅で鎮座していたクラスターのギターが壊れた。
代わりの物が必要。
いま職場に置いてあるアコギはフェンダー。
とても気に入っているので、新しいのはフェンダーにした。
で、アマゾン君に助けてもらってね。
箱入り娘だ。
今は弦高調整も終わり、ゆきたんくの自室にいる。
ゆきたんくのお気に入りのギター。
自宅で鎮座していたクラスターのギターが壊れた。
代わりの物が必要。
いま職場に置いてあるアコギはフェンダー。
とても気に入っているので、新しいのはフェンダーにした。
で、アマゾン君に助けてもらってね。
箱入り娘だ。
今は弦高調整も終わり、ゆきたんくの自室にいる。
今日は別にネタがあったのだが、それは明日にする。
それは、今日がゆきたんくの好きな「さだまさし」氏の72歳の誕生日だからだ。
そしてさだまさし氏はゆきたんくのギターの師匠である。
正確に言うと、直接教わったことはない。
さだまさし全曲集と、途中から形をレコードからCDに替えた音源である。
本が擦り切れるまで、レコードが擦り切れるまで練習した。
CDは擦れきれないが、、、
全曲集は2代目である。
ゆきたんくも遅まきながら20歳でギターを始め40年が経った。
まぁ、上達していないね。
職場には仕事で疲れた時に、手にするようにおいてはある・・・
中古のフェンダーアコギ
今月初め、TARAKOさんの訃報があった。
ゆきたんくと同い年である。
ちびまる子ちゃんで主人公のまる子の声と話し方が特徴に思われているようだが・・・
シンガーソングライターの一面もあり、素晴らしい楽曲を作られている。
その表現力の豊かさに触れた方はどれだけいらっしゃるのだろうか?
今まで、手の中にあった彼女のアルバムを聴き返して冥福を祈っているゆきたんくである
TARAKOさん。
今日は、貸し出していた楽器を元の場所に置いた。
とくにレイアウトなどは考えないのだけれどね。
少しでも賑やかにしたいと思うのは、ゆきたんくが一人っ子だからだろうか。
いつもやっているのだけれど、満足のいくものではない。
まあ、こんな感じ。
ピアノの上には、左より、
真っ黒クロスケ、猫バス(あおいけれど)、アフラックファミリー、トトロ。
ジブリ関係はお手玉ね。
真ん中には、現在のお気に入りの楽譜を2冊。
そして右側には
江東区のマスコット「コトリちゃん」。
アフラックの仲間2つ。
群馬ちゃん。
浦安市のマスコットアッサリ(浅利)君。
上には、楽譜を大きくして見るためのモニター。
その右下には、一式陸攻と桜花の絵。二頭身ウルトラセブン。
右側には、ヤマハのギターアンプTHR5 。
そしてベトナム帽子のノンラー
そして普段は鍵盤に、ゆきたんくの母校、東京都立秋川高等学校の
50周年記念の長いタオルがかかっている。
廉価だけど、ゆきたんくには宝物なのである。
うん、少しね。
そう、今日はネガティブな書き出しね。
現在は音楽が好きだから許してね。
ゆきたんくは小学生の時に音楽嫌いだった。
そう、あのソプラノリコーダーってやつがね。
指が動かないのだもの。
練習嫌いだったし、触らなかった。
小学校3年生の時にね、初めて曲を作ったの。
五線紙を親にねだって買ってもらってね。
夏休みの宿題だった。
自分も作曲ができる。
原色図解百科の中にいた、ベートーベンやモーツァルト、ハイドンのような気持ちでいたのだろうね。
ほくほくとして宿題を提出した。
掲示されたものは、赤ペンで真っ赤になったやつだった・・・
「二度とやるもんか。」
悲しかった。
まぁ、全寮制高校にいた時に、友人のおかげでリコーダーは少しは吹けるようになったのだが。
そしてマイク・オールドフィールド氏の音楽との出会い。
これがゆきたんくの楽器に対する、ハードルを下げていったんだね。
それで、続けているよ。
課題にしていた曲は全部暗譜できた。あとは指に覚えさせるだけ。
リコーダーの練習のおかげで楽譜が初見で読めるようになったことは大きな出来事だった。
どんな楽器でも大抵は譜面が読めれば、表現につながるよね。
先日書いた旅の話では、言葉が通じなければ自分の考えが、表現が伝わらないものね。
では、マイブームがピアノなだけで、ゆきたんくが苦手だったリコーダーを録音したものを貼るね。
ゆきたんくの多重録音 → パッヘルベルのカノン
下手だけどクラシックギターとソプラノリコーダー2本分、アルトリコーダー2本分の五重奏になっているよ。
いつも、ゆきたんくの部屋の片隅で留守番をしてくれているピアノ。
なかなかいじる機会は訪れない。
今回、仕事の内でピアノを使う件ができた。
という訳で、譜面を目で追い(ゆっくりだけど・・・)
練習をしているゆきたんくである。
自室のピアノ。六十の手習いである。
自分が中学生の時の、担任教師の言葉が思い出される。
若いうちにいろいろなことにチャレンジするといいよ。
今、その意味がよーく分かるゆきたんくである。
で、少しずつ成果は出ている。
うん、前にも使ったことがあるのだけれど、2回連続ものとして投稿したいのでまた使う。
「またかよ。」
「またです。」
すみません。
ゆきんたくのフィバリットアーティストがマイク・オールドフィールド氏ということは何度も書いてきた。
初渡英時に、A3判の地図とにらめっこしながらやっと着いた「ヴァージン・マナー・スタジオ」だった建物。
ここで名曲チューブラーベルズが生まれたのだと思うと感慨深かった。
レンタカーで走っている時に、「Shipton on Cherwell」の道路看板が見えた時の心臓の高鳴りは忘れない。
「Shipton on Cherwell」を初めて見てから26年
2003.08.09熱波の夏 → Map
当時は北に向かって道路の左側にこの看板(上側)があった。
今は、右側に移されている。(下の看板の配置はそのまま、内容のレイアウトは少し変わっている。)
そしてここを右に曲がって1分、三叉路が見えてきたので車を降りる。
この変だなと思って後ろを振り返った時に、建物は見えた。
ゆきたんくお気に入りの記念写真である。 → Map
死ぬまでに行っておきたい場所の一つであった。
そしてこの写真は2003年のもの。
明日は2011年のやつね。
部屋の整理をしていたら懐かしいものが出てきた。
小椋佳のカセットテープだ。
詩草
2本組だ。
久しぶりに聴いてみたくなったが、テープレコーダーがない。
iTunesで購入しようと思い覗いた。
「詩草」はなかった。
代わりに、「残された憧憬」と「遠ざかる風景」を購入した。
小椋佳氏のすべての曲を聴いたことはないが、この2つのアルバムの中には今まで聞いたことがある曲がたくさん含まれていた。
現在に通勤時の音楽になっている。
落ち着くな。
病気と言っても体のことではない。
元気が出てきたからこそのものである。
何か分からないよね。
うん、最近になってこれいいよと言われて聞いた曲があった。
YOASOBIの群青だ。
なんとリリースが3年前の曲ではないか。
2020年、コロナが出てきた年。
そういえばゆきたんくは気持ちが落ちていた。
その時に「群青」の歌詞に触れていればなぁと・・・
とにかく、ゆきたんくの琴線に触れたのである。
そうなると止まらない。
プリント楽譜で楽譜購入してダウンロードして印刷してスケッチブックに綴じて・・・
そう、楽しみが増えたのである。
これね、ゆきたんくスコアー
2日前のお話ね・・・
小学校の時に好きだった、原色学習図解百科事典。
1~8巻はあ~ん、9巻が「楽しい音楽と鑑賞」、10巻が「新しい造形と美術」という構成になっている。
小学校3年生のゆきたんくである。
9巻、10巻のタイトルなんて読めない・・・
ただ、9巻はEPレコードが9枚(だったかな?)と、冊子が一冊ついていた。
それを初めて開いた時に目に入った写真がこれである。
オーストリアにあるハイドンの生家である。
オーストリアとオーストラリアの区別もつかず、「生家」の読みかたも意味も知らない小学生だった。
写真を見て最初に思ったことが、「ここに行きたい。」だった。
そして自分自身で、ターンテーブル(当時はレコードプレーヤーと呼んでいた)を用いて聞いた音楽もハイドンのセレナーデだった。
学校が休みの日には、レコードをよく聞いていた。
気に入ったは、ハイドン、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンだった。
それから、次の興味が出てしばらく音楽から離れることになる。
高等学校で再び音楽に興味が出るが、それはプログレッシブロックであった。
社会人になり結婚し子どもも大きくなって落ち着いた時、かつての自分の夢を思い出した。
順番は逆になったが、高校の時から好きだったアーティストの縁の地は訪ねた。
まだまだ宿題もあるのだが、まず行きたかったのが、「ハイドンの生家」そして、「モーツァルトの生家」、調べたかったのが、デュッセルドルフにあるシューマンハウスから身を投げたライン川までの道のり・・・
上の3番目の夢は2015年に果たすことができた。まあ、正確かどうかは分からないが、このコースしかないだろうという所を自分なりに見つけたということだ。
さて、「ハイドンの生家」だ。
オーストリアのウィーンから車で45分東に走る。
スロバキアの首都、ブラチスラバまで17kmという国の外れである。
「ローラウ」という牧場の中にあるのんびりした町に「ハイドンの生家」はある。
ついに来た、「ローラウ」
この歳になって、久しぶりにわくわくした。
なんと54年間の夢が叶ったのである。
2020年3月で、いったん仕事を辞していたゆきたんくは、7月にここに来る予定を入れていた。しかし、かのコロナ禍で断念せざるを得なかった。
ここに来たかったきっかけの写真は、「ハイドンの生家」の中庭である。
あの風景を見たかったのである。
ここは博物館になっている。彼が使ったであろう弦楽器。
もちろん、ピアノやチェンバロも展示されていた。
楽譜の展示もあった。
日常の生活がうかがえる部屋もあった。
小さなコンサートホールもあった。
そして肝心の中庭である。
「うん、ここだ。」半円形のピロティは今ではドアが設けられている。ブドウ棚、木製井戸は気が新しかったが形はそのまま、と石でできたシンクというのかな。それも当時のもののようだ。
夢が果たせるというのは良いものだが、欲張りのゆきたんく。
自らの人生だけでは、時間が足りないような気がしている。
しかし、この中庭に一歩踏み出した時の感動は素晴らしかった。
ゆきたんくのフィバリットアーティスト。
うん、マイク・オールドフィールド氏である。
彼の音楽が気に入り、今年で48年。
かれこれ50年も追っかけているのだ。
デビューアルバム、チューブラーベルズが録音されたマナーハウスには2度行った。
セカンドアルバムのタイトルになった、イングランドとウェールズに跨る尾根、ハージェストリッジには3回行った。
サードアルバムのオマドーンが録音されたスタジオだった場所には泊まった。
コツウォルズの館と言われた、スロアームスラッドのマナーハウスは1回しか行っていない。
滞在時間は、ゆきたんくの苦手な犬がいたこともありたったの5分だった。
今度ゆっくりと行きたい。
もしかしたらゲストハウスになっている可能性があると思い調べてみた。
1978年、4作目のアルバム「インカンテーション」の録音の合間に、犬と散歩に出かけるマイク氏。
後ろに写っている建物がスローアム・スラッド・マナーハウスである。
その33年後、スローアムマナーとゆきたんくである。2011.12.26
調べたら、「Night Frank(イギリスのロンドンに本社を置く不動産代理店)」に載っていた。
この家は、素晴らしい家族向け宿泊施設を提供するために近年改良されました。 かつてレコーディングスタジオだったザ・バーンは、素晴らしいゲストコテージに改装され、テラス付きの新しいプールが設置され、下の渓谷の素晴らしい景色を眺めることができます。
とあるので場所を公開できるのである。
写真のゆきたんくが立っている場所の地図を載せる。 → Map
ぜひもう一度行きたい。
できることならば泊まりたいね。
うん、いいよ。
今ははまっている歌手ね。
シンガーソング・ライターではなくて、シンガーソング・ハイカーを名乗っていらっしゃる。
歌って登れる加賀谷はつみさんの曲が良い。
ナイスラン、いいね!
そう、ファーストアルバムはその名も「シンガーソングハイカー」である。
もちろん、ゆきたんくは持っている。
まずはナイスランを聞いていただきたい。
→ NICE RUN
先日、浦安郷土博物館に足を運んだが、その時にお土産に買って帰ってきたのが、浦安のゆるキャラ「あっさり君」である。
そのぬいぐるみがあったので、買ってしまった。
そういうものは置き場所に困ることがあるが、ゆきたんくの部屋では決まっているのだ。
それは、ここ。
ピアノの上へ。端に群馬ちゃんがいる。
ねじりはちまきで、漁師町だった浦安の伝統的なスタイルをしている。
あさりは名産品だったのだ。
さて、今日からFB投稿復活します。
今までさぼったものはアップ済ですので、時間のある方はお立ち寄りください。
ゆきたんくはギターで指弾きが好き。
しかし、このところ爪が弱くなっている。
ストロークをすると爪が欠ける。
やはり、ピックにも使わないとね。
ここでまた別の問題が・・・
指が乾燥してピックが滑るのだ。
フィンガリングをしたり、ピッキングをしたり。
曲によってはピックを使いながら、残りの指でフィンガーピッキングをしたり・・・
爪は、補修材の力を借りることにした。
滑りはどうしようと考えていた。
アイテムを見つけた。
とても良い。
しかし、しばらくピックを使っていなかったので練習が必要だ。
若い頃にピックを持った感覚が戻ってきた。
これはいい。
うん、お勧めである。
新しいスター誕生だ。
ゆきたんくが音楽アーティストを気に入ることって少ない。
今日紹介するのは女性アーティスト。
シンガソングハイカーだそうだ。
どの楽曲も当たり。
コラボも良い。
曲は良い、歌も上手い、編曲の方々も素敵。
ダウンロードではつまらないので、CDを探して手に入れた。
そしてiTunesでiosに移した。
現在出退勤の時に車で聴いている。
ゆきたんくのお勧めアーティスト「加賀谷はつみ」さんだ。