伝えたんく

日々の何気ないできごとに感じた幸せ

今年は

2008-12-31 18:46:41 | 言いたんく

 今年は海外で初めての正月を迎えた。
イスラムの国インドネシアでのこと。
 そして日本との違いに驚いた。
 身分の格差の激しいこと。
 それを受け入れている国民たち。
 日本で普通に生活をしている者よりもはるかに幸せな顔をしている。

 最初の写真は大乗仏教が作り上げた最大の仏教遺跡のボロブドゥールだ。
現在ではイスラムが国民の90%を超えているが、大乗仏教の象徴に対して、寛大なこと。

 インドネシアでは日本人は身分の高い者として扱われる。
従って、名所旧跡での物乞いも集まってくる。この国では富める者が貧しいものに施すのが当たり前のこと。名所への入場料も外人と地元の人間とでは10倍も違う。日本人値段というやつだという。

 富める者からはたくさんいただき、貧しいものからは少しいただく。

 「なんでもそろっているのに、食べるのに困らないのになぜ不幸せな顔をしているんだろう。」と考えさせられた国。

 そして4月には職場の異動があった。
新しい環境でやっていけるだろうか。
 そこでこの歳であらためて考えたのが、自分の役割だ。
今までのキャリアが生きる場があることが一番幸せなはずだ。
 仮に出世したって、現状維持だったって、自分のキャリアが生きるものでなければつまらない。自分の役割を把握し、精一杯頑張ることが幸せではないだろうかと。

 今の所、幸せに近づいているような気がする。

 そして締めくくりが、つい先日のことだ。
雄心のF氏の故郷に連れて行っていただいた。

 そこにあったのは、日鉱金属精錬工場で、竣工当時世界一の高さを誇った煙突が残っていた。これにより、煙害から救われたのが地元の村民である。
残念なながら、その煙突は現在1/3の部分しか残っていない。
しかし、現役で煙を吐いていた。
現在では、害のある部分を浄化してから排出しているのだろう。

 その手前にある大きな煙突が、政府に命令されて造ったものだ。

 精錬で出てきた煙を空気と混ぜて薄め排出する装置が着いたものである。
結果的には、薄まった煙は、低温になり、地表を這って甚大な被害をもたらしたという。

 このため創始者の久原房乃助は、煙害対策と、地元民との共存を考えて煙害解決のために煙突を建てた。

 
日鉱金属精錬所にある煙突。
上にあるのがかつて155mあったやつ
手前が阿呆煙突と呼ばれているもの

 この2つの話のどちらにも共通しているのが「共存」だ。日鉱についての細かいことは伝えたんくの記事「阿呆煙突」を読んでいただくとわかっていただけるだろう。

 お互いに自分の精一杯できることをやることで、双方が快適に過ごせるようになるのだとしいうことを学んだ年だったと思う。

 

 

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旅の楽しみ41…茨城袋田の滝2

2008-12-30 23:53:55 | 

 昨日の続きだ。
袋田の滝に新しい展望台で出来たということで足を運んだ。

 入場口は、階段を上った高い所にある。その下に茶屋があったので昼食をとることにした。


F氏の食したけんちん汁うどんセット

 



ゆきたんくは「天ぷらうどん」にセットをつけてもらった。
天ぷらは揚げたてサクサクで旨かった

 体が温まったので、いざ出発。
そしてすぐ目に入ったのが、入場口に続く階段だ。
通行禁止である。老朽化したのか・・・。

 しょうがないので坂を上り、入場口まで行く。そして入り口になっているトンネルを覗くと



トンネルの壁を利用した花輪だ。

 これが先日の投稿で載せた「花輪」である。下写真のように、どこかの地下壕のように無機質なものよりいいか。そして看板に書いてある文章も、新しい観瀑台からの眺めを期待させるものだ。


通常はこんな感じ

 

 途中で煌びやかな所に出た。天井が電飾で綺麗なのだ。


なぜに、この電飾

 歩を進めてみると、そこには「袋田の滝胎内観音」と呼ばれる観音様がいらっしゃった。丁度、そこにかかる部分の天井が電飾で輝いているのだ。


ベンチも用意されていている。
これだけ明るいと安心して一休みできるものだ。

 6年前に行った時には、持っているカメラの性能も良くなくて、トンネル内部の写真なんてブレてしまって見れたものではなかった。ここのメインは滝だが、その脇役たちもなかなか味わい深いものだ。今回の袋田の滝訪問は大満足(自己満足だが)である。

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旅の楽しみ40…茨城・袋田の滝

2008-12-29 22:24:15 | 言いたんく

 先日、夏旅行の仲間F氏が日立市にある日鉱精錬所や記念館に連れて行ってくれた。その後に袋田の滝に寄った。

 かれこれ7年ぶりのことである。

 前と違ったのは、展望台が新しく出来たこと。今までの展望台の44m上に出来たのだ。まるで華厳の滝のように、上からの様子、下からの様子と見れるようになったことだ。トンネル内には記念の花輪が飾られている。花輪といってもトンネルの壁に沿って貼ってあるだけだが、形的には花輪になるのだ。


今までの展望台から見た袋田の滝

 もう1つ前回と違っていたのは、音がしたことだ。
前回は1月に行った。滝全体が凍っていて、静寂だったことだ。
今回は「シャーッ」と小気味良い滝らしい音が響いている。

 上の展望台にはエレベーターで上がるようだが、随分と混雑を予感させるような看板が出ている。あと〇分というやつだ。
 幸い並ばずにスッとエレベーターに乗ることができた。
 高い観瀑台では、「写真は譲り合ってお撮りください。」との張り紙があるが、すいているのですいすい撮れた。

 


袋田の滝、高い観瀑台から

 袋田の滝の上ってこうなっていたのかぁ・・・。
見ることが出来ないと思っていた所が見れるっていいなあと思う。

 人でいうと、「こういう人だと思っていたら、こんな魅力があった。」なんて新しい発見をした喜びの気持ちを味わうことができた。

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阿呆煙突

2008-12-28 23:57:38 | 言いたんく

 「阿呆煙突?」

 夏の旅行メンバーのF氏が、生まれ故郷の日立市を案内して下さるというので行ってみた。

 F氏が小さい頃遊んだという日鉱金属には、竣工当時世界一(155.7m)の高さを誇った煙突があるという。そう、日鉱金属と言えば、銅の精錬で有名な所だ。銅の精錬というと一般的には日光の足尾銅山がネームバリューがあるだろう。しかし、足尾鉱毒事件という社会的にマイナスのイメージが付きまとう。

 この日鉱金属では、創始者の久原房之助が鉱山事業の宿命である煙害を、高い煙突の建設と植林により地域との共存を可能にした実績がある。

 その時の煙突が最初の写真の上にある煙突だ。F氏の話では、折れてその残骸しか残っていないということだった。

 今日足を運び、車を停めて煙突を見たF氏はびっくりしていた。

 「まだ、現役なんだ・・・。」

 てっきり、もう使われていないと思っていたという。


日興金属全景 → Map

  この煙突が出来る前の時期は、各地の事業所で煙害による被害が増大していたという。そのため、政府命令で造られた煙突の1つが、大煙突の手前にある太い煙突だ。当時の専門家を集めて建設された煙突の役目は、排出される煙を空気と混合して薄め、大気中に出すというものだった。しかし、薄めたために規制値をクリアーしたが、排煙温度が下がったため、空に上らず地表を這い被害は甚大にものになってしまったという。

 このことから、この煙突をバカ煙突とか阿呆煙突とか呼ぶようになったという。

 そして久原は、このようなことは2度と会ってはならないとして、政府に見せ付けるために「残せ!」と部下たちに命令し、いまだにこの地にあるという。


日鉱記念館(入場無料) → Map

 これまでの日鉱金属の歴史が納められている博物館と言ってもいい。
こんな言い方は悪いと思うが、他地域の記念施設と比べて、非常に明るい感じがする。そして未来を見据えているのだ。銅山の閉山とともに、産業の終焉を迎えたところもあると思うが、ここは現在進行形である。いまや世界と連携して未来を見ている大会社である。

 F氏は言う。「日本の教育も失敗例だけではなく、このような成功例に目を当てて、子供達に夢を持たせてはどうか。」

 ゆきたんくも同意見だ。


久原房之助氏の銅像(記念館内)

 自分のことだけではなく常に全体のバランスを考え、かかわる者全てとの共存を大切にした大人物の自宅は誠に質素な造りであった。日鉱記念館が自宅傍に建てられたので、記念館の敷地傍らに静か佇んでいる。

 

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なんで・・・

2008-12-27 23:48:20 | 言いたんく

 荒涼とした中に、錆びた標識。
その標識もよく見ると英文字で書かれている。

ここは埼玉県朝霞市溝沼と膝折をまたいだ所にある「キャンプドレイク跡地」だ。

キャンプドレイク跡地
キャンプドレイク跡地

 陸上競技の400mトラックが6つ入ってしまうほどの広大な土地だ。

 東京近郊に残っている旧米軍基地関連の廃墟と言っていいだろう。

 元々は東洋最大のゴルフ場が、陸軍の予科士官学校になる。そして「被服廠(ひふくしょう)」が設立された。大戦後は米軍が進駐し、ここを「キャンプ・ドレイク」基地として使用したという。現在は朝霞市に返還されている。


消火栓

 

 他の米軍基地跡と違い建築物の遺構は少ない。


建築物遺構の1つ

 今では木々が好き勝手に生え放題だが、この広さの中にたくさんの緑が存在するということは整備さえすれば、良い環境空間と言えるのではないだろうか。


小さな建築物遺構

 


何のボンベだろう

 今、再開発の準備を進めているそうだが、必ずしも賛成とばかりはいかないようだ。ここの使い道について、市と住民と折り合いがつかないようだ。



冬の撮影。遺構の様子がよく分かる

 市民の土地であるから、市民のために使われる計画だといいのだが・・・。

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暖かいっていいな。

2008-12-26 23:52:39 | 言いたんく

♪もう、6つ寝るとぉ お正月♪である。

 丁度一年前は、義兄のいるインドネシアへ出かける準備で慌しかった。
 その一年前には、義父母と京都・奈良へ出かけている。
足が痛くて痛くてしょうがなかった。薬局で買い求めた「フェルビナク」の入った湿布もほとんど効かなかった。いまにして思えば、「神経痛」だったのかもと思うゆきたんくである。

 昨年のインドネシアでは痛みは全く出なかったこと。
 5月の連休の時に腰を冷やしたら、あの時と同じ痛みが出てきたこと。
 

 暖かいって体にいいのだと思う。巨人が宮崎キャンプを張る理由が分かった。


ジョグジャカルタの郷土料理、「グドゥッ」

 あの暑い中、屋台で食べたジョグジャ名物「ナシ・グドゥッ」は美味かった。
好き嫌いはあるだろうが、幸いゆきたんくの舌にインドネシアの料理はあったのである。太陽はとっくに落ちているのに、あの30度近い気温の中屋外で食べる食事の美味しかったこと。

 


ジョグジャのタクシー、「ベチャ」

 ジョグジャカルタの町をベチヤという「輪タク」で走り回ったこと。気持ちよかったなあ。ジャラン・マリオボロのメインストリートの真ん中を走ったことは忘れない。

 暖かいことで軽装になり、心持ちも軽かったこと。

 そして、義兄夫婦に世話になったこと。

 そう、心も暖かかった(温かかった)のである。

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クリスマス・プレゼント

2008-12-25 23:44:39 | 言いたんく

 昨日クリスマスについて、偉そうに述べたが次の日にはこの体たらくの男、ゆきたんくである。

 今日は今年最後の忘年会だった。
 喰い放題、飲み放題であった。そして嬉しいことにドリンクバーがあり、そこにはゼロがあった。酒の飲めないゆきたんくにとっては誠にありがたいことだった。

 メンバー半年振りの再会を誓うものや、つい昨日会った者までいた。
 野菜まるごとカレー、スバゲッティ、ホタテの刺身、器一杯のソフトクリームにチョコレートをかけ、ゼロをお変わりすれば、もうお腹はいっぱい。

 子育て・教育談義をしながら、時は過ぎていった。

 しばらくしてくじ引きの時間となった。

 そこでゆきたんくが当てたものは、2等の加湿器だった。
 写真を見てほしい。

 この加湿器の水のタンクを。そう、タンクにはうるさいゆきたんくである。

 コカコーラ・ゼロ500mlのペットボトルが水のタンクになっているのだ。

 家に帰って早速、使用しているところである。 

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クリスマス・イブ

2008-12-24 23:34:02 | 言いたんく

 さて、今日はクリスマス・イブだった。
イブというのは前夜のこと。
となると明日がクリスマスになる。


クリスマスの意味は何だろう。
クリスマス・バーティーとか、クリスマス・プレゼントとか、クリスマス・セールなど・・・

何の気なしに記念日のように扱っている、この日は何だろう。

 写真はクリスマスの様子を表した人形だ。

 旅途中の夫婦がいた。夫はヨゼフ、妻はマリア、臨月である。
 産気づいてしまったマリアは屋外で出産する。
 その赤子が飼い葉桶の中に寝かされている様子だ。

 そう、イエズス・キリストの誕生である。よく馬小屋で誕生した話を聞くが、聖書には馬小屋でという記述はない。宿に泊まる金もないほど貧しかったことが表現されている。

 そのキリストが生まれたことを記念してクリスマスという。
キリスト者は、毎週日曜日に教会でミサに預かる。
 キリストのミサということでクリスマスとなる。 


馬小屋とクリスマス・トゥリー

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久しぶりの池袋

2008-12-23 23:01:39 | 言いたんく

 今日は女房と観劇してまいりました。

 演題は「金襴緞子の帯しめながら」

 本来ならば、花嫁に行くことは目出度い事なのに、なぜ泣くのか・・・

 というところがこの演題から感じることなのだ。
 しかし、今回見た公演では、生と死と婚姻という人間の人生における三大儀式が盛り込まれ、それらの狭間にミステリーが存在するという形だった。

 今までにも何回か演劇は見たことはあるのだが、初めて見るパターンだった。

 女房曰く、「不条理劇というやつよ。」

 なんともまあ、少しでも目を離したら、ストーリーがどこかへ飛んでしまうような不安を感じながら見た。いつタイヤが外れてもおかしくない自動車で高速道路を飛ばしているような不安定感たっぷりの空気に浸った・・・。

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習志野の戦争遺跡01…のどかな公園は

2008-12-22 23:48:00 | 言いたんく

 写真ののどかな公園には、子ども達が遊ぶ遊具があり、裏には誉田八幡神社があって、集会所には常駐の大人がいるようだ。この公園だけではなく、神社の境内でも遊ぶ子どもがいた。

 体の大きいゆきたんくが、子ども達の写真を撮って変質者扱いされてもかなわないので、写真の中に子ども達の姿はない。 


習志野市の八幡公園 → Map

 北側には大学が2つ併設されている文教地区だ。

 

 その北西には日本大学生産工学部と東邦大学、北東には公務員宿舎やかつての腐敗研究所(現・ならしのの森)、南部には住宅群が広がっている。

 旅団があった当時の航空写真はこれだ。


八幡公園内に掲示されている写真。

 4つの連隊が並んである写真だ。
 日本大学が第13連隊、東邦大学が台14連隊、公務員宿舎が15、16連隊に当たる。

 当時の物としては、2つの大学の間に、碑が数点残っているのと、ならしのの森敷地内にある建物の基礎等、そして旅団司令部のあった八幡公園の入り口にある、煉瓦造りの門柱だ。


公園入り口門柱

 かつて激しい演習が行われたこの地も平和な文教地区になっている。

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2008-12-21 23:19:14 | 言いたんく

 ゆきたんくの友人に陶工さんがいることは前に記したと思う。

その陶工さんのところで茶碗創りを教えていただいたことがある。

 ゴールデンウィークを利用して、次男と遊びに行くことにゆきたんくである。
 場所は神奈川県の青葉区、寺家町という緑豊かな場所に友達の工房はあるのだ。この日は道路は大渋滞。東名高速に乗るまでに2時間もかかってしまった。

 8時には家を出ていたので、順調ならば9時50分には着いていたはず。それが15時を過ぎてしまったのだ。

 友人は、まん丸に丸めて空気を抜いた粘土を2個用意していてくれた。

それを両手に乗せ、みかんを割る時みたいに親指に力をこめる。
 
 器のような形になった。

 すると小さな器のようになる。

 ろくろに載せて縁の部分を引き伸ばす。
 優しく根気強く引き伸ばす。

 そしてろくろで形を整えた。

 最後は、へりの部分をきれいにするだけだ。



茶碗のへりをヘラでカットするつっくん。
左は陶芸社館長のN氏。

 ろくろを回して、ヘリの部分に、先が針金の棒を当てる。
 余分な粘土が取れ、すっきりする。

 最後は、濡れた小さな布を濡らし、ヘリに当てると見る見るうちに綺麗になる。

 釉薬で絵を描き、後は乾燥してから焼きだ。

 この日はここまでにした。
 館長手作りのギターや、マイク・オールドフィールドの曲を弾いて遊んだ。

 作品は、後日郵送してくれるそうだ。

 三代続く陶工の友達は、教え方も上手だった。
 無駄がないからそう感じるのだろうなぁ。

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ね、眠い・・・

2008-12-20 23:30:47 | 言いたんく

ね、眠い。

年賀状の宛名印刷中です。

しかし、プリンターへの年賀状のセットの仕方を間違えて数枚無駄にしてしまった。

これは体が私に、寝ろと言ってるんだと思いました。

で、この続きは明日。

お休みなさい。

で、早朝4時。

気を取り直して作業をしたら、楽々に、正確に、進むこと進むこと。

眠いと感じた時には、脳みそは寝ているんですね。

 出す分の宛名印刷と、裏側印刷が終わりました。

 後は一人ひとり、コメントを記入して投函です。

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あの時は・・・

2008-12-19 23:13:38 | 言いたんく

 随分前に長野に出かけた時のことだ。
宿泊地の湯田中温泉を目指していたが、途中で渋温泉によることにした。
 地獄谷の噴泉を見るためである。
噴泉を堪能した後は、近くに「ベゴニアセンター」があるので寄ることにした。

 この当時、そんなに旅行好きでなかったゆきたんくが、珍しく心を動かされた。センターにある花達がきれいだったからだ。

 その花達をご覧いただこう。 

 チューリップの歌に、「赤白黄色、どの花見ても・・・」とあるがベゴニア達は姿形で自分達を表現していた。こんなに花が綺麗だと思ったのは、初めてのことだった。

 2001年の当時、ゆきたんくは自分のカメラを持っていなかった。友人と旅行をするに当たり、その時に借りたカメラで写したものである。

 この年にホームページ作りを始めたゆきたんくであるが、旅のコンテンツの最初を飾った遠方旅行がこのベゴニアガーデンを含んだ湯田中の旅だったのである。

 現在、ここ長野県下高井郡山ノ内町のホームページには、「上林ベゴニアガーデン」の記載はない。数年前に閉じたという。

 あの時、名前も知らなかった花に感動した思い出をくれた「上林ベゴニアガーデン」にはもう行けないのだ。

 「一期一会」と千利休の言葉を思い出したりして・・・

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旅の楽しみ39UK…ニューチャーチ(ウェールズ)

2008-12-18 23:33:05 | 言いたんく

 旅の楽しみとは言っても、今回は肝を冷やした話だ。2003年の夏、場所はイギリスはウェールズをハージェストリッジへ向かっている時のことだ。

image
コリンズの地図

 コリンズの地図  前の晩にコリンズの地図で、ブレコン・ビーコンからハージェスト・リッジまでのコースは調べておいた。気になったのは、ニューチャーチという場所からアッパーハージェストまでの間に急な坂があることだった。

  最初の写真がニューチャーチという場所である。そこにはニューチャーチという教会があった。建物は古めかしかったけれど、出来た当初は新しかったには違いない。


ニューチャーチから
ハージェストリッジまで

 左下の緑色の家のアイコンがニューチャーチ白矢印が急坂 とそろそろ急坂だ。ところがスースローで借りたレンタカーハマニュアルシフトだ。無事に登れるのか・・・

 ニューチャーチの少し先の所から、勢いをつけて登るが途中で減速する。  どうしてもギヤを落とさなくてはいけないようだ。坂道発進である。クラッチを少しつないで、アクセルを踏んで、サイドブレーキを解除した。少しずつ進むが、エンスト恐さのために半クラッチ状態だ。

  後ろに乗っていたのりたん(奥方)が「煙だ。」と言ったので外の方向を見たら煙が出ていた。どこかで物を燃やしているのかと思ったら、乗っているレンタカーからだった。  車を停めて車外に出る。空気の焦げ臭いこと、オーバーヒートか。  しばらくすると煙は収まった。エンジンはかかる。

 そう、きっとクラッチ板が加熱したのだろう。 気を取り直して、ローで進んだら、ゆっくりだがしっかりと坂道を登っていく車。 坂道を過ぎたら快調に走っている。  田舎道で携帯電話もなし(高かったので借りなかった)でエンコしていたらどうなっただろうか。

 あの煙を見た時の終末感たらなかった。 「車が炎上、立ち尽くす日本人」のようなニュース状態になったのだろうと思う。  今となっては笑い話だが、その時は笑えなかった。車に火がつかないうちに外にでなきゃと思ったのは事実だからだ。 

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年賀状

2008-12-17 23:51:37 | 言いたんく

 年賀状のデザインが決まり、印刷に移った。
近頃のプリンターは印刷が速い。
仕事をしながら、印刷をしていたらあっと言う間に刷り上ってしまった。

明日は宛名あて先の確認だ。
 「筆王」を立ち上げ、文字との格闘が始まる。

 続き・・・。

すみません。昨夜はどうにも眠くて眠くて。

毎年合計400枚弱の年賀状を作る。

とは言っても喪中欠礼などで少しは減るので、今はその葉書が落ち着いてから年賀状の作成をする。

 「筆王」の印刷モードのところで、ご不幸のあった家に送らないようにする機能があるのだ。

 コメントを書く裏面は、全部で3種類作る。
 そして、宛名と住所の確認である。
 無駄が出ないように、間違いがないように慎重を期す。

 相手に合わせて、年賀状の宛名を印刷する。
 裏面の空いているところに、コメントを書く。

今日は、裏面の印刷を買った分全部終わらせる予定だ。

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